表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
もふもふ帝国犬国紀  作者: 鵜 一文字
四章 決戦の章
111/138

第十五話 死の森中央部会戦 二つ目の頭 後編




 戦況は時間と共に悪化していた。


 軍を預かるシルキーは、エーゴン、スフィンの後退を成功させて潰走だけは免れていたが、オーク族の援軍の指揮官ディートル、そして、第一軍をまとめ直しながら、危険なタイミングにはディートルの手助けをするビジョンの息の合った連携に後手に回らされ続けている。



(戦力差は無いのに……まずいわね……)



 シルキーは焦りを押し隠しながら指揮を取っていた。

 時間が経てば無力化したオーク族第一軍も戦力として復帰するだろう。そうなれば敵の戦力は倍近くになり、相当厳しい戦いになる。


 だが、時間は必ずしも敵の味方というわけでもない。

 十数分前に、後方で合図代わりの低く、重い爆発音が轟いたからである。



「どちらが早いか……私があいつを心待ちにする日が来るなんてね」



 まるで恋人を待っているようだと自嘲する。



(いたことないけど……)



 スフィンとエーゴンにも爆発音の意味は伝えてあった。彼らも時間を稼ぐために頑張ってくれるだろう。独りで戦っているわけではない。それが絶望に染まりそうになるシルキーを支えている。


 戻っても逆転できるかはわからないのに。

 戦力差は殆ど変わらないのだから、無理なのではないかとも思う。少なくとも彼女には逆転の方法は思いつかない。


 それでもシルキーは待っていた。

 スフィンとエーゴンも。作戦が失敗したとは欠片も考えていない。



「シルキー様。敵の第一軍が……」

「徐々に後退しながら耐えるのよ。最終後退地点は第三防衛線」



 反撃は苛烈に行なっているが、押され続けている。

 事前に用意していた防衛線も第三防衛線まで退けば、後に残されているのは最後の防衛線だけだ。そこも破られれば潰走するしかない。



(まずい!)



 シルキーの息が止まる。

 奇策を用心し、隙のない平押しで攻勢を仕掛けてきていた敵が、立て直した第一軍の加勢を得て、帝国軍に止めを刺すべく楔形に陣の形を変えた。


 中央を突破し、包囲する意図なのは明らかだったが、止めるすべが思い浮かばない。



「全軍、左右に展開。中央は空けろ」



 遠吠えに載せて力強い命令が全軍に降る。



「本当、遅いんだから……信じていたわよ。ハウンド」



 命令通りに戦士達を動かしながら、シルキーはようやく笑みを浮かべ、安堵の息を吐いた。後は彼の指示に従えばいい。こと局地戦で彼に勝てる者などいないのだから。



「遅れてきた主役。にゃー」

「本当にクレメンスを倒せたんですかね?」



 あちこちがボロボロの姿になっているケットシー達が込み上げる嬉しさで口を綻ばせる。

 ケットシーリーダーのスフィンとその部下達の瞳には力が戻っていた。



「あいつ、やりやがったか。流石はあのタマの後継者だな」



 常に最前線で敵を防ぎ続けているエーゴンも、最大級の賞賛をハウンドに対して送る。

 傷だらけのオーク達も歓声を上げ、自分達の指揮官への信頼を深めていた。



「なんだ……何があった?」

「動き、変わった。生き返った?」



 状況の変化を感じていたのは、今まさに止めを刺そうとしていたオーク族の指揮官、ディートルとビジョンも同じである。

 彼等は迅速な敵の行動と、余りにも薄い相手の抵抗に違和感を覚えていた。


 明らかに敵の士気は上がっている。なのに手応えはない。



「新手か…………罠だ。止まれ! 後退だ!」

「コボルト弓隊。後退の援護」



 敵の僅かな数の援軍に対するディートルの判断は戦士としての本能、勘に近いものだったが、結果としてそれは彼等の命を救うものとなった。



「全軍、突出した軍を攻撃」



 強力な魔法による遠距離の砲撃がオーク族の先陣に命中する。

 魔法は轟音と共に複数のゴブリンを吹き飛ばし、動揺したオーク族の軍に三方向から帝国の戦士達が突っ込んでいった。



「おいおい、嘘だろ……何で奴らが帝国に……やべえ。ビジョン!」

「わかっている」



 ディートルが三方向からの攻撃を受け懸命に耐えている間に、軍の一部を抜き出してビジョンは後退し、帝国軍の左翼に攻撃を集中させる。

 その攻撃は左翼を担当するスフィンの部隊を僅かに乱し、その間にディートルの本隊は体勢を立て直すことにかろうじて成功した。



「ディートル。あの声はハウンド」

「ああ、間違いない……ゴブラーでヤりあった、くそったれな『樹木の亡霊』だ。あれだけの攻撃をしておいて、もう軍を整えてやがる。どうなってんだ……あいつ強くなってないか?」



