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プロローグ


       プロローグ


 


 光も、闇すら存在しない。


 そこは虚空だった。中心であり、果てだった。


「……コンディション、八十パーセントがレッド。残り二十パーセントの内、十五パーセントも三千秒以内にダウンします」


「……仕掛けはどうなった?」


「現在、走査システムは九十九パーセントが動作不良。残りの機能では現状把握に必要なデータ収集不可能。ですが、システムダウン寸前までのデータによる推測では九十九・九八パーセントの確率で、フィールド形成には成功したと思われます」


「そうか…… 」


 そう呟いた声には深い安堵が溢れていた。


 長い長い時を戦い続け、擦り切れ、疲れ果てていたが、いまだ衰えない精気を感じさせるその声は、低い男のものだ。


「後は、ソルとポセイディアが上手くやってくれるのを祈るばかりだな……」


「ミッション成功を左右する最大の要素は、私たちが担当したフィールド形成です。それはほぼ成功したと言っていいでしょう。ミッションそのものも、成功の公算が高いと思われます」


 男の声に応えるのは、若い女の声。聞いた瞬間には冷厳に響くが、それは強い責任感によるもので、その実パートナーである男に対する全幅の信頼が込められているのは、誰にでも判った。


「そうか……そうだな。あいつらなら、きっとやり遂げてくれるだろう。俺の役目もこれで終わりだ。……皆のこれからを見届けられないことだけが、心残りだが……」


「…………」


 沈黙が落ちる。


 システムのほとんどが機能停止に追い込まれている今、操縦席と官制席は音声でのやりとりのみだけだが、女には男が今どんな表情をしているのか、手に取るように解った。


 男の方は生物的に普通の人間だったが、女は普通の人間ではない。


 今、男と女が乗り込んでいる大型機動兵器の制御と、パイロットをサポートする為だけに作られた人造生命体(ビメイダー)


 作られたといっても、生物ベースの強化生命体である。機械的なものよりも、生命体による制御システムの方が、メンテナスフリーにできる要素が多かった。最前線での使用を前提とした兵器としては、極限の緻密さよりも信頼性を優先されたのは当然で、全三体建造された機動兵器のオペレーターは、三体ともこの方式を採用している。


 個体差からくる多少の性能差はあるものの、基本的な性能として、不老・人間を遙かに超える知覚と情報処理能力がある。


 実際的な戦闘能力は人間に比べて高いといえないが、明らかに人間社会における生物的倫理に触れる存在だ。だが、そんな存在を生み出さなくてはいけない理由があった。


 生物種としての人類が出会った、明らかな外敵。それはただ単純に「敵」(エネミー)と呼ばれた。  政治的駆け引きの余地などなく、降伏はすなわち人類の滅亡と同義であり、その戦いは長きに渡ることになる。


 人類にとって幸いと言えるかどうかは不明だが、戦いが長期化した理由は、人類と「敵」の間に、圧倒的といえるほどの戦闘力の差がなかったからだ。


 それは、一瞬にして滅ぼされなかったかわりに、真綿で首を絞めあうような消耗戦を強いられる結果になった。


 少しでも、ほんの髪の毛一筋分でも敵を上回る為の必死の努力は、人類の、そしておそらくは「敵」の技術を飛躍的に高めていった。


 そうして泥沼化していった戦いの果て、徐々に戦局が不利になりつつあった人類は、持てる力の粋を集めて三体の巨大機動兵器を建造。最盛期に比べて絶望的に数を減らしていた生き残りの人々を集め船団を組み、母星を捨てて宇宙に逃れた。


