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番外編 剣士二人




 日課の訓練を、キジハタはその日も行なっていた。

 暑い日も寒い日も、嵐の日ですらそれは変わらない。


 ただ、無心に剣を振る。

 余計な工夫は最早必要ない。


 彼の振る剣は無意識の内に最適の軌道を描いている。

 だから、無意味に飾ることも無い。



 一月前には彼の友である『隠密』ヨークが腰掛けていた切り株には、今、一人の女性の姿があった。


 彼女────モフモフ帝国の魔王候補、シバの眷属であり、皇后でもある茶色の髪に犬耳を付けた少女……にしては些か眼光の鋭すぎる女性……クレリア・フォーンベルグは飽きる様子もなく、キジハタの振る絶対な一の剣を黙って見詰めている。


 クレリアは何も言わず、キジハタの修練が終わるのを待っていた。


 彼女は人間の頃は騎士だったが元々の生まれは傭兵である。

 だから、戦いに美学などは持っていない。


 どちらかと言えば、非情の手段を用いても勝利するべきという主義だった。

 そんな彼女でも、キジハタの剣からは目を逸らせないでいる。



(これで可愛かったら非の打ち所はないのに。いや、キジハタにはこれくらいの欠点は必要かな)



 冗談交じりな感慨に耽りつつ、クレリアは今日の為に持ってきた、今ではシバが身に付けているはずの剣の柄に手の平を置き、その上に顎を乗せてのんびりと楽しんでいた。



 普段の半分の回数だけ剣を振ると、キジハタは剣を納める。

 クレリアはそんな彼を見て一瞬愉快そうに微笑んだが、直ぐに表情を消した。



「待たせて申し訳ありませぬ。クレリア様」

「腕は冴えているみたいね。キジハタ」



 お互い言葉は無くとも、僅かな動作で意図は察している。

 ある意味でクレリアにとってキジハタは、帝国では最も近しい関係の一人であり、数少なくなりつつある本当の意味での理解者だった。



「歳は取ったが、それもまた良し」



 キジハタは少しだけ口の端を上げて笑うとクレリアの対面にどかりと座る。



「病いも同じ。新しく見えるものもある」

「人間の聖人みたいな事を言うのね」



 その言葉は彼が既に病いに冒されているということを意味していたが、クレリアは特に気にはしなかった。キジハタ自身がそれを受け入れていると感じたからだ。

 表面上だけではなく、心から。



「道を歩めば自然、一つの真理へと向かうのかもしれませんな」

「私は俗物だから、そんな真理は掴めそうにないわね」

「くくっ……クレリア殿の過剰な子ども好きも、突き詰めれば」



 そして、彼は戦い続けている。死の影すらも剣の糧としながら。

 自然体で冗談めかしてからかうキジハタに、クレリアは穏やかに笑みを返していた。



「さて……拙者のためにクレリア殿の時間を無駄に使わせるのも悪い」



 しばらくの間、昔のように話した後、キジハタは表情を引き締める。

 だが、クレリアは首を横に振り、そのまま座るように手で制した。



「キジハタ……時間はある。後一週間だけ、私は帝国で一番暇な女だから」

「ふむ」

「『噛み砕くもの』に止めを刺す準備を整えている今はね。それに、貴方との時間は私にとっても無駄なものじゃない」



 キジハタは多少驚いて、語気を僅かに強めたクレリアを見詰める。

 そして、己の都合だけで急いていた自らを恥じた。


 呼びつけた自分だけが彼女と会いたかったのだと彼は思い込んでいたのである。それは、目の前の戦友を神聖化していることに等しい行為だった。


 常に氷のように冷静なクレリアだが、深い想いも持ち合わせている。彼女はそれが故に相手の挑発に乗り、帝国にとって重要な男を失ったこともあった。

 優秀な軍人だが、完全ではない。俗なところもある。シバと共にある時などは、驚くほど幸せそうな顔をしていたし、戦争の死者を前にして落ち込んでいたこともある。

 それに隠しているようだが、可愛い物好きだ


 キジハタ自身と同じで戦友と会うことを喜ぶ心も当然に彼女は持っている。

 それに気付くと彼は再び腰を掛け、小さく頷いた。



「あれから数年……存外手間取りましたな」

「内治に力を注いでいた。そちらは私も不慣れだから中々ね」



 リザド族の魔王候補、『噛み砕くもの』との戦争はケンタウロス族からの横槍もあり、戦力を集中して投下出来ない状況にあった。


 慣れない湖沼地帯での戦い。地の利は当然に相手にある。

 そこで戦略を司るコボルトの参謀、シルキーは大胆な選択に出た。


 名将として確たる地位を築きつつあるルーベンスをケンタウロス族への抑えとして置いた上で軍を大幅に削減して守勢に徹し、周辺勢力の敗北種族の調略、橋頭堡の確保、情報収集に力を注いだのである。

 そして、余った人員は生産に回し、国力の増加を図った。



「本当にあの子だけね。私に仕事を押し付けようと考えるのは」

「ははは。彼女も変わりないようで何より」



 他国の情勢を睨みつつ軍部は持久戦を選択し、その上でシルキーは自分が楽をするために、その国力増大の方策自体は軍部を退いていて、シバと仲良くのんびり過ごしていたクレリアに丸投げしたのである。


