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番外編 そして新たな道へ




 厳しい冬が終わると、死の森の魔物達が待ち焦がれていた季節が到来する。

 コボルトは喜んで庭を駆け回り、ケットシーはまだまだ寒いと家に篭る、そんな季節。


 帝国歴十一年春、モフモフ帝国首都グラインエルドで最も広い建物である帝国衆議場には皇帝であるシバと皇妃のクレリア、政務官の長であるコボルトの宰相のダックスを含めた政務官の幹部達、そして、この会議の原因を作った兵器開発局の面々が集まっていた。



「皆、ご苦労様。集まってくれて有難う」



 全員が揃ったことを確認すると、シバは和やかに挨拶をする。

 それを合図に全員が胸に右手を当てて頭を深く下げ、着席した。


 普段と変わらぬ、モフモフ帝国の会議の光景だった。

 『挨拶はきちんとしよう』というクレリアの発案で形式的にそうしているものの、皆、堅苦しいのはここまでである。あちこちから「ふーやれやれ」と言った声や「仕事が……仕事が……無限の仕事が……あるのに……」といった呻き声、久々にあった友達同士の雑談などが始まっていた。



「さて」



 頃合いを見計らって皇妃であるクレリアは、小さく声を上げて立ち上がる。

 軍を離れ、華奢な体にフリフリの可愛い服を身に付ける事が多くなった彼女だが、その眼光と迫力は一切衰えていない。彼女の重い一言は騒がしくなった議場を一瞬で沈黙させていく。


 圧倒的な威圧感。そして、アンバランスなピンク色のゴシックなドレス。

 小柄でありながらも絶対者の風格を備えている彼女に『その服あまり似合ってないよ』と言える勇者は、この国の何処にも存在しないのだ。



「報告は私から。我が兄から例の件の返事が届いた」



 そんな彼女が口に出した『例の件』。それだけで議場の中が大きくざわめく。

 彼等が動揺するのも無理はない。


 その『例の件』は会議で決議されたことではあるものの、建国史上例に無い程に賛成派と反対派で激烈な議論が交わされた問題であったからである。



「おおっ! で、で、どどっ……ど、どうなんだ?」



 そんな政務官達の中に、不安と希望を半ばにしたような者達が複数混ざっていた。

 この大問題を提案した黒幕である兵器開発班の長、若い頃には『狂犬』と異名を取ったこともある老コボルト、マルもその一人だ。


 彼はもう杖無しでは歩けない程の高齢ではあったが、彼の背後に控える兵器開発局の面々と同じように、瞳だけは少年のように溢れんばかりの期待でキラキラと輝いている。


 提案自体は形式的には兵器開発班の副主任であるテリーの名を借りていたが、モフモフ帝国の変わり者が最後に行き着く先として有名な、兵器開発班の総意であるだろうことは、この会議に参加している全ての者にとって明らかだった。



「人材を派遣するとのことだ」

「ぐぬぬ……」

「まさかそんな……」

「本当かっ! やったああああぁぁぁぁ!」



 マルが両手を上げて喜び、ザワッ……と、議場に再びどよめきが起きる。

 それも一瞬のこと。クレリアが静まるようにと合図すると再び部屋は沈黙する。


 兵器開発局の提案。

 モフモフ帝国に大きな議論をもたらした問題。


 それは魔物にとって不倶戴天の仇敵である人間を教師として招聘するというものだった。

 本来であれば却下されるはずであったその提案は、知識欲に飢えた兵器開発局が魂を賭けて根回ししたことにより、可決されてしまったのである。


 実務上、大なり小なり問題を抱える政務官達にとって、解決の手助けとなる異質な知識を得られるかもしれないとの彼らの提案はまさに悪魔の囁きであり、その誘惑に抗うことは中々難しいことであった。


 政務官以外で強く賛成をしたのはコボルトリーダーの副参謀長シルキーである。

 彼女の場合は軍事面からの判断だったが、魔物に何の益ももたらさない人間族を、何とか有効活用したいという思いも強く持っていた。



「客人を迎え入れる。非礼の無いように」



 クレリア自身も元人間であるため、人間の有用性と危険性を認識しており、彼女自身もこの提案には色々と思うことはあるが、衆議による決議には従っている。

 人間と繋がりを持つ最初のタイミングが今しかないのも間違いのない事実だった。


 人間の国の中でも大国であるリグルア帝国が激しい内乱で力を落とし、かつ、フォーンベルグ一族の長兄、アルガス・フォーンベルグがリグルア帝国初の女帝となったフォルニア姫のパートナーとして摂政の位に就いている今しか。



