第四話 始まりの鐘は相手に響かず
オーク族の軍で若きハイオークが挫折から這い上がろうとしていたように、モフモフ帝国にも挫折を感じ、苦悩している者がいた。
空色の髪に猫の耳、どこか望洋とした雰囲気。
少年にしか見えない姿を持つケットシー族の族長であるブルーは深い闇の中で、敗北感に打ち勝つべく足掻いている。
ブルーは魔王候補に選ばれる前からのシバの親友であり、盟友だった。
似ているようでまるで違うケットシーとコボルトという種族など関係なく、垣根を越えて信頼しあっている。ブルーはこれまでそう考えていた。
「……」
漆黒の闇の中、ブルーがゆっくりと手を上げる。音はない。虫の声すらも。
多くの気配だけがそこにはある。
(だけど違った)
手振りで部下達に指示を出しながらも、彼は未だに悩んでいた。
ケットシー族は元来、束縛を嫌う孤高の存在であって支配に興味がない。それは魔王候補であるブルーも例外ではなかった。
友であるシバが煩わしい地位を捨てることを望んでさえいた。
しかし、自分が見落としていたシバの性格……若き族長としての一族への責任感はシバに魔王候補という地位に対しても真摯な態度を取らせてしまい、結果的にそのことがコボルト族に悲劇をもたらす事になる。
その時、ブルーは元々闘う気のないケットシー族を掌握することができず、個人としての彼が助けることが出来たのはかろうじてシバだけであった。
当時、シバの婚約者であったバセットの裏切りをブルーは全く見抜けず、逆に彼女に利用されてしまい、シバにとって大切な両親を含む全てを失わせる結果になってしまっている。
そのシバが命を奇跡的に繋げたのも、通りすがりのクレリアが暴れたせいだと後にブルーは知った。己の怠慢が友から全てを失わせたのであり、友自身も助けることは出来ていない。彼はそんな後悔を抱いていた。
その時の後悔を払拭するべく、彼はケットシー族に向いたやり方でオーク族との戦争を始めた。だが、時は既に遅く、ゴブリン族を飲み込んだオーク族はケットシー族をも追い込んでいく。
タマは徐々に状況が悪化していく中で自分を狙う刺客として現れた。
彼はケットシー族の子供を人質に取ることでブルーを誘き出した。誘拐した子供は大事に扱っており、怪我一つ負わしてはいない。動きの素早い自分を捕らえるためだけにそんな手段を取ったのである。
タマには他に方法は無かったはずだった。
限られた戦力しかなく、動きは鈍い。部下は無駄死にさせたくないというのがタマの口癖だった。彼は自分の言葉通りにやっただけのことだ。
理性では分かっても、ブルーはタマを許すことが出来なかった。
あるいはどこまでも単純なタマの在り方に嫉妬していたのかもしれないと今は思う。
そして、あの第一次オッターハウンド戦役。
タマは常に最も危険な場所で戦い抜き、シバを本当の意味で助けるために、躊躇うことなく身代わりになった。
その時のタマの曇りのない笑顔は、ブルーには忘れられない。
一方のブルーはあの地獄で心が一瞬折れ、情けないことに他者を殺さないと誓いを立てているターフェによって助けられてしまった。彼女は何も言わないが、大きすぎる借りを作ってしまっている。
戦争が終わった後、彼は苦しんだ。
ケットシー族の中には、第一次オッターハウンド戦役での不甲斐なさから、ブルーを飼い猫になったと非難する者もいた。
タマはもういない。だが、自分は生きている。
ケットシー族全体への恩義を返せるだけの力量を持っていることを示す機会は自分にはまだ残されている。ターフェへの借りを返す機会も。
それ以上に男として、ブルーは友情に応えたかった。
「開始」
口の中だけで呟き、腕を振り下ろす。ケットシー族は基本的には夜行性であり、闇夜の中でもある程度は見通すことが出来る。
