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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
四章 決戦の章
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第二十九話 正道を行く者達



 招かれざる客に全ての者が戸惑う中、クレリアは怒りに震えていた。

 魔王の力に『帰還』の力があることを知らなければ、激情の赴くまま彼女を問答無用で切り捨てていたかもしれない。



「あららーお姉ちゃん怒ってるー?」

「『狂った兎』」

「おー正解だよ。頭は悪く無いんだね」



 クレリアの怒りに反応するかのように、彼女の身体からは薄暗い魔力が浮き出ている。その魔力は周囲に小さな風を起こし、彼女の長い髪を揺らしていた。


 憎悪にも似た、制御できない強い感情を彼女は感じている。


 許せない。

 その在り方が。



「その名前好きじゃないな。アリスって呼んで。ね、お姉ちゃん」



 殺気を意にも介さず、邪気を一切感じさせない満面の笑みで、アリスは小首を傾げる。


 仕草は確かに可愛い。ふんわりとした金色の髪に白い耳は映えていて、非の打ち所がない。着ている昏い赤色のドレスも人間の技術を取り入れたのか、まるで妖精であるかのように似合っている。


 それでも、目の前の存在はクレリアにとって、消去すべき相手に思えた。



(侮辱……いえ、違う……それじゃない)



 惑乱する程の感情が治まると、クレリアは冷静に怒りの原因を分析する。

 そして、一つの答えを得た。


 理由がわかると心は冷えていく。

 彼女は剣を収めると、ニヤリと笑ってビシッと人差し指を突き付けた。



「あざとい」



 可愛いものマスターであるクレリアは、思考するよりも先に一目で『狂った兎』の正体を見抜いていた。

 子供のような仕草をしているが、本質は違う……と。


 ちらりと帝国軍に混ざって、蕩けるような顔で胸の前で両手を組んでいる背の高い美貌のエルキー、ターフェに視線を向ける。



「本当の可愛さというのは心の中から滲み出るものよ。貴方の下手な演技で騙せるのはあそこでヨダレを垂らしているあの変態エルキーだけ。上辺だけの貴女には、幼女修行が絶対的に足りていない」



 彼女的には恵まれた容姿を持ちながら、素材を十分に活かしきれていない。

 確かに可愛らしい。


 しかし、ただそれだけ。


 奢りであり怠慢。

 天から与えられたが為に努力しない者なのだ。


 それ故の嫉妬……憎悪……そして怒り。



「あーえー……え? 何に怒っているの? え、え、コンラート……じゃないの?」



 『狂った兎』……アリスは意味がわからずに困惑し、笑みを引きつらせている。

 クレリアの反応はアリスにとっては予想外のものであった。



「ふ、その驚き方はギリギリ自然な愛らしさを含んでいる。おまけで合格だな」



 立ち尽くすアリスにクレリアは淡々と続ける。



「まあいい……教えてやろう。私には理解できないが、コンラートは戦士として死に場所を選び、満足して死んだのだ。空気の読めない偽うさ幼女が何を言おうか知ったことか」



 ふふんと自慢げに薄い胸を張り、小馬鹿にするようにクレリアは笑う。

 アリスは虚を突かれたように放心していたが、すぐに立ち直ると顔を手で抑えて喉を鳴らし、嗜虐的な笑みを浮かべた。



「ふふ……本物の変態を飼っているとは、コボルトの魔王候補を侮っていたなぁ」

「失敬な」



 クレリアの抗議をアリスは黙殺する。

 あまりにも馬鹿馬鹿しいやり取りに、他の魔王候補の乱入による驚きも恐怖も既に霧散し、オーク族や帝国軍の面々は招かれざる客に醒めた視線を向けていた。


 ただ一人、ターフェを除いて。

 妖艶な雰囲気を漂わせている長身の美女は熱のこもった真剣な表情で、口を開く。



「我が同志よ。正しくはうさ偽幼女ではないだろうか」



 アリスが戻そうとした空気が再び凍った。


 誰も一言も漏らさない。

 『狂った兎』はぷるぷると震えていた。


 シバはそのあんまりな空気を察し、皆を代表してアリスに問い掛ける。

 この場にいる全ての者に共通した想いを。



「君、ほんとに何しに来たの?」



 耳を垂れ、心底困惑しながらシバは聞く。



「ちっ……計画が台無し。馬鹿にしやがって……くそ女が……」



 その言葉でアリスもやるべきことを思い出したのか、散々振り回したクレリアを殺意を込めて睨み、草むらに隠していた球体の何かを小さな両手で掴んでシバの足元に忌々しげに投げた。