 だが、「敵」はそれを追い、戦線は宇宙へと広がっていく。


 細かい戦闘を繰り返し、その際に得た観測情報から、「敵」の残存勢力がすべて人類船団を追撃していることが判った。


 その時点で、彼我の戦力には大きな開きがあったが、船団指導部は人類の生き残りをかけて総力戦を決意した。


 星の海を舞台に、想像を絶する戦闘が繰り広げられた。


 結果として、人類はその最後の戦いに勝利したものの、船団は戦闘により疲弊し、船団を構成する多くの船が傷つき、その機能の大半を失った。


 先の見えない航行を続けられる船は片手の指の数に満たず、傷ついた船から生き残った人々を移乗させるのは、艦内環境の維持を考えれば不可能だった。


 船団指導部は協議の末、航行に支障のない船はそのまま出航。その後残った者たちの為に、生存可能な空間を創り出すミッションが提案された。


 エネルギー的にも技術的も困難を極めるものだったが、幸いにも最強の戦力であり、人類科学の粋である三体の機動兵器は健在であった。


 それぞれの特性、出力、機能の観点から検討を繰り返し、もっとも成功率の高い方法が選択されたが、それでも成功率は僅かに二割。


 それに加え、成否にかかわらず機動兵器パイロットの生還率は、ほぼゼロ。


 それでもパイロットたちは首を縦に振り、残された者たちの選択肢は他になかった。


 ミッションは実行に移された。


 そして今、己の役目を終えようとしている機動兵器「ガイア」の管制席で、女の胸には満足があった。


 戦う為だけに、兵器を御する為だけに生まれた自分が、最後に多くの命を救う為に……いや、それ以上に、パートナーである男の願いの為に働けたことが嬉しかった。


 一目見た瞬間、この男の為に働きたいと思った。


 まだ、女がはっきりとした外見すら持っていなかった頃の話だ。


 パイロットに選ばれた男とミーティングを繰り返す内に、男が深い哀しみを胸に秘めていることに気がつき、それを少しでも慰めようと女の外見を手に入れた。


 それがいわゆる恋愛感情なのかは不明だ。気持ちが先にあり、それに併せて外見を手に入れた。おそらくは、一般にいわれる男女の感情ではないのだろうと思う。


 だがそれらのことも、終わってみれば長くもあり、短くもある時間の中のことだった。


「……意味がないと思って確認しなかったが、俺たちはこれからどうなるんだ」


 不意の質問に、女は追憶から引き戻される。


「はい、回廊の閉鎖と同時に機体ごと虚数空間に落ち込みます。その際に機体が破壊されることはありませんが、それと前後して主要機能がほぼ全て停止状態になりますので、そこからの脱出はほぼ不可能になります」


「ほぼというのは?」


「試算によると、現時点より±二千基準年時点の歪曲空間内に機体が放り出されると思われますが、機能が低下した状態では時間凍結も、凍結睡眠もできません。おそらく、放り出されるまでの機体内経過時間は、少なくとも数百年単位になります。生存は、不可能でしょうね」


「ということは、俺たちはここでミイラか」


「回廊の閉鎖を確認したら、『ガイア』の役目も終わりです。それを見届けてしまえば、こちらでキルスイッチを入れても問題ないでしょう」


 パイロットが精神汚染、または錯乱・発狂などに陥った際に備えて、管制側(オペレーター)からパイロットを安楽死させられる機能が用意されている。餓死や発狂死よりは多少なりともマシな死に方だろうか。


「お前はどうするんだ?」


「そちらとは違って、こちらには自決の方法がいくつか用意されてますから」


「そうか……」


 しばらくの沈黙の後、男は重ねて尋ねてきた。


「回廊は通れないのか?」


 女は少し首をかしげた。生存の可能性を探っているのだろうかと思ったが、男の声からは生き延びようという熱意が感じられない。そもそも、決死の覚悟でミッションに挑んだのだ。今更、どうあがいても意味がないのは男もよくわかっているはずだ。臆病風に吹かれるような人物でもないのは女がよくわかっている。


 男の意図が読めないまま、女は男の問いに答える。


「回廊を開くまでが一番大量のエネルギーを消費しますが、一度開いてしまえば、歪曲空間の形成終了とともに回廊は勝手に閉じます。ガイアが多少予定外の行動をしても、ミッションには影響がないと思われます。ですが、残念ながら回廊自体はかなり狭いのです。ガイアではとても通り抜けられません」


「それは、ガイアでなければ通り抜けられるということか?」


 問い詰めるような口調ではなかったが、女は刃物を喉元に突きつけられたように感じた。


 思わず口ごもるが、それは答えているのと変わらない沈黙をもたらす。


「……『ニケ』なら通れるんだな?」


 確信を込めた男の言葉が、女の胸に突き刺さる。もちろん、その声に責めるような響きは微塵もなかったが。


「私は……!」


 男の声色に、胸中に膨れあがる不安を押さえつけながら、女は悲鳴のような声を上げる。男と出会い姿形を得たときから、存在するのも消えるのも男とともに、それが女の唯一の望みだ。


 口に出したことはない。だが、男はそれを解っていてくれるはずだと思っていた。


「…………すまん」


 返ってきたのは、罪人の声だった。


 一瞬の間の後、管制席のモニターがすべてレッドアウトした。けたたましい警告音が鳴り響き、音声ガイダンスが流れる。


「『ニケ』射出シーケンスに入ります。オペレーターは、衝撃に備えて下さい」


「なんでっ……?!」


 絶望に女の喉が詰まる。


 管制席にキルスイッチがあるように、操縦席にも非常時に際して簡易遊撃機を兼ねた管制席を切り離す機能があった。


 訓練のみで代えの利くパイロットよりも、失われれば再建に時間も手間もかかるオペレーターの安全と経験値を優先した結果の機能だ。


 通常の人間にはありえない水色の長い髪を振り乱し、半狂乱でシートから立ち上がった女は、正面のモニターに縋りつく。


 その方向、何枚もの装甲の向こうに、男はいる。


「…………お前にしか、頼めない……」


 それは懺悔の言葉だ。


「俺が、俺たちが命をかけた結果が、守り抜いた人たちがどうなるのか、見届けて欲しいんだ……」


 それは、女が聞いたこともないほど、弱々しい声。


 そこに込められた感情の、あまりの濃度に女は言葉を失う。


「許してくれとは……言えないな……。恨んでくれていい。だから、お願いだ……」


「……『ニケ』射出シーケンス、実行します。カウント・3・2・1……」


 音声ガイドが無情に流れる。


「……頼む……」


 接続が切れる寸前、微かに届いた言葉は、願いであり祈りであり、想いそのもの。


 衝撃。


 断絶。


 切り離された機体は、虚空にあいた穴へと落ちていく。


「……………っ!!!」


 女が呼んだ男の名は虚空に吸い込まれ、どこへも届くことはなかった。


 




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