第二十話 死の森東部制圧戦 パイルパーチ攻防戦 前編
クレリアは『パイルパーチ』の様子を探索専門の黒いコボルト、『隠密』ヨークからの報告を聞き、攻め方に悩んでいた。
オークは基本的に戦いを好み、個人の強さへの強いこだわりがあり、強さこそが正義と謳っているような種族だが、決して集団戦が苦手なわけではない。むしろ、タマのように集団戦も得意にしている者が多い種族らしい。
コボルト達を人質に取るかとも彼女は考えていたが、オークリーダーのタマは相手のオークがその手を使うことは有り得ないと断言していた。
そんなことをすれば、オークの信望を無くすと。
「じゃ……あんたは?」
「いや、あの……俺だって子供は解放するつもりで……ま、まあ、昔のことはいいじゃないですかい!」
話し合いの席でタマはクレリアとケットシー族のブルーから、じぃっと見つめられ、慌てて縮こまった。彼を助けるようにシバがまぁまぁと間に入る。
そしてシバは確認するように全員を見回し、最後にクレリアを見た。
「それで、本当に『パイルパーチ』に攻めるの?」
「はい。攻め落とさなければ後がありません」
クレリアの言葉に、キジハタとタマが頷く。彼等もここを落とせなければ相手の本国に東部の現状は伝わってしまうと考えている。
向こうの魔王候補に、配下が減っている場所が東部だと断定され、攻められる前に落としきり、防衛体制を整える必要があるのだ。
「敵の将、コンラートも侮れませんな。拙者達の奇襲で気付いたのでしょうが」
「ええ。敗走した者達の話から、遠距離攻撃の有効性に気付いたのでしょう。それを活かす為に、矢よけの柵を家を取り壊して急いで用意したようだし、弓と投石も用意しているらしいわね。矢じりは木だろうけど、上手く攻めないと守りきられるかもしれない」
クレリアは話しながら大体の地形を書いているヨークの絵を確認する。『パイルパーチ』は、もふもふ村の地形と同じく、少しだけ高くなっている場所に作られている、比較的に攻めにくく、守りやすい地形だ。
その地形に、まだ多くのゴブリンとコボルト、そしてハイオークが篭っている。
時間稼ぎはさせたくない。相手はどう考えているか……そんな風に悩みながら、クレリアは考え込んでいた。
そんな彼女に青い髪の猫耳の少年、ブルーが静かに近付いて話し掛ける。
「……クレリア……挑発……は?」
「ふむ……相手が出てきてくれれば有利かな」
ブルーは出しゃばったことを恥ずかしがるように、赤面して後ろに下がった。
挑発して出てきたハイオークを切れれば最善だが……出てこない場合も考えておかなければならない。
「よし、まずは挑発する。部隊は分ける……正面の指揮は私。タマと降伏したゴブリン達、長槍隊。側面の指揮はキジハタ。ヨーク、ブルー。貴方達はゴブリン戦士隊と自分の部下と共に彼の方に。コボルト弓隊は半分に分ける」
「了解!」
「そしてシバ様……いえ……」
クレリアは皇帝であるシバを見る。彼女は躊躇する……彼に戦争を手伝わせることを。そのことに気付いた彼は、クレリアの頭をぽかっと叩いて笑った。
「ダメだよ。クレリア。僕も頑張るから……贔屓は駄目」
「う……はい。シバ様はキジハタの方に。作戦は……」
クレリアは作戦の要旨をモフモフ帝国の幹部達に説明する。
その説明を聞いた彼等は真剣な表情で頷いた。
『パイルパーチ』西側……相手の正面の近くでは、クレリアを中心にタマの長槍隊が10名、コボルトの弓隊が40名、そして降伏したばかりでも戦意のあるゴブリンが20名……彼等は小さな剣と大きめの盾を持たされて待機していた。
タマの説明ではここの指揮官は大雑把な性格の典型的なオークらしい。だが、クレリアはたった一日で防衛体制を整えた手際から、用心深さも兼ね備えていると判断している。
本当なら長期戦に持ち込み、じれさせたいのが本音だ。
だが、状況がそれを許さない。
面白いものだと彼女は思った。彼女が騎士の時は指揮官としては、目の前の相手に勝てば良かった。それが今では状況まで把握して考えなくてはいけない。
上司の消極的な作戦に不満を持つことも少なくなかったが、今は彼等の気持ちも何と無く理解出来ていた。
他人の命を預かる圧力というのはこれほどのものなのだと。
「タマ。罵詈雑言は任せた。私はそういうのは苦手だから」
「へっへっへ。お任せを……姐さん」
タマはケットシーから預かった大きな音が鳴るボールを一つ割って自分に注意を引き、弓の射程ぎりぎりまで一人で前に出て、大きな声で叫ぶ。
