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病院の怪

 人間を瞬時に消してしまうような凄いことをする割に、樹の足は意外に遅いのかも知れない。しかも四足でだ。自転車で逃げる車道が若干下り坂になっていたとはいえ、女の足でこぐ自転車が簡単に彼を振り切ったようである。エロにゃんの自転車は、その昔、愛する夫、輝夫が交通事故で運ばれ、息をひきとった救急病院の駐車場に来ていた。樹が追ってくる様子はないが、そのうち追いついて来るかも知れない。


……ともかく、隠れよう……


 樹がエロにゃんに近付いてきたことの目的が何であるかは分からないが、少なくとも彼女を殺したり傷つけたりすることはないように思えた。しかし、あの紫色の光といい、四足での走りといい、彼女に自分の正体を見せたことは確かだ。彼女が樹に恐怖を感じて逃げ隠れするのは、『今度、自分に何か別なことをしようとしている』という恐怖感があったからだ。そして、それはさせてはいけない、と思う。理屈ではない。それは人類の細胞に刻み込まれた種の保存の本能なのかもしれない。


 エロにゃんは病院の正面入り口から中に入っていった。会計窓口の前には数人の待合客が座って呼ばれるのを待っている。看護士さんがカルテを抱えて脇を通り過ぎる。若い医者も廊下を歩いている。入院患者らしき人が検査を終えてとぼとぼと歩いている。ごく普通の病院の光景だ。ただ一つ、彼女にとって他の病院と違うところ。それは、夫、輝夫の亡くなった病院、悲しみの漂う空間、ということであった。

 

 最後の思い出の場所となった地下の霊安室へ降りようとして、エロにゃんはふと嫌な予感がした。そして立ち止まり後ろを振り返った。


 病院の入り口付近に樹がいる。もはや樹は人間の姿をしていなかった。それが樹と分かるのはおそらくエロにゃんだけだったであろう。彼の振りまく独特の『雰囲気』はある一定の波長を常に彼女の頭の中へ送り込んで来るのだ。


 もう一つ。この病院が他の病院と決定的に違うところがあった。これは彼女でなくとも分かる。


 この病院は三年前に閉鎖され、人っ子一人いない『廃病院』となっているのだ。


 エロにゃんは霊安室へ行くのを止め、柱の影に身を隠した。相変わらず、看護士や医者や入院患者が沢山フロアを行き来している。そのうち入院患者がこのフロアにどんどん集まってきた。霊安室からも大勢の人たちが階段を上がってきた。


……この人たちは、いったい何なの? ……


 樹が左右に首を振りながらずるずると病院の中へ入ってきた。前足が極端に長い四足。全身漆黒である。ロビーのほぼ中央まで進んできたとき、柱の影にいたエロにゃんはあっさりと樹に発見された。


 「ギャオウ!」


 樹は大きな叫び声を轟かせゆっくりとエロにゃんのいる柱の方へ歩いてきた。彼女は固まったように身動き一つできない。


 霊安室のほうからは、上がってきた人々が樹の方へ進んで行き、樹を取り巻く。どんどんと人が増えてきて樹を幾重にも取り囲んでいった。

 

 その時、樹の頭が紫色に光った。樹の頭はぐるぐると回りながら光が皿のようになって取り囲んでいる人々にふり注がれる。たちまちのうちに人々は首を失って上から消えていく。しかし、霊安室からはどんどん人が上がってきて樹に近付いていく。樹は気が狂ったように走り出し、次々と人々に紫色の光をふりまいているが、群がる人々に体のあちらこちらを蝕まれていき、その姿はやがて液体のようになり、最後には蒸発してなくなった。


 樹は消えてなくなった。その瞬間からフロアに溢れんばかりいた人々の姿は消えていき、最後に一人の男の姿が残った。


……あなた……

 

 その姿は紛れもなく、交通事故でこの病院に運ばれ、亡くなった愛する夫、輝夫の姿だった。


……淑子……


……あなた、まだこんなところでうろうろしていたの? 頭大丈夫? もうこの病院はとっくに閉鎖されたのよ……


 亡くなった夫、輝夫は生きていたときと同じ。とっても無邪気な表情をしている。エロにゃんはこれ以上ない、というような笑顔を湛えて見せた。夫、輝夫の表情が明らかに変わった。


 彼女と同じ。これ以上ない、というような笑顔。


「ありがとう、あなた。あなたにもう一度会えるなんて思ってもみなかった。エイリアンさんに感謝しないとね」


……ははははは……


 夫、輝夫の笑い声がエロにゃんの耳に響いた。


「ははははは」


 彼女も大きな声を出して笑っていた。


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