第二十五話 死の森中央部会戦 戦いは幕を引き
南東部の戦線においても、帝国の総攻撃は始まっている。
アルトリートの死を待つまでもなく優勢に立ちつつあったハウンドは、堅実かつ苛烈な攻撃を加え続け、南東部の戦線を支えるオークリーダー、ディートルとコボルトリーダーのビジョンを追い詰めていた。
そして、止めを刺すような情報が彼らに届く。
「おいおいおい、うちの眷属がやられちまったぞ?」
「勝ち目無し」
必死に連携を取ってハウンドの猛攻を防ぎ、一度距離を取っていたディートルは顔を引きつらせて嘆き、ビジョンは変わらぬ暗さで淡々と呟いている。
「お前も同じ考えか。なら……どうする?」
ディートルは背の低いビジョンを見下ろす。
彼はただ真っ直ぐにディートルを見て、はっきりと言い切った。
「同じ。徹底抗戦」
「ぶっ! はっはっは! さすが俺の戦友っ! 良くわかってやがる」
危機の中でも全軍に届くくらいディートルは愉しそうに笑う。ビジョンも僅かに茶色い毛でわさわさとした口元を緩め、小さく頷いていた。
「一矢報いる」
「どうやってだ?」
「ルーベンスと連携」
「他人任せかよっ! まあ、そうなるわな。あの亡霊の野郎は俺らの手に余る」
数では勝っているにも関わらず、追い込まれて潰走寸前の状態にある。
その上、魔王の眷属が討ち取られたという一報は、ギリギリで保っていた士気を崩壊させるのに十分な威力があった。
ディートルとビジョンは半ば諦めている。
状況を判断すれば、退却が最善であり、ルーベンスの位置であればそれは最も容易だった。彼自身が望んでも部下が彼を行かせないかもしれない。
そもそもクーンを本当に倒せたのか。
あの猫女も容易な相手では無い。
(ま、戦意のある奴がいる限りはやるっきゃねえな。敗北を認めるのは早い)
残る半分は開き直りだった。戦う目的を見失ったまま自棄になったようにディートルは槍を振るう。
彼自身も最前線に立とうとした時、後方から爆音が轟いた。
「何だっ!」
「こ、後方から黄色い……バルハーピーの集団がっ!」
「全軍退避! 踏まれるなよ!」
「前方っ! 敵オーク……エーゴンを先頭に突撃してきますっ!」
「くっ……歌の奴か! よし、俺とビジョンに続いて逃げろ! ビジョン!」
「理解。右」
咄嗟にディートルは大雑把な命令を下し、軍を左右に分ける。
後方からの突撃はこれにより最小の被害に抑えたが、軍の混乱までは避けることができなかった。思いもよらぬ濁流のような勢いの暴力に、彼等の旗下の戦士達は動揺を隠せない。
また、彼等の軍は完全に分断された形となり、ハウンドは各個撃破するために、ビジョンの一軍を流れるように半包囲し始めていた。
「やべえ! ビジョンを助けるぞ……くそ、隙がねえっ! 亡霊がっ!」
ディートルは吐き捨てる。
ハウンドはディートルの動きを読み切り、温存していたエルキー族に遠距離攻撃をさせ、近接部隊には一撃離脱の側面攻撃を加えさせて抑えきっていた。
しかし、ハウンドはビジョンが全滅する前に包囲を解き、体勢を立て直す。
勝利の目前であっさりと退く、その躊躇のなさは敵であるディートルが感嘆するほどで、改めて敵将の恐ろしさを認識していた。
ハウンドが包囲を解いた理由は簡単。
足の速いゴブリンとコボルトだけを率いて、一気にルーベンスが斬り込んだからだ。
全ての戦士がルーベンスを信じ、その意思通りに動いている。
「まさか、本当に来るとはな。こいつは本物か?」
一当てするとルーベンスは鮮やかに身を翻し、戦場からの離脱を図る。
ディートルとビジョンは自然とその背を追っていた。
「第一軍の生き残りは逃がした。第五軍だけで帝国軍を迎え撃つ」
「その割には数が多いぞ?」
「第一軍からの志願者が混じっている」
かろうじて包囲を生き延びたビジョンがディートルと並び、状況を説明する。
敗走しているにも関わらず、彼等の胸は楽しさで激しく高鳴っていた。
「大した男だ。俺達も運命を預けるか」
「同意。化けた。楽しめる」
敗軍の将であるオークとコボルトは顔を見合わせると不敵に笑いあい、逃げながら軍を再編し、掌握し直すという困難な仕事をやり始めた。
ルーベンスは南東部の敵将、ハウンドの用心深さに感動し、その思考を取り入れるために貪欲に、灼きつきそうになるのも構わずに頭脳を回転させていた。
「ディートルとビジョンの救出が間に合ったから悪くは無いか」
事前に相手の情報は調べ上げ、想定しているつもりだったが、実際に敵として当たると感覚が全く違う。普段は冷静であってもクーンのように判断を狂わせるのではと期待していたルーベンスは、自分がまだまだ甘いことを自覚した。
(どうして僕の狙いに気付けたのか聞いてみたいな)
彼は足の速い軍で先行しつつ、逃げる予定の北方向にオークを伏せていた。
ハウンドが無秩序に追撃すれば反撃するつもりだったのだ。
しかし、ハウンドは圧倒的な有利の中でも慎重に軍の立て直しを選び、少数のコボルトで伏兵を警戒していた。そして、オークの位置を確認するや猛追している。
その用心深さと果敢さを経験としてルーベンスは心に刻む。
二度と生かせないかもしれないと思いつつも可能な限り生かすために。
(ハウンドの次はキジハタとカナフグか! やってやるっ!)
