第二十四話 死の森中央部会戦 決着の時 後編
土属性の魔法を主体に闘うバセットにとって、シバは相性の悪い相手である。
バセットは精霊を支配しているが、シバは精霊から愛されている。
土の精霊は争いを嫌うため、シバは戦闘用の魔法を使えないが、その制約を守る彼に精霊が自主的に貸す力は強大であり、バセットによる精霊の支配の力を遥かに上回っていた。
そのため魔法による攻撃はシバに簡単に無効化されてしまう。
「クレメンスはハウンドが。アルトリートはグレーが倒したよ」
「知っているわ」
「結末は見えた。これ以上戦って何になるんだい?」
クレリア達の戦場から彼等は既にかなり離れており、周囲は他の場所と同じように木々に囲まれている。ただ、シバとバセットの魔法は大きく地形を変えており、所々にクレーターのような穴や小さな山を築いていた。
そんな中、シバとバセットは剣を構えて向き合っている。
明らかに優勢なのはシバだった。
バセットは悔しそうに歯噛みしながら、荒く肩で息をしている。
(本当に気に入らない。どうしてこいつが!)
幼馴染の彼女には昔のシバの印象が強い。
だから、負けるはずが無い……バセットは強く心に言い聞かせている。
バセットの魔法は努力で培ったものであり、シバの魔法は天性のものだった。
魔法だけではない。様々な事柄で、彼等のあり方は大きく異なっている。
だからこそ二人は幼い頃から比較され続けてきた。
努力を惜しまず、族長として必要な事を学び続けたバセット。
自由に生き、自然と誰からも好かれていたシバ。
バセットの周りのコボルトは必死に仕事をこなし、シバの周りのコボルトは明るく仕事を乗り越えていく。
次期の族長候補にシバとバセットが残ったのはコボルト族としては自然なことだった。
コボルト族の最大集落であったパイルパーチの長老達は悩んだ末に、精霊にすら愛されるシバを族長に指名し、同時に優秀なバセットを彼の婚約者とすることで、足りないところを補うことを決めた。
コボルト族の長老にとっての誤算は、バセットがシバを認めようとしなかったことだろう。長老達も薄々気付いてはいたが、時間を掛ければ大丈夫と考えていたのだ。
上手くいかないリスクを差し引いても、歴代のコボルト族でも優秀な彼らが”つがい”になれば、コボルト族の将来は安泰だと判断したのである。
もし、更なる誤算が無ければ長老達の思惑は上手くいったかもしれない。
しかし、誰もが思いもよらぬ大事件が起きてしまう。
魔王の死。大動乱の始まりである。
族長だけでなく魔王候補にもシバが選ばれた。
才能があり、努力家でもあったバセットにはそれは受け入れがたいことであり……そして、フォルクマールの乾坤一擲の奇襲によるゴブリン族の敗北が、先を見通せてしまうバセットを更に追い詰める。
彼女のコボルト族への責任感は、圧倒的に不利なコボルト族を救うために、シバとは違う道を進ませたのである。
そして、かつては一緒に学んだコボルト達は、お互いに本気の殺意を向けている。
「僕には君が理解出来ないよ……」
哀れむような瞳を向けたシバに答えず、バセットはただ、彼を睨み付けた。
魔法は完全に封じ込まれている。
ならば、接近戦はどうか。
かつてのシバであれば勝てたかもしれない。
しかし、数合剣を合わせただけで、バセットは接近戦を捨てた。
ハイオークに近い体力と膂力を手に入れたが、覆せない技術の差が既に彼等の間には存在していたからである。
「バセット。僕も数年間遊んでいたわけじゃないよ」
「そうみたいね。あの時にそれくらい強ければ良かったのに」
シバはクレリアの姉妹剣をバセットに向け、真剣な表情で見据えている。対するバセットは戦場に落ちていた剣を構え、シバに憎悪の視線を向けていた。
「そうだね。その通り」
シバが悲しそうに呟く。
ミスリル製の剣は魔物達の命を奪っても全く曇っていない。
「その剣、何かあるわね」
バセットは戦場に迷い込んだ戦士に躊躇無く『命令』し、シバを襲わせたが彼は冷静に頭部を狙い、全て一撃で倒している。
「よく気付いたね。クレリアも気付いていないのに」
「精霊の動きがおかしいわ」
一方で帝国の戦士達も戦場に現れている。
彼等は自ら進んでシバの盾となり、『命令』を受けたオーク族の戦士を相手に奮闘し、シバの為に足止めをしていた。
シバとバセットの戦いは派手さはないが、お互いに死力を尽くしている。
しかし、徐々に戦況はシバに傾いている。
「コンラートは降伏しないか……君を倒すしか無いみたいだね」
