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番外編 残された者達




 その姿は彼の生が終わるまで、心に焼き付いていた。



 美しくも儚い印象の彼女が幸せそうに笑った時、

 臆病で戦うことを疎んでいたハイオークの少年はこの時、生まれて初めて、



 本当の意味で勇者になろうと決意したのかもしれない。





 瞬間、猪の耳を持つ線の細い少年は呼吸することを忘れた。

 届けるように頼まれた手紙が軽い音を立てて草の上に落ちる。


 幻想的で現実味の無い光景だった。

 こんな場所は他にはない。


 コボルト族は基本的には実用的で質素な素朴さを愛する。

 これは皇帝も例外ではなく、僅かに皇后だけが色々と試行錯誤しているが、こちらはセンスが無いのか不気味にしかなっていない。

 しかし、この場所は持ち主への深い想いが込められたように洗練されていた。


 鬱蒼として何時も暗く、湿っている森の木々は綺麗に整えられて陽の光が取り入れられ、その中央にぽつんと立っている小さな屋敷の庭では、執事服を着こなした老いたコボルト達がせっせと色とりどりの花を世話している。


 そこまでなら少年も驚いただけで済んだはずだった。



「妖精姫……?」



 庭の小さな椅子に腰掛けた女性を見た彼は捕らわれたかのように動けなくなり、思わず呟いてしまう。

 彼女は『人間の賢者様』が話す、お伽話のお姫様のような女性だった。


 手入れの行き届いた栗色の長い髪はコボルト職人の作った絹糸のようにさらさらで、黄緑色のリボンがよく似合っている。肌は白くて一片の曇りも無い。ハイオークにしては小柄だが少年よりも年上のようで、大人びた顔立ちは街の誰よりも整っている。


 猪の耳だからと、少年は同じハイオークだと判断した。

 しかし、戦士であることを愛するはずのハイオークなのに、恐らく街の誰よりも着ているレースのドレスが似合っている。


 彼の母親も美しいハイオークだったが、太陽のようだった母親と彼女は全然違う。

 


(一番明るい夜のお月様みたい)



 いつまでも見てしまいそうな美しさ。だけど、何処か儚い。


 彼女の瞳は何も映していない。

 驚きながら見詰めている少年の姿も見ていない。

 世話をするコボルト達も一顧だにしていない。


 人形のように動かず、虚空を見詰めているだけだ。


 少年は何故か恐怖を感じ、後ろに下がろうとした。

 それを我慢できたのは臆病な彼なりの意地だったのかもしれない。



(このお姉さんにまで軽蔑されたくない)



 何故かそう思ったのである。

 だから、彼は唾を飲み込んで踏み止まり、思い切って声を掛けた。



「貴女がグレーティアさんですか?」



 少し近付いて声を掛ける。

 だけど、彼女は何も反応しなかった。



「あの! シルキーおば……お姉さんから手紙を預かってきました!」



 しばらく待っても、彼女は指先一つ動かさない。少し泣きそうになっていた。

 そんな彼を見かねたのか老いたコボルトが、とてとてと駆け寄って頭を下げる。



「ルーベンス殿以外の客人とは珍しい。何年ぶりか」



 老コボルトは苦笑いを浮かべてそう言い、女性にも頭を下げる。



「このお方はお主を無視しているのではない。グレーティア様は先の大戦で心を失われたのじゃ。辛かったであろうの……あれ程強く、優しかったお方が……」

「治らないの……?」



 胸に痛みが走り、老コボルトに問い掛けると、彼は悲しげに首を横に振った。

 少年はそんな彼と並んでしばらく彼女の横顔を見詰める。


 やはり彼女は身動ぎもしない。



「少年。シルキー殿は何と?」



 執事服を着た老コボルトの口調は硬い。

 明らかに警戒した声色だった。



(嫌がっている? 何故だろう?)



