よくあるモブ転生 〜ちゃんと大人しくモブしてましたけど!?
お久しぶりの新作です。
とりあえず短編から。
実は私、物心ついた頃から前世の記憶があった。
前世は日本の一般家庭で生まれ、一般企業で事務員として働くごく普通のOLとして暮らしたが、今世は明らかに前世で読んだWEBコミックの舞台によくある近世ヨーロッパ風の世界で、シエナ・ユドルフという名の伯爵令嬢として生まれた。
時代が進んでスマホもパソコンもない世界に後退するとは考えられないので、どうやら異世界転生というものをしたらしいと思っている。
前世の私は異世界ファンタジー、特に恋愛が絡む創作が大好物で、漫画、小説・ラノベをはじめ投稿型のWEB小説なども読み漁り、挙げ句の果てには元ネタになることの多い乙女ゲームにも食指を伸ばした。
だから自分が異世界に転生したと気付いた時、真っ先に考えたのは「この世界はどの作品の舞台だろう?」ということだった。
この国の名前は【サランデール王国】。
……聞いたことがある気もするが、正直言って物語に出てくる国の名前なんて一々覚えていない。
【シエナ・ユドルフ】という私の名前。
……うーん、全然ピンとこない。
数多の作品を読んだ私だが、主要な登場人物の名前であれば少しぐらい心当たりがありそうなものだけど。
それから、私の容姿。
顔の造形はそれはそれは整っているのだけど、この世界の人たちは皆一様に顔が整っていて、それこそ道ゆく平民たちでさえそれなりに整った容姿をしている。
なので容姿はあまりヒントにならないのだが、注目すべきは、私の髪色だ。
私の髪は、艶やかな【青紫色】だ。
淡い紫や、青色ではなく、桔梗の花のような青紫色。
前世の記憶を探っても、青紫の髪の登場人物はあまり思い浮かばない。
ヒロインであればピンクや水色などのファンシーな色、悪役令嬢であれば黒や赤といった強い印象の色、もしくは金や銀といった高貴さを感じさせる髪色が多かった気がする。
この国の人々に目をやると、貴族であれば金や銀、ベージュなどの薄い髪色が最も多く、濃い赤や茶、黒に近いの髪色の人もいるが、青紫の髪の人にはいまだかつて出会ったことがない。
ちなみに家族の髪色は、父がライトグレー、母が焦茶色、兄が濃いグレー。
私の青紫はどこから来たのか本当に謎だが、要するに私の髪色はこの国でも珍しいものと言える。
こんな目立つ特徴があるにも関わらず、【青紫髪のシエナ・ユドルフ】に何の心当たりもないということは、この世界は異世界ではあるが何かの物語の舞台ではないのかもしれない。
私がそう結論づけたのは、12歳の頃。
その頃は社交界に出る下準備としてお母様に連れられて同格の貴族家の茶会に顔を出し、交友関係が広がった頃であった。
そういうわけで、私はこの世界について考察するのをやめた。
もし悪役令嬢だったらどうしようとか、ヒロインだったら調子に乗らないよう弁えなきゃとか色々考えていたけど、ここが知らない世界ならば悩んだってしょうがない。
せっかく新しい生を与えられたのだから、それを目一杯楽しむ方向に意識を転換した。
私が生まれたユドルフ家は伯爵家であるが、この国には伯爵位だけでも200ほどの家門があり、その中で我が家はあまり存在感がない。
同じ伯爵位といえども、国で一二を争う裕福な領地を持つ家や、先々代に側妃殿下を出した家、王宮で上級士官として職を持つ家などは有力貴族として侯爵家以上の貴族家にも発言権を持つ。
しかし我が家は150年前にオプトマイヤー公爵家から分家したというだけの田舎領地の文官家門で、はっきり言って中央貴族の世界では何の権力も持たない。
一応は公爵家の分家ということになるし、貴族年鑑にもオプトマイヤー家系とはっきり明記されているのだが、こうも血が離れてしまえば親戚付き合いも親戚という実感もない。
王家主催の狩猟大会で、席がオプトマイヤー公爵家派閥内に用意される程度の関係性ね。
だから幼い頃から仲の良い友達は皆、我が家と同格の伯爵家か子爵家、男爵家の子女。
上流貴族と知り合う機会がないので、もちろん悪役令嬢にありがちな王子様の婚約者なんてことになるはずもなく。
かといってヒロインにありがちな訳アリ下流貴族でもない。
いうなれば貴族界のその他大勢。
うん、やっぱり私は何らかの物語に巻き込まれる心配はなさそうだわ。
───そう安心していたのだけど。
***
この国では貴族の子女は全員15歳から3年間、貴族学院に通うことが義務付けられている。
貴族学院は複数あって、そのうちのどこに通うのかは、前世で言うところの高校受験のような感じで行きたい学院に希望願書を出し、試験を受けることで決定される。
最難関は王都のど真ん中、王城近くにある『インタークラーク王立貴族学院』。
ここは歴代の王族たちや上流貴族の方々が通う由緒正しい学院で、この学院を卒業するだけで宮廷文官試験に通りやすくなると言われている。
端的に言えば、出世の近道ということね。
前世の記憶があるおかげで幼い頃から家族から「天才」と思われていた私は、家族に勧められるままインタークラーク学院を受験したところ、サクッと受かってしまった。
本音を言えば、特に出世欲もないのでどの学院に通っても良かったのだけど。
そして迎えた入学式の日。
学院の門を潜ったところでインタークラーク学院の象徴でもある鐘塔を目にした瞬間、唐突に気が付いたのだ。
ここが乙女ゲーム『誰がために鐘は鳴る〜カンパニーレ学院の奇跡〜』の舞台であることに。
インタークラーク学院には創立時に建てられたという歴史ある鐘塔があり、この大きく立派な鐘塔は王都の至る所から見ることができるいわば王都のランドマーク的存在でもある。
そしてその鐘塔の存在により、インタークラーク学院は別名『鐘塔学院』と呼ばれているのだ。
……これはなんという落とし穴!
最初から『カンパニーレ学院』と言われればすぐにゲームのことを思い出したものを!
『インタークラーク学院』なんて、ゲーム内では誰も呼んでなかったでしょうに。
しかし、これで確定した。
私───シエナ・ユドルフが完全なるモブであるということが!
あのゲームはインディーズリリースながらグラフィックが秀麗で、根強いファンが多い作品だった。
ストーリーはありがちで、貧乏男爵家出身のヒロインが家計を助ける職を得るために最難関の『カンパニーレ学院』に入り、そこで上流貴族の攻略対象たちと出会い、邪悪なるものの陰謀と戦いながら交流を深めていくというもの。
他の上流貴族の高慢な令嬢とは違うピュアなところや、少し抜けたところがあるのに悪に果敢に立ち向かっていくヒロインの姿に攻略対象たちが惹かれていくという何番煎じ? なストーリーは、はっきり言ってつまらなかった。
だがしかし、そんなことは全編に渡る画の素晴らしさの前には些事であった。
……早い話が、キャラデザとボイスがドンピシャ好みだったのよね。
胸キュンスチルをコンプリートするためだけに、あのつまらないストーリーを何周したことか!