 丸いものはドサッと大きな音を立てて落ち、転がっていく。



「物騒なお土産だね」

「意外と冷静。でも耳と尻尾は正直だぜぇ……?」



 シバの反応に、両手をドレスと同じ紅に染めたアリスはからかうように笑った。


 球体の正体は丸い耳の人型の首。

 根が臆病なシバは内心の驚きを咄嗟に隠していたが、耳と尻尾は逆立っていた。


 周囲の者達も首の正体に気付き、ざわめいている。

 それはワーベア族の魔王候補の変わり果てた姿だった。



「なるほどね。ここに来たのは嘆きの林の帰り道なわけだ」

「うん。焦った焦った。意外とキミタチの決着早いんだもんよぉ。その前にちょっくらそいつの首だけ失敬したってわけ。そしたら、また面白そうなことやってるじゃねえか。土産がてら見物させてもらおうって思ってなぁ」



 口の悪くなった兎耳の幼女に、シバは態度を殆ど変えずに微笑む。

 禍々しい魔力もアリスは放っているが、彼の傍には既にクレリアが付いている。


 恐れる理由は何も無かった。



「降伏勧告に行ってた部下から報告は受けているよ。後ろから忍び寄って首を刈り取ったって。だけど、他の者には手を出していない。意図がわからないね」

「穴熊の巣を聞き出すために十匹くらいはくびり殺したさ。報告は正確にさせろよ」



 ケラケラとアリスは勝ち誇ったように笑い声を上げる。

 シバは目の前の兎が、自分達よりも先にワーベア族を降した事実を冷静に受け止めていた。


 その余裕の態度にアリスは笑うことを止め、目を細める。



「私は嘆きの林の全種族の支配を受け継いでいるわけだ」

「それで?」

「おいおい、察しが悪いな。嘆きの林はわらわの領土とは接していない。要するに邪魔な領土って奴だ。それなら有効活用してやろうと思ってな」



 なるほどとシバは思う。


 彼女は嘆きの林の魔王候補の欠片以外を必要としなかった。

 ただ、少しでも力を得るために帝国とオーク族を出し抜いただけだ。


 更に彼女はそれを用いて有利な環境を作ろうとしている。

 状況を考えれば『有効活用』の内容は想像しやすい。



「嘆きの林の支配権はくれてやる。私の好意って奴?」

「その好意の対価は?」



 皇帝としてシルキーを重用してきたシバには答えは見えていた。

 それでも彼は何も知らない振りをする。


 彼の敵を喜ばすために。

 侮られることには慣れていた。


 帝国の益になるならば、それほどの苦でも無い。



「けけっ! 難しいことじゃないさ。仲良くしようぜってだけのことさ」

「具体的には?」

「お互いの安全の保証。不戦の約束ってとこだ。お互い敵が多いだろ?」



 帝国の欠片は四つ。『狂った兎』の欠片は五つ。

 優位を確保した上で彼女は交渉の場に立っている。


 シバはそれでも臆することなく相対していた。


 そして、確認するようにシバは共に厳しい戦いを勝ち抜いてきた帝国の幹部達を見回す。怯えている者は誰もいない。シバへの信頼がそこにはある。


 最後にクレリアと見つめ合った。


 彼女は何も言わず、ただ頷いた。

 それだけで、シバの心には勇気が湧き、奮い立つ。



「うーん、クレリアは君を嫌っているみたいだし、交渉中のワーベア族を勝手に殺されたわけで……僕としては飲めないね」

「ちょっ、ちょっと待ってください! シバ様!」



 慌てた声を上げたのは茶色と黒の斑ら模様のコボルト。

 彼女は震えて涙目になりながら、断ろうとした皇帝にしがみつく。



「シルキー。君は受けるべきだと?」

「受けないと帝国が滅んじゃいますよぉ。ただでさえ、五つも欠片を持っている相手なんですから……アリス様と敵対してリザド族、ケンタウロス族に狙われたらどうしようも無くなりますっ!」



