自炊クラブ
「アキ君ってさ、たまに露骨に手を抜くよね」
昼休み、秋斗が弁当を食べていると、彼の隣に座る少女がやや不満げにそう言った。彼女の名前は早瀬紗希。秋斗の同級生であり、自炊クラブの発起人である。
自炊クラブとは学校非公認の同好会である。その活動内容は「お昼に自分で作ったお弁当を持参して一緒に食べる」というもの。場所は屋上へ続く階段。現在は週一のペースで活動している。
自炊クラブは特別、入会資格があるわけではない。ただ「弁当を自分で作る」という部分がハードルを上げてしまったのだろう。発足当初は紗希の友人を中心に何人か集まっていたのだが、今では彼女と秋斗の二人だけになってしまった。
そんなわけで秋斗は今、紗希と二人で昼食を食べている。「ランチデートだな」と言って冷やかすヤツもいたが、二人の関係はそんなに甘いものではない。甘いのは砂糖を入れすぎた玉子焼きだけだ。ちなみに秋斗作。紗希には好評だった。
「……手抜きとは失礼な。今日はなにも冷凍食品を入れてないぞ」
[その代わりおかずは全て作り置きだがな]
(だまらっしゃい。全て手作りだ)
紗希と、混ぜっ返すシキに、秋斗は反論する。シキはそれ以上何も言わなかったが、紗希の方はスマホを取り出し、メッセージと写真のやり取りを過去へ遡って秋斗に証拠を突きつける。
「アキ君、これはなに?」
「カップラーメンだな。お湯を注いで三分待つのは大変だった」
「へぇぇ? 一応聞いておくけど、どう大変だったのカナ?」
「まず、厳選した水道水を高温の青い炎で沸騰させ、その間に化学の結晶たる薄膜フィルムをはいで世界的ヒット商品を用意する。規定のラインまで蓋を開け、時間を確認してから高品質のお湯を注ぐ。蓋を閉じ、サスティナブルで環境に配慮したマイ箸で重石をし、静寂の中で三分を耐えるのだ……」
「うん、ちょっと何言ってるか分からない」
紗希がそう言うと、秋斗は楽しそうにケタケタと笑った。紗希は頬を膨らませ、そんな彼にこう不満を表明する。
「アキ君、あたし言ったよね? あんまり手を抜いちゃダメだよって。それなのにコレはないと思うんだけど。こんなの見たら、あたしまでサボりたくなっちゃうじゃない。我が家の食卓の危機だよ!」
「堕落のカップラーメンか。うん、売れそう」
「悪魔なおにぎりとかあるもんね。……って、そうじゃなくって」
紗希は秋斗に詰め寄り、メッセージと写真のやり取りがどれだけ自分のモチベーション維持に役立っているかを力説する。その迫力に、というよりは近すぎる彼女の顔におされて、秋斗は今日の夕食に少々手の込んだおかずを作ることを約束させられたのだった。
それから二人は自炊クラブらしく、自炊の話で盛り上がった。苦労話やどうやってレシピを見つけているのかなど、いろいろと情報交換もする。紗希は「いまだにゴーヤが出てくるんだよ」と言って自分ちの食糧事情を暴露したりもした。
「そういえばさ、この前、親戚から野菜をいっぱい貰ったの。で、それを使った料理をしろって言われてるんだけど……」
「へぇ。どんな野菜?」
「まだ夏野菜が多いかな。ナスとか、トマトとか。ズッキーニもあったよ」
「ズッキーニは輪切りにしてそのまま焼いても結構美味しいよ。あとはラタトゥイユとかいいんじゃない? 野菜を大量消費できる」
秋斗が具体的な料理を提案すると、紗希はさっそくスマホを取り出してレシピを検索する。彼女は画面をのぞき込み、検索結果を次々にスクロールした。
「どれどれ……。あ、レシピも結構あるね。簡単なやつを選べば一人でも作れるかも。作ったら写真とメッセージ送るね」
「ラタトゥイユならホットサンドの具にしても良いかもね。チーズたっぷりにして。ああ、でも汁っぽいかな……」
「いや、それ絶対おいしいヤツだよ! でもウチ、ホットサンドメーカーがないのよね……」
「ウチのやつ貸そうか? 一個ずつしか焼けないけど」
「いいの!? 貸して貸して! チーズとろ~りの写真送るよ!」
紗希が興奮した様子でくい付く。秋斗は彼女を宥めながら「じゃあ明日持ってくる」と答えた。「学校にホットサンドメーカー持って行くって、かなりヘンだよな」と彼が気付くのは翌朝の事である。
その後、二人はさらに夏野菜を使ったレシピをあれこれと調べたりした。そのうちの幾つかは秋斗も作ってみるつもりである。アナザーワールドで手に入れたイノシシの肉をミンチにして、それを使って夏野菜のドライカレーを作ったら美味しそうだ。秋斗がそんなことを考えていると、スマホをしまった紗希がやや気鬱げにそう呟いた。
「……自炊関係ないんだけどさ、テスト近いよね。あ~、ユウウツ。アキ君はどう?」
