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番外編 隠密と剣聖




 集中し、研ぎ澄まされた視線。

 彼の持つ剣先は僅かも揺れる様子がない。


 数分の間、まるで周囲の森に溶け込むかのように、老いた一匹のゴブリンは静かに立っていた。



「ふっ……」



 葉が一枚、彼の目の前に舞った瞬間、彼は剣を振る。

 一見無造作に見えるが鋭利な剣閃。風を斬る音はしない。


 ただ、通っただけのような剣の軌跡。

 一枚の葉は中央から二枚に分かれていた。


 彼はそれを確認もせずに剣を収めると、一見何もない密集した木々に視線を向ける。

 そして、静かに声を掛けた。



「『隠密』ヨーク。見学なら堂々とするがいい」

「腕はますます冴えているようだな。『剣聖』」



 穏やかな、笑みの混じったキジハタの呼び掛けに、モフモフ帝国の諜報部隊の長であるまるっとした三頭身のコボルト、『隠密』ヨークは音もなく隠れていた木の枝から飛び降り、悪びれもせず笑った。



「こんな何もない場所に何のようだ?」



 諜報部隊はモフモフ帝国の軍部を創設したクレリアが、特に重視している部署である。

 その長である彼は多忙を極めており、隠居した者の所へと足を運ぶ余裕など、あるはずもないし、キジハタにはその必要性も思い付かなかった。


 何せ彼の隠居している場所は、かつて彼が長を勤めていたゴブリン族の集落。

 昔のように、首都がラルフエルドであった頃であればともかく、首都がグラインエルドへと移った今では余りにも中央から離れている。


 しかも、ここにはキジハタと彼の妻しか住んではいなかった。たまに鍛えに来る剣士達も今日は誰も来ていない。



「何、友達の家に遊びに来ただけさ」



 不思議そうにしているキジハタにヨークは覆面を外して笑う。

 キジハタはなるほど、と疑わずに頷いた。


 剣と同じで言葉や仕草に事の真贋は出る。

 キジハタにとってそれを見抜くことは造作も無い。



「歓迎しよう。拙者も聞きたい事がある」



 切り株を指さしてキジハタは腰を掛け、自分のために用意していた水筒を『隠密』ヨークに投げた。それをヨークは片手で受け取る。

 他の客であれば彼は自分で建てた家に案内しただろう。


 しかし、キジハタは直感で友がそれを望んでいないことを悟っていた。



「有難い。水の対価分くらいならいいぜ」

「今は誰が一番強い?」

「ははっ! お前は爺さんになってもそれかよ」

「爺さんはお互い様だろう」



 キジハタも釣られて笑う。

 漆黒の毛並みだったヨークも既に高齢。所々色が茶色掛かっている。動きは洗練され、無駄は無くなっているが、若い頃のような体力が無いことは明らかだった。



「子犬共に負けないのも同じだな」

「拙者は隠居した身だ。偉そうには言えん」



 不敵に笑うヨークはキジハタとは違い、それでも一線で戦い続けている。

 軍を去ったキジハタには、一途に国の為に戦い続ける彼が眩しく思えていた。だが、ヨークは首を横に振る。



「俺も似たようなもんさ。ま、質問には答えよう……まだ、最強は『剣聖』。あんただ。残念ながらお前より強い奴は現れていない」

「そうか、つまらんな。オークも増えれば売るほど現れてくれるかと思ったが」

「おいおい、子どものような無茶言うなよ。お前みたいなのがポンポン現れる訳ないだろ。それにあれだ、強さには色々あるからな」



 少々気落ちした様子のキジハタに、ヨークは黒色の毛で覆われた顎を摩りながら続ける。



「例えばだ……軍人として帝国で最も優秀なのは、西部でケンタウロス族の侵攻を完全に抑えきっているハイオーク、『鉄壁』ルーベンスだろう。奴はケルベロスの連中とは違い、単独でも戦える上に、ディートル、ビジョンを始めとした癖のある連中を使いこなし、『動くオッターハウンド要塞』と呼ばれる程に巧みな指揮を取る」

