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ACT.1 「学問都市」




       act.1 学問都市


 


            1


 


 いわゆるベタ凪と言われる状態だ。


 遙か中心で輝く太陽は、雲にも浮島にも遮られずに、甲板へさんさんと降り注いでいる。


 区分としては中型船に相当するその船は、船体がやや丸みを帯びている為に、同級の雲上船に比べると甲板がやや狭い。


 見渡す限りの白色の海には、他の船や島の姿はない。白色にも関わらず光を反射しない海に今は波もなく、まるで内海のように穏やかだ。


「ぬぅああぁぁ〜〜っと……」


 甲板の端にリクライニングチェアを引っ張り出し、釣り糸を垂らしつつ寝転がっている少年が、猫のように思い切り伸びをした。


 その顔には日差し避けの麦わら帽子が乗っかっており、その表情は見えないが、あまり真面目に釣りをしているわけではないようだ。


 ノースリーブのシャツから伸びた小麦色の手が、麦わら帽子を頭の上に乗せかえる。


 現れた容貌は、十代半ばから後半くらいの、あごの細い、緑色の瞳が魅力的な顔立ち。だが、今は眠気を押さえているせいか、ややふやけた表情だ。


 黒髪の細いお下げが一本、肩口で跳ねている。


「いい天気だな」


 風が弱いせいで少し暑い。麦わら帽子を押さえて、少年は空を見上げた。


 不意に軽い金属音が聞こえたと思うと、甲板の床の一部がパカンと音を立てて跳ね上がった。


「また下手の横好きですか」


 そこから顔を出したのは、少年とは対照的な癖毛の金髪を綺麗に撫でつけた眼鏡の青年だ。二十代半ばで色白、エッジの効いた容貌を、眼鏡奥のアイスブルーの瞳が引き立てている。


「下手とか言うんじゃねぇよ」


「そういうことは、一度でも獲物を食卓に提供してから言って下さい。昼食の時間ですよ」


「はいよ」


 少し冷たいとも言える青年の口調にも、大して頓着したところがないのをみると、仲が悪いのではなく、単にいつものことなのだろう。


 ひょいと竿を振って糸をあげ手際よく巻き取り、竿をテキパキと手慣れた早さで片付けて、リクライニングチェアも折りたたみ、あっという間に青年が顔を出していた穴から艦内に消えてしまった。


 誰もいなくなった甲板。


 薄いメタルブルーの全長五十メートルの船体。細い船尾。左右舳先寄りに流線型の推進装置を二つ備え、二等辺三角形のシルエットの底辺に当たる舳先には、鎧を着込んだような姿の、身長にすれは十メートル位になるだろう、女性のフィギアヘッド。  


 燻された銀色の姿は、陽光を反射して鈍く輝く。


 雲海の船乗りに知らぬ者のない、もっとも名の知られた船を象徴する姿。


 雲海の乙女号(ウンディーネ)


 海は今日も晴れている。


 


 五メートル四方の部屋の真ん中には樹脂製のテーブルが床に固定されていて、その上には、物資不足が常の船内生活だというのに、種類が多くしっかりとした料理が並んでいる。ついでに言えば、アルコールの類は一切ない。


 卓を囲み、それぞれに食前の感謝を捧げてから食事を開始したのは、総勢六名。


「さて、全員食べながらでいいから聞いてくれ」


 薄茶色の冷たい茶で唇を湿らせて注意を促したのは、上座の船長ラキッズ・ロウ。


 もみあげから繋がり、顔の半分を覆う髭のせいでやや老けて見えるが、目元をみれば見かけより若いのがわかる。やや乱れた線の古傷が、右の額からあご近くまで走っている。


 ラキッズの言葉に手を止めたのは三人。残りの二人、色黒の少年と色白の少女も、手は動いたままだが、視線はしっかりとラキッズを見ている。


「一月ほど前に話した遺跡の件は覚えているか?」


「連邦軍のネットワークに上がっていた情報ですね」


 金髪の青年ピースが眼鏡の位置を直しながら確認する。


「そうだ。フィーからの報告で、情報レベルが上がっているものが一件あるそうだ」


 一同の視線がラキッズの左正面、見事なブロンドを結い上げた女に集まる。


 歳は二十代前半。眼鏡型の多機能・多目的ディスプレイをかけたフィーは、芸術家の手による彫像のように整った容貌に、柔らかい微笑を浮かべて頷いた。


「詳しく調べたところ、機密レベルが一気に三レベルも上がっていました」


「ふむ、当たりかの」


 こんがりと焦げたような褐色の顔に、白いものの混じり始めた髭を生やした初老の男、メカニックのドムギルが顎を撫でる。


「場所は太白海西の大岩礁地帯だっけ。百年前くらいまで、船の墓場とか言われてた辺りだろ?」


「おや、珍しい。ちゃんと覚えていたのですね。ついでにいえば、いまだに新種の生物が大量に発見される海域で『メルティング・ポット』と学者には言われていますね」


「あ、それこの前のネットスクールで聞いたわ」


 ピースの皮肉に、じろりと一瞥をくれるお下げの少年レオクレス・トミナンガと同じ勢いで食事をしていた少女が、ふと手を止めて言った。


「おや? その辺りはハイスクールレベルの初等でやるところだと思いましたが」


「この間、昇級試験にパスしてスキップしたの!」


 嬉しそうに、発展途上の薄い胸を張る少女はセシリー・ロウ。名前の通りラッキズの一人娘で、当年とって十二歳。緩やかなウェーブのかかったプラチナブロンドを、頭の両脇でまとめて垂らしている。やや子供っぽい髪型だが、快活そうなセシリーにはよく似合っている。


「すごいですね。本来なら、ハイスクールに通っていなくてはいけない歳だというのに、暇さえあれば釣り糸を垂らして居眠りしてる誰かさんと大違いです」


「スクールで習えることなんて、たかが知れてるんだよ」


「そういうことを言えるのは、多少でもまともにスクールで学んだ人間だけだと思いますよ」


「話を戻すが」


 放っておくと話が進まないと判断して、ラキッズが威厳はあっても強引さがない声で空気を変える。


「今現在の警備レベルはD5。周辺海域に踏み込んだ所属不明の船舶に対して、警告なしで武力行使を許可するだけの高さだ。まあ、トレジャー・ネットに情報提供がされてない状態だからな。現場レベルであまり強引なことはしてこないと思うが……」


 雲海航行者組合が運営管理するトレジャーネットは、雲海の情報を広く収集管理し、整理・公開を行っている最大の情報発信源である。


 三大国を初めとする国の公的機関から個人まで、広く情報提供・取得がなされており、ものによっては情報の確度に大きな差はあるものの、概ね信頼性は高い。


 また、情報提供されることによって、その情報が生む利潤の優先性は、雲海最大の商業団体である組合により保証され、有償ではあるが組合からのバックアップも受けられる。


 このネットワークに情報を上げるメリットは総じて高いが、例外ももちろんある。


 「遺跡」と呼ばれる、一連の施設跡。この「世界」に移民してきた第一世代の人間たちが築いたものと言われているが、そこで見つかるものは、技術・情報あるいは何らかのアイテムにいたるまで、現在の技術レベルを遙かに超えるものが多々存在する。


 それらは例えば、利用の仕方によっては、国家レベルで他国に対する軍事的アドバンテージに繋がりうる。


 ゆえに、すべての情報がすべからくトレジャーネットに上がるという保証はない。特にバックアップを必要としない大集団であれば尚更だ。


「ま、そういうことなら、こっちがちょっかいかけても問題ないってことだよな」


 レオが尖った犬歯を剥き出して笑う。


 組合は情報レベルでの抜け駆けを、暗黙の了解ではあるが大変に嫌う。


 また、三大国であったとしても、世界の商業・流通に大きな影響力を持つ組合とは事を構えたくない。逆もまたしかりである。


 結果妥協点として「現場レベルでの小競り合いに関しては、余程の事がない限りお互いに目をつむる」という、これもまた世界規模の暗黙の了解がある。


 大戦が終息して十年と少し。世界情勢は未だ混沌を残し、組合も発足から僅か十年。盤石であるとも言えない。


 簡単に言えば、グレーゾーンはある程度自由にやってよし、ということである。もちろん何があっても自己責任ではあるが。


 つまり、軍が遺跡の情報を秘匿する限り、こちらがその遺跡を狙っても文句は出ない。


「ただ、直接乗り込むには、警備の戦力や周辺海域の情報が少なすぎますね。多少なりとも情報収集をした方が良いかと思います」


「そこでだ」


 フィーの言葉を継いで、ラキッズがもう一度テーブルを見回す。


「仕事を一つ受けた」


「仕事?」


「ああ。依頼主は環太白海学問都市大学研究部。依頼内容は、メルティングポットでの生態調査、及びサンプルの収集」


「なるほど」


 それだけで、全員が納得する。


 レベル5の無差別攻撃対象は、目的不明の船舶である。学術調査であれば専用の船舶認識コードを使用できる。学問都市の学術調査ともなれば、これを間違って攻撃した場合、かなり広い範囲で世論の反発を招くことになるし、揉み消しも困難。