 少年は唐突な自分への警戒を不思議に思いつつ、説明することは迷っていた。

 その説明をするなら、己の情けない事情を話さないといけないからだ。しかし、説明しないわけにもいかない。彼は唾を飲み込むと悔しさを堪えて拳を握り締めた。



「僕は……落ちこぼれなんだ。みんなそう言ってる。それでも強くなりたいと思ってシルキー姉さんに相談したら、ここに手紙を持っていけって」

「ふむ、しかし、ここには戦える者はいない……そうか、手紙……少年、読んでみてくれぬか? ここならば、グレーティア様にも聞こえるはず」

「うん」



 確かに自分で読んでくれないなら、読み聞かせればいい。

 少年は落した手紙を拾うと、さっと目を通す。


 思わず喉で「う」と唸ってしまったが意を決して文を読んだ。



「フォルクマールに似ているうちの子を鍛えて欲しい。追伸……あ、うん……」



 追伸の酷い罵詈雑言は何とか飲み込む。


 フォルクマールというのは少年のあだ名だった。

 みんなが彼を馬鹿にしてそう呼ぶ。臆病者のフォルクマールみたいな奴と。


 ゴブリンの剣士が教えても、全然強くなれなかった。

 彼自身は努力を重ねているのに、ハイオークなのに年下のハイコボルト、手紙を自分に預けたシルキーの娘であるドールにも勝てない。


 弓ならコボルトにも負けない。でも、剣を振るのは怖い。


 だから、少年は学問を好んでいた。

 幸い人間の先生は彼に好意的であり、彼を養っているハウンド、シルキーは帝国でも屈指の知恵者である。彼等は喜んで色んなことを教えてくれている。



(だけど、それはオーク族の戦士ではないんだ)



 両親は英雄なのにと皆が言う。

 しかも、ハイオークなのにと。


 少年は身を焦がされるような想いでその罵倒を受けている。

 煮えたぎるような感情は表に出さず、表向きは平気な振りをして。


 そんなくだらない奴らに反応することが、両親……特に母に申し訳ないから。


 それでも、母親替わりをしてくれているシルキー姉さんにまで情けない男なのだと思われていると思うと、少年は何だか本当に悲しくなった。もしかしたら、ハウンドおじさんや幼馴染のドールも僕をそんな出来損ないと思っているのかもしれない……。


 少年はどうしようもなく情けなくなって顔を伏せた。

 もう帰ろう……そう思った。その時、



「フォルクマール?」

「え……?」



 鈴の鳴るような涼やかな声がした。

 声の元を探して隣を見ると、老コボルトが全身の毛を逆立てて信じられないものを見たかのように目を見開いている。


 少年も彼の視線を辿り、息を呑んだ。

 人形のようだった妖精のお姫様がこちらに硝子のような瞳を向けていた。


 息が止まって言葉が出ない。



「フォルクマール」

「あ、危ない!」



 彼女は少年が忌み嫌っているあだ名を、何よりも愛しそうに呟きながら立ち上がる。

 だけど、あまり歩いていなかったからか、その身体はぐらりとよろめいた。


 少年は慌てて彼女の身体を支えたが、小柄とはいえ、子供と大人では身長差がある。

 完全には支えきれずに彼女は膝立ちになり、少年は間近で彼女の整った顔を見詰めることになった。



「だ、大丈夫?」



 触れている身体は柔らかくて暖かく、何だか気恥ずかしくて顔が熱くなる。



「フォルクマール……そう、貴方はフォルクマールなのね」

「みんなそう言って僕を馬鹿にするんだ」



 嫌っているあだ名で呼ばれ、少年は反発した。

 その名前で呼ばれるのは余りいい気分じゃなかった。



「昔からそうね。だけど、誰よりも強くて優しい」



 しかし、彼女は意思の篭らないその瞳で、瞬きもせずに僕を見詰め、細い手で少年の頬に触れる。宝物に触れるかのような優しさで。朱色の唇を少しだけ綻ばせて。


 少年の心臓が早鐘のように打ち、頬が朱く染まる。

 声には名前の相手への抑えきれない好意が混じっていた。



「良く知っているの?」

「誰よりも」



 フォルクマールというオークを目の前の妖精さんは良く知っているらしい。目の前の綺麗な女性がその相手の恋人か何かだったのかもしれない。少年は漠然とそう考えていた。

 そして、殆ど全てのオーク族から嫌われているそのオークを高く評価している。



「だって愛する”貴方”の事だもの」

「えっ?」

「大怪我だったものね……でも、絶対生き延びてくれるって信じていたわ」



 少年は思い掛け無い相手の言葉に顔を上げて驚いた。

 彼女は人形のような無表情を止め、涙を流し、歓喜の笑みを浮かべていた。



(だけど、それは僕にじゃない)



 彼の知らない誰かに向けられたもの。

 オーク族の魔王候補だった、オーク族の誰からも蔑まれたフォルクマールとかいうハイオークへ向けられたもの。


 少年は迷っていた。

 慌てて自分はそのオークじゃないと言おうとした。


 その言葉は口の中で止まる。

 細い腕が首に巻かれて、抱きしめられたから。


 母親が倒れてからは無かった暖かさ。

 しかし、先程までの照れ臭い気持ちはない。


 あるのは、悲しさ。

 自分と同じ、大切な人を失った可哀想なハイオーク。



(僕が否定したらこの暖かさは無くなって、彼女も母さんのように動かなくなってしまうかもしれない。それは嫌だ。あんな辛い思いは二度としたくない)



