佐伯奏1
ギガ・スライムを倒した後、遺跡エリアには変化が起こっていた。地形が変わったわけではない。変化したのはモンスターである。もともと遺跡エリアではスライムが出現していた。変化後も出現したのはスライムだ。ただし、大きくなっていた。
「デカい……」
ギガ・スライムを倒した翌日、アナザーワールドにダイブインした秋斗は、いつもより大きなスライムたちの姿を見て唖然としながらそう呟いた。もちろんギガ・スライム並、というわけではない。だがこれまでのスライムと比べ、一回り程度大きい。一方で数は少なくなっているように思える。もし数が同じだったら、ずいぶんぎゅうぎゅうに感じただろう。
「だけどなんで……」
[それはもちろん、ギガ・スライムを倒したからだろう]
シキの答えに秋斗も頷く。確かにそれ以外の理由は思いつかない。こんな形でいわばアップデートが行われるとは思っていなかったので、彼の頭は現状を処理するのに手一杯になってしまった。そしてその影響はネーミングセンスに現われる。
「……スライムver2.0?」
[アキがそれで良いなら、わたしは構わないが]
「いや、たんま! もうちょっと考える!」
そう言って何とか頭を回転させた結果、新種のスライムの名称は「ヒュージ・スライム」になった。センスが良いかはともかくとして、分かりやすい名前ではある。そして名前をつけ終えると、彼はふとあることに思い至った。
「もしかして、こいつらを一万体倒すと、またギガ・スライムが出てくるのか……?」
[……次はテラ・スライムかもしれないな]
「アレよりさらにデカくなるのかよ……。ってことは、こいつらもさらに……?」
[可能性はあるな]
「ver2.0の方が良かったかなぁ……」
秋斗はぼやいたが、仮に予想通りになるとして、一万体も倒すとなれば当分先だろう。彼は肩をすくめて問題を先送りした。
さて肝心のヒュージ・スライムである。この新種の力を確かめるためにも、一度戦って見る必要があるだろう。秋斗は対スライムリーサルウェポン(スコップ)を構えた。そして手頃な場所にいた一体に狙いを定めて突撃する。しかし先手を取ったのはヒュージ・スライムだった。
「……っ」
秋斗は顔を強張らせながら回避行動を取る。ヒュージ・スライムの身体がたわんだかと思うと、そこから小石が発射されたのだ。アップデートされたスライムは、どうやら厄介な攻撃手段を身につけたらしい。
ただどうやら、連射はできないらしい。秋斗は素早く間合いを詰めた。そしてスコップをヒュージ・スライムの身体に突き入れる。手応えは以前と同じ。どうやらアップデートされてもスライムの身体は薄紅色の水饅頭らしい。
スコップでひとかきするごとに、ヒュージ・スライムの身体は小さくなっていく。これも以前と同じだ。ただ大きくなった分だけ、費やす労力も増えている。加えて反撃が厄介だった。
「……っ」
ヒュージ・スライムの身体がたわむのを見て、秋斗はサイドステップで射線を避けた。一拍の後、また小石が発射される。回避のための余裕は十分だったが、反撃されること自体が以前はほとんどなかった。厄介さが増したと認識せざるを得ない。
敵を適当な大きさまで小さくすると、秋斗は一気に魔石を狙った。ヒュージ・スライムの体内からスコップで魔石を掘り出す。次の瞬間、薄紅色の水饅頭は割れて形を失った。そして魔石だけを残し、黒い光の粒子になって消えていく。秋斗は「ふう」と息を吐いた。
以前と比べれば厄介さが増している。ただヒュージ・スライムは決して強力なモンスターというわけではないように思えた。少なくとも今のところ、積極的に戦闘を避けるべき理由はない。
「ま、もうちょっといろいろ試してみるけど」
秋斗はそう呟き、次の獲物を探す。スコップを構えて素早く間合いを詰め、今度は浸透打撃を叩き込む。ヒュージ・スライムの身体は大きく弾け飛んだ。ただこれまでとは違い、一撃で倒せていない。彼は顔をしかめ、小さくなった薄紅色の水饅頭から魔石を引っこ抜いた。
別のヒュージ・スライムに狙いを定め、秋斗はもう一度浸透打撃を試した。ただし先ほどよりも力を込めて。すると今度は見事に一撃で倒すことができた。とはいえいわば大振りしているわけで、数をこなすのは少し大変そうだった。
次に秋斗はスコップを六角棒に持ち替える。そしてヒュージ・スライムに浸透打撃を叩き込んだ。すると今度は魔石ごと粉砕してしまう。流石はロア・ダイト製と言うべきか。以前の六角棒ならちょうど良かったかも知れないと思い、彼はちょっと遠い目になった。
「結局、スコップで浸透打撃、っていうのが一番良いな」
その後もいろいろと試し、その結果を秋斗はそのように呟いた。妥当な結果と言うべきか、それとも面白みのない結果と言うべきか。まあ彼は意外性や面白みなど求めていないのだが。
「ただ、今までみたいな乱獲は、ちょっともう無理かな」
気軽に乱獲するには、ヒュージ・スライムはちょっと手強い。小石を使った射撃もそうだが、一番面倒なのはその体積だ。一撃で倒すには、ちょっと気合いを入れて浸透打撃を使う必要がある。それが乱獲には向かない。この先のことを少し考える必要があるな、と秋斗は思った。
[ところでアキ、ウェアウルフはどうなったと思う?]
