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『やった、やった、やった!』
褒めて遣わすぞ皆の衆! とフリードリヒ大王がぴょんぴょん飛び跳ねている。仕事の昼休み中、フリードリヒ大王の配信を見に行ったら、なんと葛飾サーバーへのゲートを見つけたらしかった。大王の読み通り、隅田稲荷神社地点にプロキシサーバーの鳥居があったのである。
みんな真似して飛び跳ねているのは、視聴者の声が入らない普通のオンラインゲームの喜び方の名残だろう、視聴者が自我を持って発言するのはあまり好まれないからだ。こうして自我を抑えてくれる良質な視聴者を平日の真っ昼間に百人以上集められるなんて、さすが啓蒙主義君主を名乗るだけある。
『いざ我ら、勇猛の民なるを示せ!』
そうやって墨田サーバーからプロキシサーバーに雪崩込んだ。針葉樹林の寂れた高架道路が広がる。拘置所の外から攻める準備は着々と進んでいた。あとはフリードリヒ大王が拘置所を見つけてくれた時のために、内側から脱獄の準備を整えておかなければならない。
「面白いことになってんじゃねえか」
仕事から帰って夜二〇時、班のメンバーと合流する。ぼくがいない間にしっかり旧牢舎跡までのルート選定をしてくれていた。立案者は、昨日メタルギアの冗談を交えた二十代後半のプレイヤーだ。収容棟Aの裏庭の、人目を忍んだ用具倉庫脇に集まっている。
「ボヤ騒ぎでアンドロイドが手薄になった隙に、まずはここのフェンスをニッパーで破ります。人数分あるので目標は一枚辺り四〇秒です。んで、ここから壁際に大回りしていって、あの職員棟の裏手で監視網をやり過ごした後、猛ダッシュで近づくって算段です」
うむぅ、と相槌を打つ。せっかく明るいうちに考えてくれた以上、いまさら僕が思いつきで修正するべきところはないだろうが、念のため懸念点を突いてみる。
「いちいち聞くまでもないだろうけど、ルート的には最短コースじゃないよね?」
理論上の最短コースは、収容棟Aと正面門との百メートル程の直進路である。なにか奇策を講じれば直進路を通って大幅に移動時間を短縮できそうだが、
「あそこを?」
そう短く茶化された。言うまでもなく、出口への直進路はサーチライトが集中的に充てられている。いくら陽動しても、あの監視網を掻い潜るのだけは不可能だろう。ぼくとしても異論はないので嘲笑と共に同意しておく。
「一か八か」
そうやって視野を拘置所全体に広げると、ぼくたち以外に多くの班が内密に打ち合わせしていた。改めて計画の規模に圧倒される。ぼくは最初この計画を米ドラマ『プリズン・ブレイク』に準えたが、あれは主人公を始め八人の囚人が脱獄するという個人規模の作戦だった。この脱走計画には最大六〇人程が参加する。規模から言えば、むしろジョン・スタージェス監督の戦争映画『大脱走』がより近いかもしれない。敵国ドイツに囚われた連合国軍総勢二五〇人が総出で脱走を図るという、タイトル通りのスペクタクル映画であるが、その所感を立案者に冗談めかしたところ、
「じゃあ、トンネルを掘りませんとな」
うまく軽口を叩いてきた。これは大規模な脱走のために収容所の外に続く地下トンネルを用意したという史実を踏まえてのジョークである。ぼくも負けじと「掘るのが墓穴じゃないのを祈りましょう」と返した。
「ふふっ」
立案者が薄く笑う。趣味といい教養といい、なかなかの学を感じずにはいられない。勿論、拘置所外まで地下トンネルを掘るような大規模な作戦は脱獄決行まで日数が少ないぼくたちには採用できないが、いっぽうでLPV運営としても、これほど早く、しかもこれほど大規模な計画が進行するとは想定外ではないだろうか。
「まさか最大手の配信者が捕まるなんて思いも寄らなかったでしょうな」
本来は囚人同士が地道な根回しによって結束した末に脱獄すべきなのを、東承太郎の鶴の一声によってすっ飛ばしたのだ。これだけ強力な団結があれば、脱獄の可能性は充分あるだろう。夜空を見る。LPV運営はいま、何をしているのか?