 軍人としては非の打ち所の無いクレリアだが、政治の知識は無いに等しい。建国紀には、軍政という形で思考を巡らせ、軍に必要なものという視点から、大雑把に仕事を割り振っていたが、帝国としての発展の基礎を作り上げるにはそれでは心許ない。


 何をすれば良いのか結局見当も付かず、宰相のダックスと共に頭を抱える結果となった。



「解決策を得るために人間の知恵者を招聘したそうですな。思い切ったことをなさる」



 クレリアの渋い顔から訓練に来る剣士から聞いた噂を思い出し、キジハタは呆れるように溜息を吐く。彼には人間に対する悪印象は無かったが、一般の魔物の間では人間は悪鬼のごとく考えられているはずだった。少なくとも彼が若い頃は。


 人間であったクレリアが魔王候補に力を貸すことで、若い世代は人間に対する感情を多少は変えているのかもしれない。そうキジハタは思った。



「提案したのは私ではない。それに、政治の助言を得る事が目的でもなかった」

「ふむ」

「臣民達の基礎学力の向上の為に呼んだのだ。正しい訓練が必要なのは剣も学問も変わらない」

「クレリア殿はおかしな人間が来るとは考えなかったのか?」



 キジハタの尤もな懸念に、クレリアは口の端を上げて笑う。



「おかしな奴以外来るわけがないだろう」

「む……」

「魔王領というのは人間にとっては、恐怖の象徴だからな。だが、派遣されてきた人間は若いせいか頭が柔らかい。中々使えるようになりそうだ」

「永住させるつもりか?」

「一応は二年契約だが……帝国の為になるならば引き抜く。どんな手段を使っても」



 魔物しかいない帝国にどうやって人間を引き止めるのか、キジハタは色々と疑問を感じたがクレリアは本当にやる気だろうと、彼女の凄みのある笑みを見て理解していた。


 戦争で失われる命を思えば一人の運命を変えることなど、彼女は躊躇しないだろう。

 それが結果的に多くを救うのであれば尚更だ。


 基礎学力の向上は、元々モフモフ帝国きっての変態の魔窟である兵器開発班の副主任、テリーから提案されたものだった。『質より物量』、量産体制に狂愛を注いでいる彼は、量産を効率的に行うために簡単な読み書き計算は、全ての魔物が出来るようになるべきと声高に叫んだのである。


 しかし、彼自身は人間を呼ぶことなどは考えていなかった。


 兵器開発班の他の面々はいきなり叫びだした彼に反対せず、それどころか『人間』の招聘をこっそり彼の主張に紛れ込ませていた。兵器開発班のマッドサイエンティスト達は、いい機会だとばかりに人間の知識を欲したのである。


 基礎学力向上の対象は子どもだが、どの種族も子どもは貴重な労働力。

 あらゆる種族から不満が出たが、最終的には各種の政務官達による賛成多数により、この方針は取り入れられることになった。


 戦争になれば元々の職務をこなしつつ後方支援を担当する彼らにとって、計算できる魔物は何名いても足りないくらいだったからである。


 ここまでの流れにクレリアは一切関わっていない。

 彼女がやったことは会議で決まった結論を元にした手紙を、戦争に勝利して大貴族となった兄達に送っただけである。そんな話をクレリアは珍しく口数多く話した。



 多くの種族が増え、軍も政治も変わりつつある。

 キジハタにとってはそのどれもが想像すら出来ないものだった。


 だが、間違いないのは帝国が自分やタマ、逆境の中を足掻いた者達が去っても成長を続けているということ。


 クレリアの話を彼は夢の中にいるかのような気分で聞いている。

 それは決して悪い気分ではなく、どこか幸せなことのように思えた。


 帝国はあの日と変わらない。

 今でも希望に満ちていた。


 不安はもう無い。



「クレリア殿。頼みがある」

「わかっている……キジハタ」



 話の区切りが付いたところで、キジハタは剣を掴み、立ち上がった。

 修練で使った体力は既に戻っている。


 クレリアもまた、剣を持ってキジハタの対面に立つ。

 そしてお互い正眼に剣を構えた。



「あの日の剣ですな。そちらを選ぶとは」



 クレリアの持つ二振りの魔剣の内の一本。

 今はシバが所有しているキジハタとの一騎打ちに使った剣。


 彼女は使い慣れた自分の剣では無く、かつて使っていた剣をキジハタに向けていた。



「わざわざ不利な剣を選ぶ必要はない」



 クレリアがぽつりと呟く。

 剣を向けているとは思えない、穏やかな表情で。


 しかし、隙は一分もない。



「『剣聖』を名乗るに相応しいか、確かめさせてもらう」

「そうさせてもらおう」



 先に動いたのはキジハタだった。

 一瞬でクレリアとの距離を詰め、上段から剣を振り下ろす。



「まだまだ!」



 クレリアはそれを真っ向から受け止めたが、キジハタは一瞬も止まらずに連続で剣を放つ。神速の三段斬りを彼女は紙一重で避けると身体が近付いたことを利用して、キジハタを蹴り飛ばす。