主要イベントのセリフを一言一句覚えてしまうくらいには、私もハマってプレイをしたものだ。
攻略対象は《デレ甘スパダリな王太子》、《腹黒ヤンデレな宰相子息》、《脳筋一途な騎士団長子息》、《小悪魔系気まぐれ天才児な魔塔主子息》、《お色気ムンムン俺様な東の隣国第二皇子》の5人。
彼らは上流貴族の中でも優れた血筋と容姿で特に目立つ人たち、前世で言うところの超一軍なわけだが、並の貴族では近付けないような天上人たちに、貧乏男爵令嬢が一体どうやって近付き、あまつさえ恋人になれるというのか?
この世界に生まれ落ちたからこそ実感を持って言えるけれど───そんなの無理ゲーだろ───そんなことが罷り通ってしまうのが、古今東西、乙女ゲームの摩訶不思議である。
***
さて、そんな乙女ゲームの世界に転生したことに入学式の当日に気付いた私だったが、殊更に慌てることもない。
なぜならば、私はモブだから。
ヒロインの友人でも悪役令嬢の取り巻きでもない、正真正銘のモブ。
ゲーム内のどの場面のスチルを思い返してみても、青紫髪の女生徒なんて影も形も出て来なかったから間違いない。
だからヒロインが攻略対象を手玉に取って逆ハーでウハウハだろうが、悪役令嬢が嫉妬に塗れてヒロインに泥試合を仕掛けようが、私にはなーんにも関係がない。
つまり、ただただ楽しい学院ライフを送ればいいだけのこと。
前世の記憶がある私にとっては、もう一度高校生に戻ったような感じ。
思い返してみれば、前世でも女子高生の時が一番楽しかったなぁ……なんて少しだけ感傷に浸りながらも、日本のブレザー風制服に身を包んだ私は、入学式会場である大講堂へと足を向ける。
日本の制作会社が作ったゲームだから制服がこのデザインになるのは仕方がないのかもしれないが、「淑女はみだりに足を見せてはなりません」なんて教えられるこの世界で、何故学院の制服だけは膝丈でも許されるのだろう?
もちろん厚手の黒タイツを履いているから生足ではないんだけどね。
「シエナ! おはよう」
後ろから声をかけられ振り返ると、赤茶色の艶やかな長い髪ををハーフアップにゆるくゆい上げ、赤いリボンでくくった令嬢が笑顔で手を振っている。
彼女はアシュリー・ペリュート伯爵令嬢。
幼い頃からの私の親友である。
「アシュリー、おはよう! 今日も可愛いわね」
私がそう言うと、アシュリーはその垂れ目気味の大きな栗色の瞳を緩やかに細める。
「あら、シエナこそ今日もとっても麗しいわ!」
私たちは見つめ合い、うふふ、あははと笑い合う。
この世界の人たちは皆容姿が整っているのだが、私があまり特徴のない美人顔なのに対し、アシュリーは今にもこぼれ落ちそうな大きな垂れ目が特徴的な、幼なげなのにどこか色気のある美少女だ。
私は昔からアシュリーの顔が大好きで、アシュリーは私の顔が好みなんだそう。
なので、顔を合わせるたびにお互いの容姿を褒め合うのが習慣になっている。
「そういえばクラスの発表は入学式典の後だったわよね? 同じクラスになれるといいのだけど」
「そうね……10クラスもあるそうだから、同じクラスになれれば奇跡かもね」
カンパニーレ学院は1学年に10のクラスがあり、クラス分けには学生の爵位や能力が考慮されるとはいえ、私とアシュリーが同じクラスになれる確率は高くはない。
ちなみに、ゲームではヒロインと攻略対象たちは同じクラスだったのよね。
いくらヒロインが高い能力を持っていると言っても、しがない男爵令嬢が王族や超一軍の上流貴族と同じクラスになれるものかしら? とは思うが、そのあたりは強制力とやらでどうとでもなるのかもしれない。
そんなことを考えながらアシュリーとたわいもないことを話しているうちに、私たちは大講堂へと足を踏み入れた。
***
大講堂の壇上では、学院長が悦に入った様子で長ったらしい新入生に向けた挨拶を朗々と読み上げている。
はっきり言って、つまらない。
心に響く言葉がひとつもない。
そういえば、前世の人生を遡っても校長先生の話なんて何ひとつ覚えていないわね。
こうなると、顔だけは壇上に向けた状態で、頭は別のことを考え出す。
入学式の日といえば、ヒロインと攻略対象たちの出会いイベントがあるのではなかったかしら?
スチルのために何周もしたぐらいなので、ヒロインがどの攻略対象とどこでどんな風に出会うのか、どのように愛を育んで行くのかを私は知っている。
普通なら『あのスチルの実写化? 絶対この目で見なきゃ!』となるところであろうが、チッチッチ。
私はそんな迂闊なことはしない。
もちろんスチルを現実で見てみたい気持ちは存分にありはする。
だけど『ヒロインと攻略対象の出会いシーンを見ようと物陰に隠れていたら、別の攻略対象に見つかって〝おもしれぇ女〟枠になってしまいました!』的な展開のWEB小説が腐るほどあることを、私は知っている。
乙女ゲームの世界に転生はしたものの、私は攻略対象とどうこうなりたいわけではない。
むしろ、絶対に遠慮したい。
超一軍の攻略対象たちに群がるハゲタカのような令嬢たちの闘争に巻き込まれたくないし、ヒロインと攻略対象の仲を深めるためだけの世界の危機的なイベントに巻き込まれるのも真っ平ごめんだ。
それに、下手に彼らに関われば原作が改編され、悪役令嬢の代役として断罪されるなんていう恐ろしい結末も考えられる。
今世はせっかくこんな美人に生まれたのだし、気の置けない友達とキャッキャうふふの学生生活を過ごし、時には甘酸っぱい恋なんかもしちゃったりして、最終的には身の丈に合った結婚をして何不自由ない人生を送るんだ!