 となれば、少なくともいきなり攻撃されることは避けられるし、むしろ向こうから接触を避けてくれるだろう。こそこそと事を行いたいのは向こうである。


 いわゆる硬い筋からの依頼には信用や実績は必須であるが、ウンディーネは何度か学問都市からの依頼をこなしているので、問題はない。


「本日一四:00(ヒトヨンマルマル)より、学問都市に向けて出航。ローテーションはB。以上だ」


「「アイアイ・キャプテン」」


 個性の強そうな面々ではあるが、ラキッズの宣言に一糸の乱れもなく応じる。


 航海が始まるのだ。


 


 環太白海学問都市。


 世界中で最も歴史の古い二大学府の一つ。


 太白海の西、大岩礁地帯から北東に1000キロ。環状列島の中で最も大きい外周140キロの島に存在する、総合学府。


 組合と同じく、世界的な立場としては中立を標榜している団体だが、組合と違い一千年の歴史を持ち、栄枯盛衰を繰り返す国家群と比べても、その歴史の古さは群を抜いている。


 だが、中立を標榜しながら、先の大戦では軍事転用可能な技術の数々を各国に流出させており、それに対する責任を追及する一派と、中立的立場を守る為に必要な処置だったとする擁護派の間に起こった学内論争は未だ継続中である。


 主に恩恵を受けた大国は、それらに対しては傍観を貫いているし、学園側も戦後は組合との関係を深めている為、多少国力のある国でも迂闊に手は出せなくなっている。


 少なくとも、今のところは世界の中でも平和で、人の入出に関してはかなり自由な場所の一つと言える。


「こちら『雲海の乙女』。貴港への入港を許可願います」


『はいよ、船舶コード確認。入港を許可します。ようこそ、学問都市へ!』


 フィーが開いた入港申請の通信画面に出てきたのは、オペレーターをするには随分と年齢と貫禄が入った髭の男だった。


「あら? なぜ港湾責任者さんがオペレーターなどしてるのですか?」


『いや、五階の喫煙所で一服してたら、見覚えのある別嬪(べつぴん)さんの姿が見えたんでな。もう一人の別嬪さんに挨拶しとこうと思って、走って降りてきたよ』


「お世辞として受け取っておきますわ。まだまだお元気ですね」


『お世辞なんて言わんよ。一度だけでもディナーに付き合ってくれれば、お世辞などでは無いことをいくらでも証明できると言うのに!』


「前向きに検討させていただきますわ」


『うむ、よろしく頼む。ラキッズの奴にも、暇ができたらたまには酒の付き合い位してくれ、と伝えておいてくれ』


 くすりと笑って、フィーは頷いた。


「ええ、伝えておきます。それでは」


 見るからに優雅な仕草でコンパネを走査すると、通信画面がブラックアウトして、様々な数値の類が表示された画面に切り替わる。


「奴も元気そうだな」


 ラキッズが軍にいた頃、補給部隊の実働責任者だった男の顔を思い出し、笑いを含む。


「あの方が不死身の巨鯨(アンデツドホエール)ですか。こんなところにも大戦の英雄がいるのですね」


 大戦終了後の軍に在籍していた経験のあるピースは、感慨深げに呟いた。


 大戦時に、地獄の底だろうと物資を届けると噂された男の異名だ。撃墜スコアこそ公式には無いものの、敵国人でもその名前を知っている凄腕の一人。


 その言葉が耳に届いたか、ラキッズが物言いたげな視線を向ける。


 すぐにそれに気づいたピースは、口元を押さえてラキッズに頭を下げ、それを見たラキッズもすぐに視線を前に戻した。


「艦内放送。一0:00(ヒトマルマルマル)入港、以後は自由行動。以上」


 艦内放送のスイッチを入れて、ラキッズは短く通達する。


 今ブリッジにいるのは、ラキッズとフィー、それにサブオペレーター席にピース。


 その他のメンツは上陸の為に準備をしているはずだ。


「約束の時間は?」


「午後三時から、学園第二学棟の倉庫です」


 打てば響くとばかりに、間髪入れずフィーが答える。


「事務手続きが終わったら、奴と酒は無理でも昼食くらい食う時間はあるか」


「メールを入れておきますか?」


「頼む」


 銀色の肌に陽光を反射させながら、雲海の乙女号は学園都市に入港した。


 


「はい、チェックしました。搬出をお願いします」


 業者の差し出したチェックボードを一目で確認してフィーが船印を押すと、可変型タラップがウンディーネの横腹に取り付く。


 世界でも有数の物量を誇る港湾業者の手際は、正確で素早い。大小のコンテナが次々と運び出されている様子を見ていたフィーの側に、取引相手との商談を済ませたラキッズが近づいてきた。


「提出されてるスケジュールは?」


「レオとセシリーは買い物の為に外出。帰船は一七:00予定。ドムギルさんは、推進器と船載機の整備・及び交換部品の搬入とチェックの為に船内で待機。ピースは戦闘シミュレーションとドムギルさんのアシストの為、同じく船内待機です」


「今日は夕食は皆で外にするかな。明日でもいいか。グラハムからの返事は?」


「さきほど返信がありました。昼休みになったら、管制塔入り口に来てくれとのことです」


 無駄も淀みもないやりとりだが、冷徹さはなく、長年の信頼に基づいた慣れが感じられた。


「まだ時間があるな。もう少し商談をしてからでかけよう。準備をしておいてくれ」


「はい」  


 


          2


 


「ねえねえレオ。あたしあれ食べてみたい」


「……」


「あれでもいいな」


「…………」


「だめ? だったらあれでも……」


「だぁぁーーっ! いい加減にしろーーー!」


 もうお昼時に近いせいか、やや人通りの減ってきた通りの真ん中で、セシリーにぐいぐいと腕を引っ張られていたレオがキレ気味に叫んだ。


「オレにタカるんじゃねぇっ!」


「なによー、けちー」


 見た目でいえば、やや幼すぎるかもしれないが、端から見れば可愛らしいカップルのように見えなくもない。


「お前なー、船長から小遣いくらいもらってるだろ」


「そりゃあもらってるけど。今日の買い物がどれだけかかるか判らないから、あんまり使いたくないのよ」


「知るか。買い物終わってから、残りで買い食いすりゃいいじゃねえか」


「あんたこそ、お給料貰ってるんでしょ? どうせ大して使い道ないんだから、少しくらいおごってくれてもいいじゃない」


「どういう根拠でモノ言ってんだ、お前は。使い道くらいあるわい」


「なにに使うのよ。まさか、オンナ?」


「違……うわい」


「なによ、今の間は。本当にオンナに貢いでんの?」


「違うっつーの。そんな言葉ばっかり覚えてると船長が泣くぞ」


「あーー、誤魔化そうとしてるわね。言いなさいよ」


「……ちょっと黙れ」


 言い募ろうとしたセシリーの口を押さえ、まだ幼さの残る眼に鋭い光を宿して、ざっっと周りを見回すレオ。


 セシリーも、ウンディーネのクルーとして少なからず経験を積んでいる。文句も言わずに、自らも聞き耳を立てる。


 市場の物音にかき消されそうではあったが、言い争う、というか切迫した若い男の声が微かに聞こえてきた。


 セシリーがそれを聞いたと同時に、すい、とレオが声の聞こえてきた路地へと歩き出す。先ほどまでセシリーと連れだって歩いていた時とは明らかに違う足取りだ。


「あ〜〜。また厄介ごとに首突っ込む気なんだ……」


 あきれたように呟きはしたが、さほどイヤそうでもなく、セシリーもその背に続いた。


「金は無いって言ってるだろ!」


 二つほど角を曲がったどん詰まりで、男女の二人連れが同じく二人組の男に追い詰められていた。


 デートの途中でからまれでもしたか? とレオは思ったが、男の方はともかく、連れの女の方はデートにしては野暮ったすぎる服装だ。丈夫そうな上着にパンツルック、加えて洒落っ気のない眼鏡。これはマルチディスプレイ兼用のようだが、いつも見ているフィーのものに比べて二世代は前のタイプだ。髪は長いが、色気も素っ気もなく一本のお下げにされている。


 男の方は、多少は洒落っ気がある格好だが、眼鏡こそかけてないものの、細身のその体格は明らかに運動が得意そうではない。


 多分見た目で、悪い連中にカモと思われたのだろう。


 しばらく現場手前の角に隠れて様子を伺っていたレオは、しばらく会話に耳を傾けていたが、特に複雑な事情でもなく、単なるカツアゲだと判断する。


「どう?」


「ちょっとおとなしくしてろよ」


 追いついてきて、同じく身を隠しながら小声で聞いてくるセシリーの頭を軽く叩き、レオはするりと角から進み出た。


「おい」


 音もなく近づいたレオが至近距離からかけた声に、二人の男が驚いて振り向く。


 手前の男の鼻面に、遠心力を効かせた裏拳を打ち込んで仰け反らせる。


 振り向き欠けのもう一人の男の膝裏に横蹴りを打ち込み、バランスを崩して仰向けになりかけた男の襟を掴んで引き倒しながら膝でのしかかった時には、どこから取り出したのか、小振りのナイフが男の首に押しつけられていた。


