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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
四章 決戦の章
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第二十三話 死の森中央部会戦 決着の時 前編




 死の森の一角に、全ての樹木が薙ぎ払われた場所がある。

 その中央で精悍な顔立ちの長身のハイオークの男と氷のように冷たい表情のハイコボルトの女が長時間休むことなく剣を合わせている。



「あの長老が死んだ……だと」

「さて、そろそろ終わりかしら?」



 女は艶やかな茶色の長い髪からひょっこり出ている犬耳をパタパタ動かし、無表情で相手の両手剣と鍔迫り合いをしたまま、目の前のハイオークに問い掛けた。



「お前が死んだら終わるぜ!」



 ハイオークの男、コンラートはふてぶてしく口の端を上げ、強引に押し切ってそれに答える。


 浮いた相手をコンラートは横凪にしたが、相手は地面すれすれまで身体を倒して避け、手を地面に付いて軽々と後ろに飛んで体制を立て直していた。


 相手の犬耳の女性、クレリアの身体は血と埃にまみれ、黒ずんでいたがその眼光の尖さは全く衰えていない。ミスリル銀製の剣を構えているその姿からは余裕すら感じられる。



(こいつ、どうなってやがる?)



 コンラートは目の前の小さな女に名状しがたい不気味さを感じていた。


 彼の魔王候補としての能力は確かにフォルクマールの頃よりも落ちている。部下の数は減っているし、バセットという眷属も抱え、扱えない魔力はそちらに渡している。


 だが、半年前の戦いではフォルクマールは殆どの力を使い切っていたはずだった。

 ならば、今のコンラートと差がそこまであったとは思えない。


 

「どうして俺の動きが読み切れるんだ?」



 両手剣を青眼に構え、じわりと距離を詰めているコンラートは苦い笑みを浮かべながらクレリアに問い掛けた。



「いいの? そんなくだらない質問に貴重な時間を使って」



 煽るようなクレリアの口調にコンラートは舌打ちする。

 彼は圧倒的に不利な戦況やクレリアの小馬鹿にするような口調にでは無く、小首を傾げた仕草の方に何故か無性にイラついていた。



(フォルクマールの野郎め。これが美しいだとか、とんだゲテモノ好きだな。自分が可愛いとでも勘違いしてるただの化物だろう。くそわざとらしい)



 心の中でコンラートは吐き捨てる。



(いや、これが良いのだと思える程に大物だったのか?)



 彼はフォルクマールの魔王候補としての優秀さを認めていたが、女の趣味だけは最悪だと強く思った。



(しかし、底知れない女だ。心を読むのか?)