 不機嫌な口調でシバはシルキーを詰問したが、彼女は大声でそれに反駁する。

 他の者は何も言わない。


 その様子を見て、アリスはお腹を抱えて笑った。



「あははっ! 賢明な部下がいるじゃないか! そうそう、もっと言ってやれ!」

「ア、アリス様、もし断ったらどうなるかをシバ様に教えて下さい」



 へたり込みそうになるほど怯えながら、シルキーは頭を下げる。

 そんな姿にアリスは満足そうに鷹揚に頷いた。



「決まってる。嘆きの林の全ての民に『命令』でお前たちと死ぬまで戦えってやるだけさ。お前達は消耗し、その隙にわらわは全軍でお前らの国を叩き潰す」

「ほら、シバ様……そんなことになったら……」



 訴えかけるようにシルキーはシバを見る。

 シバは他の幹部達をもう一度見回した。


 純粋な軍人であるキジハタやグレーは興味無さそうに半分眠っている。

 シルキーの上司でもあるハウンドは毛を逆立てて彼女を睨んでおり、ターフェはうっとりとした表情で『狂った兎』を見詰めていた。


 ルーベンスは事の成り行きを見守り、コーラルは呆れたように引きつった笑みを浮かべている。


 クレリアはいつもの無表情だ。

 誰も慌ててはいない。


 帝国にとってシルキーの役割はそういうものなのである。


 彼女は道化を演じつつ、彼女は自身の戦場に赴いていた。

 シバは自分の考える選択の反対を選ぶことで、己より遥かに優れる部下を交渉の場に引き込んだのである。


 情報が少ないのは『狂った兎』も同じだった。

 アリスは気付いた様子もなく、胸を張り、歪んだ笑みを浮かべている。

 


「ケンタウロス族とリザド族はもう組んでいると言ってもいい。選択肢は二つ。わらわと組むか滅びるかだけ。選ぶのは簡単だろ」

「選択肢はもう一つあるんだけど……『狂った兎』……君は忙しないね」

「勝つためならなんだってするのが弱者さ? なあ、同類」



 静かにシバが呟くと、アリスはニィ……と意地の悪い笑みを浮かべた。

 愛らしい彼女の容姿では、それも迫力には欠けていたが。



(彼女は僕と違って、弱くとも初めから戦いを選んだんだろうな。そして、クレリアがいないから手段を選ぶことが出来なかった。だから、『狂った兎』……)