ちなみに、この国の貴族は政略結婚と恋愛結婚が半々くらい。
私の父親は領地も野心もなく政争にも全く興味がないので「結婚相手は自由に見つけてこい」と言われている。
この国には私のような立場の令息令嬢はたくさんいて、学院で結婚相手を探すつもりの人が多いため、現時点で婚約者がいる人は多くはない。
いくら自由恋愛とはいえ階級社会なので、結婚するなら爵位を継ぐ嫡男が良いとか、できるだけ裕福な相手がいいとか、希望条件を念頭に置いて相手を探すのは当然のこと。
私の場合は爵位にはこだわりがないから、相手は子爵でも男爵でも、一代限りの騎士爵でも構わない。
前世のこともあり貴族籍にもそこまで執着していないから、学院で知り合った友人達の伝手を使って商会を営む裕福な平民の息子なんかを紹介してもらうのもアリだなと思っている。
そんなことをボンヤリと考えているうちにいつの間にか学院長の長い長い挨拶が終わり、式次第は新入生代表挨拶へと移っている。
学院長に代わって壇上に立っているのは、この国の王太子であるアランバトラー・オリオンルディ・ルイ・アトラス゠サランデール殿下である。
それにしても長い名前ね。
声に出して言う機会があれば舌を噛みそうだわ。
それはさて置き、ゲームのメインヒーローであるアラン殿下は三次元でもさすがの美男子である。
私は大講堂の中程に座っているので殿下が立っている場所からは距離があるのだが、この距離からでも透き通るような金髪と琥珀色の宝石眼がキラキラと輝いて見える。
アラン殿下には幼少時から南の隣国の王女である婚約者がいたのだが、元々身体の弱かった王女は3年前の流行病で儚くなってしまわれた。
それから殿下の婚約者の座は空席のままであり、サランデール王国の未婚令嬢たちはこぞってその座を狙っていると言われている。
……まぁ、私は狙ってないけどね。
挨拶を始めたアラン殿下の声に聞き入る。
この声優さん、好きだったんだよなぁ。
うっとりしながら前世で好きだった同じ声優さんの別のアニメのキャラクターを思い浮かべているうちに、アラン殿下の挨拶は終わった。
舞台脇に移動したアラン殿下を目で追っていると、後方にこれまた目立つ容姿の二人が殿下の後ろに控えているのに気がつく。
あれは……。
銀髪に薄紫の瞳、モノクルがトレードマークの攻略対象である宰相子息のユーグリッド・ヴァン・ルーベックと、黒髪に赤い瞳、岩と見紛うほど立派な体格に恵まれた、こちらも攻略対象の騎士団長子息のジェイデン・マッケローニね。
どちらも名門公爵家、侯爵家の子息だけあって本当に見目麗しい。
ああしてアラン殿下に侍っているということは、次代の宰相、騎士団長候補として殿下の側近になったということだろう。
王国中の女性の憧れの的であるアラン殿下に加え、令嬢たち垂涎のユーグ様、ジェイデン様の登場に、周りの女生徒たちは必死で悲鳴を噛み殺している。
それはさながら、生の推しを前に意識を飛ばしそうなほど興奮するオタク女子のよう。
この世界の人たちは皆容姿が整っているけど、実際に見る攻略対象たちは頭ひとつどころか二つも三つも抜けてるもの。然もありなん。
「見てっ! ユーグリッド様がこちらを見ているわ!」
私の前に座る女生徒たちが嬉しそうに囁き合っていて、思わず口角が上がる。
それは単なる思い込みですよ。
推しが自分を見てくれてるなんて、オタク女子ならば一度は経験する勘違いよね。
誰もが通る道だから、勘違いに気付いたとしても気を落とさないでね…でもなどと何から目線? なアドバイスを心の中で繰り出しながら、私はその光景を微笑ましく眺めた。
そんなこんなで入学式典が終わり、クラス割が発表された。
「わあ! 私たち、同じクラスじゃない。奇跡ね!」
アシュリーが興奮して、その雪原のように白く滑らかな肌を紅潮させる。
なんと愛らしいことか。
存分にアシュリーを愛でてから、私もクラス割に視線を移す。
……ふむふむ。
やはりゲームの通り、攻略対象たちは全員1組に集まっているようだ。
それから、各ルートでヒロインとライバル関係になる悪役令嬢たちも同じクラスだ。
悪役令嬢と言えど、どの方も上流貴族家のやんごとなきご令嬢なのだけどね。
それにしても……ヒロインのデフォルトネームって、何だっけ?
前世の私はいつもリネームできるキャラクターには飼っていた猫の名前である「こまき」と付けていたから、私の中でのヒロインの名前は「こまき」なんだよなぁ。
クラス割の紙を睨み付けてうーんと唸っていると、近くに立っている女生徒たちの会話が聞こえてくる。
「ウェセクスって……あの今にも潰れそうな男爵家じゃない?何でそんな家の令嬢が1組に……」
女生徒たちの話し声には蔑みや非難の色が含まれている。
私は再びクラス割の1組の部分に視線を滑らせる。
ウェセクス……ウェセクス……あった。
フローネ・ウェセクス。
男爵家の令嬢というなら、ヒロインは彼女で間違いないだろう。
やはり、と言うべきか、超一軍が集う1組に割り当てられたみたいだ。
側から見ればフローネ嬢はすごく運がいいように見えるかもしれない。
だけど先ほどの女生徒たちの会話からも分かるように、羨望と嫉妬は表裏一体のもの。
フローネ嬢の前途は多難だろう。
可哀想に、フローネ嬢。南無阿弥陀仏。
クラスの確認を終えた生徒たちは、続々と自分の教室へと移動していく。
楽しそうなアシュリーに腕を掴まれながら歩いて行く途中、廊下の窓から大きな木のある中庭が視界に入る。
ああ、この中庭は……ヒロインとアラン殿下の出会いイベントがある場所よね。
アラン殿下がたくさんの令嬢に囲まれ追われ、逃げ込んだ中庭の木の下で時間をやり過ごしていると、木の上からヒロインが落ちてくるのよね。
何でも、木から降りられなくなった猫を助けるために木に登っていたヒロイン。
木から降りる途中で足を滑らせ、落ちた先にたまたま王太子殿下がいたという───そんなワケあるか!───なご都合展開。
落ちてくるヒロインを事もなげに姫抱きで受け止めるアラン殿下のスチルは、それはそれは尊かった。
もし目の前でその実写化が為されるなら是非見てみたいという誘惑に駆られるが、そこは理性を働かせてグッと欲求を呑み込む。
下手に主要人物たちに関わって痛い目を見るより、目の前のアオハルの方が大事!
前世と今世、通算48歳の私だけど、この経験値を逆に活かして2度目の青春を満喫するぞー!!
***
そして始まった学院生活。
私がいる6組は親友のアシュリーもいるし、同じくらいの家格の生徒が集まっているため、とても居心地がいい。
クラスメイトたちは皆気さくですぐに打ち解けることができ、アシュリーの他に子爵令嬢のカレンと伯爵令嬢のドリューという特に仲の良い友人もできた。
放課後は4人で街に出てカフェでお喋りをしたり、安価なお揃いのブレスレットを買って身に着けたり、試験前には誰かのタウンハウスに泊まって勉強をしたり、最高に楽しい日常を送っている。
………はずなのだが。
学院生活も3年目を迎え、ここに来て物足りなさを覚えるようになっていた。
何というか、圧倒的にスパイスが足りないのだ。
そう……『恋』という名のスパイスが!
入学当初は、美形揃いの世界とはいえ自分も美人の部類だし、魅力的な家門でなくても一応は伯爵令嬢だし、それなりにお相手がいるだろうと思っていたのだ。
ところがどっこい今世の私、蓋を開けてみればまっっったく異性にモテない。
クラスメイトなどそれなりに親しくしている異性はいるのに、全く恋愛に発展しない。
例えば去年の夏、王都で開かれた夏至祭に友人たちと赴き、平民たちに混じって祭りを楽しんだ時のこと。
一緒に出店を回った友人の一人であるロビンソン・エルネス子爵令息と、途中から良い感じの雰囲気になったのだ。
手を繋いだり、肩を寄せ合って一つの綿菓子を食べたり……。
時折ロビンソン様も頰を染めながら私を見つめていたりして、絶対に良い感じだったと思う……のに。
その後、ロビンソン様との関係が発展することはなかった。
お祭りの時はあんなに親しげに接してくれたのに、次に学院で会った時にはどこか余所余所しい態度になってしまったのだ。
何故? どうして? とは思うものの、本人に「あの日は良い感じだったのに何故私に交際を申し込まないのですか?」などと聞くわけにもいかない。
もしや〝良い感じ〟だと思っていたのは私だけ? とも思ったが、ロビンソン様の態度を見たアシュリーが「あれー? ロビンソン様って絶対シエナのことが好きだと思ったんだけどなぁ」と頻りに首を捻っていたので、一方的な勘違いではないと思う。
この2年で他にも同じようなことが何度かあり、その間に仲良し4人組であるアシュリー、カレン、ドリューには順調に彼氏ができ、私は見事『余り物のお一人様』となってしまったのだった。
学院生活、楽しいんだよ?
