再誕
まさかこんな事件になるなんて。
ボクは先程までいた研究所から脱出し、足場の悪い森の中を必死に逃げていた。
ボクの名前は竜王 蒼、こう見えて様々な難事件をいくつも解決して、テレビにも名探偵アオとして取り上げられた事も何度かある、ちょっとした有名人の男だ。
ボクがなぜ、こんな状況になっているのかをとりあえず簡単に説明する。
ボクはある依頼により、とある山奥の研究所に調査へ向かう事になった。
そして、研究所でいつも通り発生した事件を調査しているうちに、その研究所で行われている極秘の研究――人体改造薬――についての確証を得た。
そして、その人体改造薬は恐ろしい事に非合法的人体実験の成果で得られたものであり、今でもその人体実験が行われている事実が分かった。
このことを告発するために、証拠となるその実験のデータが入ったSDと研究成果である薬を一本――それ以外の薬は皆駄目にしてしまったけど――盗み出したのだ。
そうして、研究所から急いで脱出をしたのだ。
しかし、その過程で研究員の奴らに気づかれ、追われる事になった8。
そして今、その証拠をなんとかこの森を抜けた先の道にいるであろう協力者の小野刑事渡すために必死で森の中を走っているのである。
そうしていると、目の前に森の切れ目が現れた。
やった。
恐らくこの先の道路に、小野刑事達が待っているはずだ。
そうして森を抜け視界が広がると、そこには絶望が広がっていた。
目の前に現れたのは断崖絶壁の崖だった。深さ十数メートル、幅十メートル以上はあり、底の川は昨日の雨の影響か、濁流が広がっていた。
周りを見渡しても、崖は視界の端から端まで無慈悲にも続いていて、橋の類もみあたらなかった。
どうやらボクは道を間違えてしまったようだ。森を走っている間に方向感覚を失ったのか、そもそも見当違いの方向にいっていたのかわからないけど。
引き返す事も考えたが、奴らがそう遠くない位置――数十メートル位だろうか――にいることが明らかである以上無理だ。
かといって、この崖を飛び越えるなんてのは不可能だ。
ボクは走り幅跳びの選手じゃない。
研究所から急いで飛び出してきたから、ロープなんていう便利な類なものは当然無い。
仮にあったとしてもひっかられるような場所や時間もないだろうけど。
じゃあこの崖下の濁流に飛び込むか?
この高さから濁流に飛び込んだら、よほど運が良くない限り、次に水面に上がってくるボクは水死体だ。
ではいっその事諦めて奴らに投降するか?
した所で秘密を知っているボクを奴らは生かしてはおくまい。ボクが持っている証拠を回収し、ボクを消してそれでおしまいだ。奴らには、ボクを生かす理由がないのだ。
持ち前の推理力を用いて、現在の状況を推理した結果、ボクは袋の鼠で詰んでいるという結果しか出てこなかった。
まあ自分のささいなミスでこうなったんだけれども。
「ボクはここでおしまいの運命だったのか」
ボクはそう呟いた。探偵という危険な仕事をやっている以上いつかこうなる運命なのはわかっていた。デスアンドタックス――逃れられないものが来ただけだ。
だけど、諦めきれない。
自分が何とか手に入れた、この証拠だけは何らかの方法で残せないだろうか?
ボクの恐らく最期になるであろう仕事で手に入れたものだ。奴らの手に渡さず、小野刑事達に渡す方法はないだろうか?
ボクは考えた。
……。
周りに隠すか?
いやこんな状況で隠せる所なんてたかがしれている。捕まってボクが持っていない事が分かればしらみ潰しに周辺を探されて終わりだ。一日見つからないだけでも奇跡だろう。
では、流れ着いて誰かが拾ってくれる事を祈って、下の激流に投げ込むか?
それもだめだ。多少フィルムでラッピングして防水加工してあるとはいえ、こんな濁流でSDカードなんか持つわけがない。仮に、運良く持ったとしても、余程のもの好きが拾わない限り、流れ着いた先でゴミとして捨てられるだろう。
奴らの足音が近づいてくる。
もう時間は幾許もない。
SDカードを向こう側の崖に投げる……。
いや、だめだ、石とかの投げやすい物ならともかく、SDカードみたいな軽くて薄い物が向こう側の崖まで届くとは思えない。何かに括りつけるにしても材料が無いし、飛ばしたところで感づかれて探されたら結局終わりだ。
何か、何か方法は無いものか。
何を使ってもいい。
たとえこのボクの体を、いや命さえも使ってしまっていい。
待てよ、…………そうかボクの体だ。
ひらめいたボクは、早速手に持っていたSDカードを飲み込んだ。そして、それを証拠として使う為に持ち出した薬をつかって体内に流し込んだ。
――これで準備完了。
後は、ボクの覚悟だけだ。
足音が相当近くまで近づいて来ていた。
その足音を聞きながら、ボクは崖に近づき、そして、落ちるか否かのギリギリの境界線で立ち止まった。
下に、激しい濁流が轟々と唸っていた。
覚悟を決めろ、竜王蒼。
足音がもう近い。もしかしたら、奴らはもうボクの事が見えているのかもしれない。
心がを落ち着ける為に、一旦深呼吸をし、周りを見渡す。
すると、足元に一輪の赤い彼岸花が咲いていた。落ち着いたから気づいたのだろうか。
そういえば、お彼岸が近かったけ。
死体に咲くと言われ、あきらめを意味する不吉な赤い花。
「なるほど、ボクの最期にピッタリ……なのかな?」
そんな事を最期に呟き、覚悟を決めた。
そして……ボクは……崖下の濁流へと飛び込んだ。
視界がどんどん濁流へと近づいてくる。
ざぼんという濁流に飲み込まれる音がするやいなや、体全体に強い衝撃がはしった。
ボクはあっという間に上も下も右も左も斜めも分からなくなって、冷たい水が体を包んだ。
強い痛みが全身にはしったかと思うと周りが真っ黒になって。
そして息ができなくなって。
もう自分がどうなっているのかわからない。
苦しい。
そして、体を包んでいた冷たい感覚が徐々に徐々に体に染み込んでくる。
ボクはその染み込んでくる感覚を感じながらあることを思った。
これは、ボクの解決してきた事件の被害者達が皆感じてきた感覚と同じなのだろうか? きっとそうだそうに違いない。
ボクは徐々に死の感覚が体中に染み込んでくる中、ある事を願っていた。
頼む、ボクの体が無事届いてくれ。
小野刑事ボクの体を見つけてくれ。
願いの後、完全に真っ黒の中に沈んだ。
ああ、ここが常夜の世界なのか……。
目が覚める。
うつるのは白い天井。
頭が痛い。
そして、胸が重くて苦しい。
少し身じろぎすると、自分が白いベットに寝かされて、その横に点滴台と心電図モニターが見えた。
動かした体が自分のものでない感覚がした。
ここが黄泉の国か?
いや違う。
視界に映った端的な情報からここは病院だと推理した。
病室には、ボクしかいないようだ。
ボクは助かったのか?
もし、そうなら奇跡という他ない。
どうしてだ?
そして奴らは?
そんな事をボクが逡巡していると、巡回で部屋に入ってきたであろう看護婦と目があった。
そしてすぐにボクが目ざめたのに気づいたのだろう。
「先――、例――全裸だ――――子が目――ま――よ。」
頭がぼーっとしていて、看護師の言葉が聞き取れなかった。