ルーベンスは必死に前方に立ち塞がる敵を斬りつける。
敵本隊はかなり前進しており、ルーベンスの攻撃は側面からのものとなったが、ハウンドは手際良くキジハタ率いる本隊に連絡し、連携を測っていた。
「チャガラに伝令。南の部隊を牽制攻撃の後、南西から撤退しろと伝えろ。殿は僕達が引き受ける」
涙目で付いている伝令役のコボルトを守りながらルーベンスは命令する。チャガラの部隊は敗走しているが、それくらいは期待してもいいはずだと、彼は開き直っていた。
(キジハタとカナフグは堅実な軍の動かし方だ。全く隙がない)
ルーベンスは淀みない動きで剣を振りながら、相手の用兵を観察する。
キジハタは勢いを殺すようにゆっくりと後退してルーベンスの攻撃を受け止め、カナフグが別働隊として側面を逆に突こうとしている。
「隙が無いなら作ればいい。僕に続け! 後ろは振り返るなよ!」
「おう!」
十数分の戦いの後、キジハタが退いて空白が空いた瞬間を突き、ルーベンスはカナフグの軍に突撃する。何時の間にかディートルとビジョンが彼の傍にはいた。
心強さにルーベンスの身体に熱い何かが流れる。
彼の剣筋は疲れで衰えるどころかより鋭利に、より効率的になっている。
緊張で爆発しそうな心臓を気力を振り絞って抑えきり、感情に捕らわれることなく冷静に軍を動かし、双方の魂を削る勢いで相手にぶつかっていた。
全ての強敵を糧とするかのように学びながら。
「はは、ははははっ! 笑え笑え! 笑ってやれ! 腹の底から声を出せっ! 仲間を救うんだ! 最高の見せ場だぞ! 心の中で復唱しろ! 僕達は仲間を絶対に見捨てないっ!」
「うはは! 大将最高だぜ! おい! お前ら! 大将より後に死ぬなよ! 恥だぞ!」
「愉快痛快。無茶も良い」
突破したものの、即座に立て直して追ってくるカナフグの部隊を連携して受け止めながら、副将のディートルとビジョンも心の底から笑う。
彼らに従う戦士達もまた、死地の中でも明るい表情を浮かべ、絶望することなく帝国の名将達を相手に全力を尽くして抵抗していた。
「アルトリート様の副将オーバン。ルーベンス様に従います!」
「ゴブリンリーダー、サザナミ! ルーベンス様の旗下に入ります!」
「協力しろ! 全軍の撤退を援護するぞ! 逃げたい奴は先に逃げろと伝えておけ!」
「承知っ!」
「了解しました!」
四散していた敗残兵達の中でも戦意が旺盛な者は奮戦を続けるルーベンスの元へと集まり始める。完敗するオーク族の中でただ一人、敵の将を撃退し、強敵を相手に勇気と知恵を振り絞り、最前線に立って雄々しく闘う若者の姿に、旗下の戦士達だけでなく、オーク族側の戦士達の全てが希望を見ていたのである。
「バルハーピーは木に隠れてやり過ごし、射撃で対応だ!」
「任務了解」
その士気はこの敗勢にあってなお帝国軍以上に高く、現にキジハタ、カナフグ、ハウンド、グレーから同時攻撃を喰らいながら、潰走することなく後退を続け、戦士達を纏めて撤退しているチャガラの盾として、相手の攻撃を防いでいた。
「計算違いだ。タマ様みたいなのが敵にいるのか」
帝国側ではハウンドが舌打ちを打っていたが、敵の強さを計算し直し、戦線を構築しなおしている。彼は冷静に、敵が予想し得ぬ強敵と判断し、無理な攻撃を避けて包囲するように全軍を動かしていた。
「全軍、次の相手はハイケットシーだ! 後ろは無視でいい! 正面から一点突破するぞ! 奴等を自由に働かすな!」
後方を遮断していたブルーにルーベンスは照準を合わせる。
彼は軍の動きでハウンドの狙いを看破していた。
全方向を囲まれては手の打ちようはない。
ならば後方を突破することで、起死回生を図る。
「立ち止まるなよ! 前だけを見ろ!」
ルーベンスはブルーの姿を捉えたが、そのまま無視して脇を抜けるように駆けて行く。彼と戦い、時間を浪費する余裕は彼には無かった。
殆どが近接部隊のオーク軍を止めるにはブルーの軍は既に脆弱になっており、ある程度の損害をお互いに与えるだけで、突破を許してしまっていた。
そして、ブルーを突破すると川沿いを逃げながら、側面に回ろうとする敵を牽制し、時折踏み止まって反撃することを繰り返す。
時間の感覚が無くなっていき、ただひたすらに判断し、軍を動かし、剣を振る。
「どうして大将はここまで戦うんで?」