楽しいんだけど、思ってたのと違うっていうか……。
確かに私は前世でもそんなにモテなかったけど、今世ほど手応えのないことはなかった。
私って貴族令嬢としても女性としても価値がないのね……なんて自己肯定感が爆下がりの毎日。
前世であれば「恋愛、結婚は諦めて仕事に生きる!」なんて人生も有り得ただろうけど、今世は『女は嫁に行くのが当たり前』の価値観。
職業婦人なんていうのは一般的でなく、働いているのは未亡人か何らかの瑕疵のある女性がほとんどである。
このまま嫁ぎ先が見つからなかったらどうしよう……最悪は病気と偽って市井に降って辺境地に引き篭もるか、修道院に入るかしかないわよね。
そんな不安を抱えるなか無情にも時間は進み、ついに卒業が間近に迫ってきた。
卒業式は学院を卒業する生徒たちを祝うイベントだが、子息子女たちが貴族として一人前だと認められる大切な行事でもある。
それゆえに王族も通うここカンパニーレ学院の卒業式典は、それはそれは盛大に開かれる。
卒業式当日には、カンパニーレ学院に続く王都のメインストリートはまるでお祭りの時のように華やかに飾られ、卒業生たちはそれと分かるよう真っ白な衣装を身に付ける。
真っ白な衣装でメインストリートを歩けば、街中の人たちから卒業を祝われるのだ。
そして夜にはカンパニーレ学院が誇る大ホールにて、王宮舞踏会さながらの大規模な夜会が開かれる。
卒業生たちは学院生活の集大成として、夜会で学院で学んだダンスやマナーを披露することになる。
ただ本物の王宮の夜会とは違いあくまでも卒業生のための夜会なので、お偉方が出席してはいるが、多少の無礼講が許される。
それはパートナーも然り。
公式の夜会であればパートナーには配偶者か婚約者、いない者は家族か親族を伴うのがマナーであるが、この卒業式典での夜会では、ただの口約束の恋人を伴うことができるのだ。
それ故に、夜会の終盤には『プロポーズタイム』なる恋人たちのためだけの時間が設けられ、卒業する男子生徒たちが各々の恋人にプロポーズをして正式な婚約を結ぶというのが恒例行事となっている。
『プロポーズタイム』はきっと、恋人のいない卒業生たちにとっては地獄の時間となるだろう。
まさか私がその地獄側にいるなんて、入学当時は微塵も思っていなかった。
ああ〜……最悪じゃん。
卒業の日なんて永遠に来なければ良いのに───。
「それでさ、一瞬で修羅場になったらしいよ」
ええーっ! という驚嘆の声でハッと顔を上げる。
ここは王都で人気のオシャレなカフェテリア。
私は今、放課後にいつもの4人組でこのカフェテリアに来てお喋りに花を咲かせているところなのだった。
さっきの一言は、情報通でミーハーなカレンの台詞。
それに対してアシュリーとドリューは興味津々の様子で目を輝かせ、身を乗り出して話を聞いている。
「アインスターク公爵家のバルバラ様といえば、苛烈な性格で有名だものね? ずっと恋焦がれてきたアランバトラー殿下に他の令嬢が近づくのを許すはずがないわよね!」
アシュリーがまぁまぁな声の大きさで相槌を打つ。
……家名や個人名をしっかり言ってしまっているが、ここはカフェテリアの貴族専用VIPルームで、防音もしっかりしているため問題ないだろう。
「フローネ嬢を巡る愛憎劇は本当に面白いわね〜」
ドリューがおっとりとした口調でオホホと笑う。
彼女は淑女然としたおっとり美人だが、私が思うにこの中で一番腹黒い。
それはさておき、この会話の主役である『フローネ嬢』とは言わずもがな乙女ゲームのヒロインのことである。
フローネはゲームの通りに超一軍男子を次々と攻略しているらしく、同じクラスの悪役令嬢たちとバチバチにやりあっているらしい。
らしいというのは、私はその場面を一度として目にしたことがなく、全て他人からの伝聞だということだ。
私はあの入学式以降、攻略対象を一度もこの目で見ていない。
ヒロインや悪役令嬢にいたっては、一度も遭遇していない。
彼らが所属する1組と私たちの6組とでは学舎が違う。
校舎が違えば玄関も食堂も異なるため、普通に過ごしていればすれ違うことすらないのである。
それでも一目見たいと思えば、1組のある学舎に行けば彼らを簡単に目にすることはできる。
実際1組まで押しかけたクラスメイトがキャアキャア言いながら、「殿下が格好よかった」だとか「ユーグリッド様が〜」「ジェイデン様が〜」とか話しているのを何度も聞いたことがある。
だが、私たちは一度もそんなことはしなかった。
私は意図的に彼らから距離を置きたいと思っていたこともあるが、友人のアシュリーたちも浮ついた考えを持たない現実的なタイプだったので、結果的に彼らと全く関わることなく学院生活を終えられそうだ。
「苛烈も苛烈よ! フローネ嬢とアランバトラー殿下が親しくしているのを見て怒り狂ったバルバラ様は、なんとフローネ嬢に向かって特大の火球を放ったらしいわ!」
火球って、攻撃魔法の中でもかなり威力の高い魔法よね?
えええ〜……ドン引き。
腹を立てるにも限度があるでしょうよ。
「でもフローネ嬢って一年前の魔の森の魔獣暴走に巻き込まれて、アランバトラー殿下の窮地を救ったほどの実力者ではなかった?」
ああ、ゲームでもあったあのアラン殿下との親密度爆上げイベントね。
あれ実際に起こったんだ〜。
魔獣とか怖すぎ!
「そうそう。だからバルバラ様の火球を、すぐさま特大の水球で打ち消したらしいわ!」
「さすがね」
「すごいわ、私は絶対無理。黒焦げになっちゃう」
うん、私も絶対に無理。
乙女ゲームのヒロインって実は重労働だよね。
だけど卒業を前にして主要なイベントは全部終わったし、あとは卒業パーティーでの断罪イベントを残すのみという感じかな?
シナリオの進み具合は自分と関わりがないのであまり興味はないが、断罪イベントは少し楽しみではある(悪役令嬢さん、ごめんね)。
そんなことより、目下の私の悩みは卒業パーティーをどう乗り切るかということ。
あと2ヶ月でパートナーが見つからなければ、2歳上の兄にエスコートを頼むことになるけれど……。
***
たった2ヶ月で素敵な恋人ができるなんていう奇跡が起こるはずもなく。
恥を忍んで親友やクラスメイトに助力を仰いだのだが、誰からも目ぼしい人を紹介してもらうことはできなかった。
ていうか、もの凄く頼み込んだのに誰も協力してくれなかったんだけど!? 薄情すぎる!
