ドロップ
秋斗がアナザーワールドの探索を始めてから三日目。この日も彼は学校から帰ってきてからアナザーワールドへダイブインした。今日探索するのは昨日とは反対側のエリアで、マッピングの範囲を広げるのが主な目的だった。
フライパンと金槌を駆使して七匹目のスライムを倒した少し後、秋斗はいかにもゲーム的なモノを見つけた。石板である。昨日見つけた石板とは違って壁にははめ込まれておらず、むしろ台座に安置されていた。刻まれた文字は相変わらず見覚えのないもので、何が書かれているのかは分からない。
「さて、今度はどんな情報かな」
やや身構えながら、秋斗はそう呟いて石板に触れる。するとすぐに情報が彼の頭の中に浮かんだ。
[【鑑定の石板】、か]
思案げなシキの声が、秋斗の頭の中に響く。インストールされた情報はそれだけだった。秋斗はもう一度石板に触れてみるが、反応はない。彼は残念そうに肩をすくめた。
「ダメか。ステータスが表示されたりしないかと思ったんだけど……」
少し釈然としないものを覚えたまま、秋斗はその場を離れて探索を再開した。そしてこの日十三体目のスライムを倒したとき、彼はあるモノを手に入れた。白い箱である。倒した後のスライムの身体は、いつもなら黒い光の粒子になって消えていくのだが、今回はこの白い箱が残ったのだ。
「何だコレ、ドロップアイテムか?」
秋斗はその白い箱を拾い上げてためつすがめつ眺める。幾つかのブロックが組み合わさってできた正六面体で、全面が白いルービックキューブというのが一番近い表現かも知れない。
モンスターを倒すとドロップアイテムが手に入る、というのはいかにもゲーム的だ。アナザーワールドのシステムにはそういう部分があることを秋斗はすでに感じ取っているので、ドロップアイテムが出たことに驚きはない。だが彼は戸惑った様子でこう呟いた。
「見たところ武器って感じじゃないし……。どーすんだ、コレ」
[鑑定してみれば良いのではないか?]
「ああ、なるほど」
シキのアドバイスに従い、秋斗は【鑑定の石板】のところまで引き返す。ただこの石板もどう使えば良いのか分かっていない。それで彼はとりあえず手に入れた白い箱を押し当ててみる。すると次の瞬間、情報が頭の中に浮かんだ。
名称:宝箱(白)
宝箱。罠はない。
情報はこれだけだ。簡潔というか、色々端折りすぎだろう、と秋斗は思った。ただ情報が得られた事はありがたいし、これで【鑑定の石板】の使い方も分かった。とはいえ分からないこともある。
[『罠はない』。つまり罠付きもあるということか]
「一回ごとに鑑定した方がいいかもな。それにしても、宝箱(白)ねぇ……。宝箱ってことは何か入っているんだろうけど、どうやって開ければいいんだ、コレ?」
う~ん、と唸って首をかしげながら、秋斗はもう一度白い箱をじっくりと眺める。そしておもむろにグリッとひねって回転させた。ルービックキューブに似ていたので、もしかしたらと思ったのだ。
結果としては、それで正解だった。秋斗が白い箱をひねって回転させると箱が展開される。そして箱が白い光になって消えると、中に入っていたのだろう、上下揃いの衣服とブーツが彼の手元に残った。
「お、おお!」
秋斗は歓声を上げる。上下揃いの衣服の色はモスグリーンで、生地はかなり厚手だ。ブーツは黒で、見た感じかなり丈夫そうだった。秋斗は早速、【鑑定の石板】を使ってこの三点を調べてみた。
名称:探索者の衣服(上)
探索者用の上着(長袖)。
名称:探索者の衣服(下)
探索者用のズボン。
名称:探索者のブーツ
探索者用のブーツ。
まあだいたい予想通りの結果である。いわゆるマジックアイテムでなかったことは残念だが、それでも秋斗の気分は良かった。これはアナザーワールドで初めて得た戦利品で、しかも役に立ちそうな品だ。それで十分だった。
[アキ、着替えるのは向こうでやろう。そもそも持ち帰れるのかどうかも、試してみなければ]
「そうだな。……『ダイブアウト』」
いつスライムに襲われるか分からない場所で着替えるのも不用心だろう。戦利品を両腕に抱えて、秋斗はダイブアウトを宣言する。視界は一瞬で切り替わり、彼はリアルワールドに、アパートの一室に帰還した。両手にはちゃんと戦利品を抱えている。それを確認すると、彼は満面の笑みを浮かべて「よし!」と喜んだ。
