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もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
四章 決戦の章
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第十九話 死の森中央部会戦 三つ目の頭 前編



 他の戦場とは違う複雑な地形。

 深い森林地帯ということだけは共通しているが、戦場の中央に水という大きな障害物が横たわっている。死の森中央を横断するハリアー川だ。


 この川は死の森に恵みをもたらすのと同時に、雨季には多くのものの命を奪う。

 そして、今日この日だけは天候に関わらず、命あるものの血液を大量に飲み込もうとしていた。



 死の森北部の攻略を終えたケットシー族の族長であり、北の戦域の司令官を勤めているブルーは今の時期は比較的に緩やかに流れるハリアー川を挟んで、オーク族の長老であるアルトリートの第四軍と睨み合っていた。


 秋にしては生暖かい風が川の上流から吹き付け、木々を揺らしている。

 両軍の間に流れる川はその音を分断し、お互いの陣地の音を消していたが、両軍共に戦意に溢れる軍勢の気配までは隠せていない。



「追撃はしてこない。慎重。流石」



 味方の後退の支援を行いながらブルーは呟く。

 戦況は一進一退。指揮を取る彼の表情は優れない。


 この戦域だけは帝国の戦力が相手を大きく上回っている。

 ブルーはその戦力差を活かして短時間で決着を付けたいと考えていたが、歴戦のハイオークであるアルトリートは川に寄って守備に徹し、耐えきる構えを見せていた。


 地形的には攻撃する側が不利である。

 既に数度の攻撃をアルトリートは防ぎ切り、ブルーは一旦体勢を整え直している。


 神出鬼没のケットシー族も視界の良いハリアー川では動きようがない。

 また、軍が渡河できる箇所は狭く、そこは強固に守られている。



「族長ー。僕達はこういう戦いは向いてない」

「トラ。ケットシー族は弓を持って交代で後退する味方の援護を」

「ういういー。族長、今度再決闘にゃー」



 黄色と黒の斑髪の少年、ハイケットシーのトラはやる気のない返事をブルーに返す。彼を含め、三名のハイケットシー達は北部で遊撃戦を繰り広げたケットシー族『野良猫隊』をまとめているが、お世辞にも戦意は高いとは言えない。


 ただ、この戦いから参加している元々クーンが率いていたコボルト族、ゴブリン族、ケットシー族の練度と士気は帝国軍の中でも有数であり、やる気のない野良猫隊を引きずって闘う形となっている。



「敵は大体300。こちらは450。相手は老練のアルトリート」



 ブルーも野良猫隊と同じようにやる気のない気怠げな雰囲気を漂わせてはいたが、彼自身は攻撃の全てで最前線に立ち、勇敢な戦いぶりで仲間達を奮い立たせていた。



「三つ目の頭。必要かな」



 一時的に川から引き、休息を取りつつブルーは呟く。

 彼は可能であれば小細工無しに相手を打倒できればと考えていた。


 参謀長のハウンドも戦前にブルーにこう語っている。


 一つ目の頭は確実に成功する。

 二つ目の頭は恐らく成功するだろう。

 三つ目の頭が成功するかは誰にもわからない。


 作戦の内容を聞いたブルーはさもありなんと、ハウンドに頷いている。

 三つ目の頭の当事者達は無駄に自信に溢れてはいたが。


 三つ目の頭を発動させるべき状況と合図の遠吠えは決まっていた。

 そして、その実行はブルーの決断に寄るとされている。


 今の状況は条件に当て嵌っている。

 リスクは高い。しかし、決まれば確かに戦況は決まる。



(アルトリートは守備に徹している。軍も完全に掌握していて崩すのは至難)



 ブルーは軍の指揮に置いて、アルトリートに勝ると思うほど自惚れてはいない。

 特に今回のように相手が守りに徹している戦いではケットシー族の長所が完全に殺されている。ブルー自身も得意な戦いは撹乱であり、力攻めではない。


 悩む。

 決断を下すことで、多くの仲間が死ぬ。

 自分も下手をすれば死ぬかもしれない。


 しかし、上手くいけば多くの仲間を救うことが出来る。


 迷った時間は僅かだった。

 仲間を信じる。友を助ける。彼はそう決めたのだ。



(オーク族……いや、コンラートやバセットと僕は違う)



