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『家門の恥』と追放された次女、隣国で魔導商会の主となる ~破産寸前の実家を救済? いいえ、私が買収いたします~  作者: jnkjnk


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第三話:謎の女商会長からの招待状

王都の中心街にそびえ立つ、最高級ホテル「ホテル・メルヴェイユ」。

大理石の柱と深紅の絨毯、そして天井には巨大なシャンデリアが煌めくその場所は、成功者だけが足を踏み入れることを許された聖域だ。

そのエントランスに、一台の馬車が滑り込んだ。

塗装の剥げかけた車体を無理やり磨き上げたような、どこか痛々しい馬車である。


「いい? リリアナ。背筋を伸ばしなさい。私たちはルクレール家の人間なのよ。どんな相手だろうと、ナメられてはいけないわ」

「分かってるわよ、お母様。……ねえ、私のドレス、変じゃない? 流行遅れに見えない?」

「大丈夫よ。その首飾りも素晴らしいわ。さすがは我が家の家宝ね」


馬車の中で互いの格好を確認し合っているのは、ベアトリスとリリアナだ。

この日のために、彼女たちは屋敷に残っていた数少ない金目のものを──父が母に贈った宝石や、銀食器のセットを──質に入れ、最新のドレスをレンタルしていた。

ベアトリスは濃い紫色のドレスに身を包み、厚化粧で顔の疲れを覆い隠している。リリアナは胸元が大きく開いたピンクのドレスで、若さを武器にする気満々だ。


御者が扉を開けると、二人は努めて優雅な動作で降り立った。

しかし、ホテルのドアマンの視線は冷ややかだった。プロの彼らには、借り物のドレスと、手入れの行き届いていない肌の質感、そして何より彼女たちが纏う「焦燥感」が見えていたのだろう。


「お待ちしておりました、ルクレール様。特別室へご案内いたします」


恭しいが事務的な案内係の言葉に、ベアトリスは傲慢に頷いた。


「ええ、頼むわ。……まったく、相手の方もわざわざこんなホテルを指定するなんて。私たちに敬意を表して、屋敷まで出向くのが筋というものでしょう?」

「お母様、声が大きいわ」

「あら、事実よ。私たちは『買われる』のではなく、『提携してあげる』立場なのだから」


廊下を歩きながら、ベアトリスは自分に言い聞かせるように呟いた。

その言葉は虚勢そのものだったが、彼女自身はその虚構を信じ込むことでしか、自我を保てないのだろう。


案内されたのは、最上階にあるスイートルームだった。

重厚な扉の前で、案内係が足を止める。


「こちらでございます。『ノワール商会』代表代理、アリアドネ様がお待ちです」


アリアドネ。

聞き慣れない名前だ。ベアトリスたちは顔を見合わせ、肩をすくめた。

扉がゆっくりと開かれる。


部屋の中は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

窓の外には王都の夜景が一望できる。

その窓辺にある豪奢なソファに、一人の女性が座っていた。


「ようこそ、ベアトリス様、リリアナ様」


鈴を転がすような、しかしどこか冷たさを帯びた声。

その女性は、顔全体を黒いレースのヴェールで覆っていた。表情は窺い知れない。

身につけているのは、一目で最高級品と分かる深紅のベルベットドレス。その艶やかな光沢と、計算し尽くされたシルエットは、ベアトリスたちが着ているレンタルドレスが霞んで見えるほどの圧倒的な存在感を放っていた。


「あなたが……ノワール商会の方?」


ベアトリスは一瞬気圧されたが、すぐに扇子を開いて口元を隠し、貴婦人の仮面を被り直した。


「お初にお目にかかります。ルクレール商会当主、ベアトリス・ルクレールです。こちらは娘のリリアナ」

「ごきげんよう」


リリアナが媚びるような上目遣いで挨拶をする。

ヴェールの奥の女性──アリアドネは、ゆっくりと頷き、対面の席を勧めた。


「どうぞ、お掛けください。本日は急なお呼び立てにも関わらず、お越しいただき感謝いたします」

「ええ、まあ、私たちも多忙なのだけれど、熱心なオファーを頂いたからには、無下にするのも失礼かと思いまして」


ベアトリスはソファに深く腰掛け、部屋を見回した。


「それにしても、素晴らしいお部屋ね。ノワール商会というのは、最近随分と羽振りが良いと伺っておりますわ。我が家のような歴史ある商会と手を組みたいというお気持ち、よく分かります」

「……ええ。ルクレール家の『歴史』には、大いに興味がございます」


アリアドネの声に、微かな棘が含まれていることに二人は気づかない。

彼女は手元の銀の呼び鈴を鳴らした。

すぐに給仕が現れ、香り高い紅茶と、宝石のような小菓子を並べていく。


「さて、本題に入りましょう」


アリアドネは、テーブルの上に分厚い革張りのファイルを置いた。


「事前に書面でお伝えした通り、我々はルクレール商会の包括的な支援──実質的な経営権の譲渡を含めた提携を提案しております。その条件として、現在の負債総額である金貨三千枚、これを全て弊社が肩代わりいたします」