「どうって言われても……。楽しいイベントじゃないけど、定期的にあるんだから、いつも通りにこなすだけじゃない?」
「うわ優等生。アキ君ってテスト勉強とかちゃんとやるタイプ?」
「まあそれなりに。帰宅部だし、時間はそれなりにあるから。それに大学も行きたいから、あんまり成績悪いと後で困る」
「大学かぁ……。あたしも大学行きたいから、頑張らないとなんだけどねぇ……」
「紗希の志望校ってどこなの? 県外とは聞いたけど……」
「九州のほう。京都の大学もちょっと迷ってるんだけど、本命は九州かな。アキ君は?」
「オレは東京」
「東京かぁ……。大学いっぱいありそうだもんね。オープンキャンパスは?」
「夏休みに行った。赤門も見てきたぞ」
「お~、挑戦しちゃう? 赤門」
「さすがにあそこは無理だろ。この前の模試で試しに書いてみたら、D判定だったし」
「いやいや、D判定出るだけ凄くない?」
紗希は真顔でそう言ったが、秋斗は小さく肩をすくめてそれを流した。秋斗の成績はそう悪いものではない。前回のテストでは総合十二位。学年でもトップクラスの成績と言って良い。
ただその成績は向上したステータスとシキの個人指導によって下支えされたもの。少なくともアナザーワールドへ行けるようになる前の秋斗では、今の成績は取れなかっただろう。有り体に言えば、彼にはちょっとズルをしているという意識があった。もっとも、止めるつもりも成績を抑えるつもりもないが。
まあそれはともかく。そうやってズルをしているにも関わらず、赤門で有名な最高学府はD判定。もちろん二年生のこの時期の判定だから、今後の頑張り次第で結果はもっと良くできるだろう。とはいえ問題はそこではない。やっぱり日本で最高の学府を目指すような天才たちは頭の出来が違うな、と彼は思うのだ。
「ま、模試よりまずは目の前のテストかな。評定平均底上げして、推薦狙うんだ」
「推薦か、いいよね。でも一年の時の成績がねぇ……」
「諦めたら、そこで試合終了なんだ」
秋斗が悲壮感を滲ませながらそう呟く。なぜアナザーワールドへ行けるようになったのが二年生からなのか。どうせなら一年生の時からこの力が欲しかった。そうすれば成績で苦労することはたぶんなかったのに。あと肉もたらふく食えたのに。
「アキ君……。肉巻食べながらでなきゃ、カッコ良かったよ?」
「おっと」
紗希に指摘され、秋斗は素早く肉巻を呑み込んだ。それを見ておかしそうに笑いながら、紗希もほうれん草のゴマ和えを口に運ぶ。そして「良いことを思いついた」と言わんばかりに目を輝かせ、口の中の物を呑み込んでから秋斗にこう提案した。
「そうだ、今度一緒に勉強しようよ。アキ君、最近成績上がったんでしょ? コツとか教えて欲しいな~」
「一緒に勉強するのは良いけど、テスト範囲違うんじゃないのか?」
秋斗はそう指摘する。彼は理系で、紗希は文系だ。授業の進捗は異なるし、そもそもお互いに選択していない科目もあったりする。だが紗希は気にしない。彼女は明るくこう答えた。
「大丈夫、大丈夫。いける、いける。場所どうしよっか? あたしの部屋は……、ちょっと狭いかなぁ。アキ君の部屋はどう?」
「いや、学校でいいだろ。図書室は……、うるさくなるかもだから、空き教室使えばさ」
「あ、そだね。うん、そうしよう」
紗希は屈託なく笑ってそう答えた。秋斗は白飯をつつきながら内心で胸をなで下ろす。そんな彼にシキがこう声をかけた。
[相変わらず、紗希嬢はグイグイと踏み込んでくるな]
(ホントだよ……。無防備過ぎるだろ……)
秋斗はやや疲れた様子でシキにそう答える。男を自分の部屋に呼ぶとか、男の部屋に行くとか。もうちょっと警戒心を持てよ、と彼は言いたい。そして何より、そんなところまで意識させられている自分を、彼は持て余し気味だった。
それからまた雑談をしながら、二人は弁当を食べ終えた。その後、二人は昼休みが終わるまで他愛もない話を続ける。話題はテレビ番組やネットで見つけたオモシロ動画、最近気になっている歌い手のことなど、ころころ代わりながら多岐に及ぶ。
「……それでね、そのストリートピアノの動画なんだけど、スゴいんだよ! なんとご本人登場なんだから! いや~、アレは神回だったね!」
「それって仕込みじゃなくて?」
「マジマジ!」
「そりゃスゴい。奇跡みたいな確率だ」
「でしょ! アキ君は最近面白いの見た?」
「フラッシュモブの動画とか、面白かったよ」
「え、見して、見して……。あ、スゴい。このダンス、キレッキレだね!」
秋斗のスマホをのぞき込んで紗希が歓声を上げる。この日の昼休みはいつもより短く感じられた。
紗希「夜中に食べるカップラーメン……。これこそ悪魔の誘惑!」