第十五話 エルキー族との技術交換 後編
クレリアはエルキー族の若者(?)コーラルを背後に従えて、織物や楽器等、交易品を作っている職人達や農作物を作っている担当者を尋ねるために歩いていたのだが、ふと立ち止まり、彼の生真面目そうな顔を見上げた。
コーラルは彼女に気圧されそうになり、背中を反らしたが、思い返して彼女を見下ろす。
「な、なんだ?」
「これから帝国の臣民達が作る生産物を視察に行くのだが、一つ思い出した。君は戦う上でもっとも大事なものは何だと思う?」
クレリアは問いを急かさずにじっ……と彼を見つめ、答えを待つ。
魔物の世界には無い概念だ。彼女も正確な答えが返ってくるとは思っていないが、負けてなるものか! と、対抗するような表情を見せ、悩み始めたコーラルを微笑ましげに眺めていた。
彼の若さを見ていると良く訓練を付けていた騎士見習い達を思い出すのである。
「相手より強くなることだ」
「個人であればそうだな……まぁ、間違いとは言わない」
クレリアは頷く。相手より強い……強者である彼の種族はそれだけで生きていけるに違いない。現に、オーク達よりも遥か少ない人数で、勝利している。
「君ならコボルト達を率いて、同数のゴブリンやオークと、どうやって闘う?」
「むっ! そんなこと!」
出来るわけがないと言いかけて口を閉じる。それを曲がりなりにもやっているのが、目の前にいる小さな娘だということに彼は気付いたのだ。
「話を戻そう。まずは食料だ。『死の森』は食料が豊富だが、それでも食料が無くては長期間の戦闘には耐えられない。戦闘に出ている間は生産的な活動もやりにくい」
「……それをこれから見に行くってことか?」
クレリアは頷く。だが、まだまだ甘いと彼に微笑む。
「他にも必要なものがある。武装と訓練だ。我々の仲間は君達エルキーのように確かに強いわけではない。だが、少しでもそれに近づこうとしている。それも見せよう」
「なるほど。色々と考えているのだな」
「まるで他人事だな。戦闘で効率よく勝つにはもう一つ必要なものがあるのだ」
腰に右手をあて、堂々と背筋を伸ばしてクレリアは続ける。
「それはな……数だ」
「数だと?」
意味がわからないといった様子でコーラルは顔をしかめる。クレリアは当然、彼がそう考えるだろうと思っていた。彼が悪いわけではない。
彼がどれほど賢い者であっても気づくはずはないのだ。一瞬で理解したターフェの頭がおかしいのだと彼女は考えていた。
何故なら彼等は強いから。
「君が私を嫌っている理由は、聞いたからではないか? エルキーが滅ぼされると」
「……そうだ」
クレリアは軍人であり、政治家ではない。回りくどい相手よりは、目の前の青年のような直情的なタイプを好んでいた。軍人としては。
殺気すら込もった自分の視線に全く怯まないクレリアに理解できないものを感じ、コーラルの表情は徐々に困惑したものへと変わっていく。
「貴方は聞ける度量を持っている?」
「ああ! 当たり前だ。聞いてやろうじゃないかっ!」
コーラルは戸惑いつつも足を一歩踏み出して、クレリアを怒鳴りつける。
クレリアは頷くと、ちょこんと座り込んで一本の枝を手に取ると、地面に数字を書き始めた。言葉と違って文字は通じないが、数字ならなんとかなるだろうと思いながら。
「1000人近くのオークがエルキーを攻める。300人のエルキーはそれを撃退する。オーク達は100人くらいの戦死者を出して逃走。エルキーは10人くらいか」
「ああ。詳しいな……無傷というわけにはいかなかった」
彼女の字が小さく、まるっこくて見にくいため、コーラルも地面に屈んで彼女の書く絵と数字を見る。
「生き残ってるエルキーは290人。そして、またオーク達は1000人で攻めてくる」
「おかしいじゃないか。あ……くそ、そういうことか!」
「む、やはり理解が早いな。彼等は仲間を作って増えていく。エルキーは増えない。出産率も違うんじゃないか? そちらは詳しくターフェに聞いたわけではないが」
クレリアは立ち上がると足で絵と数字を消す。コーラルは汗をかきながら、落ち着かない様子で自分の顔を触っていた。
「軍事に関しては、今日はこれくらいにしよう。本当は防衛戦術についても学んで欲しいことは沢山あるのだけれど……ここまで説明すればわかってくれるね?」
「なるほど……俺は運がいいか」
「ふふ、その通り。お願いね」
動きやすく、飾り気の少ない茶色の服とスカートを着た……子供にしか見えない少女の妖艶な笑みに、コーラルはなんだか騙されているような気持ちで頷く。
