鍾乳洞と地下神殿5
鍾乳洞の中を探索していると、秋斗はふと風を感じた。風が吹くこと自体はそれほど珍しくない。鍾乳洞のなかでも風は吹く。ただ彼が感じた風は妙に生暖かく、そして青臭い臭いが混じっているように思われた。つまりどこか外へ通じている場所が近いと思われる。
「こっちか……?」
秋斗が分かれ道の一方を見つめる。数秒その場に留まっていると、見つめる先からまた風が吹いた。やはり生暖かく、青臭い臭いが混じっている。
今回のクエストは「鍾乳洞の奥に祀られた地下神殿を攻略せよ!」というもの。「地下神殿」というからには、それは地下にあるのだろう。であれば外へ通じているのであろうこちらのルートは、本来の攻略ルートからは外れるのかも知れない。
だがそもそも秋斗はこの鍾乳洞を可能な限りマッピングするつもりでいる。そのためには先に“ハズレ”のルートを探索した方が無駄がない。それで秋斗は風の吹いてきた方へ向かって歩き始めた。
緩やかに曲がった通路を歩いて行くと、また風が吹く。今度こそはっきりと木々の、緑の葉の臭いがした。さらに進むと徐々に通路の中の明るさが増していく。外から光が差し込んでいるのだ。
「おお……。これは……、すごいな」
秋斗は思わず感嘆の声をもらす。外へ出ると、そこは巨大な縦穴の底だった。吹き抜けで、日の光が差し込んでいる。控え目に言って絶景だった。テレビでしか見たことのないような景色が、いま目の前に広がっているのだ。
もともとはこの縦穴も鍾乳洞の一部で、例の窪地のような、巨大な地下空間だったのだろう。それが、天井が崩落したことで吹き抜けの縦穴になったのだ。昔見たテレビでそんな解説をしていたのを、秋斗は思い出した。
縦穴の底や側面には木々が生い茂っている。中には太い幹の大木もあった。上を見上げれば、縦穴の高さは何百メートルもあるように見える。これを登るのは無理だろう。縦穴の縁には周囲に沿ってやはり木々が生えている。地上からではこの縦穴を見つけるのは難しいかも知れない。
秋斗はまず縦穴のマッピングを行った。ここが突き当たりなのか、それともまだ先があるのか、それを知りたかったからだ。それで縦穴の底をぐるりと一周してみると、さらに二方向へルートが通じていることが分かった。
ただこの縦穴自体には、めぼしいモノは何もない。石版があるかと期待したのだが、それもない。当然ながら地下神殿はおろか、人工物は皆無だ。本当に「鍾乳洞の一部が崩落して吹き抜けになっただけの場所」のようである。秋斗としてはもう少し特別な何かを期待していたのだが、その期待は外れてしまった。
「ま、そんなに都合良くはいかない、か」
そう言って秋斗は肩をすくめる。鍾乳洞を探索していたら、日の光が差し込む吹き抜けの場所があったのだ。特別な演出を期待するのは無理からぬことだろう。もっとも、案外こういう縦穴は珍しくないのかも知れないが。
[歩き回ってもモンスターの姿がない。強いて言えば、それが特別と言えるかもしれないが……]
「でもセーフティエリアとはっきり分からない以上は、ここで仮眠する気はないぞ。そもそもちゃんとしたセーフティエリアがあるんだし」
[まあ、そうだな。ここは日光浴に使えば良いだろう]
「なんでやねん」
秋斗は思わずエセ大阪弁になって突っ込んだ。なぜここで日光浴などという単語が出てくるのか。まあ、鍾乳洞の探索中、日の光を浴びていなかったことは確かだが。そういえばリザードマンは日光浴をするのだろうか。湿度の高い鍾乳洞の中にずっといると、身体にカビが生えそうだ。秋斗はふとそんなことを考えた。
まあそれはそれとして。二つあるルートの内、どちらを先に探索するべきか。秋斗は顎に手を当てて少し考えると、次いでストレージに手を突っ込んで斧を取り出した。この先を探索する前に、ここで木材を調達しておこうと思ったのだ。そうすれば、改めて鍾乳洞の外へ出る必要は無い。
斧を振るい、木を切り倒す。レベルアップの恩恵で、秋斗は膂力を増している。そしてこういう力仕事のときには、その成果が分かりやすく現われる。普通なら一本切り倒すだけでも重労働であろう大木を、彼はあっという間に三本も切り倒してしまった。
切り倒した木をストレージに収納する。あとはシキが何とかするだろう。ストレージの中にはそのための道具もある。なんなら切り倒した木をそのまま橋代わりにしても良いのだ。それなら手間はさほどかからない。
木材の調達を終えると、秋斗は「よし」と呟いて周囲を見渡した。相変わらずモンスターの姿はない。秋斗は少し休憩していくことにした。適当な岩に腰を下ろし、ストレージから水筒を取り出す。中身はよく冷えた麦茶で、力仕事を終えて少しほてった身体には甘露だった。
縦穴の底には日が差し込んでいる。つまり日向だ。腰を落とす秋斗の身体にも、日の光が当たっている。だが彼はさほど暑いとは感じなかった。環境対応能力がついたミリタリーコートのおかげかも知れない。
「ってことは、このコートは暑さも防いでくれるのかな?」