 僅かな羨望と哀れみを感じ、シバは一つ溜息を吐く。

 種族を預かる者として、彼女の在り方も間違いではない。


 むしろ、ライトラビット族の弱さを考えれば賞賛すべきことだろう。

 それはシバには出来なかったことだ。



「わかった。君の条件を飲もう。ただし、ルールは決めたい」

「ほう。どんなのだ? わらわの不利にならないなら構わないぜ?」

「シルキーに代わりに説明させるよ。納得させられなければ殺すからね」



 真顔で淡々とシバはシルキーにこの件を投げた。

 ある意味『狂った兎』よりも遥かに狂った自分の部下に。


 魔王候補同士の会話に”嬉々として”参加し、帝国の優勢を強引に勝ち取ろうとしている優秀な参謀に。



「ええええええっ! ぅぅ、わかりました」

「ははは、ひでえな。安心しろ。わらわは寛大だ。言ってみな」



 何度も何度も普通のコボルトのように頭を下げ、そして恐らくは心の中で舌を出しながらシルキーは条件を話し始めた。


 こういう場面ではシバやクレリア以上に彼女は輝いている。



「有難うございます。まず一つ目は、戦士以外の……ビリケ族のような者達の通行の自由をお互いに保証したいです。これにより、安全に物が行き来出来るようになります」

「ほうほう。それにどんな意味がある?」

「お互いに余っている物を交換できます。お互い足りない物を補えますし、魔王領中を回る彼らが気安く訪れることが出来るようになるでしょう」

「考えたな……いいだろう。次は?」



 アリスは愉快そうに唸って頷く。

 物資の融通と情報収集。彼女はシルキーの表向きの意図を察していた。



「二つ目は選ばれたお互いの民を数名、交換したいです。急に裏切られるのは困ると思いますし、魔王継承戦争の情勢も掴みやすくなります」



 この提案にはアリスは即断しない。

 じぃっと見られたシルキーは震えて後ずさりながら転ける。


 アリスは茶色と黒の毛玉の様子に苦笑し、仕方なさそうに頷いた。



「わらわは約束は守る。確かに悪くはないな。他は?」

「三つ目は不戦の約束を破棄する場合、何日前に知らせるかを決めたいです。これは、アリス様が決めてくだされば。これが最後です」

「ほう……」



 真剣な表情でアリスは考え込んだ。


 この条件は彼女にとっては意味はない。

 アリスは帝国を信じていない。ようするにどうでもいい一文だった。



「お前らが決めていいぜ」

「それでは三日で。心の準備はそれで十分でしょう。他に何かあればまた話し合えば……」

「ふん。口が回るコボルトだな」



 アリスは悪態を付いて、シルキーを睨みつける。

 冷静に交渉しながら未だに震えて見せている胡散臭いコボルトを。



「私は強い奴をイジメるのが大好きでな。背の高い立派な戦士が小さなわらわに心の底からの恐怖で膝まづいて、命乞いをさせるのが趣味なんだ」



 姿に似合わぬ妖艶な表情を浮かべ、アリスはシルキーに立ち上がるように手で指示をする。シルキーは仕方なさそうに素直に立ち上がり、土を払った。



「偉そうな奴を這い蹲らせるのは楽しいぜぇ……感じすぎて失禁しそうなくらいに興奮する」

「いい趣味をしていますね」



 両手で胸を抱えて狂ったように笑うアリスに、シルキーは自然体で向かい合っている。

 彼女は魔王候補の殺意を受けても、気にせずに受け流していた。



「それ以上に好きなのが、お前のようなコソコソ裏で何か企んでる演技の下手くそな奴を力で潰すことさ」

「貴方の領土には近付かないように気をつけましょう」



 そして、恭しく一礼する。

 ふてぶてしいその態度にアリスはつまらなさそうに鼻を鳴らすと追い払うように手を振り、シバへと向き直した。



「お前の部下はこう言ってるがどうするんだ?」

「その条件で君が構わないならいいよ」

「いいぜ。但し約束を果たすのはわらわが逃げてから。お前の眷属は凶悪そうだからねぇ。ほら、何時の間にか首を持っているし」

「じゃあ、約束を果たしたら、そこから開始だね」

「ああ、それで構わない」



 クレリアは転がっている首を無造作に掴んでいる。

 そこに特別な感情は見え無い。


 退屈そうなだけだった。



「ここは聖地。穢すことは許されない……らしい」

「馬鹿馬鹿しい話だな」



 小馬鹿にするアリスにクレリアは頷いて、両手で首をお手玉しながらクスクスと笑う。



「私達は約束を破らない。ただし……まだ、約束は動いていない。さて、貴女に魔王の器はあるのかしら」

「ん……なっ!」

「返すわ」



 全力でクレリアは首を投げた。

 同時に抜刀し、一気に距離を詰める。



「あら、判断は中々」



 剣は空を斬っていた。

 『狂った兎』……アリスは首が放たれた瞬間に自身の城へと『帰還』していたのである。



 数分後、シバとクレリアは『狂った兎』が約束を果たしたことを、力が大幅に増したことで確認することが出来た。



「クレリアの挑発では暴発しなかったね」

「冷静……いや、違う……あれは……」



 冷めた口調でクレリアは呟き、剣を納める。

 シバは最後まで聞かず、無言で頷いた。



「ハウンドはどう考える?」

「シルキーの演技が下手すぎて笑い殺されるかと思いました。当初の方針を変更し、『狂った兎』を盾に使うならば、内容は彼女の案で十分です。『狂った兎』もまさか自分より性格の悪い女がいるとは思わなかったでしょう」