心の中には自分より遥かにかよわそうに見える少女への敗北感が渦巻いていた。
「何故だ。上位種とはいえコボルトに何故ここまでの軍事知識が」
「私は帝国の皇帝に命を助けられた元人間の騎士だからね。誰も気にしてないけれど」
悪い? と、すっかり薄くなった胸を反らせてクレリアがコーラルを冗談っぽく睨みつけると、彼は呆れるように笑った。
「命の恩で勝ち目のない戦いに身を投じたのか?」
「違うわね。好きだからよ。彼等が」
主に可愛い男の子と、もふもふ的な意味で……という部分は彼女にとっては当然のことなので、口には出さない。出す必要が無いと思っている。
だが、当然なことに、彼の受け取り方は彼女の発言とは違っていた。
彼はクレリアを少しだけ尊敬するように見つめ、彼女に問う。
「お前も人間なら人間の領土に親兄弟もいるのではないか?」
「両親を気にする時期はもう過ぎている。今はもう、帝国の住人だ」
コーラルはその返答に驚いていたが、彼女も内心驚いていた。
すっかり、傭兵をやっているはずの両親と兄妹のことを忘れていたのである。
彼に言われるまで、一年以上完全に脳裏になかった。うっかりである。
クレリアは内心の焦りを誤魔化しつつ、
「ほら、あそこだ。まずは農作物の出来と保存食料から確認しよう」
と、彼に顔を見られないよう、逃げるように前を歩いて目的地へと向かって行った。
コーラルにとって彼らの営みは、クレリアの言うとおり驚かされることばかりで、学ぶ事が多かった。防衛施設だけではない。人口増加を見越した食料の備蓄、交易を利用した装備の充実、必要な資源の補充。
特に驚かされたのはゴブリンやコボルト達の集団戦の訓練だ。
降伏したオークの士官を利用して、徹底的にオークを倒すための訓練を施していたのである。中でもゴブリン達の隊長、キジハタは辛勝ながら一体一でオークリーダーを打ちのめしていた。
生まれが全てだと思っていた彼には衝撃的な光景だった。
そして、その後にキジハタと戦ったクレリアの舞うような美しい戦いぶり……それは彼の価値観を変えるのに十分な感動と驚きを与えていた。
これまで、すぐに負けてしまうだろうと思っていたモフモフ帝国は本気でオークに勝つつもりだったのだ……このことを理解したとき、彼のクレリアに対する感情はすっかり変わってしまっていた。
クレリアと別れる際、彼は聞いた。
「お前たちはオークに本当に勝てるか?」
彼女は振り向いて自信を持って胸を張り、当然のように答える。
「五年あれば勝てる。最短ではない。最長でだ」
彼は心に誓っていた。この技術を故郷に持って返って生かすことを。
そして、今は自分を子供扱いしている彼女を振り向かせることを。
コーラルはターフェの家に戻ると、薬品の調合を続けている彼女に礼を言った。
命令ではあったが確かに得るものがあったからだ。
「姉さん。ありがとう。確かに学ぶことは多かった」
「そうだろう。お前もようやくわかってきたようだな。あの素晴らしさが」
彼女は仕事の手を止めずに笑った。いつも退屈そうにしていた姉はこちらでは、生き生きと仕事をこなしている。
笑顔もこちらに移ってから増えた……コーラルはそう思う。
モフモフ帝国の気風がそうさせるのかもしれない。
「特にクレリア殿は凄かった。彼女は素晴らしいな」
「そうだろう! そうそう。彼女は実にいい。気品に溢れている」
天才と呼ばれてきた姉も、彼女のことを認めているらしい。
そう思うと何故か誇らしい気分になり、彼は微笑んだ。
「俺は彼女に実力を認めさせる。そして、いつか……手に入れてみせる」
「ふ……いい度胸だ。コーラル。ならばこの私を超えるがいい」
「言われずとも」
コーラルはターフェに背中を向けて言い捨てると、仕事を続けるコボルト達を観察し、話をして学ぶために歩きだす。
彼はこれまで持っていた姉への劣等感を捨て……一人の男として自分の道を歩もうとしていた。
コーラルが立ち去ると、ターフェは彼が去った扉を見つめながら眼鏡を触り、独り呟く。
「やつも、もふもふ達の可愛らしさがようやく理解できたらしいが……クレリアに目を付けるとは。あの気品と可愛らしさを兼ね備えた至高のもふもふは私のものだ。あ、いや、でもブルー様も……むう、甲乙付けがたい……っ! なんて罪な生き物なんだっ!」
この姐弟が真の意味で理解し合う日が何時になるのか……それは誰にもわからない。