 クレリアに実力で敵わないとはコンラートは思わない。

 現に身体能力では大幅に勝っている。


 そして、彼は剣の技量には絶対の自信を持っていた。

 例え魔王候補の力が無くともオーク族最強だったベルンハルトに剣技において劣るものでは無いし、帝国の剣聖キジハタを相手にしても負けるとは思っていない。


 動きも変則的なはずだった。

 正式にベルンハルトに教わったことに加え、閃いた応用を加えている。


 だが、どれだけ戦おうともクレリアを倒せない。

 剣だけではなくどんな手を使おうとも見抜かれ、防ぎ切られている。



「構わん。どうせ終わる時は一瞬だ」



 相手に感じる嫌悪を押し殺し、コンラートは笑う。

 フォルクマール相手に苦戦し、追い込まれて相打ちを狙った女を、守備に徹し、逃げ回られているとはいえ、コンラートは苦戦させることすら出来ていない。


 東部で戦った時も彼女は本気では無かったが、ここまで手強い相手だとは彼は考えていなかった。



「言ったでしょうに。本当にフォルクマールより強いつもりなのかと」



 クレリアが僅かに微笑む。

 その笑みが邪悪な何かを連想し、コンラートは嫌そうに顔を歪めた。



「貴方には強さへの執念が無い。己以上の敵を相手に命を賭けたこともない」



 淡々とした相手の指摘にコンラートは僅かに眉を寄せる。



「貴方は戦いをスリルのある遊びだと考えている。だから、本気を出さない」



 彼女の指摘は正しい。

 コンラートは己の飢えを満たすために、相手の本気を引き出した上で勝利を重ねてきていた。


 それは個人戦、集団戦を問わない。

 だからこそ、彼は初めて己に敗北を与えたクレリアの存在を喜び、雪辱のために、フォルクマールすら手を掛けたのだ。


 しかし、本当に自分は本気だったのかとコンラートは自問する。



「何故なら天才だから。考える必要の無い圧倒的な強者だから。私と同じ」



 クレリアの言っている意味が彼には理解出来ない。

 それの何が悪いのか。強ければ良いのではないのか。



「私は人間だった頃も戦場で生きていた。そして、戦場での強い味方や敵というのは殆どが貴方みたいな男なの。所謂、野生の天才。磨かれていない宝石のような剣士」

「つまり……何が言いたい?」

「貴方のように”本気の出し方を知らない男”とは戦い飽きているのよ。もし、私を打倒し得る者がいるとすれば、それは殆ど闘う機会の無い相手。血を吐きながら、執念で生を掴み、剣を磨き上げた凡人。そう、例えばフォルクマールやキジハタのような」



 クスクスと、少女のようにクレリアは楽しげに笑う。



「貴方の剣には懐かしさすら感じるわ。コンラート」



 目の前の相手が化物だとコンラートは改めて思い知っていた。

 オーク族は確かに戦いを好む。


 それは神聖なものであり強敵に対しては敬意を払う。



「貴方は私にとっては一番戦い易い敵なの。だから、確実な勝利を掴む為に私はここにいる」



 コンラートは目の前の怪物のことをようやく少し理解出来ていた。



「私は時間稼ぎの駒」



 艶然と微笑むこの女にとって命のやり取りは、ただ、命のやり取りでしかないのだ。そこには戦いの名誉も誇りも存在していない。

 だからこそ、謀略を用いることを躊躇しないし、手塩を掛けて育て上げた軍の指揮を他者に預けることも出来る。無理をして魔王候補を倒すこともしない。


 彼女はただ、効率的に敵を殺すことしか考えていないのだということを、ようやく彼は知った。



(嫌悪感の元はそれか。しかし、わからん)



 だが、根本的な疑問がまだ解決出来ていない。



「戦場で生きてきた強者であるお前が、何故コボルトに従っている?」

「質問の多い男ね」



 こいつにとっては戦争など無価値だろうとコンラートは今では確信している。

 それなのに誰よりも上手くこなし、自身も命を賭けて戦っている。



(眷属だからではない。なら何の為に? いや、人間のこいつが最後にシバを殺せばこいつが魔王だ。人間が魔物を支配する……人間にとっては悪くない選択か)



 クレリアは少し考えたようだったが、首を縦に振った。

 