金貨三千枚。

その数字を聞いた瞬間、ベアトリスの目が欲望に輝いた。

それは、彼女たちが抱える借金の総額とほぼ一致していたからだ。


「さ、三千枚……! ええ、ええ、妥当な数字ね。私たちのブランド価値を考えれば、当然の評価だわ」

「ただし」


アリアドネは言葉を遮るように、人差し指を立てた。


「契約を結ぶにあたり、現状の確認をさせていただきたいのです。……なぜ、かつての名門ルクレール商会が、これほどの負債を抱えるに至ったのか。その原因について、当主であるあなた様の口から説明を願えますか?」


ベアトリスの表情が曇る。

痛いところを突かれた、という顔だ。だが、彼女はすぐに被害者ぶった表情を作り、大きなため息をついた。


「聞いてくださる? 実はね、全ては使用人たちのせいなのよ」

「使用人、ですか?」

「ええ。先代──私の夫が亡くなってからというもの、古株の使用人たちが怠慢になりましてね。商品の管理はずさんだし、お客様への対応も失礼極まりない。私がどれだけ指導しても聞く耳を持たなくて……。結局、彼らのミスの尻拭いをするために、資金が必要だったのです」


息を吐くように嘘をつく。

さらに、リリアナが横から口を挟んだ。


「それにね、泥棒もいたのよ」

「泥棒?」

「ええ。義理の妹なんですけど。アリアって言うの。あの子、見た目は地味なくせに手癖が悪くて。家の金を横領して、三年前に男と駆け落ちして出て行ったのよ。その持ち逃げされた額が大きくて、私たちは本当に苦労したんです」


ヴェールの奥で、アリアドネの瞳がすっと細められたのが分かった。

アリアは膝の上で拳を握りしめそうになるのを、強い理性で抑え込む。

(……よくもまあ、そこまで厚顔無恥な嘘がつけるものね)

自分を追い出しただけでなく、横領犯の汚名まで着せていたとは。

怒りを通り越して、もはや感心すら覚えるほどの腐敗ぶりだ。


「……なるほど。使用人の怠慢と、義理の娘による横領。それが原因であると?」

「ええ、そうですわ。私とリリアナは、必死で家を守ろうとした被害者なのです」


ベアトリスはハンカチで嘘の涙を拭う仕草を見せた。


「そうですか。……では、こちらの資料についてご説明いただけますか?」


アリアドネはファイルを開き、一枚の書類をテーブルに滑らせた。

それは、ある宝石店の請求書の写しだった。


「こ、これは……」

「日付は半年前。最高級のブルーダイヤモンドのネックレス。価格は金貨三百枚。……これは『商品の仕入れ』として計上されていますが、商会の在庫リストには存在しません。どこへ行ったのでしょうか?」


ベアトリスの顔が引きつる。

そのネックレスは今、彼女の首にかかっているものだ。とっさに手で隠そうとするが、もう遅い。


「さらにこちら。三ヶ月前の、リゾート地への長期滞在費。これも『視察旅行』として経費処理されていますが、同行者に商売関係者の名前はありません。代わりに、ホストクラブの男性数名の名前がありますが」

「なっ……!?」


リリアナが悲鳴のような声を上げる。


「ど、どうしてそんなものを!?」

「商売をする以上、パートナーの財務状況を調査するのは当然の義務ですわ。……ベアトリス様、あなたは先ほど『使用人の怠慢』とおっしゃいましたが、この三年間で解雇、あるいは自主退職した使用人の証言を集めたところ、全く逆の話が聞こえてきました」


アリアドネは次々と書類を提示していく。

元執事の証言、未払いの給与明細、違法な高利貸しとの契約書。

それらは全て、ベアトリスとリリアナの放漫経営と浪費の動かぬ証拠だった。


「『給金を払ってくれと頼んだら水をかけられた』。『病気の母のために前借りを頼んだら、クビにされた』……。これが、あなたの言う『指導』ですか?」


静かな声だった。

怒鳴り声よりも恐ろしい、絶対零度の糾弾。

ベアトリスは顔面蒼白になり、震える声で反論を試みる。


「そ、それは……彼らが嘘をついているのよ! 下賎な者たちは、すぐに主人を陥れようとするから!」

「数字は嘘をつきません」


アリアドネは冷たく言い放つ。


「直近の決算書における、交際費と被服費の割合は異常です。商売の利益の実に八割が、あなた方の個人的な贅沢に消えている。……横領していたのは、義理の娘さんではなく、あなた方自身ではありませんか?」