「よくよく考えたら、おれたちの計画って運営には筒抜けなんじゃ」
システム上は会話の盗聴だって可能ではないか? 大本の前提に疑問を呈すると、立案者はきっぱり、それはないですと反論してきた。
「会議はいつも、東承太郎さんのYouTubeチャンネルで行っていました。だから、会議がどう進んだかはゲーム内からは知り得ないわけです。その知り得ない情報を知り得ていたら、LPV運営はゲームバランス調整のため外部のアプリケーション情報を意図的に覗いていたことになる――」
そこまで言われれば、ことの重大さが伝わってきた。それはまずい。チーターの存在はゲームのセキュリティ信頼を揺るがすが、覗き見はゲーム会社そのものの信頼を揺るがすからだ。もしも運営が脱獄計画を知った上での予防策を張っていたとしたら、東承太郎の配信を見ていたことになる。それは「ゲーム内のことはゲーム内で完結させるべき」というエクリチュールの従来のスタンスとは相反している。
「せっかくプレイヤーがゲームに夢中になっているのに、運営自身がメタ認知してたら?」
クッソ萎えるでしょう、と答えておいた。株式会社エクリチュールはプレイヤーをゲームに熱中させるために今までメタ認知を避けてきたのに、いまになって方針を変えたら、プレイヤーからは信頼されなくなるだろう。
「かといって、この監獄から脱獄者を許すわけにはいかない。ゲーム世界におけるチーターは国家転覆級の政治犯に匹敵するからです。どんな罪より遥かに重い。そのチーターが収監されている、ということは、ここはLPV最難関の監獄に違いありません」
「脱獄可能であるにしても、実質不可能レベルの難易度ということですね」
「そうです、秩序の象徴『監獄』の無謬性が疑問視されれば、プレイヤーは当然こう思うでしょう。チーターの捕縛すらできない運営は、果たして今後、快適なゲーム世界を提供してくれるのか? 十九世紀の哲学者ギュスターヴ・ル・ボン曰く、議論される権威はすでに権威ではない。監獄が陥落すれば、まさにバスティーユ牢獄の二の舞いでしょう」
マジで頭いい人じゃん、どこ大だろと聞こうとした矢先、自由時間終了のベルが鳴った。もうちょっと話していたかったが、みんなに激励するべく、班のリーダーとして声音を変える。
「さあ正念場です! トイレ、食事、クールタイム、各自うまく調整するようにっ」
最後の準備時間になる。ぼくは喫煙のために短くログアウトすると、あとは不測の事態に対応できるようにゲーム内で待機した。東承太郎のチャンネルをぼんやり眺める。開始十分前、班のメンバーが問題なくログインすると、そのことを東承太郎に報告した。
『揃ったか』
自由時間まで、チャンネルを通じて班のリーダーと他愛ない話をする。どうやら全員が揃った班は珍しいらしい。時間の経過と共に、参加者の熱量が下がっているのだ。あの眼鏡の青年の班などはリーダーごといなくなったという。きっと視聴者に叩かれるのが怖くなったに違いない、なんともいたたまれないのを打ち明けると、地雷系美少年の黒魅めあが一言添えてきた。
『みんながみんな、絶対に脱獄したいって熱量じゃないんですよ』
その補足に、東承太郎も「うん」としみじみ頷いていた。幾度となく大規模企画を開催してきた者として同じような参加者をたくさん見てきたに違いない。参加者の多くは有名配信者の脱走劇に便乗したいだけの烏合の衆なのだ。時間が経つほどに脱落者が増えるのに留意しなくてはならない。
「どのみち、明日明後日がリミットということか」
二三時の自由時間のベルが鳴る。ある班は雑居房に残り、ある班は運動場に移った。その列の後ろから東承太郎が「Fさん! 頼みましたぜ」と背中を叩いてくる。この作戦の要がぼくだということを改めて自覚させられた。ここまで手間暇かけたのにあっけなく見つかったら? 実はやばいことに足を突っ込んでいるのではないか? 東承太郎の視聴者が「がんばれ!」とか「応援してます!」とか言ってくれるのが逆に恐ろしい。自分の視聴者にだけは「ほんと助けて」「ゲロ吐きそう」と本音を漏らした。みんな所定の位置につく。あとは東承太郎の作戦開始の合図を待つばかりだ。