「おおいっ! コンラートのへっぽこ野郎! 臆病者のコンラート! お前らなんてコボルトの足元にも及ばねえ雑魚だっ! 怖くなけりゃあ出てこいっ!」
しーん……と、戦場が静まり返る。敵も味方も一言も発しない。
しばらく彼女達は待ってみたが何の反応もなかった。
「センス無い」
「いやあ、面目ない」
あまりの無反応さに、タマがしょぼくれた様子で仲間が待機している場所へと戻ってくる。流石にこれでは相手の反応がわからないため、クレリアはゴブリン達にも罵詈雑言を相手に投げかけるように命令した。
だが、相手側は少しだけざわめいたものの、自分達の集落から出ようとはしなかった。
クレリアは拳を握り締め、次の命令を出すべく顔を上げる。手には汗をかいていた。
一方、『パイルパーチ』の内部では、中央の広場でハイオーク、コンラートが愉快そうに鉄製の矢じりが付いた矢を弄びながら、配下のオークから報告を聞いていた。
報告しているオークは恐縮し怯えきっている。
この自分達の隊長が気分次第で自分に死が与えられることを知っているからだ。
ハイオークはオークリーダーと同じくらいの巨体を持つ、人型のオークの上位種である。猪の耳と褐色の肌を持ち、他の種族の上位種のように魔法を使うことはできないが圧倒的な膂力を誇っていた。
精悍な顔立ち、短い不精髭を生やした筋骨隆々の大男、コンラートはそんなハイオークの一人だ。彼は報告には応えず、矢を弄り続けている。
「そ、それで如何なされますかっ。奴ら雑魚共の口を閉じさせますか?」
報告したオークは自分達の指揮官が何も答えない事に不安になり、敵の挑発への対応を確認しようと跪いてコンラートの顔色を窺う。
彼はオークを見て、馬鹿にするように笑っていた。酷薄で自分の実力への自信を感じさせる……そんな笑みで。
「だからお前らは無能なんだ。俺が折角、殆どの勢力を落としてやったってのによ……二年も掛けてコボルトを仕留められないどころか、逆にやられるとは」
「う……ぐ……」
「まぁ、魔王候補のあの馬鹿が気に食わなくてさぼって良かったぜ。お前らが無能なお陰で面白い戦いが出来るんだからよ。お前に刺さってたその矢を見ろ」
コンラートは地面に矢を投げ捨て、側に控えているオークリーダーに持たせていた巨大な両手剣を手に取り、押し殺すように笑ってその巨体を震わせる。
「この戦いは時間を掛けて用意されたもんだ。挑発に乗れば間違いなく負ける」
かつてない興奮をコンラートは感じていた。彼にとってはコボルトもゴブリンも、そしてオークも弱っちい蟻のような存在だと思っていた。
実力ある者との戦いを楽しみにしていた彼にとって南部のエルキー達の戦線から外され、弱い部族しか住んでいない東部に廻された苛立ちは相当なものであった。
だが、今、彼は追い詰められている。しかも最も弱く、最も臆病なコボルトに。
コンラートは初めて東部に廻されたことを、魔王候補に感謝していた。
「この戦いを考えた奴は強い。お前みたいな無能では何年掛けても倒せないくらいにな……何といったか。コボルト族の女」
「た、確か、クレリアとか」
ぶるぶると震えながらオークが答える。コンラートはそう、そいつだ! と上機嫌に頷くと、声を上げて笑った。
「そいつは俺の知らない戦争を知っている! コボルト族……逃げるばかりのつまらないやつらと思ったが……実に面白い……くくっ……はははははっ!」
コンラートの上機嫌な様子に、奇襲から逃げ帰ったオークは跪いたまま、ほっと息を吐いた……が、急に頭に衝撃が走り、地面に思い切り頭を擦り付けられる。
頭を踏まれたのだ。起き上がろうとするが、相手の力が強く、動くことも出来ない。
「全員良く聞け。俺はお前達に結果を求める。コボルトもゴブリンも関係ない。実力を見せろ! 勇気を見せろっ! 俺の軍に臆病者と無能者はいらんっ! コボルトだろうがゴブリンだろうが有能な奴は出世させてやるぞ!」
集落全体に響きわたる大声で、コンラートは笑みを浮かべながら叫び、
「そして臆病者で無能な奴はオークだろうが……こうだっ!」
あっさりと巨大な剣で逃げ帰ったオークを真っ二つに切り捨て、赤く染まった剣を敵のいる方向へと真っ直ぐに向ける。
「いいな。俺の指示を聞き漏らすな。奴等の挑発は無視しろ。奴等は絶対に攻めてくる。全員で歓迎してやれ。いいな!」
恐怖からか、それとも中央に堂々と立つ指揮官の絶対的な自信からか、『パイルパーチ』では闘う者全員が決死の覚悟で、クレリア達が攻め込むのを待ち構えていた。