「私を生かす気でいたの? 相変わらず甘いわね」
バセットは不機嫌そうに言ったが、シバは首を横に振った。
「帝国に有用な仲間が増えるんだ。僕の怨みなんてどうでもいいんだよ。それで更に多くの仲間が助かるのなら、僕はそちらを選ぶ。甘いからじゃない」
「変わったわね。貴方も」
少ない犠牲で多くの仲間を助ける。
それはかつてのバセットが選んだことだった。
(どこまでも重ならない奴)
以前危機に陥った時には降伏を良しとしない全てのコボルトを助け、共に滅ぶことを選んだシバが、かつてのバセットと同じことを言っている。
今、コンラートの為にだけ戦い、昔の彼と同じ道を歩こうとしている彼女は自嘲しながら不思議な気持ちでその言葉を聞いていた。
(結局、私はただ誰かに認めて欲しかっただけなのかもね)
だから、本当に彼女を必要とするコンラートに協力する。
バセットはどれだけ努力しても越えられないシバへの嫉妬を自覚していた。
そして、同時に長年の重荷を下ろさせてくれたような感謝の気持ちも。
(コボルト族はもう心配ない)
心の中でバセットは微笑む。
コボルト族としての自身の役割は、シバが成長することで終わりを告げた。
だから、私は自由に生きる。
生き方を決める。
そして、死に場所も。
「コンラート様も苦戦しているみたいね」
「能力は逆転してる。クレリアはもう負けないよ」
「なら、私がシバ……貴方を倒すだけよ。愛する方の為に」
バセットが選んだのは接近戦だった。
魔法では勝負にならない。
「シバ様! お逃げください!」
周囲から悲鳴があがり、一瞬シバの気が逸れた。
バセットは状況も確認せず、戦闘中に拾っていた石を投げる。
それは読んでいたのかシバは避けた。
彼女の読みの通りに。
投げた瞬間に彼女は走っていた。
最期の賭け。
全力で、ただ力任せに剣を振り下ろす。
シバは短い剣で受けようとする。
その剣の先端をバセットの剣は避け……。
「あ……」
「化かし合いは僕の勝ちだ。バセット」
砕けたのはバセットの剣だった。
鉄の欠片が飛び散るのを彼女は呆然と見詰める。
不可視の精霊の力がシバの剣を覆い、短い剣を長剣並の長さにしていたのだ。
返す一撃を目を閉じてバセットは待つ。
しかし、次の一撃は来ない。
シバはバセットから距離を取り、止めの邪魔をした相手に警戒の視線を向けている。
「久しぶり……であっているよね? グレーティア」
何時の間にか佇んでいた二本の剣を携えた女剣士。
半年前に直接シバと相対したハイオーク。
思わず疑問系になってしまったのは、シバの知る彼女とはあまりに違ったからである。
明るく不敵で好奇心に溢れる瞳でシバに問答を仕掛けたグレーティアは、力無く、余りにも痛ましい雰囲気で無造作にその場に立っていた。
かつては着飾っていた服は地味な鎧に代わり、それも紅く染まっている。
白い肌には無数の傷が付き、真っ直ぐな自信は、昏い絶望にとって代わられていた。
「まだ、バセットは殺させない……」
グレーティアは俯いたまま呟く。
「嘘だと確認……せめて……私は勝たなきゃ……何のために……」
「一体何があったのかな?」
明るかった敵のあまりの変貌に、シバは困惑する。
だが、剣を向けられては応戦するしかない。
シバは剣に魔力を込める。
疲れきっているグレーティアの剣は何処か自棄になっているようにシバには思えた。
本来のグレーティアが相手であれば苦戦もしただろう。
しかし、今の彼女は敵というには余りにも弱々しすぎた。
既に魂が壊れているような。
シバはグレーティアの双剣を一気に切り払う。
抵抗は殆どなかった。
「ぁ……っ!」
グレーティアの目が驚愕で見開かれる。
彼女の二本の剣は半ばから先を失っていた。
「私は……もう何もない。バセット……何をしているの? やりなさいよ」
「グレーティア……私は……っ!」
反射的にシバが動く。
ハイオークに『命令』され、本来の動きをされては、自分が危険になる。
「みんな! いたよ! 裏切り者のバセットっ! 絶対に許さない!」
「族長を……シバ様を守るんだ!」
戦況は傾き、周囲に現れるのは帝国側の戦士ばかりになっている。
シバの一撃を何とか回避したグレーティアだったが、彼女には怒りに燃えるコボルト達の矢が集中し始めていた。
「ぐっ……何故私に命令をしないっ!」
一本の矢がグレーティアの足についに刺さり、彼女はバセットに呪詛の篭った怒りをぶつけながら体勢を崩す。
シバは隙を逃さなかった。