(信頼できる相手が権力を掌握している間に可能な限り力を付け、シルキー以外にも貴族共とやりあえる者を育てなくては)



 後方の治安安定と交易による収入の増加と利害も一致しており、確かに友好関係を創るにはいい機会だろう。


 問題は関係を創った後どう信頼を維持するかだが、こちらは軍人であるクレリアには見当も付かない。だが、その点を考えられる人材は育てなければならない。そう彼女は考えていた。



「まあ、そんなに気にすることじゃないよ」



 誰もが一言も口を開かない重苦しい雰囲気の中、それまで黙っていた皇帝シバがニコニコと穏やかに笑みを浮かべながら口を開く。



「だって、今でも人間さんやハーフエルフの捨て子をこっそり育ててるでしょ?」



 無害な少年にしか見えないシバは何でもない事のように、議場に爆弾を投下した。

 場の空気が凍っても、シバは機嫌が良さそうに笑っている。



「初耳ですが」



 クレリアですら僅かに驚きを顔に出し、シバの方を向いた。



「なんてことだ、エルキーを敵に回すぞ」

「冗談だろう。敵を育てるなんて」



 ヒソヒソと、特にコボルト以外のオークやゴブリンといった種族が驚きつつ小声で隣と相談している。


 クレリア自身は驚いていたが特段悪印象を抱いた訳ではないし、シバの言葉を嘘だとは彼女は考えていない。彼はこんな事で嘘は付かないし、政務官達の中には明らかに挙動不審な者達もいる。全員が東部出身のコボルト達だ。



「みんな知っていると思っていたよ。ね、アキタ」

「ハハハ……ナ、ナンノコトデスカナー? コボルト紳士シラナイヨー」



 各種族の政務官達の不審の視線が彼らに集中する中、毛を逆立てたコボルト達は滝のような汗を流し、明後日の方向を向いている。

 兵器開発局で諸手を上げて賛成していながら、実際の会議では強硬に人間の招聘に反対していたアキタはいきなりの指摘に耳を伏せ、尻尾を丸めて明後日の方向を向いていた。



「も、ももももももも! 申し訳ありません! ですが、彼女等は決して害はありません! お見逃しをっ!」



 だが、直ぐに耐えきれなくなったのか、水を向けられたアキタは声を裏返しながら叫び、何度も頭を下げた。同時に睨みつけているマル達兵器開発局の仲間達にも頭を下げる。



「馬鹿野郎っ! そういう事情なら先にいいやがれ!」

「そうだそうだ!」

「うぅ、すまない。だが、行く場所が無いのですっ! な、な、何卒、なにとぞぉ~!」



 彼は人間を招聘することに反対していたが、その理由は人間領を旅している最中に保護し、そのまま死の森で育てているハーフエルフの娘を護る為という個人的なものであったため、後ろめたさも感じていたのである。


 最も初めに賛成した理由も個人的なモノであったが、そこは置いておこう。

 個人的趣味と娘を秤に掛けた結果、反対の立場、即ち娘の安全を選んだのである。


 魔物が人間側の種族と関わることは、それだけ難しい事だった。

 裏切り者として、他の種族から糾弾されても文句は言えない。


 元々は彼等もそれを理解し、ある程度育てば人間達の中に戻していたが、過去に戻した者が命からがら死の森に帰って人間達の過酷な扱いを報告した事件があり、それ以来無理には返さず、本人が臨むがままに任せていたのである。



「責めている訳ではないよ。僕だってクレリアを助けたんだし、コボルト族はそういうものなんだよ。多分、今も昔も。そして、何故僕が知っているかというと、幼かったそのハーフエルフの子が、みんなに見つからないように危険を承知で僕に近付いて、従軍を志願したからなんだ」



 皇帝が彼等を擁護すると「おー」「なるほど」「勇気があるな」と言った声と共に疑惑の視線の厳しさは若干弱まり、理解の色が広まっていく。

 政務官達の忌避感が弱まっている要因はやはり、クレリアの存在が大きい。



「小さくとも彼女は仲間を守ろうとする勇敢な戦士だった。僕は彼女を仲間として認めるけど、みんなはどうかな」



 種族を問わず、今この場に集っている彼等の殆どは帝国建国時には幼少だった者達であり、彼等にとってクレリアが人間族の英雄であり、その全ての力を命の恩人であるシバと、帝国に捧げているという事実は常識であったからだ。


 周囲の雰囲気の変遷に、クレリアは微笑む。

 同時に間違いなくこの機会を狙い済ましていたに違いない、シバの忍耐に感嘆していた。


 優しい彼ならば、一刻も早くそうした居場所の無い者達を受け入れたかったのだと彼女は確信していた。だけど、急がず、慌てず、自然と受け入れられるまで耐えていたのだろう。