 あらかじめそう決めていたかのように鮮やかな手並みだった。


「ここら辺は、ドン・カルローネの縄張り(シマ)だったはずだけどな。よそもんが勝手なことしてると、怖いニイちゃん達が飛んでくるぜ?」


「な……なんだってんだ、てめぇ……!」


 最初に裏拳を喰らった男が、顔面を押さえた手の隙間から涙と鼻血を溢しながら、あまりさまになっていない恫喝をしてくる。


「ま、待て、こいつ『魔女』の乗組員(クルー)だ!」


 レオに組み敷かれた男が慌てた声を出すと、もう一人の男の顔色がさっと変わる。


「黒いチビ……黒猫かよ?!」


「誰がチビだ!」


 侮辱的な単語に反応してレオが吠えると、立ったままの男はさっさと仲間を置いて逃げ出してしまった。


 意外に思い切りのいい逃げっぷりに、舌打ちを一つして、レオは押さえ込んでいた男を解放した。


 自由になった男も、こけつまろびつ振り返らずに逃げ去った。


「足くらい引っかけてやれば良かったかな?」


 男達と入れ替わりにセシリーがやってきた。


「レオってば有名人なんだ」


「馬鹿言え。有名なのは船長で、オレはオマケみたいなもんだ。それはそうと、あんたら大丈夫だったか?」


 急な展開に驚いて硬直しながら事の推移を見ていた男女二人組に、レオは声をかけた。


「あ、はい。すいません、ありがとうございました」


 男の方がいち早く我に返って、柔らかいクセのある、色が薄い金髪の頭を下げた。


 それを見た眼鏡の女も、慌てて頭を下げる。濃い茶色のお下げが、その拍子に大きく揺れた。


「被害がなかったんなら良かったよ。ちょっとした義理があったから手出しさせて貰っただけだから、あんまり気にしないようにな。じゃ」


「あの、なにかお礼を」


「いいえ、大したことしたわけじゃありませんから、気にしないで下さいね。あいつもそう言ってますし」


 言いたいことを言って、さっさと背を向けたレオを呼び止めようとした男に、セシリーがよそ行きの態度でニッコリと笑顔を見せ、自分も小走りにレオを追いかけた。


「ねえ、義理って何の話よ?」


 追いついてきたセシリーが、レオの顔を覗き込みながら尋ねる。


「昔、世話になった人が、学問都市(このへん)の元締めみたいなことやってるからさ。別にそれがなかったからって、放っておくわけにもいかないだろが」


「そりゃそうね。さあ、一仕事してお腹減ったでしょ。なんか食べようよ。もちろんあんたのおごりで!」


「結局そこに戻るのかよ……」


 仲が良いのか悪いのか、判然としないやりとりをしながら立ち去る二人の背中を呆然と見送ったところで、男の方がはっと我に返った。


「ト、トリス、大丈夫だったかい?」


「え、あ、はい。私は大丈夫です、先輩」


「折角の買い物だったのに、大変なめに会わせてしまったね、ゴメン」


「いえ、気にしないで下さい。本当に」


「もう明日には出港だから、お互いフィールドワークが終わったら埋め合わせするよ。この辺は治安が良くて、さっきみたいな事は滅多にないんだけどね……」


「あの、先輩。とりあえず通りに戻りましょう……ちょっと、ここにいるのも怖いので……」


「そ、そうか、気づかなくて申し訳ない。じゃあ、今日はさっさと買い物を済ませて帰ることにしようか」


 うんうんと頷く少女と連れだって、二人も路地から出ていった。


 


「ふむ」


 ドムギルが軍手をはめた手で短い顎髭を撫でつつ、梱包を開きながら丁寧に中身を確認していく。


 基本的に船や船載機の消耗パーツばかりだが、大きい物が多く、簡単なチェックだけでも結構大変な作業だが、ドムギルは顔色一つ変えずにどんどん進めていく。


 信用できる業者から納入されているものなので、不良品が混ざる可能性はかなり低く、実際使う際にチェックをするだけでも充分なのだろうが、ドムギルは納入直後のチェックを欠かすことはない。


 船を生き物とするなら内臓に当たる位置の格納庫は、さすがに運搬船と比べればやや手狭だが、それでも船載機二機を余裕で格納できるスペースはある。


 船載機の発射台を兼ねたレールにハンガー二台とその他整備機械。必要最小限をそろえてはいるが、一人で管理できる設備にも見えない。


だが、格納庫内にはドムギル以外いないし、他に作業者が出入りしている気配もない。


 重機の類も充実しているので、一人の作業でも船載機を扱うのは可能だろうが、どう考えても作業効率がいいとは思えなかった。


「お待たせしました」


 ドムギルが作業している格納庫に、ピースがボード型の端末を持って入ってきた。


「いや。ちょっと待ってろ、もう少しで検品が終わる」


「手伝いましょうか?」


「いらん」


 素っ気なく言い捨てて、視線をピースに向けもせず、ドムギルは黙々と作業を続ける。


 別にピースが嫌われているわけではなく、いつものことだ。特に気にした様子もなく、ピースは自分の乗機に歩み寄る。


 羽と尻尾を折り畳み、エイに似た形の巡航形態で格納されているのは、HSA‐0107、通称「ポルカ・ドット」と呼ばれる機体だ。


 その前には、ポルカ・ドットとは対照に縦長の流線形が基本て的シルエットのの機体が格納されている。こちらはレオの乗機で、MMAF‐03、通称「トリファ」。


 両機とも、全長は格納状態で最長五メートルから六メートルほど。展開しても十メートはないだろう。標準的な船載機だ。


 ややのっぺりとしたラインの上面ではなく、ややごちゃっと感じの下面からパネルを操作すると二重のコクピットハッチが展開する。


 アームに支えられて降りてきた座席に座ろうとしたところで、ドムギルから声がかかる。


「先にストラグラーに変えとけ。お前のはソフトと変形機構のチェックから始めるんでな」


「了解しました」


 頷いて、座席に座ったピースは、吸い込まれるように機体内に消える。ハッチがしまりロックの音が聞こえる。


 続いて座席が固定されると同時に、ピースを取り囲むように配置されているコンパネに灯がともった。


 画面に流れる確認メッセージを流し読みしてから、ピースは左のコンパネの下から突き出しているレバーを、一度水平にしてからグッと手前に引く。


 低く力強いモーター音が響き、ぐっと下向きの加重が掛かる。


 ほんの数秒でそれは終わり、エイに似たポルカ・ドットは、細部のバランスは違うものの、およそ身長八メートルの人型に変形した。


「……左腰のモーターの反応が遅れてるな。モーターそのものは交換したばかりだから、やはりソフトとの兼ね合いか」


 振り向かずに検品を進めながら、音だけでドムギルはそう断定した。


 外部マイクでその呟きを拾ったピースは、苦笑いして首を振った。 


 確かに搭乗中、変形に際してほんの僅か、違和感を感じていたのは確かだが、それは毎日触れて、乗っているからこそ判るレベルの違和感だ。


 それを、直接乗ることがほとんどない整備士が音だけで原因を特定するなど、目の前で何度もやって見せられても信じがたかった。


 変形が完全に終わったところで片膝の駐機姿勢をとらせ、ピースはハッチを開いて一度ポルカ・ドットから降りる。


「さすが『神の手』ですね。いつも驚かされます」


 検品を終えて、チェックリストをめくりながら近づいてきたドムギルに、ピースは尊敬の眼差しを向ける。


 その視線に嫌みや皮肉など微塵も込められてはいなかったが、ドムギルはジロリとピースの顔を睨んだ。


「お前さんみたいな大戦を経験してない世代の軍人は、なにかと英雄だなんだと喜ぶがな……。前にも言ったが、あの戦争に英雄なんてものは居なかった。オレもただの技術屋の一人だっただけだ。オレもラキッズも、そんな二つ名で呼ばれて喜ぶ神経は持ち合わせてねぇんだよ」


 怒りの口調ではないが、厳しい言葉にピースが恐縮したように頭を下げた。


「申し訳ありません。何度も言われているのですが、軍学校ではお二人を始めとする方々はヒーローのようなものでしたので。気をつけてはいるのですが……」


「お前さん、この船に乗ってどれだけ経った?」


「今月で半年になるでしょうか」


「そんなもんか。まあ、その内慣れるだろうよ」


 それで、その話題は終わりとばかりに、トラッシュケース型の端末を取り出し、巻き取り式ケーブルの片端をピースに渡す。


 ピースは渡されたケーブルを持って操縦席に戻った。


「しかし、あれだな。お前さん、軍学校出身のせいか、船載機の扱いが綺麗だな」


 接続されたケーブルから手元の端末に流れ込んでくるデータを、目で追いながらドムギルが思い出したように言った。


「そうでしょうか?」


 開いたままのハッチから顔だけ出したピースに、ドムギルは頷く。


「ああ。艦載機や船載機は大分数をいじってきたが、洗練されてるって意味なら結構なもんだ。純粋な消耗品以外のパーツ交換は滅多にないからな、金がかからん」


「褒め言葉と受け取っても?」


「ありがたい、という意味ではそうだな。特に小僧のと一緒に見てると尚更そう感じるな。あいつは感覚で乗ってやがるから、取り回しが乱暴なんだ」


「シミュレーションもあまりしませんし、運用論や技術論には、さらに興味がないようですね」


「昔はああいうタイプが多かったがな。よし、ソフトの摺り合わせだけで大丈夫だな。最適化に少し時間がかかる。動作チェックまで茶でも飲んでこい」


「ドムギルさんの分も持ってきましょう」


「おう、悪いな」


 


          2


 