「あの時の若者か。随分成長したのだな」

「俺達よりハイオークは寿命は長い。しばらくは奴が中核だろう。グレーとハウンドは『噛み砕く者』を倒したら引退して後進の育成に力を注ぐらしい。戦況を考えれば遠い先じゃないな」

「シルキーは?」

「あの性悪が引退するわけないだろう。死ぬまで敵をからかい続けるつもりだろうぜ……いや、違う。訂正訂正。他者を陥れないと死んじまうんだろうな。あいつは」



 彼女が聞けば心外だと憤慨しそうなことを言い、ヨークは「きししっ」と笑った。キジハタはそんな彼に曖昧な表情で頷く。

 彼は内心では良くここまで情勢を正確に把握できるものだと感心していた。


 この短い会話の中にも帝国の動向が鋭く込められている。



「そうか。順調なのだな」

「ああ、若い奴らも育っている。心配な奴もいるが……ああ、お前の息子じゃないぞ?」

「拙者は心配などしておらん」



 一瞬の動揺を見抜かれ、キジハタは少しだけ不貞腐れて答える。

 ヨークは仕方ない奴だと肩を竦めて続けた。



「二代目、ハーディングなら将来お前を超えられるかもしれないな。クレリア様の兄やハイオークに負けたことはいい糧になったようだ」

「だから、心配などしておらんと言っておろうに。で、誰が心配なのだ?」

「ルートヴィッヒだ」

「タマ殿の息子か。カロリーネ殿が亡くなられた後は、ハウンドとシルキーの夫婦が引き取ったという話だったが……」



 ふむ、とキジハタは考え込んだ。

 確かに伝え聞く話では、あまり良い印象の噂は流れてきていない。


 ハウンドとシルキーも軍人としては優秀だが、親としてはどうかと言われると不安がかなり残る。彼等はタマと関わりが深かった為に無碍にはしないとは思っていたが。



「俺が話を集めた限り、あれは子どもの頃のフォルクマールに似ている」

「どういうことだ?」

「オークには溶け込めんということだ。まあ、ハウンド達のせいでもあるんだろうがな。それともう一つ、こっちの方が厄介だ」



 ヨークもタマとは付き合いが深かった。

 溜息を吐いているのは心配の現れだろうとキジハタは思う。


 例えフォルクマールと似ていても帝国は受け入れることが出来る。だから、本当に彼が心配しているのはこの続きに違いないと、キジハタは考えていた。



「あいつはグレーティアと会っている」

「グレーティア……あのコンラートの妹か。心を失っていると聞いたが……」



 腕を組み、キジハタは自身とも剣を交えたハイオークを思い出す。

 彼女は降伏した後、彼女を慕うコボルトに世話をされ、何もせずにただ生きている。彼女がそれでも生きていけるのは、ルーベンスが彼女の分まで戦うとシバに誓ったからだ。


 哀れには思うが、それも戦争。

 生者は生き続けなくてはいけない。それを放棄した彼女にキジハタは好意を抱いてはいなかった。



「それがどうも、ルートヴィッヒをフォルクマールと勘違いしているらしい」

「無理があるのではないか?」

「狂った奴の考えることはわからんね。ただ、シルキーは静観するってよ」

「彼女がそう言うなら拙者が言うことは何も無いな」



 生まれる前に父親であるタマを失い、重傷が元で母親のカロリーネも早くに逝ってしまった。残されたルートヴィッヒがどう生きるのか。


 親友の忘れ形見のことは心配だったが、キジハタにはどうすることも出来なかった。


 キジハタとヨークは話を続ける。

 世間話であったり、思い出話であったり内容は様々だ。


 立場も何もなく、ただの友達として彼等は笑い合う。

 とめどない会話は夕刻まで続いた。


 そして、夕方の木漏れ日が黒い毛を照らした頃、ヨークは立ち上がった。