そうして、健闘虚しく卒業パーティーでのエスコートは兄に頼むことにした。
兄には学院生活は順調としか報告していなかったのだが、卒業パーティーで私にパートナーがいないと知った時の、兄のニヤけ顔を思い出すにつけ苛々が募る。
「えっ? おまっ、パートナーいないの? えっ?」
ニヨニヨと口元を歪ませて問い詰めてくる兄の顔面に侍女がテーブルを拭いた後の布巾を投げつけてしまったのは、致し方ないことだったと思う。
そんな兄は卒業パーティーでパートナーになった令嬢に、例に漏れずプロポーズをしたくちである。
しかしお相手の令嬢は卒業パーティーでボッチになりたくないがゆえに焦ってパートナーを探す現象、通称『卒業ハイ』であったらしく、卒業後しばらくは兄とお付き合いをしていたが、半年ほどで別れてしまった。
それからずっと兄に恋人はいない。
だからこそ、学院で卒パのパートナーすら見つけられなかった私を蔑むことで溜飲を下げたいのだろう。
そんな芥子粒のような器だから結婚できないのだ、兄よ。
そう考えたら、私がモテないのは「この兄にしてこの妹あり」ということなのかもしれない。
悲しい。
そして卒業式典当日。
午前中に国王陛下をはじめとした偉い人の演説が続く堅苦しい式典や優秀者の表彰式などがあり、夕刻から夜会が始まる。
先ほど午前の式典が終わり、3年間苦楽を共にしたクラスメイトたちと最後の別れを済ませ、夜会の準備のために一旦屋敷に戻ってきた。
メイドたちに全身をピカピカに磨かれて、この日のために用意したドレスを着せられる。
このドレスはアシュリー、カレン、ドリューとともに王都一のオートクチュールで仕立てた逸品で、今の流行や私たちの好みが詰まった夢のドレスだ。
というのも私以外の3人は恋人からドレスを贈ってもらうため、自分でドレスを仕立てなくてはならない私だけのために、あーでもないこーでもないと言い合いながらデザインを考えてくれた。
……私を憐んでくれたんだろうな、多分。
髪色に合う薄紫のエンパイアドレスは、スカート部分に細かいスパンコールが散りばめてある。
柔らかな生地のスカートを揺らすと、スパンコールが光を受けてキラキラと煌めく仕様だ。
胸の下あたりでリボンを結ぶデザインは、王都の流行をしっかりと押さえている。
見せたい人がいるわけでもないのに、こんなに着飾っているのは滑稽かしら?
そう思わずにはいられないほどに、姿見に映る完成された自分の姿は美しかった。
こんなに美しい私に目もくれないなんて、世の中の男は見る目がないわね! ……などと心の中で悪態をついて、下がりきった自己肯定感を叱咤する。
そうしてる間にエスコート役の兄が準備を終えて迎えにくる。
「ははは! 馬子にも衣装だな! 相手もいないのに虚しくないのか?」
…………本当に……しばいたろか。
「お兄様こそ、今日はいつもより気合いが入っていらっしゃるようで」
卒パで若い女の子を引っ掛けようという魂胆が見え見えなのよ。
互いに笑みを張り付けたまま睨み合い、どこか険のある雰囲気を漂わせたまま、馬車に乗り込んで会場へ向かった。
私たちが到着した時、会場の大ホールには既にたくさんの卒業生やそのパートナー、家族たちが集まっていた。
その華やかで楽しげな雰囲気に、底まで沈んでいた私の気分も少しだけ浮上する。
今日までにパートナーができなかったのは、仕方のないこと。
せっかくの機会なんだから、楽しまなきゃ損よね!
兄と共に会場内を歩いていると、少し離れたところに見知った顔を見つける。
「お兄様! お友達に挨拶をしてくるから、少し別行動しましょう」
私がいつまでもベッタリくっついていたら、お兄様が女の子を物色できないものね。
後で落ち合う約束をして、お兄様から離れて足早に友人の元へ向かう。
「アシュリー!」
「まあ、シエナ!」
薄緑のふんわりとしたドレスを身に纏ったアシュリーが花が綻ぶような笑顔を見せる。
アシュリーの隣に立つのは、彼女と1年ほど交際しているロドレス・リーゲル伯爵令息だ。
「シエナ嬢。とても素敵な装いだね」
「そうでしょう? 今日のシエナは私たちの自信作なのよ」
リーゲル様がアシュリーの手前、控えめに褒めてくれる。
男性が女性の容姿を褒めるのは単なる社交マナーだから、アシュリーもそれで機嫌を悪くしたりしない。
むしろ何故か誇らしげに胸を張っている。
「うふふ、ありがとう。見てくれる人もいないくせに、気合いが入りすぎだけどね」
思わず自虐をこぼして、しまった、と思う。
こんな生々しい自虐ネタ、誰も笑えないわよね。
恐る恐るアシュリーとリーゲル様を見るが、二人は妙にニコニコしている。
「シエナはこんなに可愛いんだもの! 今日は会場中の視線を集めるはずよ」
なぜか嬉しそうにアシュリーがそう言う。
意味不明である。
そもそもパートナーもいないのだから、私など誰の目にも留まるはずもない。
……この子、普段は現実的なのに、時々ポヤポヤしてて夢見がちなところがあるのよね。
それか、慰めのつもりなのかもしれない。
私は返答に困って曖昧に笑い、話題を変えることにする。
「そういえば、リーゲル様は卒業後は財務部にお勤めになるのですよね? もし同僚に独身で結婚相手をお探しの方がいらっしゃったら、ぜひご紹介お願いしますわ」
卒業パーティーまでに恋人はできなかったが、だからといって結婚を諦めたわけではない。
これまでアシュリーにはお相手探しを頼んでいたけど、それとなくリーゲル様にもお願いしてしまおう。
私はリーゲル様にニッコリと微笑んだのだけど、リーゲル様は微妙に表情を曇らせる。
「……ああ、機会があればね」
何とも頼りない返事。
リーゲル様につられたのか、アシュリーも何だか微妙な顔をしている。
……もしかしなくても、私、リーゲル様に嫌われている?
それとも、「お前みたいなしょうもない女に大切な同僚を紹介できるか!」ってことなのかしら!?