剣を振る。グレーティアを護る武器は既に無い。
彼女は状況を察すると諦めたように息を吐いた。
視界が鮮血に染まる。
「知った……のね。恨むなら……私だけを……」
「バセット……」
シバの剣はグレーティアではなく、自身の身を投げ出したバセットの背中を断ち切っていた。
明らかに致命傷である。
それでもシバが剣を収めるのと同時に、目を見開いて立ち尽くすグレーティアを庇うバセットの背中に、怨念が込められたコボルト達の矢が無数に命中する。
シバはそれ以上の攻撃を手を上げて止めた。
「冷酷に……なりきれたら……いいのにね……」
「バセットっ!」
「きっと……騙した……報い……」
バセットはグレーティアの頬を撫で、涙を流しながらほんの少しだけ微笑む。
「貴女は強いから……いつか……乗り越え……」
グレーティアに伸し掛かる形になっているバセットの力が抜けていく。
咳き込んだ口からは血が流れており、死相が見え始めていた。
それでも、バセットの表情は殆ど動かない。
最期の力を振り絞って彼女は唇を動かす。
「『命令』帝国に降伏して、生きて。お願い」
「そんな! バセット! 勝手なことを言わないでっ! 私はもう取り返し……!」
泣き喚くグレーティアの声もバセットには届かなくなっている。
(願わくば、ただ一人の友に幸福が訪れんことを)
音は消えていく。
静かな気持ちで、彼女は泣きそうな顔をしている元婚約者の顔を見た。
(やっぱり魔王には向いていないわね。何処の世界にこんなに優しくて泣き虫な魔王がいるのかしら)
浮遊感。
何時の間にか土の上では無く、誰かに抱えられていた。
「心配するな! 絶対に助けてやる!」
目は既に見えないが、その腕の持ち主が誰かは彼女にはわかっている。
(コンラート様……私は幸せでした。有難う。自由に生きさせてくれて)
どうでもいいはずの駒を助けるために、戦いを振り捨ててきたらしい愚かな愛する男の腕の中で、バセットは穏やかな気分で永遠の眠りに付いた。
戦いは終わった。
静まり返った戦場に立つのは、シバとクレリアだけ。
コンラートとバセットの姿は既になく、グレーティアは座り込んで立ち上がれずにいる。
「申し訳ありません。取り逃がしました」
クレリアは剣を収め、シバの前に膝を付いて謝罪した。
彼女は瀕死のバセットを抱き上げた瞬間にコンラートに斬りつけている。
しかし、両断するかと思われたその剣は空を斬り、その場からコンラートはバセットと共に姿を消した。
「構わないよ。逃げてしまった先はわかっているから」
「一体何が起きたのでしょうか」
「拠点に帰還する力……魔王候補の能力の一つだよ。使ったのはわざとではないと思うけれど……結果は同じかな。バセットは助からないし、コンラートが戦場を捨てたことには変わらない」
シバはクレリアの手を優しく取って立ち上がらせて説明する。
ただ、クレリアは余り納得した様子ではなく、不満げに眉を寄せていた。
「そんな力があるなんて初耳です」
「言えば直ぐに逃げるようにみんな言うからね。そういうわけにはいかない」
その不満が心配の裏返しだとシバは気付いていたため、彼は素直に「ごめんね」とクレリアの頭を撫でて謝る。彼女の方はまだ怒った顔をしていたが、尻尾はぶんぶん振られていた。
「他の能力と毛並みが違いますが、何故そんな能力があるのでしょうか」
しばらく、彼等は戦争の合間の僅かな平和に浸っていたが、ふと、クレリアがぽつりと漏らす。
魔王候補の力は基本的には集団戦で力を発揮するものが多い。
しかし、この能力は明らかに違う。
首を傾げるクレリアに、シバは笑った。
「魔王は魔王城で勇者を待つものなんじゃないかな」
「なるほど。物語のようですね」
クレリアは過去の読んできた伝承の内容を思い出し、懐かしそうに目を細めた。
人間の勇者は何故か玉座に座る魔王と城の最上階で戦うのだ。
馬鹿らしいと彼女は昔は思ったものだったが……。
「エルバーベルグまで進撃するよ。クレリア。手伝ってね」
「了解です。お任せあれ」
クレリアは優しく取ってくれているシバの手を握り締め、微笑んだ。
そこには敵に向けたものとは違う、本当に暖かい笑みが浮かんでいる。
死の森中央部会戦はバセットの死とコンラートの撤退により決着は付いた。
残されたオーク族に戦意は殆どなく、帝国軍の連携の取れた苛烈な追撃に多くの者が戦死、降伏することになる。
そんな絶望的な状況の中、退却する軍の殿を務めたのは若きハイオークだった。




