満月の夜に2
六角棒をもぎ取られた秋斗は、しかしすぐにストレージから別の得物を取り出した。槍である。それを見たウェアウルフはつり上げた口角をそのままに顔を引きつらせたように見えたが、恐らくは見間違いだろう。モンスターはそこまで感情豊かではないはず、と秋斗は思っている。
まあそれはともかくとして。秋斗が六角棒の代わりに槍を構えると、状況は仕切り直しとあいなった。いや、仕切り直しというにはいささかウェアウルフの分が悪い。浸透打撃を一発に、雷魔法までくらっている。瀕死とは言わないが、万全とはほど遠い。一方で秋斗は無傷。誰が見ても彼の方が優勢だろう。
だが秋斗は油断しない。モンスターは最期までモンスターなのだ。ましてウェアウルフには鋭い爪も凶悪な牙も残っている。警戒しなくてよい理由は一つもない。秋斗は槍を構えて鋭い視線でウェアウルフを見据えた。
先に動いたのは秋斗の方。時間を与えればウェアウルフが回復してしまうと思ったのだ。彼は槍を縦横無尽に振り回したが、しかしウェアウルフはその全てを回避する。ダメージを負っているはずなのにこの動き。元々の身体能力はかなり高いに違いない。
「当たらねぇ……」
足払いを跳躍で回避されると、秋斗は眉間にシワを寄せて一旦動きを止めた。ウェアウルフを仕留めるには、しっかりとした一撃を当てる必要がある。それも可能なら浸透攻撃を。だがそのためには、一瞬で良いのでウェアウルフの足を止める必要がある。そしてそれが難題だった。
ウェアウルフは現状、自分からは近づいてこない。仮にウェアウルフの方から近づいてくるとすれば、それはある程度ダメージが回復した後だろう。だが秋斗の側からすれば、当然その前に倒したい。
となれば秋斗の側から動くしかないのだが、その結果はご覧の通りだ。回避に専念するウェアウルフに、彼は攻撃を軽く当てることもできずにいる。それどころかシキのストレージを利用した落とし穴まで避けられてしまった。
(雷魔法が使えれば有効ではあるんだろうけど……)
秋斗は内心でそう呟く。雷魔法は有効範囲が広い。だが一度見せた以上はウェアウルフも警戒するだろう。何より雷魔法を使うには片手を槍から離す必要がある。
それを見たなら、ウェアウルフはどう動くだろうか。浸透打撃を防御してから、ウェアウルフは両腕をだらりと下げたまま積極的に使おうとしない。だがそれは使えないのではなく、使うべき時を見計らっているのだと彼には思えた。
[なら、逆にそれを囮にするという方法もある]
シキがそう告げると、秋斗は一拍の後に小さく笑みを浮かべた。そしてウェアウルフと視線を合わせてから、これ見よがしに左手をポケットに突っ込む。その瞬間、ウェアウルフは膝を曲げて姿勢を低くした。
「グルルルゥゥゥ……!」
ウェアウルフが低いうなり声を上げて秋斗を威嚇する。秋斗は挑発するかのように口の端をつり上げてから、ゆっくりと左手をポケットから出した。もちろん、手のひらには魔石を握っている。そして彼はウェアウルフの前の前で魔石に思念を込め始めた。
秋斗が何をしているか、直感的に悟ったのだろう。ウェアウルフは弾かれたように動いた。姿勢を低くしたまま、まるで地を這うようにして間合いを詰めてくる。これまでは温存していたのだろう、ウェアウルフは両腕を振りかぶった。そして鋭い爪を突き立てんと、指を揃えて手刀を用意する。
その反応こそ、秋斗が望んだものだ。彼は雷魔法をエサにして、ウェアウルフが自分から動くように誘導したのである。もちろん動かないのならそれでも良かった。その時はそのまま雷魔法をくらわせてやればよいのだから。
秋斗はすぐに左の手のひらを開いた。魔石が地面に落ちるより早く、彼はその手を槍に添える。ウェアウルフは自分が誘われたことに気付いただろう。だが今更止まることもできない。そのまま最短距離で攻撃を仕掛けた。
秋斗は集中力を高めてウェアウルフを迎え撃つ。彼が狙うのはカウンター。だが失敗すれば彼の方があの鋭い爪でかき裂かれてしまうだろう。身体の芯が熱を持つ。秋斗は鋭く一歩を踏み出し、そして槍を突き出した。
狙ったのはウェアウルフの胸の真ん中。つまり心臓だ。槍の穂先はウェアウルフの毛皮に阻まれる。鉄製でもないだろうに、呆れた防御力だ。だが問題はない。ただ槍を突いただけではないからだ。彼が繰り出した浸透刺撃はしっかりとウェアウルフの心臓を抉っていた。
「……ゴフッ!」
ウェアウルフの口から大量の血がこぼれ落ちる。ウェアウルフはそのまま崩れ落ちた。そして構えをとかない秋斗の目の前で、黒い光の粒子になって消えていく。それを見届けてから、秋斗は大きく息を吐き出した。今になって心臓が激しく鳴り響く。全身から汗が噴き出した。
「……強敵だった」
汗を拭いながら、秋斗はポツリとそう呟く。強敵だった。だが倒せた。なにより浸透攻撃が通用したことが嬉しい。きちんと実戦で使えるレベルであることを証明できたし、「浸透系の武技」を選んだことは間違いではなかったのだ。