 帝国軍のもう一つの頭脳は肩を竦めて続ける。



「戦略的には僕も理解できますが、シルキーが裏で何を企んでいるかまではわかりかねます。確実に裏切る交渉相手にどう接するのかも難しいですね」

「僕もアリスはいつか裏切ると思う。で、それも織り込み済みで、彼女と交渉したいって瞳を輝かせていたシルキーは何を企んでいるの?」



 からかうようにシバが笑うと、シルキーは邪気のない満面の笑顔を浮かべた。

 その笑みはどこか作り物めいていてアリスのものと似ている。



「ハウンドもシバ様も酷いです。私は本当に何も企んでいません。いえ……」



 帝国で唯一謀略を専門としているコボルトは言い直す。

 自信を込めて。



「企む必要はないのです。企んでいるように見せ掛けたのはただの嫌がらせ。私達はただ、約束を最後まで守ればいいのだから」

「説明をお願いしてもいいかな」

「はい。帝国は仇敵であるオーク族ですら快く受け入れます。そして、臣民達は未来への希望を抱いて働き、自分達の楽園を守る為に戦っていくでしょう。軍部も政務官も……種族を問わない理想の帝国を作るために命を懸けます」



 愉しそうに彼女が語る言葉は、自分達の帝国の在り方だった。

 数々の非道とも言える策略を用いて帝国を有利に導いてきた謀将は、ただ希望に満ちた未来を語る。



「私達はただ、シバ様が理想とされる道を歩けば良いのです。その理想は交易などを通して魔王領全てで語られるようになります。裏切られても裏切らない。敗北した種族も同じ条件で受け入れる。強大な敵にも屈することなく力と知恵を持って抗い、臣民は笑顔を失わず、生活に困らず、役割を与えられ、誇りと希望に満ちた生を送る……そんな姿が」



