163.赤ちゃんが居ない
「赤、ちゃん?……。おい、キョウは何を言ってる?」
「さ、さあ?」
何か、マキナに話が通じない。アヤメさんに聴いている。
「さあ、じゃないだろ。お前が要らん情報を伝えるから」
「で、でもマキナ姉が孕んだんだから、間違いじゃないよ」
「だから、あれは妊娠じゃなくて、な?」
「ともかく、キョウ様の着替えを」
「そうだな……。何か着るものは?」
笹さんが二人をなだめる。
体を見たら検査衣一枚、着ているだけだ。
「ここには検査衣くらいしかない。着ていたどこかの制服に戻せば?」
「それで、その制服は?」
「さあ?」
「お前な~」
「取りあえず車で本館へ戻りましょう」
「そうするか……」
よく話が見えない。濡れた衣が冷えてきたので早く服がほしい。
「起きられるか?」
「うん。……ありがとう」
身体を起こすとマキナが自分のジャケットをかけてくれる。
袖に腕を通すとボクを抱えて手術室のようなところから廊下に出る。
「私、後片付けがあるから」
「分かった。あとで説明に来いよ」
アヤメさんは帰らないらしく、そこで分かれる。
廊下は病院のような飾り気のない壁と天井だ。やはり病院の中か。
「どこに行くの?」
「どこ? 本館だ」
「本館? そこに赤ちゃんがいるの?」
「いや、いない。一先ず、赤ちゃんは忘れろ」
「え~、赤ちゃんを抱くために帰ってきたのに……」
「まったく、アヤメが要らないこと言ったばかりに……」
「何?」
「何でもない。本館に戻ったら眠れ」
「え~、また寝るの?」
「少し休んだ方がいい。起きたら説明する」
「……分かった。でも、お腹空いたな」
「あ~食事がまだだったな……何か用意させる」
「分かった」
マキナに言われるまま、もう一度眠る。
「キョウ、起きれるか? スープが来た。食べられるか?」
「……うん。食べる」
身体を起こすとマキナが背中にクッションを詰めてくれる。辺りを見回すと三階の部屋のベッドだね。
クッションに背中が預けられるところまで下がる。
普通に起きて食べられそうだけど、ベッドテーブルまで用意してくれているので甘えてベッドで食べる。
回りにはマキナはじめ、カエデさんや笹さん、気更来さん、羽衣さんが心配そうにしている。
「それで、赤ちゃんはどこに居るの?」
スープをすくいながらマキナに聴く。
「……よく聞け。赤ちゃんなど居ない」
「え? 居たよ。マキナとの赤ちゃん」
「……もう一度言う。赤子は居ない。お前の勘違いだ」
「そんな……。確かにこの手に抱いたよ」
「そもそも、私は子供を産んでいない。妊娠もまだだ」
「でも、あれは……確かに……」
「マキナ様、キョウ様は誘拐のショックによる一時的な健忘症かも知れません」
「ああ、そのようだな。キョウ、すぐに妊娠もするし赤子を抱ける。今は忘れろ」
「……分かった」
何だか一気に気が抜けて食欲がなくなった。
あれは、幻だった?
「食が進んでいないが……」
「もういい……」
「腹が減ったと言っていたろう?」
「食欲が無くなった」
皿にスプーンを落としテーブルを前へ突く。
「お、おい」
「ゴメン……もう寝る」
「……分かった」
マキナが落胆するのを感じる。でも気落ちして取り繕える気がしない。身体を元の位置までずらし毛布をかぶる。
◆
「キョウは、どうしてしまった?……」
「しばらく、そっとしましょう」
「分かっている。アヤメはまだ帰らないか」
アイツに聴かないとさっぱり分からん。
「そのようですね……」
皆とリビングに移る。善後策を話し合おうにも、肝心のアヤメが居ないと憶測でしか話せず、護衛たちの口も重い。
そんな沈んだリビングを子供たちとツバキが覗いている。
「どうした?……」
「……キョウは? 見つかった?」
そうか。まだ何も知らせていなかったな。
「ああ、連れ帰ってきたぞ」
そういうと、みんな顔をほころばせる。
「どこにいるの? 寝室?」
「ああ、今眠っている。起こさないようにな」
今にも寝室に駆けて行きそうなので釘を刺しておく。
「分かった。みんな行こう」
「……うん」
「早く!」
「こら、走るな。騒がしくするんじゃないぞ?」
言ったそばから走って行こうとする。子供は何をしでかすか予測できない。そんな子供をキョウが好きなのを理解できない。