 負ければ全てが失われる。

 全ての種族が言い争うことはあっても、お互いを大事に出来る帝国が。


 不意に彼は理解した。

 何故、戦うのか。友の為だけではない。


 シバがいて、クレリアがいて、ターフェがいる。そして、タマがいた。

 コボルト族、ケットシー族、ゴブリン族、オーク族、そしてその他の多くの部族。


 全ての者が必死に国を作り上げている。

 その表情は楽しそうで……かつては命を賭けて戦ったこともあるのに。

 そんな彼らの日々の生活を見て回るのがブルーは好きだった。



「僕の……僕達の愛する帝国を潰させはしない」



 口に出すと不思議と心に残っていたわだかまりが無くなり、余分な力が抜けていく。

 この瞬間、何故か死んだタマの気持ちが理解出来た気がしたのだ。


 川の向こう側を見詰めるブルーの瞳に、もう挫折感は浮かんでいなかった。



「トラ。レックスとベンガルに伝令。『三つ目の頭』を発動する」



 後退援護を終えたトラにブルーは命令を下す。



「えー……」

「返事」

「ニャー。後でマタタビ酒。全員に」

「浴びるほど飲んでいい」

「オッケー。仕方ない」



 野良猫隊に指示を出し終えるとブルーは伝令のコボルトを呼び、待機させている『三つ目の頭』であるグレーの部隊へ合図の遠吠えをさせた。



 同時期、歴戦のオーク族の老将もまた、対岸に鋭い視線を向けていた。

 戦況は把握しているが、この戦域は容易には動かせない。


 戦意過多な味方の追撃を押さえ込み、守りに徹して被害を抑えているが、伝えられる全体の戦況を聞く限り、それだけでは勝つには足りない。彼は深い苦悩の中にあった。



(私も歳を取ったものだ。無難な手段しか取れぬとは)



 長老であるアルトリートは半年前に比べて白髪と皺が増えてはいたが、威容は衰えていない。その巨躯に無駄な贅肉は一切なく、猛獣を思わせるしなやかさを持っていた。

 一個の戦士としても老齢とは思えない強さを誇っており、ブルーの攻勢の際には彼もまた前線に出て剣を振るい、帝国に損害を与えている。


 若いオーク族の副将であるオーバンとジャックには軽口も叩かせはしない。

 オーク族だけでなく他の種族からも尊敬を集めている彼の存在がそこにあるだけで、率いる軍の戦意は内に押さえ込まれ、空気は引き締まっていた。


 アルトリートを悩ませるのは目の前を流れるハリアー川の存在である。

 半年前の戦いで川の向こうに陣取ったキジハタと戦った際に、アルトリートは渡河攻撃の不利を現実のものとして体験している。


 現在までのところはその経験を活かした守備が功を奏しているが、いつまでも同じ状況が続くとは彼も考えていなかった。



(単純な相手ではない)



 無駄な力攻めを帝国はしない。

 しかも、相手は変幻自在のケットシー達である。


 様々な対策もアルトリートは考案した。

 木を斬り倒して簡易な防御陣を作り、戦域にある狭い渡河地点を順番に徹底的に埋め、扇形の地形の縁の部分に弓兵を集め、守りやすくしている。


 その上で余った戦力を他の戦域に回すことや防御陣の内側に引き込んで相手を削ることも考えていた。


 だが、ケットシー族の族長、ブルーがケットシーとは思えないほどの果敢な攻撃を続けており、それは果たされていない。小細工を用いた瞬間に乱戦に持ち込まれ、数で押し込まれる恐れがあったからだ。



(そして、乱戦になれば奴等の目的は達し易い)



 アルトリートは目を閉じて、大きく息を吐く。

 精悍な顔立ちに僅かに老いによる疲れを滲ませて。



(若者から死んでいく)