「すまない、待たせたかな?」


「いや、さほどでもない。最近は忙しいのか?」


「ボチボチだな。少し前の武器密輸の件で、少し後始末が残ってるくらいだ。これが書類仕事がほとんどでな、往生してる。こういう時は心底お前が羨ましいよ」


 待ち合わせの店に現れた髭の男、グラハム・コバルトが親しげにラキッズに声をかけて、先にラキッズ達が着いていたテーブルに座る。


 やや高級店に属する店内、少し奥の個室スペースだ。


「お前の方はどうだ。一応入港申請書には眼を通したが、他に用事があるんじゃないか?」


「いつも通りだ。……なにか情報が?」


「まあ、な」


 含みのある笑みを浮かべて、ふとラキッズから眼を外し、ラキッズと一緒にテーブルに着いているフィーに顔を向けた。


「野暮な話は後にしようか。フィーさん、この店は肉料理が美味いんだ。航海が長いと、魚介類に偏りがちだからな。今日は私が持つので、好きな物を頼むといい」


「ありがとうございます。ですが、メニューをよく知りませんので、注文はお任せしたいのですが」


「よしきた」


 そんなちょっとしたお願いでも嬉しいのか、グラハムは満面の笑みで店員を呼ぶ。


 やってきた女給に一通り注文を済ませてから、改めてラキッズに顔を向ける。


「第二学部第一研究室の、バンガス博士は知ってるな? 以前からグローム連邦軍部との繋がりがある人物だが、最近少し動きがおかしい」


「おかしいというのは?」


「一ヶ月前くらい前から、研究室の動きがだ。元々象牙の塔じみた研究室だが、最近は妙な出入りが多い」


「外部の人間か」


「いや、ほとんどは研究員ばかりなんだがな。一応書類上はフィールドワークってことにはなってるが、あそこは基本的に持ち込まれた物品の解析や研究が中心のはずだ。それが、このところ外出が不自然に増えてる。もちろんチャーター船も業者に頼んでる事になってはいるが、これがまた胡散臭い」


「話の流れからすると、連邦軍」


「裏は取れてない。だが、そこがペーパーカンパニーなのは、ほぼ間違いないな。簡単に裏が取れるだろう。いや、お前のところなら裏にいる連中の晩飯まで判るか。残念ながら、オレの権限で動かせる中にSSS級の情報処理能力者なんていないからな」


 ひょいと肩をすくめて、顔だけフィーに向ける。


「フィーさん、前にも言ったが、うちで働くつもりはないかね? そこらの社長なんかより上の給料が出せると思うんだが」


「お気持ちだけ有り難く受け取らせて戴きますわ。移籍はともかく、わたしができることは、いつでも船長に仰って下さい。協力させて戴きますので」


 ほんわりとした笑顔ではっきりと断るフィーに苦笑いを浮かべるグラハム。


「ま、お前が学問都市(ここ)にきたということは、それ絡みかと思ってな。一応耳に入れておくよ」


「ありがとう、グラハム。軍が絡んでいることは知っていたが、バンガス博士の研究室が協力していることが判ったのは収穫だ。余程に重要な発見があったらしいな」


「遺跡兵器か……」


 苦虫を噛み潰した表情で、グラハムは腕を組んだ。


「戦争が終わって十年。ようやく平和な世の中が期待できる環境になりつつある。ここで国家間のパワーバランスが崩れるのは、あまり嬉しくないな」


「その為の組合、その為の?雲海の乙女(ウンディーネ)?だ」


「頼むぞ」


 力強いラキッズの言葉に、グラハムも至極真面目な顔で頷く。


 そこでちょうど良く飲み物と料理が運ばれて来た。なにも昼食にここまで、というくらいの量の多さだった。


「さあ、オレも昼休みに抜け出してきてるんでな。酒は飲めないが、たっぷり食っていけ。テイクアウトの注文もしてあるから、他の連中への土産にするといい」


 そう言ったグラハムの表情は明るく、久し振りにあった知己への友情に溢れていた。


「この一件を終えたら、今度は私の奢りで晩飯を食いに行こうか。船のみんなも一緒に」


「じゃあ、その時にはオレの家族も呼ぼう。楽しみにしてるぞ。それじゃあ、酒でないのが残念だが、ウンディーネのこれからの航海の無事を祈って」


「乾杯」


 


 グラハムとの会食から数時間後、ラキッズとフィーは受注した仕事の依頼主と会う為に、学園第二棟倉庫に来ていた。


 事務員に案内されて、面識のある学部の責任者と顔をあわせたのは良いが、調査に随行するはずの助教授が顔を現さない。内線で確認を取ったところ、外出届けが出されていて、午前中から園内にいないとのことだった。


 人の良さそうな責任者は、ラキッズ達に頭を下げると慌ただしく出て行ってしまった。


 褒められた事ではもちろんないが、遅刻など仕事上のトラブルとしては可愛い物である。ラキッズは特に気を悪くした様子もなく、広い倉庫の中を見回した。


 今回は第一学部雲海生物科からの依頼である。他の学部学科に比べてフィールドワークの占めるウェイトが大きく、特に大きな仕事がないときには、よく受ける仕事だ。


 メルティングポット周辺は、生態系も豊かだが遺跡も多い。だがそれに加え海賊の出没も多く、そういう意味でも危険な海域で、ウンディーネのような実力の高い船が協力してくれるのは、学園としては有り難いのだった。


 フィールドワークということで、何度か学者・学生を乗せたことがあるものの、今回は連邦軍とのいざこざが予想される。


 なんとか、採集を任せて貰って、随伴を断る事はできないものかとラキッズは考えた。


 倉庫の中には、学術サンプルを入れる為であろう、大小のコンテナが並んでいる。その多さから見て、現地での調査よりもサンプルの採集の方に重きを置いているのだろう。


 多少強引な真似をしても、いくらでも揉み消せはするが、できればあまりそういう手は使いたくない。


 一応、妙に思われない程度に交渉して、駄目ならしょうがないか、程度に考える事にする。あまりこだわって、物事を面倒にしてもいけないからだ。


 依頼主の荷物らしい物以外にも、学府らしく用途も判らないような機材がごろごろとあちこちにある。


 フィーは先ほどから携帯端末で契約内容の確認と、その他の事務仕事を行っている。


 話し相手にするのも悪いかと思ったラキッズが機材の類を眺めていると、先ほど出て行った責任者が戻ってきた。


「お待たせして申し訳ない。ほら、入りなさい」


「は、はい!」


 汗を拭き拭き促す責任者に、慌てた様子で答えた声は、若い女の声だった。


「あの、すいません! お待たせしました! えっとあの、ちょっと出先でトラブルが次々と起こりまして……! なんだか最近そんなのばっかりでっ! いえでも最近だけかっていうとそんなことなくて……っ!」


 開けっ放しになっている入り口のシャッターの陰から姿を見せたのは、どうみても二十歳には届いてないだろう、少女と言ってもいい年頃の人物だ。


 わたわたと言い訳なのかよくわからない言葉を吐き出し続けていたが。


「トリン!」


 見かねた責任者に一喝されて、背筋を伸ばした。


「あ、その。どうもすいませんでした!!」


 勢いよく頭を下げた反動で、太いお下げが尻尾のように大きく揺れた。


 その幼さを多分に残した顔には、不釣り合いに大きな旧型のマルチディスプレイ兼用眼鏡。小柄な身体からは、素朴さや純情さが滲み出ていた。


「そう恐縮せずともいいよ。トラブルというのは、起こる物だからね」


 その慌てぶりと童顔に影響されてか、自然とラキッズの声も柔らかくなる。


「雲海の乙女号の船長、ラキッズ・ロウだ。彼女は、副船長兼会計責任者のフィー。今回はよろしく頼む」


「よろしくお願いしますね」


 柔らかく微笑むフィーに頬を赤らめつつ、差し出されたラキッズの大きな手を握り替えしながら、トリンはかくかくと頷いた。


「は、はい、よろしくです! わたしはトリンシア・ポートウェル。学園第一学部雲海生物科第一研究室所属の、一応助教授です」


「ほう、その若さで助教授とは。かなりの才女なのだね」


「いえ、そんな……! 肩書きがあると便利だからって、先生がくれただけのもので、わたし自身が、有能なわけじゃないんです!」


 いかにも大物然とした雰囲気のラキッズに嫌みなく褒められ、恐縮のあまりにますますトリンは真っ赤になる。


「トリン、仕事の話はどうした?」


 軽く咳払いをして促す責任者に、頃合いを見ていたフィーが口を開く。


「事前に提出して戴いたタイムスケジュールはこちらでも確認しました。記入されていない事で、なにかありますでしょうか?」


「あ、はい。特にはないと思います。一応、今まで受けていただいた前例からしても、問題はないんじゃないかと」


「今回同伴する人員というのは、ポートウェルさんかな?」


「はい、そうです」


「ふむ」


 少し思案して切り出す。


「一つ提案なのだが、サンプルの採取は我々に一任していただくわけにはいかないだろうか?」


「え? えーー……っと、それは」


 いきなりの提案に、きょとんとした顔で反駁しようとするトリンに、ラキッズは言葉を重ねる。


「依頼の為に行く海域は、かなり危険なところだ。環境が厳しいのはもちろん、海賊の出没も多い。私たちには今までの実績もノウハウもある。無理に同行せずとも、私たちだけでも納得してもらえる仕事ができると思うが」