はぁ……せっかく素敵なドレスを着ているのに、自己肯定感下がりまくりだわ。
「あ、ああ! カレンとドリューだわ!」
ガクンと下がった私の気分を察したのか、アシュリーが殊更に明るく声を上げる。
アシュリーの視線の方向に目を向けると、カレンとドリューがそれぞれパートナーを連れて手を振りながらこちらへ歩いてくる。
「シエナ、アシュリー! 二人とも素敵だわ」
「リーゲル様もごきげんよう。良い夜ね」
カレンはその柔らかなミルクティブラウンの髪が映えるサテン生地のアクアブルーのドレスを着ていて、パートナーのジョゼフ・イゴット男爵令息の胸元には同じ色のチーフが飾られている。
ドリューは、パートナーのラファエル・ザオール侯爵令息の瞳の色であるワインレッドのドレスに身を包んでいる。
……見せつけてくれるじゃないの。
「ごきげんよう、カレン、ドリュー。イゴット様とザオール様は初めましてですわね」
カレンとドリューのパートナーのお二人は私たちより一学年上で既に卒業しており、学院でもお会いしたことがなかったので、軽く膝を折って挨拶をする。
「ああ。でもユドルフ嬢の話はいつもカレンから聞いていたから、初めてという感じはしないな」
イゴット様はその少し日に焼けた健康的な肌から、ニッと白い歯を覗かせる。
「ほら、シエナってば最高に可愛いわ! やっぱり私たちの見立てに間違いはなかったわね」
カレンが興奮気味にイゴット様に語りかける様子を、イゴット様はさも愛しそうに見つめている。
……お幸せそうで何より。
「噂のシエナ・ユドルフ嬢にお会いできて光栄だ」
ザオール様が恭しく差し出した手の上に触れない程度に手を重ねると、ザオール様はその綺麗なお顔を近づけて私の手の甲にキスをするフリをする。
これはこの国の男性が女性に対して行う正式な挨拶の方法で、決して色めいた行為ではない。
ではないのだが、何となくパートナーのドリューが不快な思いをしていないかが気になり彼女に視線を移すと、ドリューは不快というよりはどこか焦るように顔を青くしてザオール様を肘で小突いている。
「ちょ、ちょっとラファエル様!」
「大丈夫だよ、ドリュー。このくらいなら」
二人はこそこそと何か耳打ちをしているが、私のところにはその内容までは届かない。
独り身で僻みっぽくなった私からすれば、ただただイチャついているようにしか見えない。
……こういうのを〝死体蹴り〟と言うのかしら。
「あ、ほら。高貴な方々がいらっしゃったわよ」
アシュリーが目線を向ける方に視線を移すと、高貴なる一団───攻略対象者御一行───が会場中の視線を集めながら移動しているのが視界に入る。
一番目立っているのは金髪に琥珀色の宝石眼のアランバトラー殿下。
そしてその隣にはほんわか可愛らしい小動物系美少女が、花の妖精のように可憐なドレスを着てふわふわと歩いている。
あの特徴的な桃色の髪は間違いなく、ヒロインのフローネ・ウェセクス嬢ね。
フローネ嬢の隣には、少し軽薄そうな流し目と目元のほくろが色っぽい赤茶色の髪と褐色肌の男性──東の隣国の第二皇子イシュバル殿下ね───が歩いていて、彼らの後ろにはアラン殿下の側近であろう宰相子息のユーグリッド様、騎士団長子息のジェイデン様と、魔法士のマントを身に付けた少し背の低い美少年───魔塔主子息のディック・ハイデル様だわ───が追従するように歩いている。
攻略対象者5名のエスコートで会場に入ったということは、間違いなくヒロインは全ての攻略対象者と結ばれるエンディング、所謂〝逆ハーレムルート〟を選んだということね。
二次元ではなく現実世界で逆ハーを狙うそのガッツとバイタリティに、惜しみない拍手を送りたいわ。
舞台の主役たちが揃ったところで始まることといえば、お待ちかねのあれよね……。
そんなことを考えていると、会場で待機していた楽団が指揮者に合わせて静かな音楽を奏で出した。
ワルツはダンスタイムの始まりの合図。
そしてこの卒業パーティーにおいては、恋人たちの恋人による恋人たちのための『プロポーズタイム』の始まりでもある。
この時をソワソワと待ち構えていたカップルたちがダンスフロアに歩み出ると、男性が跪いて女性に向かって手を差し出し、プロポーズの言葉を告げる。
返事がOKならば女性は差し出された手の上に手を重ね、そのままダンスを踊り出すのだ。
アシュリー、ドリュー、カレンもそれぞれのパートナーとダンスフロアへ向かい、プロポーズを受けて頰を染めている。
カップルたちが幸せそうに踊る様子を、私は一人、壁際に立って眺めている。
………虚しい………
あれ、私ここにいる意味ある?
ここって処刑場ではなく、卒業パーティー会場ですよね?
ある程度覚悟してきたつもりだったけど、この場での壁の花は想像以上に辛かった。
あまりの居た堪れなさに、まだパーティーも序盤だが兄を探して帰ろうかと考えて出したところ、それはいきなり始まった。
「アラン様! ファーストダンスは是非わたくしとお願いしますわ!」
楽団の演奏に負けないほど大きな声で攻略対象者でもあるアラン殿下に声をかけたのは、赤いドレスに巻き金髪の吊り目美女だった。
スチルで見たことがあるので間違いない、あれは悪役令嬢の一人であるバルバラ・アインスターク様だわ。
悪役令嬢とはいえ、ネームドキャラクターはやはり美形揃いのこの世界の中でも抜きん出て美しい容姿をしている。
しかし女性は淑やかなのが美しいとされるこの世界で、女性の方から、しかも大声で、男性をダンスに誘うのはかなり端ない行為だ。
幸せそうにフロアで踊っていたカップルたちも、驚きのあまり足を止めてバルバラ様の奇行に見入っている。
………これは、紛うことなき断罪イベントの始まりのシーン!
楽しみにしていた場面を目の当たりにし、沈みきっていた私の心は少し……いや、かなり浮上した!
確かバルバラ様の呼びかけに、アラン殿下は厳しい視線を向けて「私が君と踊ることは永遠にない! 君がフローネにした所業を今ここで全て明らかにする!」と言って断罪が始まるのよね……。
「バルバラ嬢。私は君と踊ることはできない」
「どうしてですの!? アラン様の隣に立てるのは、公爵家で唯一未婚の令嬢であるわたくしだけですわ!」
アラン殿下に詰め寄るバルバラ様!
そこでフローネ嬢を守るように一歩前に出るアラン殿下!
アラン殿下の後ろで縮こまって「怖いわ……」と震えている可憐なフローネ嬢!
「私には心に決めた人がいる。……だから、君と踊ることはできない!」
「もしや……そこの男爵令嬢がお相手だと……そんな馬鹿なことは仰いませんわよね!?」
ギリギリと奥歯を噛み締め、今にも噴火しそうなほど怒りで顔を赤らめるバルバラ様!
くぅ〜っ、さすが悪役令嬢! いい表情するわね!
バルバラ様の鋭い視線に射竦められたフローネ嬢の、なんと可憐なこと!
「そこの男爵令嬢……? フローネ嬢のことかい?」
厳しい視線と言葉でバルバラ様に相対すると思われたアラン殿下だったが、意外にも呆気に取られたような顔でバルバラ様を見返している。
「なぜそこでフローネ嬢が出てくるのかは分からないが……。公式発表はまだだが、私には既に婚約者が内定しているんだ。お相手は、東の隣国の第一皇女……我が国に留学に来ているイシュバル殿下の妹君だよ」
「「「えっ!?」」」
驚きの声でユニゾンしたのはバルバラ様とフローネ嬢と、私だ。
思わず声が漏れてしまい、慌てて口を手で塞ぐ。
え、アラン殿下のお相手はフローネ嬢じゃないの? どういうこと?
「アランが婚約者を探していると聞いて、俺の妹を紹介したんだよ」
そう言って無駄に色気を振り撒きながら微笑むのは、攻略対象の《お色気ムンムン俺様な東の隣国第二皇子》枠であるイシュバル殿下。
アラン殿下のお相手が大国の皇女と分かればさすがに文句が言えないのか、バルバラ様は黙り込んでしまった。
思わぬ出来事に動揺していると、今度はイシュバル殿下がバルバラ様の前に颯爽と移動し、跪く。
「バルバラ嬢。この国の王妃ではなく、隣国の皇妃になる気はないかい?」
突然のイシュバル殿下のプロポーズに、会場中から悲鳴に近い黄色い声が上がる。
状況が呑み込めず、真っ赤な顔をして口をハクハクさせるバルバラ様。
フローネ嬢は驚きのあまり口があんぐり開いてしまっている。
「小さい頃からずっと『王妃になれ』と言われて、プレッシャーを感じていたんだよな? 君が本当は寂しがりやで甘えん坊だってこと、俺は知ってるよ」
優しいイシュバル殿下の言葉にバルバラ様は涙を浮かべ、そしておずおずとその手を取った。
その瞬間、一気に歓声と拍手と悲鳴が巻き起こる。
なんと……悪役令嬢が隣国第二皇子を攻略してしまったわ!