「いいわ。教えてあげる。私には崇高な野望があるの」

「そうか。世界でも征服したいのか?」



 半ば真面目にコンラートは返したつもりである。

 しかし、クレリアは吹き出すように笑い、首を横に振った。



「面白い冗談ね。そんなくだらないものに興味はない。人類だってどうなっても構わない」



 笑っているようで無表情。

 狂気の笑み。喉を鳴らす仕草は何処までも不気味。


 コンラートはそう感じる。

 整った美貌と態度がちぐはぐに見えるからだろうか。


 理解出来ないが故に興味が湧いていた。

 目の前の化物が、何を望んで最弱の魔王候補に仕えているのか。



「ふむ、では何の為に?」

「ふふ……私は楽園を作りたいの。私にとっての……ね」

「お前の楽園か……」



 意外な言葉にコンラートは困惑する。

 クレリアを戦争を通してしか見ていない彼からすれば、彼女の言う楽園を想像しても不毛の荒野くらいしか想像することが出来なかった。



「邪神を召喚して世界を破滅でもさせるのか?」



 それでも、コンラートは困惑しつつも考えて絞り出すように答えを返す。

 しかし、彼に返されたのは呆れたような溜息だった。



「そんなことして何が楽しいの?」

「俺にもわからんが、お前の楽園と聞いて想像した」

「貴方の想像力は貧弱ね。私の理想はもっと偉大で素晴らしいものよ」



 一分も自分の道が誤っているとは思っていない。

 貧弱な胸を張るクレリアの表情は確信に満ちている。



「聞かせてもらおう」



 コンラートは自分には永遠に持てないものだと、半ば羨望の念を感じながら、先を促す。彼は本当に彼女の目的に興味が湧いていた。



「ふふ、私の目的はね」



 数年前に敗北した時からの疑問が解消される。コンラートは積年の答えに僅かに緊張し、柄を握る手には汗を掻いていた。そして、大きく唾を飲み込む。

 クレリアは小さな唇を開いた。



「全ての可愛いもふもふ達を、もふもふできる楽園を作ることよ」



 瞬間、コンラートの息が止まった。

 脳が彼女の言葉を拒否し、全身に鳥肌を立たせる。



(何を言った。こいつ。聞き間違えたか?)



 呆然としながらもクレリアに隙だけは見せなかったのは、何とか戦士としての本能だけは働いていたからかもしれない。



(戦争飽きた。もふもふいっぱい撫でたい。平和に仲良く……頭撫でたい。ああ……西部はどんなのがいるのかしら。はぁ、埋もれるのもいいなぁ……)



 まさか大会戦の真っ最中に血塗れでクックック……と不気味な笑い声を上げているクレリアが、頭の中ではこんなことを考えているブッ飛んだ本物だと見抜けるほど、残念ながらコンラートの思考は柔軟ではなかったのである。



「あまりの素晴らしさに声も無いようね」



 フフンと自慢げに鼻を鳴らし、どうだと言うように口の端を上げてクレリアは笑う。

 彼女は人間であった頃はこの趣味を隠し通していた。戦争以外に能がなく、可愛くもない自分には似合わないと思っていたからだ。


 だが、今の彼女を縛るものは無い。

 何故なら眷属となったことにより、背の高い可愛くない女ではなく、背の低い可愛らしい犬耳少女(?)になったのだから。

 客観的にはともかく主観的には。


 彼女的には犬耳が付いた自分は可愛い姿なはずで、そんな少女みたいな趣味があってもとても自然。問題無いのである。



「はは……はははっ……ったく、大物だな。敵わないわけだ」



 当然コンラートはドン引きであった。

 彼は暫く呆然としていたが、剣を構えたまま渇いた笑い声を零すと一歩後ろに後ずさる。



「お前が途方もない狂人だということだけはわかったぜ」

「失敬な。私は大真面目」

「それが狂ってるってんだよ。これだけ殺しておいて何を言ってるんだ」



 戦場にコンラートは視線を向ける。

 周囲の森は荒野へと姿を変え、巻き込まれた戦士達の亡骸が周囲には散らばっている。原型を留めている者の方が少ない。


 中には牽制の為にコンラートが投げつけた者もいるが、クレリアは眉一つ動かさずに迎撃していた。



「女々しいのね。戦場で死者が出るのは当然でしょう」

 


 クレリアは薄ら笑いを浮かべる。

 戦争を背に生きてきた彼女は戦場において本心を見せない技術を習得していた。


 戦場において私情は隙にしかならない。

 人を率いるなら尚更。


 内心はどうあれ、敵にとっては目に見える事実だけが真実であり、クレリアはどう誤解されてもそれでよかったのである。


 言葉への反応をクレリアは待つ。

 コンラートの表情がクレリアを蔑むものに変わった。



(所詮その程度の器。将としては優秀でも、王には向いていない)