「それは……ダメです」


 外見の気弱さとは裏腹に、きっぱりとトリンは答える。一瞬で学者の顔になっていた。


「生物を知るということは、その形態や標本を調べることだけではありません。その生物が生きる環境、生態、なにより生きている姿そのものに触れることこそが重要だと、わたしは思っています。その為に必要ならば、危険であっても、わたしは構いません」


 さっきまでのオドオドした態度はどこにいったのか、ラキッズの目をしっかりと見据えて、瞳に力を込める。


 強い熱意と信念に裏打ちされた言葉と態度に、ラキッズはしばし無言でその視線を受け止めていたが、結局あっさりと降参した。


「どうやら失礼なことを言ってしまったようだ、許して欲しい。それでは、仕事の話をさせてもらいたいのだが、大丈夫だろうか?」


「え、あ、はい。って、ああっ!」


 ラキッズに、謝罪と共に促されて、トリンはようやく自分が手ぶらであることに気がついた。


「すいません、端末を研究室に置きっぱなしにしてきました! すぐ取ってきますんで!」


 言うが早いか、トリンは走って倉庫から出て行った。


 溜息をついて、額を掻きながら話を聞いていた責任者が苦笑いする。


「まあ、あの通りではあるが、学者としては優秀な娘だ。多少の無茶は、こっちも眼をつぶるから、よろしく勉強させてやって欲しい」


 まるで自分の娘を預けるような態度の責任者に、ラキッズが口元を緩めて頷いて見せると、フィーが側に近づいてきた。


「よろしかったのですか?」


「仕方ないな。ああいう眼をした人間と押し問答するのは時間の無駄だよ」


「船長が苦手なタイプですものね」


「権謀術数を弄してくる相手の方がやりやすいのは確かだな」


 肩をすくめるラキッズに、クスリとフィーが笑う。


「実際危険な海域なのは確かだ。実際に危険な目に遭えば態度も変わるかもしれんしな」


「様子を見るということで」


「そういうことだ」


 


 がつっ!


 骨が骨を打つ、乾いた音が船室に響いた。


 拳で手加減無く殴られた男が、苦鳴を漏らして床に転がる。同じ音が響き、もう一人の男も同じように転がった。


「貴様ら、一体何を考えている!」


 皺一つなく整えられた軍服の襟には少尉の襟章。引き締まった体躯の上には、厳しい訓練によって培われた精悍な青年の顔が乗っており、その表情は怒りに燃えていた。


「今回の任務の重要性が貴様らには理解できんのか!」


 グローム連邦軍特殊部隊「ピアシング」所属を示す軍帽が吹っ飛ぶのではないかと思うほどの剣幕で、さらに怒鳴る。


 殴られて転がった二人は、青年のものとよく似た軍服ではあるが、細部がかなり違う。どうやら、青年と違って一般兵のようだった。


「なにを大声で騒いでいる。哨戒艇のエコー探査に引っかかるぞ」


 冗談なのか本気なのかよく判らない発言と共に、青年と同じ軍服の女が船室に入ってきた。 襟章からすると、中尉。身長はやや女性としては高めで化粧気が薄いものの、美人の部類に入る顔は軍人らしく引き締まっており、やや太い眉毛のお陰もあって、高い身長と合わせて一瞬美形の男のように見える。


「申し訳ありません。ミンスター中尉」


 鉄骨でも入っているのではないのかと疑いたくなる直立不動で、少尉は敬礼する。


「街に出ていた兵が怪我をして帰ってきたというので、話を聞いておりました」


「それで?」


「は。どうやら住人とトラブルを起こし、あげくに『魔女』のクルーと接触してしまったという事です」


「魔女の」


 すっとミンスターの眼が細くなった。


「誰だ」


「どうやら黒猫のようですが」


「そうか」


 ほんの少しだけミンスターの顔に複雑な色が浮かんだが、すぐにそれは消えてしまう。


「我々の事を嗅ぎ付けて来たのでしょうか? こいつらの話では、軍の人間だと気づかれた様子はなかったようですが」


「決めつけるのは早計だが、まず間違いはないだろうな。少し調べる必要があるか。……お前達」


 さらなる上官が現れたお陰で蒼白になった兵士達が、向けられた言葉に直立不動で返事をする。


「もういいから、いくがいい。今後は気をつけろ」


 あっさりとした解放の言葉に、厳罰を覚悟していた二人は、拍子抜けした顔を見合わせた。


「どうした。持ち場に戻れ」


 特に口調が優しいわけではないが、これで話は終わるのだと安堵した二人は、敬礼して部屋を出て行こうとする。


「これだけは覚えておくといい」


 急ぎ足の二人とすれ違いざまに、ミンスターが思い出したように付け足した。


「我々ピアシングは現場の兵に対し、己の裁量で軍法会議なしに懲罰を加えることが許されている。……それが例え極刑であってもだ」


 威圧的でなく、淡々とした言い方だったが、その氷のような一瞥に二人は震え上がった。慌てて異口同音に了解を返し、部屋を逃げ出していった。


「よろしかったので?」


「構わんよ。むしろ、魔女が近くまで来ていると判ったのは収穫だ。我々も少し、直接情報収集に出た方がいいかもしれないな」


「我々が、直接ですか?」


「一般兵に任せていればいいか? 先ほどここであったことを、もう忘れたようだ」


「は、申し訳ありません。差し出口でありました」


「構わん、私もいくことにしよう。明日さっそく出る。時間は追って連絡する」


 注意深く親しい人間なら、ミンスターの態度がやや性急なものであったことに気がついたかも知れないが、残念ながらここにいる少尉はミンスターを尊敬してはいるが、そこまで親しいわけではなかった。


「了解しました」


 今度は一片の迷いなく敬礼で答え、少尉も部屋を出て行った。


「…………」


 一人残された部屋で、ミンスターはそっと溜息をついた。


 



 


「レオ、お客様ですよ」


 依頼の確認を終えた翌日、学園の倉庫で荷物の搬入作業を手伝っていたレオに、フィーが声をかけた。


「オレ? 誰だ?」


 怪訝な顔をしつつレオがやってくると、フィーの背後から濃紺のスーツを綺麗に着こなし、口髭を生やした背の高い男が姿を見せた。


「あぁ! ムラセ!」


 その男を見た瞬間、レオは目を輝かせて駆け寄った。


「久し振りだな、レオ坊」


 渋味の利いた声で答えたムラセは、犬のように飛びついてきたレオを受け止めた。


 背は高く肩幅は広いがやや細身の体躯は、小柄とはいえ、勢いよく飛びついてきたレオの身体受け止めて小揺るぎもしなかった。


 スーツ姿の着こなしは完璧だったが、ビジネスマンではありえない雰囲気は、軍人のようなある種の専門職を彷彿とさせる。


 ムラセは擦りつけられるレオのボサボサ頭をくしゃくしゃと掻き回し、優しく笑った。


「元気にしてたか?」


「もちろん! ムラセも元気そうで良かった。てか、ムラセ偉いのに、一人でこんなところ来て大丈夫なのか?」


「ああ、オヤジがお前を呼べって言うんでな。知らない奴が迎えに行くより、顔見知りが来た方がいいだろ。俺なら学園内(ここ)で顔が利くし、お前の顔を見たかったしな」


「カルローネが?」


「そういうわけで、申し訳ありませんが、ちょいとこいつをお借りしても?」


「結構ですよ。船長にはわたしから伝えておきますので」


「ありがとうございます」


 顔見知りゆえの気安い雰囲気で答えるフィーに、長身を折り曲げるように頭を下げるムラセ。


 そこで話が一区切り着いたと思ったのか、倉庫内で積み込む荷物のチェックをしていたトリンが声をかけてきた。


「あの、すいません」


「?」


 なんだと首を傾げるレオへ、控えめにトリンが言う。


「もしかして、街の方に行かれますか? でしたら、買い物をしたいので、ご一緒させてもらえないかと思って」


「荷物のチェックは?」


「もうほとんど終わりました。昨日のうちに先輩達にも手伝って貰って荷造りをしましたし、今日は再チェックですから」


 レオは、イヤではなさそうだが少し微妙な表情を作って、傍らのムラセを見上げる。


「構わないでしょう。お嬢さんも無関係な話ではありませんので、ついでに一緒に来ていただきましょうか」


「え?」


 どういうことだろう、と思ったトリンだが、フィーもレオもなにも言わないので、特に問題はないのだろうと高をくくって、問い質しはしなかった。


「すぐに出ますが、大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫です」


 ツナギにスニーカーというラフな格好のトリンだが、いつもの普段着と特に変わらないので、そのまま外出しても平気だ。


「では、失礼します」


 不思議な礼儀正しさでフィーに頭を下げたムラセは、二人を連れて歩き出した。


 


 やや時代遅れではあるが、その構造の頑丈さと手軽さで、いまだ愛好家も多い蒸気自動車に乗り、三人が向かったのは、いわゆる山の手と呼ばれる高級住宅街だ。


「わたし、この辺に来たの初めてです……」


 なんでここまで? と疑問を持ちたくなるほど大きな屋敷が並ぶ通りを走る車の後部座席から、物珍しそうにきょろきょろと視線を巡らすトリン。


 その様子が微笑ましかったのか、運転するムラセがバックミラー越しに口元を緩める。


「学園関係者にも資産家は多いですが、学術系の連中は、ほとんど学園の敷地内に家を持ってますしね。経営に関わる人間は何人か住んでいるようですが、学者のお嬢さんとは縁が薄いでしょう」