 だが、彼にダメージはない。


 クレリアがあの頃と同じ程度に力を抑えていることに、キジハタは初めから気付いていた。全ての力を尽くせば、元々結果は一つしかない。


 魔王の眷属の圧倒的な暴力に圧倒されるという結果しか。

 勝敗に拘るのであれば、彼女はそれを躊躇しない。


 しかし、彼女はそれを選ばなかった。



「剣での戦いに蹴りを使うとは」

「親の教育が悪くてね。夫は紳士なのだけど」



 今、クレリアは楽しそうな表情で剣にこだわっている。

 自分も同じ顔をしているのだろうと、キジハタは思った。


 過去の戦いをなぞるように、今度はクレリアが動く。

 彼女は両手で短い剣を持ち、上段から振り下ろした……が、キジハタは軽くかわした。だが、それはフェイント。振り下ろす以上の速度で剣を振り上げる。



(懐かしい。何度夢に見ただろうか)



 かつては引っ掛かった技にキジハタは冷静に上から被せるように剣を合わせ、弾いて距離を取る。そして、しばらく対峙し……同時に剣を納めた。



「これ以上は無意味ね。キジハタの技量は既に私を超えている」



 彼女らしい……キジハタは内心で苦笑する。

 卓越した実力を持ちながら、彼女は戦いそのものには然程の興味がない。


 己の実力すらも過不足無く判断し、合理的に勝利を目指す。

 彼女の剣はあくまで敵を倒すための手段でしかないのだ。


 だから、キジハタの目指す道に彼女が踏み入ることは絶対にない。

 そんな彼女が己の未練に付き合ってくれたことに、キジハタは深く感謝していた。



「クレリア殿にもう一つ頼みがある」



 未練はもう無い。後悔もない。

 キジハタは鞘を腰から外すために留め金を外そうとする。


 指先が震え、何度か鞘を外すのを失敗した。

 仕方がない指だとキジハタは溜息を吐く。


 呼吸を整え、鞘を外すとキジハタは長い年月を共に過ごした剣をクレリアに渡した。



「いつかこの剣を師に返して欲しい。クレリア殿は恐らく我が師をご存知だろう」



 クレリアは剣を受け取ったが、戸惑いの色は隠せていない。

 当然だろうとキジハタは思う。



「二代目に受け継ぐのかと思っていた」



 彼の剣は師から預かり、他ならぬクレリアによって研ぎ直され、帝国の為に振るい続けられた剣である。かつては彼自身、己の剣技の象徴として、息子に受け継ぐことを考えていた。


 だが、今は違う。



「これが拙者に剣を与えた我が師に対する答え」



 キジハタは腰の軽さを感じながら目を閉じ、微笑んでいた。



「何故私が貴方の師を知っていると思ったの?」

「クレリア殿はかつて、拙者の剣を正規の剣術と評した。そして、記憶に鮮明に残る我が師の剣技は、人間の猛将、ローウェル・フォーンベルグ殿を凌駕している。同じ国の騎士であったクレリア殿が、それ程の使い手を知らぬはずはない」



 強い口調で断言したキジハタに、クレリアは苦笑して頷く。

 彼の推理は完全に当たっていた。


 彼女も初めは半信半疑ではあったが、今ではキジハタの師の正体には確信を持っている。



「『神剣』ハーディング・アルドメイヤー。冤罪を被せられ、汚名を得て騎士の地位を剥奪され、僻地に追放された私の母方の祖父よ」

「なるほど、それで拙者の息子に……しかし、どこかで聞いたような話ですな」

「あの妖怪爺と同じ道を辿るとは思わなかったけれど……不器用な家系なのかもね」



 本気で嫌そうにクレリアは顔をしかめる。

 キジハタは何も言わなかったが、クレリアやローウェル、そして師の圧倒的な実力を考えれば、恐れられてもおかしくないのではと内心で考えていた。

 自分やコンラートに仕えたチャガラを捨石に使ったゴブリン族の魔王候補、ガリバルディのように特異な者を嫌っていると考えればおかしくはない。


 

「不思議な縁もあるものだ」



 不思議な気分でキジハタは頷く。

 そんな彼にクレリアは少しだけ表情を和らげ、問い掛けた。



「キジハタが、どうやって剣を教わったか聞きたいのだけど」

「元々話すつもりだったが……ふむ。気になりますか」

「ええ。今でも私には信じられない。あの偏屈な男がゴブリンに剣を教えるなんて」



 確信はしていても、納得は出来ていないのかクレリアは複雑な表情でキジハタを見詰めている。

 彼は少し悩み……大きく頷いた。



「それでは拙者の昔話を聞いていただきたい。少し長くなりますが……」



 いい機会だとキジハタは思った。

 過去を振り返り、血縁でもあるクレリアの意見を聞くことで、もしかすると自分に剣を授けた師の心が少しは理解できるのでは……そう、彼は考えていたのである。




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