「失礼な!」


ベアトリスが立ち上がった。


「誰に向かって口を利いているの! 私は由緒あるルクレール家の当主よ! たかが新興商会の代表ごときが、説教なんて……!」

「お座りください」


アリアドネが鋭く言った。

その声に含まれる“威圧感”に、ベアトリスは思わず腰を抜かすようにソファへ戻った。

ただの商人ではない。数多の修羅場を潜り抜けてきた者だけが持つ、王者の覇気。

ヴェールの奥から射抜くような視線を感じ、ベアトリスは喉を鳴らした。


「……現状、ルクレール家は破産寸前、いえ、実質的にはすでに破綻しています。このままでは、一週間以内に屋敷は差し押さえられ、あなた方は詐欺罪で告発される可能性すらある」


「さ、詐欺罪……?」

「粉飾決算をして銀行から融資を引き出していますね? これは立派な犯罪です。告発されれば、牢獄行きは免れません」


牢獄。

その単語の重みに、リリアナが泣き出した。


「いや! 牢屋なんて嫌! お母様、どうにかしてよ!」

「う、うるさいわね! ……そ、それで、どうすればいいのよ……」


ベアトリスのプライドは粉々に砕け散っていた。

彼女は藁にもすがる思いで、目の前の「謎の女」を見つめた。


「助けて……助けてちょうだい。条件は何でも飲むわ。だから、牢屋だけは……今の生活だけは……」

「賢明なご判断です」


アリアドネは、最後の一枚──契約書を取り出した。


「これが救済の条件です。ルクレール商会の全資産、商標権、そして屋敷の所有権を、ノワール商会へ譲渡すること。その対価として、我々が負債を全額弁済し、銀行への告発も食い止めます」

「全資産……屋敷も……?」

「当然でしょう。あなた方に経営能力がないことは明白です。これ以上、伝統ある商会を汚させはしません。……サインを」


漆黒の万年筆が差し出される。

ベアトリスの手が震える。

これにサインをすれば、彼女は全てを失う。当主としての地位も、家も、財産も。

だが、拒否すれば待っているのは破滅と牢獄だ。


「……分かったわ」


ベアトリスは震える手でペンを取った。

屈辱と恐怖で涙が滲む。

(どうしてこんなことに。私はただ、高貴に生きたかっただけなのに……)


「ここに、名前を書けばいいのね……?」

「ええ。それで全てが終わります。……いえ、全てが『あるべき場所』へ戻るのです」


アリアドネは、その瞬間を静かに見守っていた。

ヴェールの下で、彼女はどんな表情をしているのか。

勝利の笑みか、それとも虚しさか。


ペンの先が紙に触れる。

カリカリという音が、処刑場の足音のように部屋に響いた。

ベアトリス・ルクレール。

その署名が書き終わった瞬間、アリアドネがふっと息を吐いた。


契約成立。

これで、ルクレール家は法的にノワール商会──つまり、アリアのものとなった。


「……書きました。これで、いいんでしょう?」


ベアトリスは力なくペンを置いた。

魂が抜けたような顔をしている。

リリアナは隣でしゃくり上げている。


「ええ、結構です。手続きは完了しました」


アリアドネは契約書を丁寧に確認し、ファイルに収めた。

そして、ゆっくりと立ち上がった。


「……最後に、一つだけ確認させていただいてもよろしいですか?」

「な、何よ……もう何も残ってないわよ」

「いいえ、資産の話ではありません。……三年前のことです」


アリアドネは窓際に歩み寄り、背を向けたまま語りかけた。


「雨の夜、あなた方は一人の少女を家から追い出しましたね。『商才がない』『地味で華がない』と罵って。……彼女が残したノートを燃やし、嘲笑いながら」


ベアトリスとリリアナが顔を上げる。

なぜ、この女がそんな個人的なことを知っているのか。

恐怖が、背筋を駆け上がる。


「ど、どうしてそのことを……あなたは、一体……」


「その少女は、泣きませんでした。ただ、誓ったのです。いつか必ず、自分の価値を証明してみせると」


アリアドネが振り返る。

彼女の手が、顔を覆っていた黒いヴェールへと伸びた。


「お久しぶりですね、お義母様、リリアナお義姉様」


ヴェールが上げられる。

そこに現れたのは、かつての煤けた少女ではない。

自信と知性、そして圧倒的な美しさを纏った、一人の若き女商会長の姿だった。


「……ア、アリア……!?」


ベアトリスの目が限界まで見開かれた。

喉からヒュッという空気が漏れる。

信じられないものを見る目。亡霊を見たかのような絶叫が、喉の奥で凍りつく。


「ええ。ただいま戻りました。“売り払われた娘”の再来です」


アリアは優雅に、かつてないほど完璧なカーテシーを披露した。

その微笑みは美しく、そして残酷なまでに冷徹だった。

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