表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

距離と偶然の演出、雨宿りの戦線

昼過ぎ。天気は快晴だったが、予報には“通り雨の可能性”と小さく書かれていた。


 その情報を信じて傘を持ってきた者は、庁舎内にほとんどいなかった。信じなかったのではない。ただ、「降っても短時間だろう」と軽く見ていたのだ。


 だが、その日。


 通り雨は、予報よりもずっと長く、そして局所的に激しかった。



 庁舎の中庭――通用門から連絡通路までのわずかな距離。そこには、木製の簡素な東屋があり、庁舎職員のちょっとした休憩所として使われている。


 午後三時。


 激しく降り始めた雨のなか、その東屋に偶然、二人の人物が“鉢合わせた”。


 ミリア・アスターと、レオン・グレイフ。


「……奇遇ですね、監査官」


「まったくだ。君がこの時間にここを通るとは思わなかった」


「私も同じです。あなたはいつもこの時間、書庫の点検では?」


「それを言うなら、君こそ来客対応の時間では?」


 二人は、東屋の端と端に立ったまま、静かに睨み合った。


 ──明らかに、どちらもこの雨宿りを“狙って”来ていた。


(ここは屋根が狭い。距離を縮めざるをえない)


(雨の音が会話を遮る。聞き返すために、自然と声を近づけることになる)


 そして何より――雨という状況が、「二人きりの偶然」を演出するのに格好の舞台だった。


 レオンが一歩、内側に踏み出す。ミリアがその対角に下がる。


 距離は保たれる。だがそれは、警戒ではない。計算だった。


「あなたが先に来ていたのですね?」


「いや、君が一歩早かった。俺は……“ついでに寄っただけ”だ」


「私も“偶然、近くを通りかかっただけ”です」


「そうか。ならば、互いに目的はなかったわけだ」


「……でも、こうして会話が生まれている以上、“偶然”も意味を持ちますね」


(くっ……“偶然を意味に変えた”か……!)


 レオンの眉がわずかに動く。


 “偶然”を演出するのは戦略だ。だが、それを“意味あるもの”に変換するのは、さらに上の技だ。


(これは……俺がこの場を“特別な出来事”と認識した時点で、彼女に軍配が上がる)


 だからこそ、レオンは言い返す。


「いや。これは意味を持たない偶然だ。ただの雨宿りだよ、ミリア」


「……もしこれが“ただの雨宿り”だとしても、私は“雨宿りの時間”をあなたと過ごすことになります」


「……!」


「何も起こらなかったとしても、何も起こらなかった時間を、私と過ごした記憶は、あなたの中に残るでしょう」


 雨音が大きくなる。

 レオンは、口を開けずに、しばらく彼女を見つめた。


 その沈黙を破ったのは、ミリアだった。


「……たとえば、“私がこの雨を読んで、ここにいた”としたら」


 レオンの瞳が細められる。


「それはつまり、“あなたも私と同じように読んだ”ということになります。そうでなければ、ここで会うはずがない」


「君は……俺がここに来ると、思っていたのか?」


「いえ。思っていません。ただ、“来るかもしれない”と期待していました」


 その言い回しは、まるで“期待していたこと”を責めるなと言わんばかりの無垢さだった。


「雨が降る可能性にかけて、ここに立っていただけです。もしあなたが来なければ、それはそれで、“誰とも話さずに過ごした東屋の時間”が残ります」


 たったそれだけの言葉。

 けれども、それはレオンにとって、確実に“意識”を刺激する一撃だった。


(……“誰といたか”より、“誰といなかったか”を使うとは)


 レオンは静かに視線を外す。そして自分の立ち位置を一歩、中央に寄せた。


「なら、俺も同じだ。俺がここに来たのは……誰かがいるかもしれないと思ったからだ。誰でもよかった」


「なら、私でよかったですね」


 ミリアはそう言って、傘を開いた。


 その傘は、朝、別の同僚が忘れていったものだった。


「私はこれで失礼します。……あなたが傘をお持ちでないなら、お貸ししますよ?」


「……俺が“貸された”ら、君に恩を返すことになるな」


「ええ。“返さなかったら薄情”という空気が、庁舎中に漂うでしょう」


 レオンは、静かに笑った。


「それは困る。……だが、君に借りを作った方が、返す楽しみもある」


「でしたら、お貸しします。あなたが“楽しむ”というなら」


 二人は、互いの距離を、雨の音に紛れて一歩だけ縮めた。


 ほんのわずか。誰にも気づかれない程度に。


 それが、この日、この東屋の雨宿り戦線で、唯一確かに起きた変化だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