「カルローネは、最近こっちにいること多いのか?」


「いや、今日はたまたまだ。最近妙な連中の出入りも増えてるんでな。逆に街の方に居ることの方が、ここのところは多いな」


「妙な連中?」


「その辺は、オヤジに直接聞くといい」


 助手席のレオに答えつつウィンカーを出し、黒服にサングラスを掛けた屈強そうな男達が立つ門の前に車を止める。


「お疲れ様です。すぐに開けますんで」


 小走りにやってきた男がムラセに頭を下げているうちに、別の男が門に備え付けの内線でどこかに連絡をしている。


「どしたの?」


 バックミラー越しに、トリンが小さくなってることに気がついたレオが声をかけると、トリンがどこか青ざめた顔で上目遣いに言った。


「なんだか、もの凄く場違いな気がしてきたんですけど……」


「えーー? 大丈夫だよ、普通の金持ちとかとは違うから」


「それはそれで、激しく不安なんですが……」


「大丈夫です、客人に無礼を働くような馬鹿は、ここには一人もいませんから」


「はあ」


 レオとムラセの保証もどこかズレた感じがして、不安が拭えないトリンだった。


 そうこうするうちに車は静かに敷地内の駐車場に止まる。学園都市でよくある玄関まで横付けできる建築構造ではないので、そこから木に囲まれた石畳の道をしばし歩く。


 やがて見えてきたのは、学問都市では珍しい、東方風平屋作りの屋敷だった。複数階の建物と比べると威圧感は無いが、家屋そのものから発せられる威厳じみた重厚な雰囲気があった。


 なんだか、やたらとあちこちに剣呑な感じの黒服がうろついていて、トリンの緊張は否が応にも高まっていく。


「オヤジ、連れてきました」


「おう、入れ」


 入り組んだ廊下を進み、中庭の見える部屋の入り口まで来たところでムラセが外から声をかけると、中から太く威圧的な声が返ってきた。


「失礼します」


 膝をついたムラセが東方独特の引き戸を開けて、両手をついて中の人物に頭を下げる。


「ご苦労」


 頷いて、鋭い眼光をレオ達に向けたのは、虎のような雰囲気を持った、中肉中背の壮年の男だった。


 体躯ではなく、その人間そのものに染みついた雰囲気は、尋常のものではなかった。


 トリンには部屋の空気まで鉄になったかのように感じられた。


「カルローネ!」


 その男が視界に入った途端、レオが駆け寄った。


 それを見た男は少し表情を緩め、東方風のゆったりした衣装の裾を払って立ち上がり、飛びついてきたレオを受け止める。


「おう、レオ。元気そうだな。少し背が伸びやがったか」


「少しだけだけどね。カルローネは少し縮んだ?」


「馬鹿野郎。まだそんな歳じゃねぇよ」


 明らかにカタギではあり得ない見た目の男に、金縛りにあったようになっていたトリンは、レオのまったく空気を読まない行動に呆然とする。


 その隣では、ムラセがレオと男のやりとりに苦笑いしていた。


「で、そっちのお嬢さんは誰だ」


 優しい口調だったが、自分のことを言われていると判った途端、飛び上がるようにトリンは背筋を伸ばす。


「例の件で、絡まれていた学生のお一人です」


「なるほどな。お嬢さん、俺達の不始末で面倒掛けちまったらしいな。申し訳ねえ」


 ムラセに頷き返し、男はレオをひとまず横にのけて、総白髪ではあるが、ふさふさの頭をトリンに向かって下げる。


「は、はい……って、あの、一体何のお話でしょうか?」


 反射的に返事をしてから、トリンはオドオドと問い返した。


 首を傾げるトリンに、ムラセが助け船を出す。


「昨日、メーラント通りでチンピラに絡まれたでしょう?」


「え? ええ、そうですけど、何で知ってるんですか? それに不始末って?」


「ああ、すまねえな。いきなり言われてもわかんねぇよな。わしらは、この都市でちょっとした害虫退治をしてる害虫さ」


「オヤジ」


 困った顔で口を挟むムラセに口を開けて笑い、押さえているのではあるだろうが、充分に力の強い眼をトリンに向ける。


「害虫は害虫同士、カタギの衆に迷惑をかけねぇようにはしてるんだが、たまに命知らずが馬鹿をやりやがる。なかなか広い街なんで、たまに手のとどかねぇ時もあってな。そんなわけだ。悪かったな、嬢ちゃん」


 そこでようやく、トリンは目の前の男が、どんな世界の住人なのかが判った。トリンには、噂や本でしか知らない世界の住人。


 蒼白になりながら、肩から取れてしまいそうな勢いで両手を振った。


「ややややっ! あ、あのあの、気にしないで下さいっ! えっと、レオ君にも助けてもらったし、もう別に!」


 ちなみに、ウンディーネクルーとトリンの顔合わせ時に、お互い顔見知りだったのに驚いた一幕があった。


「そうだ。その連中、ちゃんと教育(しつけ)したの?」


「その話だ。おめえをわざわざ呼んだのはな」


 きゅっと片眉を上げて、カルローネはレオを振り返る。


「まあ、立ち話もなんだ、座ってくれ」


 貴重な分厚い木材でできた大きな低いテーブルをすすめ、自らもどっかりとあぐらをかく。レオとトリンもそれにならうと、ムラセが一礼して席を外す。


「その二人組とやらだが、ちっと説教してやらなきゃならねぇってんで、足取りを追わせたらしいがな。どうも、途中で足取りが消えたらしいな」


「消えた?」


「綺麗さっぱりな。この街じゃ特に珍しいことでもねぇが」


 学園都市は世界最大規模の都市であり、同時に最も人の出入りが激しい都市である。


 入管の厳密さでも世界最高レベルではあるが、人の出入りが多ければ、その分目の届かない範囲も多くなる。


 商業的にも世界の諜報機関にとっても重要な都市の一つであり、その類の人員は多く出入りしている。


 入管局もそれはある程度把握しているものの、目立った暗躍が無い限りは黙認状態だ。


 治安的に多少の不安はあるものの、だからこそカルローネ達のような集団が必要になる。少しくらいのいざこざなら、その組織力であっという間に解決できるからだ。


 だからといって、カルローネ達が強硬なばかりかというとそうでもなく、基本的には緩やかな監視体制を敷き、場合によってはそういった連中の面倒を見ることもあった。


「やることがチンピラの割に、足跡の消し方が綺麗すぎる。となれば、後ろに大きなのがいるんだろうな」


「どこの人間かなんて、もう判ってんだろ?」


「なんでぇ、面白くねえな。ちっとは勿体ぶらせろや」


 カルローネはつまらなそうに口を尖らせたが、すぐに表情を真面目なものに変える。


「グローム連邦の軍人だな。一応昨日のうちに、繋がりのある連中にそれとなく当たってみたが、まず間違いねぇな。それと、これはさっき耳に入った話なんだが……。どうも連邦の特殊部隊がちょろついてるってな」


「特殊部隊……ピアシング?」


「だな。うちの元連邦軍兵士って野郎が、そいつら何人かの顔を知っててな。そいつ自身が見かけたってんだよ」


「やっぱ、オレら対策?」


「ピアシングは基本的に荒事専門の艦載機乗りの部隊だからな。本来、ここいらをうろちょろするような連中じゃねぇし。お前ら関係じゃねえか?」


 ピアシングは、先の大戦において電撃作戦を得意とした強襲部隊が母体である。


 戦後さらに精鋭を募り、現在は世界に名だたる部隊の一つになっているが、ひとまず表面上は平和的均衡が保たれている世界情勢の中では、戦果として残る記録は少ない。


 だが、連邦内の治安維持活動や、海賊討伐作戦などにおける活躍から、その実力を疑問視する者はいない。


「まあ、連邦がなにやらやってるらしいってのは、しばらく前から耳に入ってたが。おかげで、各国(あちこち)の盗み聞き屋がざわついててな。取りあえず、こうしてお前の耳に入れたからには、当の連邦以外は手を引くだろうよ」