ミリタリーコートの裾をつまみながら、秋斗がそう呟く。「寒冷対応」ではなく「環境対応」なのだから、暑さに対応できたとしてもおかしくはない。だとすれば真夏にこのコートを羽織っていれば涼しく過ごせたのだろうか。ポータブル魔道発電機を動かすために使った魔石のことを思い出し、秋斗はちょっと悔しくなった。
[真夏にコートなんぞ羽織っていたら、頭が沸いたと思われるだろうな。そもそも絵面からして暑苦しい]
「誰も見てなきゃいいんだよ」
秋斗はそう嘯いた。もっとも、彼は重要な点を見落としている。つまり「環境対応能力」なるものがリアルワールドでも十分に発揮されるのか、という点だ。発揮されないのであれば、真夏にコートを羽織るなんて狂気の沙汰でしかない。三秒で後悔するだろう。
まあそれはそれとして。休憩を終えると、秋斗は「さて」と呟いてから探索を再開した。ここから枝分かれしているルートは二つ。彼はその内、入り口が大きな方を選んで進んでいった。理由は何となく、だ。
縦穴から洞窟の中に入ると、辺りはすぐに薄暗くなる。十メートルも奥へ進めば暗視が必要だった。もっとも暗視さえあれば視界の確保に困ることはない。秋斗は歩く速度を落とすことなく奥へ進む。しばらく進むと、シキが彼にこう声をかけた。
[待て。この先、反応多数]
シキはそう言って秋斗の視界にマップを表示させる。シキの言うとおり、前方にモンスターを表す赤いドットが多数ある。今までにない数で、これが全てリザードマンならかなりの戦力だ。まともに戦えば、押しつぶされるかもしれない。
一方で秋斗は首をかしげてもいた。赤いドットがひしめく通路はそれほど広くない。赤いドットが全てリザードマンだとしたら、満員電車のようなすし詰め状態だろう。異常な状態と言っていい。
ならリザードマンではなく別のモンスターなのだろうか。秋斗がそう考えていると、またシキが声を上げた。
[来るぞ!]
秋斗は思案を打ち切る。視界に表示されたマップに意識を向ければ、シキの言うとおり赤いドットが一斉にこちらへ移動してくる。その速度は速い。少なくともすし詰めになったリザードマンの速度ではない。秋斗は舌打ちをしてバスタードソードの柄を握った。そして敵が現われるのを待つ。
「ギギィ!」
「ギィィ!」
「ギィ! ギィ!」
現われたのはリザードマンではなかった。大きなコウモリ、ジャイアントバットだ。不規則な軌道で飛び回るジャイアントバットの群れを見て、秋斗は顔を険しくする。
飛んでいる敵とバスタードソードで戦うのは難しい。だが長物を振り回すスペースはないし、弓で狙撃するような距離もない。「一旦退くかな」と彼が考えていると、その前にジャイアントバットが攻撃を仕掛けてきた。
「「「ギギィィィィ!!」」」
多数のジャイアントバットが一斉に雄叫びを上げる。次の瞬間、秋斗は頭に杭を打ち込まれたかのような、激しい頭痛に襲われた。ジャイアントバットが雄叫びを上げるたびに、彼の頭はズキズキと痛む。彼は思わず膝をついた。
(超音波だ……!)
顔を歪めて痛む頭を抱えながら、秋斗は敵の攻撃の正体についてそう看破した。難しい話ではない。リアルワールドのコウモリが超音波を使うことは良く知られている。ならジャイアントバットのこの不可視の攻撃が超音波によるものと考えるのは、ごく自然なことだ。
もっともそれを看破したからと言って、すぐに何か有効な手立てを思いつくわけではない。むしろ激しい頭痛のせいでモノを考える事さえ億劫だった。それでもこのままではなぶり殺しにされる。秋斗は頭痛を堪えて立ち上がり、何とか来た道を戻ろうとした。だが数歩動いたところで、背中に鈍い衝撃が走った。
「がっ!?」
秋斗はよろめいて思わず足を止める。そして後ろを振り返った。それに合わせたかのようにジャイアントバットが羽ばたく。するとまた彼を鈍い衝撃が襲った。どうも羽ばたくことによって空気の塊をぶつけてきているらしい。
秋斗は咄嗟に両腕で頭部を庇った。彼が防御姿勢を取ると、ジャイアントバットの攻撃は激しさを増した。次々に空気の塊が彼の身体にぶつかる。滅多打ちだ。彼は動くに動けなくなってしまった。
(シキ……!)
彼の呼びかけにシキはすぐに応えた。ただし言葉ではなく行動で。プロテクションの魔法が発動したのだ。敵の攻撃の激しさは変わらないが、受けるダメージは減った。同時に彼は頭痛が治まっていることに気付く。ジャイアントバットは空気の塊をぶつけることに夢中で、同時に雄叫びを上げることはできないらしい。
両腕で頭をガードしたまま、秋斗はジリジリと下がった。そしてある程度のところで一気に駆け出す。だがすぐにジャイアントバットの雄叫びが洞窟内に響いた。激しい頭痛のために秋斗は転倒する。そこへジャイアントバットが殺到した。
「ぐぅぅ……!」
うめき声を上げながら、秋斗は壁際まで下がった。そして右腕で群がるジャイアントバットを振り払う。ジャイアントバットが放つ空気の塊は変わらず命中し続けていて、今のところは耐えるしかない。だがともかく頭への攻撃と噛付きだけは防いだ。
左手に魔石を握りながら。
ジャイアントバットさん「我が口撃を喰らえっ」