 いつも無感情なビジョンが僅かに動揺して、戦友のオークリーダーに呟く。

 ディートルも鳥肌が立つような恐るべき敵に渇いた笑みを漏らすことしか出来ない。



「しかも敵にエルキー族が混ざってやがる……次、来るぞ」

「クレメンスは……」

「死んだな。だが、あいつの判断も間違いなく正しかった」



 離れていたはずなのに戦況を即座に掴み、的確な攻撃で打撃を与え、隙も見せない。

 しかも、存在しているだけで戦士の士気を上げる程に認められた指揮官。


 この戦争全体の図面を引くほどの智謀を持ち、クレメンスを少数で謀殺するほどの勇気も持ち合わせた恐るべき戦士。


 最弱であるコボルト族から生まれた、オーク族にとっての最強の敵。



「こいつは本当の化け物だ。手強すぎる。恨むぜ、クレメンス」

「同意。ちゃんと殺せ」



 戦士の数では未だに勝っていたが、ディートルは短期的な勝利を諦め、消耗戦に持ち込むことを選んでいた。無理に倒しに行こうとすれば、隙を突かれることが目に見えていたからである。


 敵将ハウンドが生きている以上、オーク族の中でも有数の勇者と名高いクレメンス生存は絶望的であり、それは徐々にオーク族に浸透している。

 粗暴であったが勇猛だったクレメンスの存在は、第一軍にとっては精神的にも支柱となる存在であり、士気の低下は避けようがなかった。


 そして帝国側はハウンドが戻ったことで生気を取り戻し、戦意も高い。


 ディートルとビジョンは敵味方の覆りようの無い士気の差に気付いており、数だけではどうにもならない差が既についていることを認めざるを得なかった。

 しかし、潰走すれば全戦線の敗北に繋がる以上、彼等には被害を可能な限り抑え、守りを固める選択肢しか残っていない。

 期せずして戦線を預かることになった両名は最悪の事態だけは防ぐため、守備に徹することに決めていた。



「ごほっ! ぜぇ……ぜぇ……て、敵も中々……がはっ……出来る奴が……ごほごほっ……!」

「最後まで決まらない男ね……」

「いや、本当に……もう、はぁ……はぁ……走りたくない……」



 合流したハウンドの姿を見つけたシルキーの表情は、歓喜の色から呆れの色へと劇的に変化していた。ただ、彼女の頬は緩んでいる。

 ハウンドの顔色は真っ青でまともに呼吸も出来ていない。軍用の革鎧はボロボロで、何時も几帳面に整えている毛並みは所々ほつれている。



「ほら、尻尾。焦げて酷いことになっているわよ」



 指揮を返還して、気楽になったシルキーは彼のトレードマークでもある整えられた尻尾を手櫛で元に戻してあげていた。

 全力で駆けて来たのだろう。それはシルキーの為というよりは、軍に対する真摯な責任感であったが、それは彼女自身には無い好ましい性質のものだった。

 ハウンドは自分と違い、純粋な戦士なのだと彼女は思う。



「貴方の指揮に皆が従うのだから、格好悪いところは見せては駄目よ」

「ふぅ…………わかっている」



 大きく深呼吸をして息を整えると、ハウンドは大きく頷いた。

 決意と自信に満ちた、彼に全てを託した男を彷彿とさせる顔で。




 用心深いクレメンスを如何に確実に仕留めるか。

 それが、この戦争においてハウンドが最も悩んだ点だった。


 多少の罠や伏兵くらいなら実力で排除できる力をクレメンスは持っている。

 彼を良く知るカロリーネは、クレメンスを『蛇のような男』と評しており、その恐るべき執念は生半可な抵抗などあっさりと乗り越えるだろうと予測していた。


 オッターハウンド要塞の固定弩に寄る集中射撃ですら、クレメンス相手には不足だと悩むハウンドに、救いの手は意外な相手から差し伸べられることになる。


 エルキー族、コーラル指揮の義勇軍の参戦である。


 元々、エルキー族は前回の戦争においては傍観の姿勢を取っていた。

 モフモフ帝国側も自らの国を、自らの手で護ることが出来るのだと対外に示すために、助けを望むことはなかった。


 しかし、彼等の手足となって、細やかに働いているコボルト族の執事、メイド達は母国の危機に対し、無関心ではいられなかったのである。

 結果、殆どのコボルトが己の主人に泣きつき、暇を請う結果になった。


 困ったのはエルキー族である。

 コボルトのいる便利な生活に慣れきった彼等は、もふもふ帝国に完全に移住したターフェの力を借り、今回の戦争は確実に勝利するからとコボルト達を説得した。