「さて、そろそろお暇するか」

「今生の別れにしてはあっさりだな」

「察しがいいな。流石は『剣聖』」



 あまりにも普段通りな彼に、キジハタは苦笑いする。

 見抜かれていたヨークは頭を掻いてばつが悪そうに視線を外した。



「なあ、キジハタ。俺はまだ、あの日の感動を忘れていないんだ」

「建国の日か」

「そうだ。絶望の縁にあった俺達が立ち上がった日だ。俺はあの日、新しい帝国の影になることを心に誓った。そして、戦い続けてきた。俺だけじゃない。あの場にいた殆どの奴は、死んでも何かをやり遂げると誓ったはずだ」



 彼は話を続けながら覆面を付け直す。

 黒い覆面は平時の彼のトレードマークだった。


 潜入時は迷彩服なども利用していたが、彼自身が気に入っていたわけではない。



「俺は『剣聖』に並ぶ『隠密』になろうとした」

「拙者以上だろう。コンラートやバセット、あのフォルクマールですら、お前を止める事は不可能だった。コンラートの剣を一太刀しか受けられなかった拙者とは違う」



 圧倒的な戦力差を覆す戦略を建てられたのは、彼からもたらされる正確な情報あってこそだった。キジハタは指揮官として、己が並みであることは自覚していたが、それを忘れたことはない。


 だが、ヨークは首を横に振った。



「『剣聖』はそんなちっけぇ奴じゃ無いさ。お前の剣はお前が死んでも永遠に生き続ける。お前が伝えた剣が帝国を守護していく。お前はシバ様が歩む永遠と、共に歩む資格を得たんだ」

「拙者は……ただ、剣が好きだっただけだ。そこまで考えてはいない」

「ははっ! そうだろうな。本当にどんだけ剣が好きなんだよ」



 困惑するキジハタに、ヨークは楽しそうに笑った。



「だけどよ。そんなお前の剣とクレリア様だけじゃ、シバ様も寂しいと思ってな。俺も帝国の影として、永遠に付き合うことにしたんだ」

「ふむ……どうやって?」

「『隠密』ヨークの名を、次の長に渡した。今の俺は名無しの老狼ってことだ」



 キジハタはようやくヨークの意図を察していた。

 彼は『隠密』としては有名になりすぎた自分の名を活用することを考えたのだ。



「すげえだろ。『隠密』ヨークは死なないんだ」



 きっと世代が移ろっても、『隠密』ヨークは活躍し続けるのだろう。

 自分の剣を受け継ぐ者と同じように。



「帝国から出るのか?」

「本当に察しがいいな。お前と話したことで心残りも無くなった。ターフェから薬も貰ったし、世界を回って適当に野垂れ死ぬさ。旅先で『隠密』ヨークの活躍をニヤニヤして聞きながらな」

「そうか……」

「出来れば自分自身で永遠に付き合いたかったけどな……それは我等が皇后殿に任せるとしよう。彼女になら任せられる」



 ヨークは長いこと持ったままだった水筒をキジハタに投げて返した。

 そして、背を向けようとした彼にキジハタは声を掛ける。


 友の在り方を見て、彼もまた一つのことを考えていた。

 それは、彼がずっと悩んでいたことでもある。


 『隠密』ヨークの話を聞き、『剣聖』キジハタもまた一つの決心をしたのだった。



「友よ。旅に出る前に、クレリア殿に拙者の伝言を頼めるか?」

「ああ、いいぜ。なんだ?」

「拙者の個人的な事なんだがな。これは……」

「なるほどな。了解した。いいじゃねえか。年寄りは我侭なもんだ」



 キジハタからの伝言を聞くと、ヨークは今度こそ挨拶もせずに森に溶けて消えていく。そんな彼の背中をキジハタはただただ、ジッと見送っていた。





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