11.閑話:不思議な男の子①*(喜多村マキナ)
私は、述懐する。
蒼屋キョウ。不思議な子だ。
あれは、五年、いや六年前か?
母に従って会社で下積みを始めた。母は社長だとは言え、会社では身内だという素振りを見せず、仕事ぶりだけを評価する。
預けられた資材調達部で人の仕事を見ながら、デスクの片付けや、果ては営業に回ったり、あらゆる事を経験した。
母は私の適性を見ていたのだろう。今なら分かるが、あの当時ふられる仕事をこなすのに必死で大局を見ていなかった。
部下を付けられ指図していると、ああ、あれはこうすれば良かったんだと思い起こされ反省するばかり。
仕事が上手く行き始めると、些細な行き違いで損失を被った。
社長室で部長・課長も集められた中で叱責される。
上の者は管理責任を責められ、私は自分のこと以上に辛かった。悪いのは私なのに。
私は少し浮かれていたのかも知れない。日々の小さい積み重ねが大事で、その積みかたに抜けや欠けがあると何かが起こると瓦解し崩壊する。
自分の不甲斐なさと失敗の叱責に打ちのめされて、早引けのように会社を出て、街中を彷徨っていた。
もちろん行く先などない。足の向くまま、気づくととある住宅街にいた。
そこに公園を見つけると子供たちが遊ぶのも気にせずに入ってベンチに座っていた。
子供たちが遊んでいるのを見るとはなしに目に入る。元より、その姿しかないんだけれど。
一人の子に群がる子供たち。その集まる子たちを散らそうとする子。
中心の子は回りの子たちより少し小柄だ。
様子を見ていると、どうやらそれは遊びではなさそうだ。
興味をもって見ていると、中の囲まれていた子が私の視線に気づいてこちらに来る。
その子を守るように付いてくる子、それにまた集まろうとする子らも付いてくる。
「おねえさん、ダイジョウブ?」
「キョウちゃん、あそぶなら私たちと~」
「おばさんとなんか、あそばないでさあ」
「あんたたちも、キョウちゃんとあそばせない!」
おば……まだ私はそんな年じゃない。まだ、十代だ。
子供たちからすると、大人は皆、おばさんなんだろうが。
「おばさんじゃない。お姉さんだ」
ムッとして言い返す。慧眼なのか、人慣れしているのか、私を見つけて寄ってきた子はお姉さんと言ってくれた。いい子いい子。
私が草臥れているのを心配しているのか。その鳶色の瞳が見透かすように見詰めてくる。
「ありがとう。大丈夫だよ」
「そう……。なら、よかった」
屈託のない笑顔に胸が高鳴る。なんて人誑しなんだ。
私は、ぺドじゃないぞ。
おそらく、就学前の子だ。物怖じせず、大人に話しかけるとは。
実際は十だったと後で知ったが、すごく小柄な子だと感じた。それがキョウとの出会い。
親がいい人なのか、教えがいいのか。
その子を取り巻きから遠ざける子も、彼女に魅了されているのかも知れない。
私も目が離せない。
対して集まる子たちは彼女を取り込もうとして躍起だ。
「もう! キョウちゃんにふれないで~」
「あんたも、キョウちゃんをひとりじめするな」
「わたしはキョウちゃんをまもってって、いわれてるの~!」
「ダメだもん。キョウちゃんはわたしのおムコになるんだから~」
はあ? え~っ! 男の子争奪戦だったのか。
いや、おムコは早すぎだし、男ってバレてるのかよ。
男の子を一人にして野放しとか狂気としか思えない。
女からすると狂喜だが……。斯くいう私も、ときめいてしまったじゃないか。
そりゃ、護ろうとする子がいてもおかしくないし、親は外に出すなよ、保護責任問われて最悪、子供を取り上げられるぞ。
かと言って私が手出ししていいのか? いや勿論、手助けだけど。
セクハラにならないか? 男の子と知らなかったと言い張れるか。
知っていたと露見すれば、幼児虐待、ワイセツ行為で捕まるな……。
でもまあ、緊急避難で抱き上げたけどね。
その子が膝に上がりたそうにしてたんだから、触ったのはそちらからだし、合意が成立する……はず。
すがってきたから不可抗力だよ。
私は、膝が汚れるのも気にせず抱えた。
あふぅ~、いい匂いだ。かつて、男子をこれ程近くにしたのは高校以来か。
まあ、あれは馴致みたいで、お互いに異性に慣れるためだったが。
この子は、いとも容易くそれを越えてくる。
肩にかかるほど伸びた髪からいい匂いがする。
思わず髪の中に鼻先を突っ込んで精一杯嗅いだ。
頭がクラクラする。これが男か! ついぞ忘れていた女が沸々と沸き上がってくる。
抱えたら、頭が近くに来た、来てしまった。だから仕方がない。
もう一度、キョウ吸いを堪能する。はあ~至福。
こりゃダメだ。幼女が群がるはずだわ。
とろけてしまいそうな脳ミソを再起動して、現実を視る。
「おばさん、ずるい~」
「ほんとだ~。ずる~い!」
「ずる~い、ずる~い。キョウちゃん、にげて~」
「みんな、キョウちゃんをおばさんからたすけるよ!」
「おばさん、言うな。君、逃げるよ」
群がる暴女から助ける名目が立つ状況だ。
キョウという男の子を守っていた子と一緒に公園を離れる。
「ああ~、キョウちゃんがさらわれる~」
「みんな、キョウちゃんをとりかえすよ」
不本意な言葉を無視して彼女が案内する方へ駆けていく。
付いてくる幼女たちがへばっていくが案内の女の子も疲れてしまう。
彼女も抱えて案内してもらい、キョウ君を家に送り届ける。
家にはキョウ君の首に下がった鍵で入る。玄関でキョウ君を降ろすと冷静になった。
幼児略取、セクハラ・ワイセツ行為、住居侵入……露見すれば社会的に抹殺される。
上がり框に座り込んでいても仕方ない。
手を曳いてダイニングに連れていってくれ、お茶を出してくれようとする男の子、貴い。
気がつく子だ。このまま、育ってほしい。
イスを引き摺り準備するのを止めて私が代わりに訊いてコーヒーを淹れた。
彼らはお茶やジュースを用意した。
喉を潤して、訊くと姉がいて、大きい女には耐性があるようだ。
通報したあとの結果を今は気にしないようにして、児童相談所と男性保護庁の出張所に電話して保護を求めた。ついでに警察も。
ひと悶着あったものの、有力企業の社員(建前)ということで責任は回避できた。
付いてきた幼女の証言も補完した。
しかし、不法侵入まがいを責められて、厳重注意をもらった。
事情聴取で分かったが、就学前に見えたが十才なんだとか。
かなり小柄で、そうは見えない。
私は家の人に無断で保護官を手配した。
帰宅した母親(と姉)に懇切に説明、説得して了承してもらう。
この家にはかなり負債があるようだから苦渋の決断だろう。
ついでに婚約の約束(冗談みたいな「約束の約束」)を取り付ける。
青田になる前の青田買いをしている。決して私は幼児趣味では──いや、言うほど幼くはなかったが、そうでもしないと彼を護れないだろう。
見合いをずっと断ってきたお陰でとんだ原石を見つけた気分だ。見合い相手があまり良くなかったのもあるが。
高校に入るまで彼には大人しく家に籠っていてほしいものだ。
しかし、あと六年も待たなければいけないのか、とゲンナリする。
が、明確な人生の目標ができた。キョウを妻に迎え入れる。
仕事の失敗なんて、これから取り返せばいいのだ。
それが、不思議な男の子、キョウとの出会いだった。