「なんで?」


「今のところ、ウンディーネと喧嘩してまでって元気のあるとこはねえってこった。漁夫の利を狙ってるとこはあるかもしれねえが、まあ無視してかまわねぇだろうさ」


「根性無えなぁ」


 無責任に笑うレオだったが、ふと天井を仰いで、ぼそっと呟いた。


「そっか、ピアシングか」


 ちらりとカルローネは呟きに反応したが、何か心当たりでもあるのか黙っていた。


 そこでひとまず話は一段落つき、丁度ムラセが茶と茶請けを持って戻ってきた。


「そういや、お前にも面倒かけた。土産の一つもくれてやらなきゃならねぇな」


 緑色の茶を一口啜って、茶請けのお菓子を一口に頬張ったレオに、カルローネが水を向けた。


 もむもむと口の中の物をかみ砕き、飲み込んだレオは、開口一番不満そうに言った。


「なんだよ、水臭ぇな。オレも『家族』じゃねえか。一家の為になんかするのに、礼なんかいらねーよ」


「バカヤロウ。てめぇは家族じゃねえ。俺にしてみりゃ、野良猫拾ってしばらく世話したぐらいにしか思ってねぇんだよ」


「ひでぇ!」


 言葉だけ聞いていると殺伐とした感じだが、両者の間には気安さだけがあって、なんの含みも感じられない。


 その不思議な雰囲気と、場違いな自分に少し肩身の狭さのようなものを感じながら、トリンが控えめに茶を啜る。


 それを察してくれたのか、ムラセが二人の会話を邪魔しない程度に小声で話しかけてきた。


「オヤジは坊をカタギにしたいんですよ」


「仲は良さそうに見えるんですけど」


「仲は良いですよ。だからこそ、坊をこっちの世界に引き込みたくないんですよ」


 ムラセ自身もカルローニと同意見なのか、薄く笑う。


 しばらく歓談を続けたところで、ムラセがカルローネを促した。


「オヤジ、そろそろ……」


「おう」


 頷いて立ち上がり、歳と見た目に似合わない明るい笑顔でレオを見る。


「これでも、色々と忙しい身でな。街に戻らなきゃいけねえ。ムラセに送らせるから、土産を持ってくの忘れねぇようにな。お嬢さんも、申し訳ねぇがこれで失礼するよ」


 また急に言葉を向けられて、コクコクとトリンは頷いた。


「じゃあな、レオ。用事が無い時には、俺のところにはちかよらねぇようにな」


「はいはい」


 お互い優しい表情で挨拶を交わす二人。


 トリンはやはり首を傾げていた。


 


「あのー、レオ君。ちょっと訊いてもいいですか?」


 帰りの車の中で、トリンがバックミラーの中のレオへ口を開いた。


「ん?」


「カルローネさんとはどういう関係なんです? 親戚とかでは無さそうですけど」


 肌の色も顔立ちも、共通する部分がほとんど無く、その割に深い信頼関係を感じる間柄に、興味をそそられたのだろう。トリンはあがり性の気があるようだが、好奇心は強いらしい。


「ああ、オレって元々孤児でね。色々あってこの街に来たときに、やっぱり色々あってカルローネに拾って貰ったんだよ」


「拾って……?」


「そ。その後、しばらくカルローネの側で小間使いみたいな事してたんだけど、二年前だったかな。カルローネからウンディーネに乗れって言われて。そんで今に至ると」


 なんだか重めの事実をさらっと口にされたような気がするが、ふと自分が学園に来る時の事を思い出し、質問を重ねた。


「レオ君がカルローネさんの事を慕ってるのは、見てて凄く判るんですけど。寂しくは無かったですか?」


「だって、カルローネがそうしろって言ったんだもん」


 なにを当たり前な、という口調で言われて、トリンは言葉に詰まった。


「ほっとかれれば死ぬしかなかったオレを拾って貰った時から、オレの命はカルローネの物だからさ。やれって言われればやるし、死ねって言われれば死ぬよ。あ、だからと言って、ウンディーネで働くのがイヤなわけじゃないよ。船長は、カルローネと同じくらい尊敬できる人だし、その下で働けるのは幸せだよ」


 ミラーの中のレオの笑顔には一点の曇りも無かった。


「……羨ましいですね」


 しばしの沈黙の後、ぽつりとトリンが呟く。


 ムラセは今の二人のやりとりに何を思ったのか、正面を向いて運転をする横顔からは、何も読み取れなかった。


 


          4


 


「失礼します」


 教授室の厚い樹脂製の扉をノックしてから、青年は部屋の中に入った。


「おお、来たカネ」


 部屋の中で、その体躯と不釣り合いに大きな机から顔を上げたのは、額から頭頂部にかけて見事に禿げ上がり、残った白髪が爆発したようにぼさぼさの、小柄な白衣の老人だった。


 老人は、特徴的な鷲鼻に乗った丸いレンズの眼鏡を、無造作に指で押し上げる。


「で、話は聞いているカネ?」


「はあ、いえ、専門的な知識を持っている人間が必要らしいから、お前が行けとだけ言われまして。内容は博士から直接聞け、とのことでしたが……」


「なんだ、面倒ダネ。専門家というのは自分の興味のあること以外には、ズボラも極まると思うのだが、君はどう思ウネ?」


「はあ……」


「まあ、そんなことはどうでもイイ」


 老人は根本的に人の話を聞かない人間なのか、本当に心底どうでもよさそうな態度で椅子から降りると、座っている時よりも頭の位置が低くなった。


「明日の午後に出発ダヨ。遅れないようニナ」


「は?」


「二度同じ事は言わなイヨ。準備したマエ」


「はあ」


 これ以上この博士に話を聞いても無駄だと思った青年は、顔を知っている助教授に話を聞いた方が早いなと判断して、早々に退出しようと頭を下げつつ、どうやら自分は貧乏くじを引いたのだなと心の中で呟いた。


「君は運がイイ」


 その心の呟きが聞こえたわけではないだろうが、棚のファイルをあさりながら、短?の博士は悪魔のような笑いを浮かべた。


「このドクター・バンガスの大いなる功績に、貢献する事ができるのだかラネ」


 いい知れない不吉さに悪寒を感じながら、青年は慌てて退出する。


 その不吉さを封印するように厚い扉を閉めた青年は、前大戦を結果的に終息へと導いた悪魔の兵器を、解析・使用可能にしたシンクタンクの筆頭がバンガス博士だった事を、今更ながらに思い出した。


 その是非はともかく、自分の引いたくじは本物の貧乏くじだったのだなと溜息をついて、重い足取りで青年は歩き出した。


 


「それでは、航海の無事を祈って」


「「乾杯!」」


 出港を明日に控え、ウンディーネクルーとトリンは、初日にラキッズ達が招待されていた店の個室で夕食を摂っていた。


「船長〜〜、酒はーー?」


「少なくとも公共の場では遠慮してくれ」


「ちぇ〜〜。オレの生まれた国じゃ、十五で成人なんだけどなぁ」


「あんた、人種は共和国だろうけど、本当にどこで生まれたかなんて、わかんないんでしょ?」


 つまらなそうにコップのジュースを飲み干し、豊富に並んだ料理の皿から自分の小皿に取り分けるレオに、呆れた様子でセシリーが突っ込む。


「この前は、実は皇国出身だ、とか言ってましたね」


「いい加減ねぇ」


 二杯目を隣のドムギルに注ぐピースとセシリーに続けて言われるが、レオは聞こえない振りでモリモリと料理を食べ始める。


 トリンは、船乗りというイメージから来る荒っぽさとは全く無縁のクルー達に、安心と共に親近感も覚えつつ、元々あまり酒席などに参加しないこともあって、少し心が浮き立つようだった。


「そういやさぁ」


 ふと食事の手を止めて、隣のトリンに目を向けるレオ。


 慣れないアルコールのせいもあって、なんとなく一人でニコニコしていたトリンは慌てて返事をする。


「はい?」


「この前、一緒にいた男って彼氏?」


「はい!?」


 いきなり思っても見なかった話題を、そういうのに一番疎そうな相手から振られて、目を丸くする。


「え? なに、そういう話なの?」


 耳敏く聞きつけたセシリーが、獲物を見つけたピラニアのような速度で、酒瓶片手に椅子ごと移動してくる。


「え、いや、そんなんじゃなくてですねぇ」


「いやいやいやいや、まずはホラ、お口の滑りを良くする魔法のクスリをね〜〜♪」


 問答無用でトリンのジョッキに酒を注ぎ込むセシリー。同年代の人間が周りにいないのもあるだろうが、恋愛関係の話題に飢えているようだ。


 それに加え、普段大人に囲まれているせいか、飲酒経験なしとは思えない手並みだ。


 レオの方はというと、話を振っただけで満足したのか、セシリーに場所を譲って、料理の消費に戻っていた。


 そんなわけで、数十分後には押しの弱いところのあるトリンは、ものの見事に酔っぱらっていた。


「で、どうなの、その人とは?」


「え〜〜、別にぃ、特別な関係では無くてですねぇ〜〜。近くの地方の出身で、同じくミソノ教授の推薦で学園に入ったから、その縁で色々面倒をみてくれてるだけなんですよぅ。先輩はトリスって愛称で呼んでくれますけど〜〜」


 もはや、セシリーに注がれるまでもなく、手酌でくぴくぴとトリンは飲み続けている。


 意外にアルコールには強いようである。


「ミソノ教授っていうのは、女の人?」


「そうですぅ。第一学部の筆頭教授なんですけど、一年のほとんどを学外で過ごしてますね〜〜。フィールドワークであちこち回ってるんですけど、学園上層部でも連絡を取るのは困難みたいですねぇ。ちなみに、わたしの出身地近くに来た時にお手伝いした縁で、わたしは学問都市(ここ)に呼ばれたんですねぇ。なんだかんだ言って、学園内部では権力争いとかありますから〜〜、筆頭教授とはいっても、ほとんど学内にいない教授の推薦で学園に入った私たちみたいなのは、結構いじめられるんですよねぇ」