 しかし、確かに帝国は防衛に成功したが、結果は凄惨なものであった。

 エルキー領のコボルト達は戦争の推移を知るや、心を痛めていたが努めてそれを主人達には見せなかった。


 彼等は嘘が下手だったが。


 そして起こった今回の戦争である。

 帝国を危険視する意見も上がったが、若いエルキー族を中心に帝国に協力するべきという意見も強力に主張された。それは前回の戦争時にはなかったことである。



『今度は止めることは出来ない』



 臆病でありながら、責任感の強いコボルト族。

 従順であり、穏やかな彼等はプライドの高いエルキー族にも受け入れられていた。


 エルキー族の長老達は葛藤していた。

 中立を守りたい。だが、そうすれば彼らに仕えるコボルト達はエルキー族を見限って、命を賭けた戦争に身を投げるだろう。


 エルキー族の誇りはそれを許すことが出来なかった。

 だが、寿命が長く出生率の低いエルキー族の若者達を、出来うる限り戦争には出したくない。


 その心理を利用して、元エルキー族の長老会議の一員であるターフェは一通の書状を長老会議に送付する。



『次の戦争はリスク無く帝国に恩を売る最大最後の機会である。この機を逃せばエルキー族は帝国派と中立派に分裂して相争うことになり、最終的には圧倒的な帝国に飲み込まれることになる。しかし、この戦争に非公式に、希望者のみでも戦争への参加を許せば、帝国に対して恩も売れ、実際の戦争を体験させることも出来、エルキー族の中立も保たれる。私もそのために力を尽くして働くだろう』



 エルキー族の会議は紛糾したが、結果としてこの案を認めることになる。


 前回の戦争においても内心、忠実なコボルトの願いを叶えてやりたかった若いエルキー達の鬱屈は相当なものがあり、特に女性達は長老達に反旗を翻す勢いだった為である。


 コーラルは25名と想像以上に集まったエルキー族の若手を選抜し、最も優秀な8名を選んだ。彼等は自らに仕えるコボルト達を率いて参戦し、非公式のエルキー族の援軍として活動する他、帝国の戦術を学ぶ役割も担っている。


 こうして集まったエルキー族の義勇兵を、ハウンドは彼等の危険やプライドに配慮しつつ、最大限に活用した。


 考案していた罠や伏兵はクレメンスの戦力を削ることに専念させ、ギリギリの状況まで追い込むことで彼の判断力を削っていく。


 後はエルキー族が待機する場所まで駆けるだけでいい。

 コーラル指揮する複数名のエルキー族による魔法の予測砲撃は、クレメンスの執念を身体ごとこの世界から消滅させたのである。



 ハウンド率いる帝国軍とオーク族第一軍の戦いは、大きな戦況変化が両者に何度も起きた激しい戦場であった。


 ハイオーク、クレメンスは帝国軍参謀長、ハウンドを狙うことで敵軍全体の動きを止め、優位に運ぶことを狙ったが、帝国のオーク族による決死隊の働きと、臨時の指揮官として采を振るったシルキーにより、帝国軍はオーク族第一軍への逆撃に成功する。


 潰走寸前になったオーク族第一軍を救ったのは、主戦場南部でクーンと闘っているルーベンスの副将、オークリーダー、ディートルとコボルトリーダー、ビジョンだった。


 止めを刺そうとして出来たシルキーの隙を突いて彼等は攻勢を仕掛け、今度は逆に帝国が潰走の危機に陥った。だが、シルキーはエーゴン、スフィン等と共にギリギリのところで踏み止まることに成功する。


 ビジョンが副将二名を失った第一軍を立て直し、帝国の軍を倒そうと動いた時には全ては手遅れになっていた。

 十数名のゴブリンとハイオーク、クレメンスを罠と伏兵で、完膚なきまでに打ち破ったハウンドが、伏兵として利用した軍と義勇兵として参戦したエルキー達を率いて戦場に戻ったのである。


 クレメンスの死と中立を貫いていたエルキー族の参戦という大きな衝撃は、著しくオーク族の軍の士気を低下させた。


 結果、数では勝っているにも関わらず、軍を率いるディートルとビジョンは時間稼ぎしか出来ずに後退を続けることになる。



 『ケルベロス』二つ目の頭はオーク族第一軍の懐を大きく抉った。

 それは致命傷に近い傷となり、南東部の戦線を崩壊寸前に追い込んだのである。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