 すぐには答えられない。

 少年は抱きしめられながら葛藤していた。十数秒という僅かな時間、しかし、今までになかったくらいに真剣に考え、彼は口を開く。



「でも、自分のことを何も覚えていないんだ」



 間違っているのだろうと思う。

 嘘を吐くことは悪い事だから。



(シルキー姉さんは方便だと笑うだろうけど。ハウンドおじさんは勝算は? とか真面目に言いそうだ。ドールは普通に怒るに違いない。彼女は両親とは違って真っ直ぐだから)



 嬉しそうな彼女に抱かれながら、少年は覚悟と共に一つの決意をする。



「無理もないわね。あの怪我だもの」



 抱きしめられているせいで彼女からは少年の顔は見えない。

 頬に頬が当たり、言葉は耳元に囁く感じになっている。下手な嘘がバレないのは顔を見られていないからだろう。彼女の言葉に少年を疑っている雰囲気は感じられない。



「えっと……」



 これからどう話そうと僕が迷っていると、彼女は意外な事を言った。



「でも良かった。忘れられたなら」

「良かった?」



 腕は首に掛けたまま妖精さんは少しだけ顔を離し、小さく頷く。

 僅かに愁いを帯びた表情で。



「戦士であることも忘れたままでいましょう。二度と戦わなくていいように」



 それはオーク族の常識では考えられない言葉だった。

 オーク族は戦士であることに誇りを持っており、ハイオークは生まれた瞬間から戦士であることが定められているのだ。


 まして彼女は殆どのハイオークが戦死した、あの大戦に参加したハイオーク。

 最前線で戦わなかったはずがない。


 戦士であることは……。



「僕は臆病だ」



 少年は奥歯を強く噛み締める。

 不思議と彼の心の奥底から湧いてきたのは静かな怒りだった。



「戦うことが怖い。痛いのも嫌だし、傷付けるのはもっと嫌だ」

「フォルクマール?」



 彼女は少年を離し、膝を付いたまま驚いた表情で同じ視線の少年を見詰める。

 意志の強さを感じさせる蒼い瞳には、明るい輝きがあった。

 


「だけど、僕はみんなを守りたい。だから、強くなりたい」



 忙しい中でも色々教えてくれ、自分なりに頑張れば良いと励ましてくれるハウンドを。

 不器用だけど、優しくしてくれているシルキーを。

 曲がったことが嫌いで、年下なのにお姉さんぶって、子どもの中では孤立しがちな自分を守ってくれているドールを。

 何だかんだいいつつも優しい街の大人達を。


 そして、失う哀しさに負けた目の前の女性を。

 少しでも助けたい。


 自分はまだ負けていないから。

 大丈夫。



「仲間を護る。僕は自分の責任からは逃げない」



 言い切ってから、少年は恥ずかしさで泣きそうになったが、必死に我慢する。

 そんな彼を彼女は無表情で見詰めていたが、しばらく間を空けて微笑んだ。



「変わらないわね。ほんと損な性格」



 そう笑うと目尻の涙を拭き、彼女はふらつきながらも自力で立ち上がる。

 弱々しさはそこにはなく、見上げた少年には彼女に魂が戻ったように感じていた。



「誰にも理解されない可哀想なフォルクマール」



 彼女は哀しそうに謳う。

 遠くを見詰め、在りし日を思い出すように。



「小さなフォルクマール。私は貴方の有能さを、貴方の勝利を必ず証明する。だから」



 黄緑色のリボンを外しながら、彼女……双剣のハイオーク、グレーティアは不敵に笑う。

 そこにか弱い妖精姫の姿はなく、一人の戦士が立っていた。



「例え全てを忘れたのだとしても、”あの”クレリア・フォーンベルグすら打ち破った貴方こそが……真に最強なのだということを、私が思い出させて上げる」





 彼は幼い頃から目立つことは無かった。

 他者からは”ハイオークの出来損ない””帝国のフォルクマール”と侮られさえしていた。


 しかし、逞しく成長した青年は『運良く』軍の中で功績を上げていく。

 だが、それが幸運の産物で無いことを知る者は、帝国の少数の幹部のみであった。


 『双剣』のルードヴィッヒ。

 モフモフ帝国の英雄、タマとカロリーネの忘れ形見。


 彼の本当の真価は同世代の戦争の天才『太陽の獅子』リヴァイスにより、モフモフ帝国が危機に陥った時、その好敵手として初めて発揮されることになる。





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