戦闘の合間のほんの僅か、休める時間にディートルはルーベンスに思わず尋ねた。
彼はここまで帝国軍を苦戦させる程にルーベンスが全力で闘うとは思っておらず、不思議に感じていたのである。
「コンラートには義理はないけど、あいつは逃げた。残ったハイオークは僕だけ。僕にはオーク族として、仲間達の命に責任がある」
「はぁ……それはご立派で」
「彼らには未来を自分達で決めて欲しいと思うんだ」
ディートルは優等生な答えに頭を掻いて困惑する。
だが、ルーベンスは笑って続けた。
「ははっ! 表向きはね。本当は多分、ただの意地さ」
「そっちのが納得いくわな。大将は死の森一の意地っぱりだ。俺が認めるぜ」
「光栄だね。さて、次が来た。中々休ませてもくれないね」
午前中に始まった会戦だが、周囲は既に日が暮れようとしている。
疲労は重く全員にのしかかっているが、それでも瞳だけは輝いていた。
「チャガラは逃げ切ったようだし、次は僕達だ」
「予定通り、先にサザナミとオーバンを逃がしますぜ?」
「最後まで傍に」
向かってくる敵を見据えながら、ルーベンスは頷く。
彼自身は逃げ切れるとは思っていない。
だから、ディートルとビジョンも逃がし、僅かの決死隊で時間を稼ごうと考えていたが、第五軍の生き残り達は全軍を上げてそれを拒否した。
新しい若い名将と最期を共にする覚悟を決めたのである。
帝国軍の追撃は昼夜を問わず、全力の攻撃とあらゆる奇策を尽くして行われたが、死兵となった第五軍はその全てを凄惨な被害を出しつつも防ぎきっていた。
神掛かったその寡兵による奮闘に、ハウンドは攻撃を無意味と判断。
最強の戦力の投入を決断する。
朝焼けの輝きで煌めくハリアー川の傍で、ルーベンスは静かに立っていた。
第五軍の戦士達は傷つき、ある者は膝を付き、ある者は倒れていたが、それでも武器を握り、前を向いている。
副将のディートルは槍を杖代わりにしてかろうじて立っている。
ビジョンは生きてはいたが、疲労が限界を越えたため、仰向けに地面に突っ伏して、唸りながらただ前を見ていた。
彼等は他の軍を完全に逃がしきった。
そして、周囲を完全に包囲され、逃げ切れないことは明らかな状態にある。
帝国軍はオーク族第五軍を遠巻きにし、何かの神聖な儀式のように見守っていた。
その帝国軍から朝日を浴びながら、秀麗な死神が前に進み出る。
剣を収めたまま第五軍を視線だけで抑え、彼女はルーベンスの前に立った。
「久しぶりね。少年……いえ、ルーベンス」
死神……クレリアは薄紅色の小さな唇を少し動かしてぽそりと呟き、薄らと微笑む。
以前のように恐怖は感じなかった。
いや、彼はこの時初めて彼女の顔を本当に見たのだと思っていた。
「あの時と同じ質問をするわ。降伏か死か」
怜悧で無機質で残酷で圧倒的で、それでいて気高く高貴で美しい。
血で汚れても、泥に塗れてもそれは変わらない。
フォルクマールが彼女に惚れ込んだ事に、彼は今更ながら納得がいった。
「目的は果たした。部下の命を保証してくれるなら降伏する」
残された力を振り絞ってルーベンスは胸を張り、堂々と大きな声で言い切る。
力強く。まるで勝利宣言をするように自信を持って。
「貴方を殺せば貴方の部下は死を選ぶでしょう。貴方を含めて全員の生命を、皇帝、シバ・フォーンベルグの名に置いて保証するわ」
「了解した。第五軍のみんな、僕達の戦争は終わ……り……」
言い切ることが出来ずにルーベンスの身体から力が抜けていく。
その身体をクレリアは優しく支えた。
「好みではないけれど、良い男になりそうね。キジハタ。貴方が背負ってあげなさい。彼には最後まで結末を見届ける資格があるから。降伏した者には食事と治療を。急ぎなさい」
「は、承知」
クレリアはキジハタに、気を失ったルーベンスを渡すと、ハウンドとシルキーに視線を向ける。
「物資も届き、いつでも進撃は可能です」
「既に工作は済んでおります」
そして、彼女は最後に皇帝の前で膝を付いた。
シバは決意に満ちた表情でしっかりと頷く。
「オーク族首都、エルバーベルグを攻略する!」
死の森中央部会戦は第五軍とルーベンスの降伏により、完全に終結した。
モフモフ帝国はこの総力戦において、主要な敵司令官の殆どを戦死、降伏に追い込み、オーク族に壊滅的な損害を与えている。
それは長きに渡るオーク族との戦いにおける帝国の勝利を意味していた。