「……それもあったかぁ。ホント、どうなったかな?」
秋斗は頭を抱えた。遺跡エリアで出現するのはスライムだけではない。スライムがアップデートされるくらいなら大したことはない。だがウェアウルフまでアップデートされていたら、そちらは軽視できない問題だ。
筋肉二割増しだろうか。モフモフ二割増しだったら、そっちのほうが厄介かも知れない。冬毛に生え替わったウェアウルフを想像して、秋斗は馬鹿馬鹿しくなった。アナザーワールドの気候は変わらない。つまりウェアウルフが冬毛になる理由もない。
「ま、出てきたら考えるってことで。……新しい六角棒があれば、たぶん大丈夫だろうし」
秋斗はそう呟いて問題を棚上げした。ちなみに後日、ウェアウルフはアップデートされていないことが確認された。
そして二月のある日、秋斗は東京の勲とビデオ通話で話をしていた。ただし彼と一対一で話していたわけではない。勲の側にはもう一人、参加者がいた。彼の孫娘である佐伯奏だ。この日の主役はむしろ彼女である。
「秋斗さん。お話はお祖父様から伺っています。わたしのために大変な骨折りをいただき、ありがとうございました。それから、こうしてお礼を申し上げる機会が遅くなりましたこと、どうか平にご容赦ください」
そう言って楚々と頭を下げる奏は、スマホの画面越しであってもはっきりと分かる美少女だ。その容姿には年齢相応の幼さが残っているが、それでも大和撫子と評するにふさわしい。もし直接対面していたら、秋斗はドギマギしてうまく口が回らなかったかもしれない。
「気にしないで下さい。見たところ、すっかり回復したようで、安心しました」
「そう言えば秋斗さんは入院していた頃のわたしを見ているんですよね……。ちょっと恥ずかしいです」
奏はそう言って薄く頬を染め、はにかむ。その姿に秋斗はちょっとドキリとした。こうしてしおらしい姿を見せる女の子というのは、彼の周りにはいない種類の人種である。ようするに彼には免疫がなかった。
「ははは、だから奏、今更だと言ったじゃないか」
何と答えたものか咄嗟に分からず秋斗が曖昧に笑ってごまかしていると、勲が楽しげな笑い声を上げて会話に加わった。そして彼は孫娘の方にからかうような流し目を向けながら、さらにこう言葉を続ける。
「秋斗君。奏はね、やれ髪がパサつくだの、やれ肌の調子が元に戻っていないだの、いろいろ理由をつけては君にお礼の連絡をするのを先延ばしにしていたんだ」
「お、お祖父様!」
奏が顔を赤くして慌てる。彼女が先ほど「恥ずかしい」と言ったのは、寝顔を見られたからとか、そういう理由ではないらしい。入院していた頃の彼女は、すっかり体重が落ちて文字通り「骨と皮だけ」の状態だった。その言わば「美しくない」状態を見られたのがはずかしい、と彼女は言っていたようだ。
「今日だって、化粧に一時間以上も掛けていたんだよ? 『失礼があってはいけませんから』なんて言っていたが、私としてはちょっと気が気じゃないね」
「や、止めて下さい、お祖父様」
「秋斗君。孫は、やらんぞ?」
アワアワする奏を気にせず、いや確信犯的に勲はそう言ってにやりと笑った。彼の冗談に奏はすっかりむくれてしまったが、そのおかげで少しぎこちなかった空気がずいぶんと軽くなった。
その後、三人は三〇分ほど他愛もない会話で盛り上がった。奏が「わたしには敬語を使わなくて良いですよ」と言ってくれたので、秋斗は彼女に敬語を使うのをやめた。彼も「敬語はいいよ」と言ったのだが、奏は「いえ、年上ですので」と言って敬語を使い続けている。
ちなみに秋斗は最初、奏のことを「さん」付けで呼んでいたのだが、彼女に笑顔で無言の圧を掛けられ、「ちゃん」付けに落ち着いた。いいように操縦されている気がしないでもなかったが、秋斗は深く考えないようにしている。
「へえ、じゃあ奏ちゃん、吹奏楽部に入ったんだ?」
「はい。リハビリ中に、ネット配信でコンクールを見る機会がありまして。ぜひやってみたいと思ったんです」
そう言って奏は楽しげな笑顔を浮かべながら、学校や部活の様子を話し始めた。彼女はずっと入院していたので、入学式には出ていない。ほとんど転校生のような立場で学校に飛び込んだわけだが、ちゃんと学校生活を楽しめているようだった。
最後に「また荷物を送る」と約束して、秋斗は通話を切り上げた。勲とはこれからもアナザーワールド関係でいろいろと話す機会があるだろう。だが奏とはたぶん、これっきりだ。秋斗はそう思っていたのだが、そうはならなかった。
勲「孫はやらんぞ(マジ)」