「ふーーん。学者さんって、もっと気楽な職業かと思ってた」


「そんなことないですよぅ。どんな仕事だって、大変なところはありますよ〜〜」  


 そろそろ呂律が怪しくなり始めている。潰れるまで秒読みだろう。


「あれは大丈夫かな?」


「大丈夫でしょう。今日はこのまま船に泊まっていただく予定でしたし、客室の掃除も終わってます」


 元の話題からは離れてしまったが、それなりに楽しそうなやりとりを眺めつつ、ラキッズが漏らした呟きに、フィーが答える。


「少し失礼します。用足しを」


 ドムギルと船載機の調整について意見を交わしていたピースが席を立つ。


 丁度通りがかった給仕に手洗いの場所を訊き、ピースは個室を後にした。


「実はさぁ」


 ピースの姿が完全に見えなくなったのを確認してから、レオが口を開いた。


「昨日カルローニから、ピアシングが動いてるって話を聞いたんだけど……」


 すでにほとんどテーブルに突っ伏しているトリン以外の視線が、一斉にレオに向いた。


「確かか?」


「カルローニところの元軍人が見たって言ってるそうだから、信用できると思うよ」


「ピアシングって、ピースの……」


 眉根を寄せて呟くセシリーがラキッズに目を向ける。


 その視線を受けて頷いたラキッズが頷き返し、レオに向かって口を開く。


「だから、今まで黙っていたのだろう?」


「まーね。動揺して、後ろから撃たれたりしたら、たまんないからさ。一応パートナーだし」


 誤魔化すように肩を竦めるレオの態度には、照れ隠しが見えていた。


「ピースには、後で私から伝えておく」


 レオの態度に口元を少し緩めて、ラキッズはグラスを傾けた。


 


「ウンディーネは(もぬけ)の殻だったようですが。不用心な事ですね」


 食事の手を休めて、若い少尉は目の前に座った上官に話しかけた。


 肉料理を売りにしている店は、安くは無いが高級店というほど堅苦しくもなく、ほどよい騒音が溢れ、二人の座っている奥まった席なら、多少不穏な話をしていても気にする者はいない。


 ウンディーネの動向を探る為、ミンスターと少尉は一般市民の服装で、今日一日あまりを調査行動に費やしていた。


 少尉は紺色のスーツ、ミンスターも萌葱色のスーツ姿。


 なんということのない格好だが、ミンスターの普段が普段の為、スカートに薄い化粧だけでも充分に女性を意識してしまい、どこかぎこちなくなってしまう少尉だった。


「あの船はいつもそうなようだな」


 服装に見合わない、鉄のような口調でミンスターも手を止める。


「情報部の話では、あの船のセキュリティは皇国銀行よりも遙かにレベルが上だそうだぞ。以前に進入を試みた某国の特殊工作部隊が、まったく歯が立たなかったどころか、使用端末に悪質なコンピューターウィルスを仕込まれ、支部のシステムが一週間ほど麻痺したという話を耳にしたことがある」


「……船そのものではなく、人間の方をどうにかする方法もあると思いますが」


「ウンディーネ船長のラキッズ・ロウは、組合の設立に重要な役割を果たしたという噂がある。その真偽はともかく、ラキッズ・ロウに手を出せば、まず十中八九組合を敵に回すことになる。それに加え、ウンディーネクルーにも、妙な人脈を持った人物が何人かいる。クルー同士の結束も堅いことを考えると、クルーの誰かに直接手を出した場合、どれだけの戦力、ないし権力を敵に回すことになるか情報部でも把握し切れていない」


「それほどですか……。でも、自分には必要以上にウンディーネが恐れられているように感じられるのですが」


「それは、軍部批判か?」


「い、いえ! そんなことは!」


 慌てる少尉に、クスリともせずに食事を再開しつつミンスターは続ける。


「どこから手に入れた物かは知らないが、あの船は遺跡技術の塊だ。艦載機こそ通常のものだが、船自体は、例え手に入れたとしても、その技術解析に十年単位で時間が必要になるだろうという見解が技術部からも出ている。それに人員搭乗型の遺跡兵器では、個人差で起動できたりできなかったり、という事例もある」


「それは自分も聞いたことがあります。艦載機の元になったステロタイプと呼ばれる機動兵器は、いまだ動かせる人間がいないとか」


「要は、リスクに見合ったリターンが、今の時点では少なすぎるということだ」


「遺跡の発掘を妨害して回っているのは、充分害があると思うのですが」


「少なくとも、ウンディーネに渡ったと思われる技術や兵器が、外部に流出した形跡はない。三大国を始めとする各国も、他国の軍事力強化に神経質になっている現状、各国軍部もあまり大きな動きを見せて目を引きたくないのだろうな」


「難しいところなのですね……」


「だからこそ、我々のような機動力のある部隊が必要とされる。現状、ウンディーネに対しては武力で退けるか、見つからないように身を隠すしかないのだからな」


 話しながらも食事を終えたミンスターは、ナプキンで口元を拭きつつ席を立った。


「中尉、どちらへ?」


「トイレだ。それと、調査任務中は名前で呼ぶように言ったはずだが?」


「は……! し、失礼しました!」


 ミンスターの答えと叱責、両方に赤面した少尉は思わず敬礼をしてしまう。


 それを見たミンスターは、さすがに少し苦笑いして歩き出した。


 


 清潔で明るい照明が降り注ぐ化粧室の中。洗面台に映る自分の姿を見て、ミンスター軽く溜息をつく。


 今日一日をウンディーネの動向調査に費やしたが、学園の仕事を受けた、という事実の確認が取れた以外は、さして重要な情報は手に入らなかった。


 ただその調査先が、今回の作戦海域に多少近いのが気になる程度だが、それを持ってウンディーネがこちらの作戦に関与してくると考えるには少し弱い。


 専門の情報部員なら、もう少しまともな調査ができたかもしれんが。


 そう考えても詮無いことでであるし、そうであれば直接こうして出張る事も無かっただろうが。


 一応情報収集の訓練も受けていたものの、実際の場に出るのは初めてだった。


 今回の作戦は隠密を第一義としている為、できる限りの人員削減が図られている。諜報員の必要は少ないと考えられて、今作戦部隊に諜報員は割り振られていない。


 調査の申請は、今回の作戦行動の責任者である大佐から簡単に許可が出た。


 これは将校の一部に、ピアシングを総合的な技術を持った部隊に作り直そうという動きがある為で、差し支えの出ない限りは、広い任務経験を積ませようとしているのだ。


 今のところウンディーネに嗅ぎ付けられた確証はなく、ウンディーネクルーとの接触だけは慎重に避けろ、とだけ命令が出ているだけだ。


 なにをしているのだろうな、私は……。


 鏡の中の、薄い化粧を施した顔に問いかける。


 会えるのではないかと、どこかで期待している自分がいる。


 だが、会ってどうする? 相手は軍の内部だけ、それも一部の幹部しか知らないことではあるが、お尋ね者だ。


 おまけに、今はウンディーネクルーの一人。


 接触するだけで、重大な命令違反だ。


「今日は、もう引き上げた方がいいか……」


 盛大に溜息をつき、手を洗って化粧室を出る。


 出たところで、隣の男性用トイレから出てきた人物と肩がぶつかった。


「失礼」


「すいません」


 お互い反射的に謝罪の言葉を発しながら相手を見、同時に動きを止めた。


「ちゅ、中尉……?」


「もしかして、ミンスター少尉ですか?」


 ミンスターがぶつかったのは、ピースだった。


 不意の出会いに思考停止しかけたミンスターに、複雑な微笑でピースは言った。


「もう、軍属ではありません。今の僕は、ピースという名前の、ただの一般人ですよ。それにしても、久し振りですねミンスター少尉。こんなところにいるのは、観光かなにかですか?」


 やや気まずそうに、ピースが尋ねる。ミンスターはとっさに目を伏せて誤魔化した。


「え、は、はい。少し休暇が溜まってまして、それを利用して観光に……。それと、今は中尉です」


「昇進したのですか、それはおめでとうございます。今は休暇中なのですね、少し安心しました」


「安心?」


「僕は、連邦軍部ではお尋ね者でしょう? でも、休暇中なら、見逃してもらえるかと思いまして」


 戯けるように肩を竦める。


 それを見て、少し雰囲気が変わったな、とミンスターは思った。


 肩を並べていた頃は、狙撃手にありがちな冷徹で物静かな印象が強かった。たまに冗談を言うこともあったものの、基本的には真顔だったので本気かどうか判らないこともしばしばだったのだが。


「……報告は、しません」


 ぽつりと答える。


 伏せていた目を上げると、そこは以前と変わらない、青い目と視線がぶつかる。


「ありがとうございます」


 レンズの向こうの目元が弛む。


 聞きたいことがあった。


 言いたいことも、山のようにあったはずだ。


 だが、どれも口から出てきてくれはしなかった。


「もう少し話したいとは思うのですが、お互いあまり仲良くしない方がいいのでしょうね……。それでは、申し訳ありませんけども、連絡先は教えられませんが少尉……今は中尉でしたね。貴女の幸運を祈ります」


 そういって差し出されたピースの手を見つめ、ほんの一瞬ミンスターは逡巡したが、結局躊躇いがちに握りかえした。


 懐かしい、軍人とは思えないほど、しっとりとした女性的な感触の手。


 ミンスターが感慨に耽る間もなく、ピースの手は離れていった。


「では、失礼します」


 一礼して背を向けたピースの背中に、ミンスターは堪えきれずに声をかけた。


「中尉!」


 昔の呼び方だったが、ピースは何も言わずに振り返った。


「また……お会いしましょう」


 その言葉をどうとったのか、ピースは複雑な笑みを見せただけで、何も答えずに再度背を向けて歩き出した。


 それを見つめるミンスターは、その背中が見えなくなった後も、しばらくそこに立ち尽くしていた。





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