早速、彼は手に入れたばかりの探索服に着替える。サイズはピッタリで、肌触りは意外と柔らかい。ベルトはドロップしたなかに含まれていなかったので、今まで使っていた物をそのまま流用した。ブーツを履き、畳を汚さないように敷いた段ボールの上に立てば、着替えは完了だ。
着替え終えると、秋斗は鏡で自分の姿を確認する。もっとも、姿見はないので手鏡だが。ニヨニヨしながら手鏡で自分の姿を確認し、彼は満足げに「よし」と呟く。それから彼はもう一度アナザーワールドにダイブインした。
宝箱(白)の存在が、そしてドロップアイテムをリアルワールドに持ち帰れることが判明したことで、秋斗は俄然やる気になった。やっぱり、物事を続ける一番のガソリンは物欲なのだ。
さて、ダイブインし直すと、秋斗はまずもう一度【鑑定の石板】のところへ向かった。何かを鑑定するためではない。そこに間違いなくあることを確認するためだった。ダイブインする度に場所が変わる可能性をシキが危惧したのだ。
【鑑定の石板】は変わらずそこにあった。どうやらダイブインする度に場所が変わることはないようだ。そのことを確認すると、秋斗は探索を再開する。ただ彼の意識の問題なのか、今回はスライムハントの色合いが強かった。
「武器が欲しいな」
[うむ。いつまでもフライパンと金槌というわけにはいかないだろうからな]
秋斗とシキはそう言葉を交わす。今のところ、このアナザーワールドで秋斗はスライムとしか戦ったことがない。そしてスライムを相手にするだけならば、フライパンと金槌だけでも事足りている。
だが今までに彼が探索したのは極々狭い範囲だけだ。この先、探索範囲を広げていけば、スライム以外の敵とも戦わなければならなくなるだろう。その時、メインウェポンがフライパンと金槌では、いかにも心許ない。
だから秋斗は武器が欲しかった。だが日本の高校生が武器を手に入れるのはなかなか難しい。いざとなったらホームセンターで鉄パイプでも買おうかと思っていたのだが、アナザーワールドで武器が手に入るのならそれに越したことはない。
ただこの世には「物欲センサー」なるものがあるという。欲しいと思う物ほど手に入らない、というアレだ。それが働いたのかは分からないが、秋斗はこの日、二つ目の宝箱(白)を手に入れることはできなかった。
「あ~、くそ。空振りか」
[まあ、白箱が出ても、中身が武器であるとは限らない。気長にやるしかないな]
アナザーワールドから戻ってくると、秋斗は成果がなかったことを悔しがり、シキはそんな彼を淡々と宥めた。この日から二人の探索にもう一つ目標が加わった。宝箱(白)をゲットし、そこから武器を調達することだ。
とはいえ、やはりやることは変わらない。動き回ってマッピングをしつつ、積極的にモンスターを倒す。今までと同じだ。ただ「スライム以外のモンスターに挑むのは武器を調達してからにしよう」というのが二人の方針になった。
[さて、アキ。今日の復習と明日の予習だ]
「うへ、戻ってきたら早速勉強かよ」
[当然だ。サポート役の名にかけて、アキをフライパンと金槌を振り回すだけの蛮族にするわけにはいかないからな]
「へいへい」
秋斗の返事はおざなりだった。ただ彼の脳裏にはフライパンと金槌を振り回して「ヒャッハー!」する自分の姿が浮かんでいる。確かにこんなふうにはなりたくない。そんな風に思いながら、彼はまず数学の教科書とノートを取り出した。
幸いにも、と言うべきか。どれだけ長い時間アナザーワールドにダイブインしていても、リアルワールドでは一秒しか経過しない。つまり探索のために勉強時間が削られる、ということはない。
体力的な問題はあるが、“レベルアップ”しているのか、「クタクタになってもう何もできない」ということはなかった。もちろん、「そうなる前に探索を切り上げている」という側面もあるのだが。
さらに言えば、勉強の分野でもシキのサポートは的確だった。言ってみれば専属の家庭教師が付いているようなものだ。さらに一人ではないというのも、やる気と集中力を維持する上では大きい。つまりなんだかんだ言いつつ、秋斗は結構しっかりと勉学に打ち込めていた。
[ふふふ、この定理は美しい……]
「おーい、シキさん?」
やや不安になるときもあるが。とはいえそういう部分もひっくるめ、一人ではない今の生活が、秋斗は結構楽しかった。
物欲センサー「さあ、仕事を始めよう」