さてウェアウルフの骸が完全に消えてなくなると、後には戦利品が残った。大きな魔石と黒いルービックキューブのような箱だ。
魔石はゴブリン・ロードのそれと同じくらいの大きさがある。黒い箱はこれまでの例から言って宝箱だろう。見たところ鍵穴はない。とはいえ秋斗は開ける前に【鑑定の石版】のところへ向かった。結果は次の通りである。
名称:宝箱(黒)
宝箱。罠あり。
「罠あり、かよ……」
秋斗はがっくりとうなだれた。宝箱(白)の場合、わざわざ「罠はない」との説明書きがあった。ということは罠付きの宝箱もあるのだろう、とは彼も思っていた。思ってはいたが、強敵を撃破して手に入れた戦利品が「罠あり」というのは、彼をがっかりさせるには十分だった。
「シキ、解除できないか?」
[無理だ]
「だよなぁ」
シキの即答を聞き、秋斗はぼやく。貯めてあるリソースを使いシキに罠解除の能力を覚えさせる、という手もある。だがどんな罠がどこにどのように仕掛けられているのか、外から見ただけではまったく分からない。そして罠にかかった場合どうなるのかも。つまり情報が足りなすぎるのだ。これでは実際に覚えさせたとして、本当に解除できるのか分かったものではない。
仕方がないので、宝箱(黒)はしばらくストレージの肥やしになることが決定した。奮戦したのになんだか報われていないような気がして、秋斗は「はぁ」とため息を吐く。なんだかやる気もなくなったのでダイブアウトしようかと思ったその時、シキが彼にこんなことを言った。
[アキ。今日ウェアウルフが出現したのは、恐らく満月だったからだ]
「だから?」
[次の満月の夜も、ウェアウルフは出現するかも知れない]
「次も戦利品が黒箱だったらたまったもんじゃないぜ」
秋斗はそう言って大げさに肩をすくめた。彼の表情は幾分明るくなっている。戦う前に幸運のペンデュラムを使えば銀箱くらいは狙えるのではないか。そんなことを考えながら、彼はダイブアウトした。
- * -
「バイクの免許を取ろうと思う」
ウェアウルフを撃破したその翌日。秋斗は唐突にそんなことを言いだした。そんな彼にシキがこう真意を尋ねる。
[バイクか。なぜこの時期に免許を?]
「この時期だからってわけじゃないけど。いい加減、徒歩で探索するのも限界だろ?」
つまり秋斗はアナザーワールドにバイクを持ち込みたいのだ。バイクを持ち込めれば探索範囲は一気に広がるに違いない。そして持ち込み自体はストレージや道具袋を使えばどうとでもなる。
だがバイクはリアルワールドで調達するしかない。そして燃料の補給も。さらにはメンテナンスなどの事も考えれば、免許を取得してリアルワールドでも乗れるようにしておいた方が何かと便利であろう。彼はそう考えたのだ。
[ふむ。資金は十分あるし、免許証は身分証明書にもなる。いいと思うぞ]
「なら……」
[だが茂氏に一報入れておくべきではないのか? 保護者の承諾など、いろいろあるだろう]
「あ~、そうかぁ。それがあったかぁ」
秋斗は露骨に乗り気でない様子だったが、シキの言うとおりだと思ったのだろう。彼はスマホを取り出して連絡先のアプリを開く。そして「宗方茂」に電話をかけた。数回、呼び出し音が鳴る。茂はすぐに電話に出た。
「私だ」
「秋斗です。今少し大丈夫でしょうか?」
「ああ。それで、何かあったのか?」
「その、実はバイクの免許を取りたいんです」
「バイクの……? 十八になってから、車の免許を取った方が良いのではないか?」
「十八だと、受験勉強と時期が被りますから。それに東京なら車よりバイクのほうが動きやすいと思います」
「ふむ……。秋斗がそう言うのならそれでも良いが。ただ今バイクの免許を取るのなら、車の免許を取るときには自分のお金で取ってもらうことになる。それでも良いのか?」
「はい。構いません」
「分かった。では費用を振り込んでおく。ああ、それから保険にはちゃんと入るように。特に、対人は必ず無制限にしなさい」
「は、はい。分かりました」
「うむ。ではまた何かあったら連絡しなさい」
そう言って茂は電話を切った。秋斗もスマホを耳元から話して大きく息を吐く。承諾を得られればよかったのだが、費用まで出してもらえることになった。とはいえ普通に考えれば、お金の無心であると茂が思うのは当然だろう。
後日、秋斗が通帳を確認すると、かなりまとまった額の入金があった。事前に調べておいたバイクの免許の取得費用と比べ、かなり大きな数字だ。秋斗が首をひねっていると、シキが彼にこう言った。
[バイクの購入費用も含まれているのではないのか?]
「ああ、そうか。そういうことか」
[もしくは、アキがどんくさいと思われていて、免許の取得に苦労すると思われたのかもしれん]
「バイクの購入費用だな。そうに違いない」
秋斗はそう断言した。異論は認めない。
茂「自分の経験上、このくらいは必要か……?」