 四度目の防戦中にクレメンス戦死の報を受けたアルトリートは疲れきっていた。

 肉体的には若者にも負けてはいない。だが、精神的な疲れだけは隠しようがなかった。既に彼は戦争に高揚を覚えるような歳では彼は無くなっていたのである。


 続く激戦から感じるのは戦争の痛ましさだけ。

 魔王候補が謀殺されても魔王候補がオーク族である以上、アルトリートは長老という立場でオーク族を導かねばならない。



(ハイオークも殆どが死に絶えた。オーク族最高の剣の使い手、ベルンハルトですら死んだ……せめて、お前だけでも生きていてくれたら)



 疲れを率いる者達に見せぬよう戦士の矜持という名の仮面を被り、油断せず敵を睨みながら、彼は幼馴染でもあった亡き親友に想いを馳せる。

 しかし、長い時間それが許される状況ではなかった。



「アルトリート様!」

「どうした。オーバン」

「敵陣に動きが。また攻勢が来ます。今回は数名のバルハーピーが確認されています」

「バルハーピー……か」

「あの飛べない鳥をどう使うつもりでしょうか」

「敵の出方を見る。まずは守備命令を出せ」



 副将からの報告にアルトリートは眉を寄せる。


 バルハーピー族は大きな鳥の部族である。

 黄色い翼を持つ彼等は飛べない代わりに足が早く、力も強い。ただ、武器は持てないため戦いには向いていない。三歩で物を忘れるなど致命的な欠点もある

 だからこそ、帝国では他の種族と組み、補給等の後方支援に付いているはずであった。


 それが最前線であるハリアー川に姿を現している。



「オーバン。あれに囚われるな」

「は。しかし……」



 副将である若いオークリーダーは反論しようとしたが、アルトリートは相手にせずに厳しい表情のまま続ける。



「何があろうと奴らの最終的な目的はただ一つ。老い先短い儂の首だ」

「命に代えてもそんなことはさせません!」



 直立不動の姿勢でオーバンは吠えた。

 そんな情熱を失っていないオークリーダーの必死さにアルトリートは僅かに口元を緩める。



「お前は家族はいるのか?」

「は? 恥ずかしながら、俺……いや、私より強い”つがい”がおります」

「そうか、ならば儂よりも長く生きるべきだな」

「それは……」

「若者は子供を産み、育て、次代の優秀なオークを育てる。そうすれば、オーク族の繁栄は約束される。若いお前やジャックの貴重な経験は次代の礎になるだろう」



 オーバンは己にも他人にも厳しいこの長老らしくない言葉に驚いていた。

 労わるようなその響きが何故か彼には不吉な予感を示唆しているように聞こえ、慌てて否定しようとしたが、アルトリートは笑って首を横に振る。



「心配するな。儂が死ぬのはもっと老いさばらえてからだ。ベルンハルトの分まで若造共を鍛えねばならんからな」



 その慣れない冗談めかした笑顔は謹厳な老将には全く似合ってはいない。

 ただ、オーバンの心には深い何かを残していた。



「今回は敵とこちらで条件は同じ。ハイケットシーの族長を倒せば相手は崩れる」



 不意に空気が変化した。

 それをアルトリートは敏感に察する。



「オーバン。全軍に伝令。敵は全力で落としに来る。死守しろと」

「了解! 腕が鳴ります。何、ケチケチせずに敵を全滅させてやればいいのです!」



 若い副将は嬉しそうに笑い、持ち場へと戻っていく。

 アルトリートはそんな彼に頷くことしか出来なかった。



 クレメンスの死は北部の戦域にも大きな影響を与えていた。

 オーク族はモフモフ帝国の第二の頭による攻撃により、大打撃を受けていたがルーベンスの機転により、致命傷だけは避けている。


 それにより戦線は膠着状態に陥ってしまい、両者決め手が無いまま戦局は泥沼の消耗戦へと転がろうとしていた。


 参謀長ハウンドはその状況に陥る危険をも事前に計算に入れており、益のない消耗戦を避け、決着を付ける為に第三の頭を元より準備していたのである。


 しかし、クレリアと共に戦った経験を持つバルハーピーの少女、コリンから持ち込まれた提案を取り入れたその作戦は、作戦を計画したハウンド、決行を判断するブルー、そして実際に実行するグレーに取っても、結果がどう動くかまるで予測出来ない、有効かどうかすら判断出来ない賭けに近い作戦であった……。



 こうして、死の森中央部会戦は最大の転換点を迎える。



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