プロポーズした方が負け、された方が好き
その日、庁舎では年に一度の“功績者表彰式”が行われていた。
文書管理課の中でも、とくに書類処理の効率化に貢献した職員が選ばれ、表彰される。
ミリア・アスターは、その受賞者に選ばれていた。
◇
式が終わったあと、会場裏の庭園で。
「……表彰、おめでとう」
レオン・グレイフは、花束ではなく、上等な封筒をミリアに差し出した。
「ありがとうございます。でもこれは……?」
「特別休暇申請書だ。俺の監査で、すでに承認済みだ」
「なぜ私に?」
「功績者は、数日休んでいいと規定にある」
「……“形式上の好意”というやつですか?」
「……そうかもな」
ミリアは封筒を受け取る。
その瞬間、レオンがわずかに眉を寄せた。
「何か?」
「いや……お前が“素直に受け取る”とは思ってなかった」
「そうですか。……では、返しましょうか?」
「いや、今のやりとりがあった時点で、もう“受け取ったこと”にはなっている」
そう言って、二人はほぼ同時に笑った。
◇
そのあと、ミリアは庁舎を出て、休暇初日として市内の小さなカフェに入った。
そして、そこに“偶然”レオンが現れたのは、奇跡でも運命でもなく、予定された必然だった。
「お前もここに来ると思ってた」
「私は“来ないかもしれない”と思っていました」
「なら、どうしてここに?」
「……“もしかしたら来るかもしれない人”がいたので」
「偶然に期待してたんだな」
「そういうあなたは?」
「“偶然に会う”という演出のために、事前に調べた。ここが、君の好みに合うことも」
「なら、それは偶然じゃありませんね」
「そうさ。だから言うよ――」
言葉が、止まった。
言えば、負けだ。
言わなければ、進まない。
そのとき、ミリアが静かに言った。
「……あなたが、負けてくれても、いいんですよ?」
「は?」
「このゲームは、“プロポーズしたほうが負け”です。だから……」
ミリアは、ゆっくりと立ち上がり、テーブル越しにレオンを見下ろした。
「私があなたに、“結婚してくれますか?”と言わせたら、私の勝ちです」
「……なんだよ、それ」
「でも、こういうのも悪くないでしょう? “してやられた”って思いながら、誰かと一緒になるのも」
レオンはしばらく黙っていた。
ミリアは、最後の一押しも、しなかった。追い詰めず、逃げ道も塞がず、ただ“言わせる”のを待った。
そして数秒後――
「……俺と、結婚してくれますか?」
その瞬間、ミリアの顔に浮かんだのは、勝ち誇ったような、でもどこか切なさもにじむ笑顔だった。
「はい。喜んで。……ありがとう。言ってくれて」
◇
庁舎に戻った後、噂はすぐに広まった。
「え!? 監査官のほうからプロポーズしたんですか?」
「うん。でも……あれはきっと、“させられた”のよ」
「……ですよねぇ。ミリアさん、やっぱ怖い……」
それでも、誰もが知っていた。
レオン・グレイフが“負けた”その瞬間こそが、
彼の人生で最も幸福な敗北だったと。