 クレリアは嗤う。

 生きている者で彼女の本心を正確に見抜いているのはシバだけである。


 可愛いのは勿論だが仕える相手としても決して間違ったとは思っていない。 



「刺し違えてでもお前だけは殺しておいた方が良さそうだな」

「帝国軍は勝利した。もう無理ね」

「どうかな。舐めるなよ。狂人」



 空気が変わる。

 クレリアも咄嗟に心を戦いに戻した。


 宣言通りコンラートは刺し違える覚悟で彼女を狙っている。

 その証拠に両手剣では不利になりかねない程クレリアに肉薄し、躊躇なく剣を振り切っていた。彼女はそれを半身で回避し、心臓を狙って剣を突く。


 超人的な身のこなしでコンラートは身体をひねり、左手を咄嗟に離してその剣を拳で弾く。そして、流れるようにクレリアの首を掴む。


 しかし、クレリアは屈んでかわし、弾かれた勢いで身体を回転させ、コンラートの腹を蹴って距離を取った。



「おおおおおおおらぁぁぁぁっ!」



 だが、コンラートは必死の形相で追撃する。

 余裕はかなぐり捨て、魔王候補の力を後先を考えずに振り絞って身体強化をしており、全く手段を選んでいない。



「ちっ……」



 崩れた体勢でクレリアは舌打ちする。

 戦況は帝国に有利であり、身体能力の差は縮まっているが、彼女は眷属であるために魔王候補本来の力を殆ど使えない。


 どこか余裕を見せていた戦い方は暴力じみたものへと変化していく。

 初めからそうしていれば勝機もあったろうにと、どこか醒めた思考をしつつ、クレリアは強引に片手で振った剣を冷静に打ち返し、腕を切り落さんと振り下ろす。



「甘いぞっ!」



 その一撃は空いた左でクレリアの剣を持つ手を掴む事で防いだ。そして、掴んだクレリアを地面に力尽くで叩き付け、その軽い身体を振り回し、折れた大木に投げ付ける。


 それだけでは終わらない。

 クレリアが受身を取ることを予測し、着地予想地点に距離を一瞬で詰め、全力で剣を振る。


 しかし、クレリアはそれも読んでおり、牽制のための投げナイフを数本同時に投げていた。


 勢いが付いたままでもナイフをコンラートは反射神経だけで防ぐ。

 クレリアが立て直すにはそれで得られた僅かな時間で十分だった。



「ようやく本性を出したわね。だけど、本気の出し方は下手くそ」

「ほざけ、化け物が。今くびり殺してやる。俺は絶対にお前に勝つ!」



 お互いに痛みでは思考は揺るがない。

 息を吐く合間も無く降り続けられる剣を捌き、反撃し、お互いに新たな傷を創っていく。拳や足を駆使し、瓦礫を投げつけ合う。獣同士の戦いだった。


 コンラートは個人戦において、ハイオークの中でも傑出している。

 自他共に認める天才でもあった。


 だが、それはクレリアも同じ。

 華麗な剣技に殆どの者は惑わされているが、殺すか殺されるか、そんな戦いこそが傭兵に生まれ、騎士として戦争に生きてきた彼女の本領であり、生死をくぐり抜けた経験はコンラートを遥かに上回っていた。



「貴方は強者と命懸けで戦ったことがない」



 時間を稼ぎながら時折、クレリアはコンラートの耳に吹き込む。

 逆上させ、動きを単純なものへと導き、咄嗟に変化させる攻撃は勘で防ぐ。


 クレリアはコンラートを術中に落とし込み、戦況が更に傾くのを待った。

 コンラートが追い詰められ本気になった後も彼女はスタンスを変えなかったのである。



 戦いは続き、二匹の獣が死力を尽くし傷だらけになった時、大きな変化が訪れた。

 既にクレリアの力はコンラートを凌駕しつつあり、どちらも肩で息をしているが、よりコンラートの方に疲労の色は濃い。


 それでも何も無ければ彼はクレリアと戦い続けただろう。



「な……くっ……まさか……」

「シバ様……本当に終わってしまったのね」



 異変を察したコンラートは弾かれるようにクレリアから距離を取ると彼女に背を向け、森の奥へと駆け出していく。



「哀れな男。本当に誰よりもオークらしい」



 クレリアは無機質な声で呟くと、彼を追跡した。





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