 多くの種族を纏める皇帝としての役割を果たすために。


 最もシバはそう指摘されれば、「数年間耐えさせてしまったから褒められるものじゃない」と苦笑いするに違いなかったが。


 今、シバは抱いていた葛藤を表に出さず、穏やかな表情でクレリアの隣に座っている。

 十数年という歳月は、大きくシバを変えたが、頼もしく成長した彼を、彼女は昔よりも遥かに尊敬し、愛していた。


 ともあれ、場の意見は収束しつつあった。

 全ての種族がある程度納得したのを見て取ると、シバは頷く。



「モフモフ帝国は帝国の為に生きる者を全て受け入れる。それは種族を問わない。人間だろうとハーフエルフだろうと。神でも悪魔でも、それは変わらない。いいかな?」

「「「はっ!」」」

「よろしい。じゃあ、みんな、全集落に伝えておいてね。それじゃクレリア」



 普段と変わらぬ調子でシバはクレリアに話を振る。

 シバとクレリアの間では多くの説明は必要ない。クレリアは頷く。



「はい。送られてくる人材は貴族……わかりやすく説明すると、『上位種』。ただ、個体差が大きいのは帝国の臣民達と変わらない。それから、人間は身体能力に関しては上位種とそれ以外に大きな差異が無い。単純な実力では上位種で無い私や兄を上回る者は極少数だった」

「そりゃ助かるな。クレリア様みたいな化物がゴロゴロしてちゃ、安心して暮らせない」



 老いたマルの横柄な軽口に若い政務官達の顔が歪む。

 だが、マルはそれに構いはしなかったし、クレリアも顔色一つ変えていない。



「で、どう違うんだ? 人間の上位種様は」

「まず、貴族はほぼ例外なく集落の長だと考えてもらっていい。彼等は集落を統治し、その報酬で暮らしている。そして、彼等はその立場と財を利用し、生まれた時から高度な教育を受けているというわけね。剣を使わぬゴブリン達が、決して剣士に勝て無いように、余程の才のある者を除いては彼等を超える事は出来ない」

「なるほどな。個体としてはどんな奴なんだ? 知識はある奴なのか?」



 貴族がどういうものかなどは、彼にとってはどうでもいいのだろう。マルにとって必要なのは有用かどうか。それが態度に現れている。興味に一直線で欲が全てに優先しているに違いない。


 だが、クレリアはクスリと微笑む。

 傭兵出身の彼女は、そんな泥臭さは嫌いではなかった。



「クライド・アルーム・ケルヴィン。伯爵家の三男で歳は二十。首都の大学……一番知識の集まる場所の出身だから知識は期待出来るけれど、上級貴族だからどうかしら」

「噂は? クレリア様も同じ国にいたんだろ?」

「息子は知らないけれど、父親に悪い噂は無かったわね。糞貴族の癖に。ただ……」

「ただ?」



 クレリアは一度言葉を切り、息を呑んで見守っている政務官達を見回す。



「人間がモフモフ帝国に来るというのは、私達が人間の国を堂々と歩くのと変わらないのよ? 自分達の趣味の為には手段を選ばない者達と同じように、きっと相当変わった人物なのでしょうね」



 それは兵器開発局の面々に向けらられた言葉なのだと気付いたマルは、毒づいてから大笑いをして、愉快そうに微笑んでいるクレリアに答えた。



「なるほど……けっ! 趣味ってな、あんたも似たようなもんだろ」

「ふふ……折角来るのだから、楽しみにしましょう」




 後にモフモフ帝国に送られた青年、クライド・アルーム・ケルヴィンは人類において後世まで残ることになる歴史的著作、『モフモフ帝国見聞録』において次のように語っている。



「私が摂政、アルザス・フォーンベルグ公爵から役目を命じられた時、我が一族が些か厄介な状況に在ったことから、適当な理由を付けて粛清する気なのだと思っていた。しかし、実際は違った。粛清の方が余程楽ではないかと思える程、苦難に満ちた役割を私は与えられたのである。考えても見て欲しい。ただの野蛮な魔物だと思われていた”あの”ゴブリンやオークに学問と教養を教えるなど、誰も体験したことのない狂気の沙汰ではないだろうか。私は暗澹たる気分で祖国を後にし、魔境へと向かったのである」

 


 そう語った不器用で生真面目な青年は与えられた二年の任期の間、持ちうる限りの全力を尽くし、しぶとく生き延びて、モフモフ帝国に少なくない影響を与えることになる。




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