私の旦那様は、愛が重たい
私の旦那様は、愛が重たい──。
「ふふ、可愛いね。エリザベート」
旦那様の帰宅早々、今日も私は彼に捕獲された。
玄関先で使用人の目も気にせず、彼は愛情を示してくる。
「ヴィンス様、あの……みんなも見ていますし……」
「ああ、そうだな。悪かった」
よかった、解放される。
そう思ったが、私はひょいっと体を持ち上げられた。
「え……」
そのまま寝室へと連れていかれてベッドに座らされる。
そうして彼はゆっくりと私の耳元で囁いた。
「こういう甘い時間は、二人きりじゃないとね」
そういうとニヤリと笑って私の首筋をぺろりと舐めた。
これだ。
この愛情表現を旦那様は毎日する。
そうして、ちゅっと音をさせて私を目を合わせて微笑む。
彼の黒髪に月の光が差している。
美しく、そして艶やかな髪の奥から、青い瞳が覗いていた。
「ちょっと意地悪しすぎたかな」
そう言って旦那様はジャケットを脱いだ。
そしてシャツのボタンをはずした時、そこには黒い薔薇のような痣が見える。
私はこの「痣」を知っていた。
なぜならそれは、私が前世で殺したヴァンパイアにあった紋章と同じだったから──。
前世で私は国でただ一人の大聖女であった。
穢れを浄化し、人々の中に眠る生命力を高める。
教会で人々の病気の治癒の手助け、傷ついた兵士の治療など自分のできることはなんでもやった。
『もう誰も死なせたくない』
幼い頃に目の前で魔物に襲われて家族を殺された私は、そう誓っていた。
そして、ついに魔物の力が強くなる『暗黒の夜』の日──。
王宮は一人のヴァンパイアによって壊滅的被害を被っていた。
人々が満身創痍の中、なんとか私は彼を倒すことに成功したのだ。
しかし、その戦いでの傷が原因で私は数日後に命を落としてしまった。
そんな前世を思い出したのは、つい昨日のことだった。
政略結婚をした私と旦那様だったが、今考えると旦那様の愛情表現は最初から強めだった。
『エリザベート、好きだよ』
こんな甘い言葉は結婚してから一年、毎日受けている。
普段は冷酷公爵と言われる方で、私以外には無口で笑顔は滅多に見せない。
そんな彼が私にだけ愛情を向ける。
おかしい……。
そう考えた矢先、私は彼の鎖骨のあたりに黒い薔薇のような痣を見つけた。
私の中で合点がいった。
『きっと彼は前世での復讐を私にしようとしている』
彼も前世の記憶があって、今世の私を殺そうとしているのではないか。
そうに違いない……。
「今日はなんだか静かだね、何かあった?」
「え……」
いけない。つい考え込んでしまった。
旦那様は私のもとに近づき、頬をひと撫でする。
「どうしたの?」
「あ……」
私は黙り込んでしまった。
うまく言葉が出て来なくて、あたふたしてしまう。
そんな時だった。
彼が呟く。
「もしかして思い出したのかな、前世を」
その瞬間、私は大きく目を開いた。
殺されるっ!!
そう思った私は息を飲んで目をぎゅっとつぶった。
爪で引き裂かれるのだろうか。
それともかみ砕かれるのだろうか。
自分の死を想像したが、その時はいつまで経っても訪れなかった。
ゆっくり目を開くと、そこには優しい顔をした旦那様がいた。
「旦那、様……?」
彼はいつもと違って私と距離を取っている。
「君は私が怖い?」
その言葉にすぐに答えられなかった。
すると、彼は引き出しの中から一枚の紙を出し、それを私に差し出した。
「離婚届……」
私に渡されたのは、彼の名がすでに書かれた離婚届だった。
「君と出会って、すぐにあの時の大聖女の生まれ変わりだと気づいたよ。あの時受けた魔法が私の魂に残っていたからね。でも、君は覚えていないようだった」
そうだ、私はつい昨日まで自分の前世のことを知らなかった。
でも、旦那様は気づいていたんだ。
「君を殺そうと思った」
旦那様の冷たい言葉に、私の心臓がドクンと跳ねた。
「でも、そんな決心をした私に、君はただ一言いった。『あなたを好きになってもいいですか?』と」
「あ……」
私は今まで人を好きになることがなかった。
そんな時、旦那様と初めて会った時、今までとは違う不思議な感覚があった。
『あなたを好きになってもいいですか?』
初夜に尋ねたその言葉には、私の新しい人生への希望が含まれていた。
初めて恋というものができるかもしれない。
そう思ったのだ。
「君はあとけない顔で恥ずかしそうに、目を閉じた。私に全てを任せる君に、不思議と復讐の気持ちが消えていったんだ。私はこの子を愛してみたい。そう思った」
「旦那様……」
「だが、前世を思い出してしまったなら……。きっと私と顔を合わせるのも嫌だろう?」
そこまで話して私にペンを差し出した。
離婚届にサインをしてほしい、という意味だろう。
確かに前世を思い出してしまって、最初は怖かった。
でも、きっとそれは旦那様もそうなんじゃないだろうか。
私は今までの一年を思い出す。
朝食を食べる時はスープからな彼も、ジャケットは右から袖を通さないと気が済まない彼も、私に真っすぐ愛を囁いてくれる彼も、私は……。
「私は……」
そう呟いた私は、離婚届を破った。
私の行動に旦那様はひどく驚いている。
「私は言いました。『あなたを好きになってもいいですか?』と」
「ああ……」
「あの時は自分の気持ちがわかりませんでしたが、今ならはっきり言えます」
私は立ち上がって、彼のシャツを引っ張ると、そのまま自分の唇を彼の唇にちょんとつけた。
目が合った時、私は一言……ただ、一言いった。
「好きになりました。前世の因果をあなたと共に乗り越えたい」
彼は小さな声で私の名を呼んだ。
そうして二人の影はゆっくりと重なった。
前世の因果を越えた愛が、始まった。
読んでいただきありがとうございました!
短いお話となってしまいましたが、よかったらブクマや評価などいただけますと励みになります。