イシュバル殿下とバルバラ様がダンスフロアに出て身を寄せ合うと、フロアの中央に歩み出て優雅にダンスを踊り始める。
周囲の人たちはただただ呆気に取られた様子で、幸せそうに踊る二人を見つめていた。
***
二人がダンスを終えると、攻略対象である騎士団長子息のジェイデン様、魔塔主子息のディック様がそれぞれの婚約者である悪役令嬢の手を引いてダンスフロアに出て、プロポーズを成功させ、衆人環視の中ダンスを終えた。
そしていよいよ攻略対象者最後の一人、宰相子息のユーグリッド様が前方に歩み出た。
もしかしてフローネ嬢は、逆ハールートではなくユーグリッド様のルートだったのかしら?
そんな風に考えながら二人の動向を見ていたが、ユーグリッド様は期待に満ちた表情で待ち構えていたフローネ嬢の前を素通りしてしまった。
会場中の人たちが固唾を呑んで行き先を見守る中、ユーグリッド様は脇目も振らずに真っ直ぐにこちらに歩いてくる。
…………ん?
何でこっちに歩いてくるの?
もしかして私の近くにネームドキャラクターがいるのかしらと辺りを見回していると、私の目の前で誰かがピタリと動きを止める。
恐る恐る顔を前に向けると、そこには跪いてこちらを真っ直ぐに見上げる銀髪紫眼にモノクルをかけた美丈夫がいた。
「シエナ・ユドルフ嬢。どうか私、ユーグリッド・ヴァン・ルーベックと共に、これからの人生を歩んでくれないだろうか?」
「は………はぇ?」
驚きすぎると、口から変な声が勝手に漏れるものなのね。
そんな場違いなことを考えるくらいには、私の頭の中の〝私〟は現実逃避していた。
乙女ゲーの攻略対象者であり、ルーベック公爵家嫡男、現宰相の子息で頭脳明晰、さらに容姿端麗で世の未婚令嬢がこぞって狙っているハイスペック男子が、何故に完全モブかつ非モテな私に求婚を……?
これが現実とは思えず、私は口を開いたまま何度もしぱしぱと瞬きをした。
ユーグリッド様は呆気に取られて黙ったままの私の顔をじっと見つめていたが、時間が経つにつれてその形の良い眉毛がだんだんと下がっていく。
「いきなりの申し出で驚いただろうか……? それとも、すでに他に将来を誓い合った人がいるのか?」
へにょんと眉尻が下がるそのお顔は、まるで尻尾を下げて項垂れる仔犬のよう。
上目遣いで見上げられると思わず流されそうになるけれど……いやいや、おかしいでしょ?
学院ではむしろ彼らを避けて生活していたのだから、こんな流れは絶対にあり得ないんだけど!
「あの……記憶が正しければ、私はルーベック様と学院内で顔を合わせたことも、言葉を交わしたこともなかったかと思うのですが……。どうして面識のない私に求婚を?」
「それは……」
私が至極当然の疑問を投げかけると、ユーグリッド様は何やら言い淀んで視線を逸らす。
口元を手で覆ってしまっているが、見えている目元と耳が真っ赤に染まっている。
「一目惚れ、なんだ……」
ユーグリッド様の一言に、会場は水を打ったようにシン……と静まり返る。
急に訪れた静寂に居た堪れなくなって誰かに助けを求めるように視線を彷徨わせると、心配そうにこちらを見つめていたアシュリーと目が合い、瞬時に逸らされる。
……アシュリー……あの子もしや、こうなることを知っていたわね?
「一目惚れ……って、一体どのタイミングで?」
絶対に乙女ゲームに関わりたくなかった私は、意図的にヒロインや攻略対象者たちを避けて学院生活を送っていたのだ。
我が家は上流貴族との繋がりもない弱小貴族なので、実はユーグリッド様と幼少期に出会っていた……なんていう、よくある後付け設定ももちろんない。
そもそも一目惚れというのが本当なら、ユーグリッド様は一体いつ私を見初めたというのか?
「………」
ユーグリッド様は顔を逸らしたまましばらく黙っていたが、意を決したように表情を引き締め顔を上げた。
「……3年前の入学式の日。アランバトラー殿下が壇上で新入生代表挨拶をしているとき、私は舞台の端からその様子を見守っていた。壇上からは客席に座る新入生が一望できたのだが、その中に……一際目を惹く美しい青紫色の髪の令嬢が座っていたんだ」
「ま、まさか」
「そう……それが君だよ、シエナ嬢。何気なくその青紫色の髪に目が留まった次の瞬間、君のその……美しく愛らしい顔に心を奪われてしまったんだ」
なんと!
まさかこの国でも珍しいこの青紫の髪が、モブ群衆の中で目立ってしまっていたとは!!
しかもたったそれだけのことで攻略対象に見初められてしまうなんて、そんなこと一体誰が予想できただろうか。
「確かに私と君は、今日初めて言葉を交わした。だけど私は、君を見つけた日から毎日毎日、遠くから君を見守っていたんだ」
…………ん?
「懸命に学業に取り組む姿、友人と楽しそうに言葉を交わす姿、昼食のデザートを美味しそうに頬張る幸せそうな姿……。はじめは一目惚れだったが、君を知るにつけ、君への想いはどんどん強くなっていったよ」
…………んんん??
「夏の長期休みでは領地に戻ってご家族で乗馬を楽しんでいたよね。私は君の、そういう少しお転婆なところも大変好ましく思っているんだ」
…………待て待て待て。
もしかして……もしかしなくても私、ユーグリッド様に監視されていたの?
「あの……どうしてそんなことをご存知なのですか……?」
恐る恐る尋ねると、跪いたまま私を見上げるユーグリッド様のモノクル越しの薄紫の瞳に仄かに陰が落ちる。
「……君のことなら何でも知っているよ、シエナ嬢。そうだね……夏といえば、一昨年の夏に君は友人たちと共に夏至祭に遊びに出かけたよね。……他の男と手を繋いで、楽しそうに。あれは妬けたなぁ……」
そう言うユーグリッド様の口元には笑みが浮かんでいるが、その目の奥は全く笑っていない。
怖い! 怖すぎる!!
「ところでシエナ嬢。……そろそろ先ほどの告白に対する返事をいただけないだろうか?」
先ほどの不穏さを瞬時に潜め、ユーグリッド様は再び眉尻を下げ、不安げな仔犬のように私の顔を覗き見た。
私はごくりと唾を飲み込み、目線だけを周囲に巡らせる。
当然の如く、私たち二人は会場中の注目の的だ。
好奇の目、驚愕の目、憎悪の目……様々な視線に晒される中でただひとつ言えることは───
───こんな状況で断れるわけ、ないでしょ!
私は差し出されたユーグリッド様の手のひらの上に、震えを抑えながら何とか手を重ね、腹から絞り出した消え入りそうな声で「……よろしくお願いします……」と答えたのであった。
その瞬間、歓声とも悲鳴ともとれる声が沸き起こり、それと同時にユーグリッド様が満面の笑みで立ち上がり、勢いよく抱き締められる。
「ああ、シエナ! ありがとう、必ず幸せにする!!」
なんかもう、すでに呼び捨てになってるし……。
為されるがままにぎゅうぎゅうときつく抱き締められながら、私は「ちょっとお付き合いすれば、ユーグリッド様もすぐに飽きて円満にお別れできるだろう」などと考えて現実逃避していた。
「ちょっとちょっとー! 一体どういうことなのぉー!!」
突然甲高い奇声が上がりそちらへ目線を移すと、フローネ嬢がふわふわとした桃色の髪を振り乱す勢いで猛烈に地団駄を踏んでいた。
「アランが皇女と婚約とか聞いてないし、イシュバルが悪役令嬢に告白とかシナリオになかったんですけどぉっ!!」
……あ。
ヒロイン、転生者のパターンだったわ。
「ジェイデンとディックは婚約者と不仲だったんじゃないの〜!?」
ヒロインの突然の奇行に最初は驚いていた攻略対象者の面々だったけど、独り言の内容があまりにも不躾すぎて段々と能面のような表情になってきているわ!