 シルキーは何も企んでいない。

 魔王領にとって異質な帝国の存在自体が、敗亡し、窮地にある者達にとっての最期の拠り所となる。



「裏切る必要はありません。奇をてらう必要も」



 ただ、正道を行けばいい。

 帝国の幹部達に異論は無かった。



「後は私みたいな性悪が少しばかり背中を押すだけですかね」

「崖に突き落とすのが趣味だからな。お前は」



 シルキーはおどけるように肩を竦め、ハウンドが茶々を入れる。

 やり取りを聞いた他の者達は、笑い声を上げた。 



「『狂った兎』は僕達は警戒したけど『帝国』は侮っていた……かな」



 『狂った兎』が気付くのは何年後だろうかとシバは思う。

 魔王候補の力は強大でも、それだけでは戦いには勝てないことに。


 それを教えてくれた仲間達にシバは心の中で感謝した。



「そう言えるためにもみんな、手を貸してね」

「「「「「了解っ!」」」」

「これから本当に忙しくなるね。それじゃ、まずは死の森全土に戦勝を報告と……コンラートを弔おう。彼は強敵であり、偉大な戦士だった……」



 シバは簡単に指示を出すと目を閉じて小さな声で呟く。



「そして、僕が不甲斐ない為に苦しんだバセットを心から愛して幸せにしてくれた……悔しいけどいい男だったよ」

「シバ様も苦しんでいた私を幸せにしてくれています」

「クレリア……」



 戦争が終わればクレリアに仕事はない。

 彼女の持ちうる技能は全て仲間達に伝え、優秀な彼等は見事にこなしている。


 そして、実戦で鍛え上げられた知識は次代に、それを進化させて伝えていくに違いない。彼女はそう考えている。


 だから、クレリアはクレリアにしか出来ないことをすることに決めていた。



「戦いは何年、何十年、何百年続くかわからない」

「寂しくありません。私は時の果てまでお傍に」

「有難う。愛してるよ。クレリア」

「知っています。私の愛しい皇帝陛下」



 孤独になることを余儀なくされる魔王候補にただ寄り添う。

 彼女にしか出来ない役割であり、彼女自身それを望んでいた。


 クレリアはそっとシバと手を繋ぐ。

 彼女はまるで普通の少女のようにはにかんだ笑みを浮かべていた。






 薄暗く、誰もいない広間の玉座に彼女は床を這って縋り付いていた。

 身体はガタガタと震え、力を込めて掴まれた椅子は悲鳴を上げている。



「怖い……怖いよ……」



 込み上げる涙を止められず、子供のように喉しゃくりあげながら、『狂った兎』は弱々しく呟き続ける。



「あいつらは……わらわを見逃しただけ……」



 彼女……『狂った兎』は元々は普通のライトラビットだった。

 上位種族ですらない。



「わらわはしにたくっ……ない……しにたくないのじゃ……」



 しかし、何故か彼女は魔王の意思によって候補に選ばれてしまった。

 彼女にとって不幸であったのは、誰よりも弱く小さい臆病な彼女が賢い知能を持っていたことだったのかもしれない。


 先が見える故に彼女は躊躇うことなく卑怯な手を使う。

 狂っていると称されるような手を。


 領内は最早恐怖でしか統率することは出来ない。

 孤独な狂王として、ライトラビット族からすらも恐れられている。


 ワーベア族への奇襲は彼女にとって賭けであった。

 そうしなければ帝国の矛先は自分に向くことも彼女は知っていた。


 そうなれば勝ち目はない。

 現に欠片を奪い、脅してもシバは全く動揺しなかった。


 彼が言いかけた三つ目の選択肢。

 それは『狂った兎』たる自分を即時に殲滅する選択。


 魔王候補としての力のハンデがあっても負けない事を、シバが知っていたからだと彼女は気付いていた。



「力……力が欲しいよ……もっと……もっともっともっともっとっ!」



 アリスは狂ったように叫ぶ。

 恐怖を紛らわせる為に。力だけが孤独な彼女にとっての全て。


 広間の大きな扉にノックの音が響く。

 アリスは玉座にうずめていた顔を跳ね上げ、扉を睨んだ。



「今入ったら殺すっ!」

「わかりました。報告だけ。ゴブリンが面会を求めております」



 扉の外から聞こえる少女の声。

 普段は遠ざけている彼女がアリスに報告するということは、重要な案件であることを意味している。


 少女は才能に溢れる強者。アリスの眷属。

 『獅子王』の娘であり、『獅子王』を倒したアリスの最大の駒。


 そして、命の恩人。

 かつての『可愛い兎』の飼い主。名付け親……初めに裏切った相手。


 アリスは小さく深呼吸をする。

 冷静な思考は戻っていた。涙と鼻水に汚れた顔を彼女はハンカチで拭き取る。



「扉はまだ開けるなよ。どんな奴だ?」

「チャガラと名乗っております。帝国に完敗した将だとのことです」

「何故そんな負け犬が私のところに。死にたいのか?」

「コンラートが死ぬまでは奴の部下。死んだから自分の腕を売り込みに来た。そう言っていました」



 彼女は必要な事しかしない。

 今の彼女は全てを諦めた抜け殻なのである。


 だから過不足なく、そのゴブリンはそう言ったのだろうとアリスは判断した。


 アリスは僅かに口の端を上げる。

 底の見えない渇望がほんの一滴分だけ満たされたことを感じたから。



「自信はありそうだな。優秀なら使ってやると伝えろ」

「わかりました」



 この時アリスは戦争の詳細がわかればいい程度に考えていた。


 しかし、チャガラと話をしたアリスは双方が全滅に近い損害を出しつつも戦い抜き、最終的な勝利を得た帝国の真の恐ろしさと、その地獄の戦いを数年間続けてきた彼自身の実力を全面的に認めることになる。


 後に帝国から『コンラートの最期の嫌がらせ』と称されることになるこの出会いは、『狂った兎』と彼女の周辺の魔王候補の運命を大きく動かす結果となった。


 






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