森の中の草々が、まるで強風に揺られるかのように大きく揺れる。
同時に巨大な集落の中へ、無数の影が侵入していった。
侵入したのは総勢百五十名。全てケットシー族である。
戦争後の半年間、族長であるブルーは非難したハイケットシー達を実力で黙らせ、戦わずに各地に散らばっていたケットシー族を指揮下に置いていた。
集団戦が苦手でまともには戦わないケットシー族だが、その能力を活かす方法は幾らでもある。
代表的なのは諜報と奇襲である。
そのうち諜報は完全に『隠密』ヨークに任せた。
この分野においてブルーはヨークに劣っているとは思ってはいない。得る情報の種類は違うがその役目は全うしていると彼は思っている。
ただ、ケットシー族の諜報の役割はこの戦争においては終わっていると彼は判断していた。
「コボルトの遠吠えは封じるように」
叩きのめされたことで忠誠を誓い直した三名のハイケットシーにブルーは指示を出す。
ブルーは今、手の空いたケットシー族の中から戦闘に向いた者を率いて、夜襲を仕掛けていた。この場で戦っているケットシー族達非正規軍以外……モフモフ帝国正規軍は、既に別の場所を進軍している。
本来、この役割を参謀であるハウンドは、長い間北部でゲリラ戦を続けてきたクーンに任せるつもりだった。だが、ブルーはハウンドを説き伏せ、彼女から役目を半ば強引に奪っている。
ブルーは今度こそ全ての力を出し切る決意をしていた。
その為には手段は選ばない。
ブルーもまた、集落へと侵入していく。
地図は頭に入っていた。
闇の中をブルーは駆ける。
音も無く始まった戦闘は集落内に大混乱を呼び起こし、同士討ちすら始まっている。
(ここが狙われるのはオーク族にとって予想外か)
内心でハウンドの智謀と発想の柔軟さににブルーは舌を巻く。ハウンドはブルーが集められるケットシーの数を聞くと、直ぐに作戦計画を練り直していた。
そして、現場での作戦をブルーと検討している。コボルトらしい勤勉さだった。
ブルーは息を潜めた。
一際大きな建物の影で、ブルーはジッと待つ。
建物の本来の主はいない。彼女は今、オーク族の本隊に合流している。
大きな影がブルーが待ち構える建物に映る。
「悪い」
指揮官だけは降伏をさせることは出来なかった。被害を最小に抑えるためにも。
ブルーは混乱を収集するべく現れたオークリーダーを一撃で刺し殺していた。
「トラ、全員に連絡。指揮官は討った。コボルトを全員捕縛次第、敵に降伏の勧告を」
「ういうい、わかったー族長ー……あ」
「どうした?」
「絶対に降伏しないってのがコボルトにもオークにもいるんだけど?」
「反抗的なオークは集落から追い出す。コボルトは遠吠えを防げば後は放って構わない。彼等はこの戦争後にきっと必要になる」
「ういうい」
気の入らない返事をすると、くすんだ黄色と黒の斑ら髪のハイケットシー、トラは闇に姿を消す。
事前に把握していたコボルトを全て無力化すると、ブルーは臨時の指揮官であるトラを通じて全住民に降伏を勧告。集落は陥落した。ケットシー族の被害は少ない。集落に戦える者が殆どいなかったのが原因である。
「みんなご苦労様。死の森北部最大の集落、ベリーダムゼルは陥ちた。次はハノーア。戦士達はグレーと一緒に既に向かっている。僕達も急ぐよ。時間は限られてる」
「「ニャー!」」
本当に本心から降伏した者がどれだけいるのかブルーにはわからなかった。だが、それは仕方がない。僅かでも、仲間が増えることで力を増していくシバの助けになればいいのだ。
第二次オッターハウンド戦役の真の始まりの鐘はケットシー族によって鳴らされた。ただ、予想外のその音はオーク族が集結しつつあるガベソンまでは響いていない。
ブルー達モフモフ帝国軍別働隊は大きな障害に合うこともなく、順調に進軍していた。