そんなことにも気づかず、ヒロインはひたすら喚き続けている。
「それより何より、ユーグリッドの相手よ! シエナ? 誰よ、それ。 完全なモブじゃないの!!」
そう叫ぶと同時に、ヒロインは親の仇のごとき敵意を私の方に向けてくる。
「ちょっとアンタ!! 何勝手に私の物語の中に入ってきてんのよ! モブはモブらしく視界に入らないように大人しくしていなさいよっ」
…………えー…………。
私、限りなく大人しくしてたんだけどなぁ。
もっと早くゲームのことに気がついていれば違う学院に行ったんだけど、思い出したのが入学式の日だったからどうしようもなかったのよね。
「………おい」
そんなことをつらつらと考えていると、隣から地響きのような低い声が響いたかと思えば、一瞬にして氷漬けになりそうなほどの冷気が立ち上る。
「黙って聞いていれば、調子に乗って戯言を垂れ流し、あまつさえ私のシエナを傷つけるとは……。貴様、死にたいのか?」
ひ、ひぇぇ。
ユーグリッド様の怜悧で美しい切れ長の紫眼が鬼神のごとく吊り上がっているわ!
ヒロインちゃん、逃げてー!
そんな気持ちでヒロインのフローネ嬢を見つめると、先ほどの威勢はどこへやら。
全く血の気のない青い顔をして、ガクガクと震えている。
……そう、フローネ嬢も思い出したのね。
『誰がために鐘は鳴る〜カンパニーレ学院の奇跡〜』の攻略対象の一人、ユーグリッド・ヴァン・ルーベック。
そのキャッチコピーは、《腹黒ヤンデレな宰相子息》。
ゲームではヒロインがユーグリッドルートを選択した場合、ユーグリッドの幼馴染にあたる侯爵令嬢が悪役令嬢として登場する。
そしてこのルートでは、侯爵令嬢は実家の威光を振りかざし、取り巻きや手下を使ってヒロインに様々な嫌がらせを仕掛けてくる。
ユーグリッドはヒロインの安寧を守るため、サクッと侯爵家を罠にかけて家ごと没落させるのだ。
いや、単なる嫌がらせくらいで家没落は罰が重すぎない? とは思うが、ヒロインに関することには過剰に反応してしまうのが《腹黒ヤンデレ》なるユーグリッドという人物だ。
そこで今の状況を振り返ってみると。
ユーグリッド様がストーカー紛いの行動をしてまで執着していたのが、私。
ということは、私がゲームにおけるヒロインポジションについてしまっているということだ。
それでは悪役令嬢は誰かというと……今しがた私を罵倒したフローネ嬢ということになる。
ヒロインを傷つけた悪役令嬢がどうなるか……そのことに思い至ったからこその、フローネ嬢のあの顔色なのだろう。
ユーグリッド様の最愛(って自分で言うのも何だけど)を傷つけた代償は、追放か没落か……。
「ルーベック様」
私がそう声をかけると、全身を覆っていた冷気は霧散したものの、どこか納得のいかなそうな表情のユーグリッド様が振り返る。
「ユーグリッドと呼んでほしい」
どうやら私が家名で呼んだのが気に食わなかったようだ。
「……ユーグリッド様」
「どうした、シエナ」
先ほどよりも甘やかな表情と声でこちらを見つめる美形の圧に、思わずゴクリと喉が鳴る。
「っ……あの、ユーグリッド様。せっかく思いが通じましたのに、フローネ嬢ばかり見つめないでくださいませ。妬いてしまいますわ」
私がそう言うと、ユーグリッド様は一瞬目を見開いたあと、頬を染めて破顔する。
本当は「思いが通じた」と言っても、こちらからは全然矢印出てないんだけどね。
そう言わないとフローネ嬢が酷い目に遭いそうだから、転生者仲間としては助け舟を出してあげないとね。
「シエナ……」
「ユーグリッド様は今後一切、フローネ嬢に関わってはいけません。もちろん、彼女のことを頭で考える
ことすらも禁止ですわよ?」
そうよ、だから絶対フローネ嬢の家を没落させたりしないでね。
「……ああ、分かった。私は今後、シエナのことしか視界に入れないし、シエナのことしか考えない」
ユーグリッド様は私の腰に手を回してグッと引き寄せ、嬉しそうにそう耳元で囁く。
「その代わり……シエナも私のことしか考えてはダメだよ。もし他の男のことを考えたらどうなるか───分かってるよね?」
誰もが憧れる美男子に腰を抱かれながら耳に吐息を吹きかけられ、普通ならば喜びに身を震わせる状況。
だけど今、私の背筋は別の意味でゾクゾクしている。
怖い……怖すぎる。
フローネ嬢を救うためとはいえ、とんでもないことを口に出してしまった気がする……が、一度出してしまった言葉はもう無かったことにはできない。
ちらりとフローネ嬢に視線を移すと、先ほどまで青い顔で震えていたくせに、今はほんのり同情するような表情で私を見ている。
「ヤンデレに捕まってしまったのね、御愁傷様」という心の声が聞こえてくるようだ。
いや、たぶん……きっと、まだ大丈夫なはず。
なにしろここは異常に顔面偏差値の高い世界。
私なんて髪色以外に突出したところのないモブ中のモブ。
少し付き合えば、ユーグリッド様も「つまらない女だな」って気づいて捨ててくれるはず!
「シエナ? 難しい顔してどうしたの?」
その声に弾かれるように視線を上げると、モノクル越しの美しい紫眼が間近に迫っていて思わず悲鳴を上げそうになる。
ユーグリッド様は仄暗い表情で私の顔を覗き込んでおり、視線がぶつかるとニヤリと口角を上げた。
「私は絶対に君を逃がさないよ。……二人で幸せになろうね」
甘さというよりはどこか脅迫じみた声色で凄まれ、私は強張った表情筋を何とか動かしてぎこちない笑みを浮かべる。
それから卒業パーティーがどうなったのかいまいち覚えていないが、気がつけばユドルフ邸の自室のベッドに横たわり天井を見上げていた。
後から聞いたところによると、私たち会場中の注目が集まっているうちにフローネ嬢のことはすっかり忘れ去られ、その後も特にお咎めはなかったらしい。よかった。
翌日にはユーグリッド様との婚約が光の速さで整えられたが、それでもまだ私はユーグリッド様がきっと心変わりしてくれると信じて疑わなかった。
だって、ユーグリッド様が私に一目惚れしてから、公爵家お抱えの諜報員を使って私の行動を逐一監視していたとか、私が親しくなった令息の家に圧力をかけて恋人を作らせないようにしていたとか、私の友人たちも巻き込んで着実に外堀を埋めていたとか、そんなことは全く知らなかったんだもの。
結局破談になることのないまま一年後には結婚し、病的に溺愛される生活を送ることになるなんて……。
ちゃんとモブらしく大人しくしてたのに、どうしてこうなった!?
〜 終わり 〜
乙女ゲーのモブ転生もの。
いろんな作品読んで「攻略対象に関わりたくないと口では言いながら自分から関わりに行ってるじゃん!」と思ったので、本当に全く関わりに行かないパターンを書いてみました。
お楽しみいただけたら幸いです。
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