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東京遠征16


 秋斗が奏の治療の報酬である一億円をストレージにしまう。その光景を見た勲は驚いた様子だったが、ストレージについて詳しく聞いたりはしなかった。ストレージがどういうものなのかはだいたい予想できたはず。その上で、彼も収納袋を持っているから、「どうしてもその秘密を暴きたい」とは思わなかったのだろう。


 秋斗は内心で安堵の息を吐いていた。ストレージを勲に見せるのは、彼の中ではちょっとした賭けだった。もしも今日、勲の用件が報酬の受け渡しだけだったなら、秋斗は彼にストレージを見せなかっただろう。だが彼は「話がしたい」と言って秋斗をアナザーワールドに誘った。つまり今後も繋がりを保ちたいと思っているのだと、秋斗は考えている。


 それは秋斗も望むところである。そして今後も繋がりを保つのなら、ストレージのことをずっと秘密にしておくのは現実的ではないと思ったのだ。それに奏のこともある。勲が秋斗と敵対することはないだろう。そんなことを考えて、秋斗はストレージを見せたのだ。


「……ところで奏さん、お孫さんの具合はどうですか?」


 治療の報酬である一億円をストレージに収めてから、秋斗は勲にそう尋ねる。大丈夫だとは思うが、自分が治療した手前やはり気になるのだ。そして勲は顔をほころばせてこう答えた。


「お陰様で大丈夫だ。もともと昏睡状態で入院していたのであって、病気のために入院していたわけではないからね。もっとも全身の筋肉が衰えているから、リハビリは必要だが。まあ若いし、回復も早いだろう」


「それは良かったです。……ところで、その、ご両親のことは……?」


「……ああ、渋木君から聞いたのだね。両親のことは、奏にはまだ伝えていない。昨日はまだあの子も状況がよく分かっていないようだったのでね。聞かれなかったのを良いことに、まだ話していないんだ」


 勲はやや自嘲気味に笑いながらそう答えた。彼の孫娘である奏が昏睡状態のまま眠り続けることになった原因は交通事故であり、その事故で彼女の両親はすでに亡くなっている。


 そのことは隠し通せるようなものではなく、いずれは彼女にも伝えなければならない。そして伝えるのは、他でもない勲の役目だ。彼自身、それは分かっている。分かってはいるが、気が重いのもまた事実なのだ。


「……両親のことを伝えれば、あの子はひどく悲しむだろう。リハビリどころではなくなるかも知れん。場合によってはそのまま……」


 勲はその言葉の先を振り払うかのように小さく頭を左右に振った。およそ二年に渡って昏睡状態だったことだけでも、奏にとっては大きなショックだろう。その上、さらに両親がすでに死んでいることを知らされたら、その心痛はいかばかりか。


 秋斗も母親が死んだときのことを思い出して沈痛な面持ちになる。だがそれでも、彼は勲にこう言った。


「……それでも、早く伝えるべきだと思います」


「秋斗君……」


「時間が経てば経つほど、奏さんもおかしいと思うはずです。そうなったら不審に、いえ不安に思うんじゃないでしょうか?」


「そうか……。そうだな……」


 勲は大きく息を吐いてそう呟いた。常識的に考えて、両親がいつまでも回復した娘のお見舞いに来ないというのはおかしい。例え海外出張などで物理的に来ることが難しくても、今の時代、お互いに顔を見て話をするくらいなら幾らでも手段がある。それなのに両親からの報せが何もないとなれば、奏は不審に、そして不安に思うだろう。


「今日、あの子に両親のことを伝えよう。……ありがとう、秋斗君。おかげで踏ん切りがついた」


 決意を、いや覚悟を固め勲はそう言った。そしてふっと表情を緩めてから、彼は秋斗に礼を言う。秋斗は少し焦った様子で「いえ、とんでもないです」と答えた。そして話題を変えるために、昨日のホテルでのことを話し始めた。


「そ、そういえば昨日、ホテルからダイブインしたんです」


「それはまた何というか、思い切ったね。それで、得るものはあったかな?」


「はい。箱を二つと、後は石版を見つけました」


「箱というと……、ああ、宝箱のことか。何が入っていたのか、聞いてもいいかな?」


「実はまだ開けていないんです。どうせならすぐに鑑定したいと思ったので」


「ふむ。そういう事ならモノクルを貸すが。いやまあ、無理にとは言わないよ。君には君の考えがあるだろうからね」


 勲がそう言うと、秋斗は小さく苦笑を浮かべた。彼は、ストレージを見せたとは言え、幸運のペンデュラムまで勲に見せるつもりはまだなかった。


「それはそうと、石版には何と書いてあったのか、教えてもらっても良いかな?」


「【経験値はアナザーワールド由来の食材からも得られる】。石版にはそう書いて、あったのかは分かりませんけど」


「あの文字は読めないものな」


「はい。見たこともないです」


 秋斗と勲は苦笑をかわす。シキが石版の文字の解析を行っているが、今のところ進捗は思わしくない。まあ、石版は触れれば情報を得られるので、秋斗はそれほど気にしていないのだが。そしてひとしきり苦笑した後、勲は思案げな顔になってこう呟いた。


「しかし【経験値はアナザーワールド由来の食材からも得られる】、か……。奏に何か食べさせてやれば、回復が早くなるかも知れんな……」


 経験値を蓄積することでステータスは向上する。つまり身体能力が向上、もしくは強化されるのだ。それで、奏に何かアナザーワールド由来の食べ物を食べさせてやれれば、リハビリが普通より早く進むのではないか。勲はそう思ったのだ。


 ただその一方で、彼の表情は思わしくない。「アナザーワールド由来の食材」を思いつかなかったのだ。彼がこれまで相手にしてきたモンスターは主にゴブリン。そしてゴブリンが何か食べられそうな物をドロップしたことはない。そして当然のことながらゴブリン自体を食べたいとは思わない。


 ゴブリンは論外としても、例えば果物など、そういう物も勲はアナザーワールドでは見たことがない。いや、もしかしたらあったのかも知れないが、彼はこれまでずっと経験値を稼ぐことに一生懸命だった。それでそういう物にはあまり意識が向いていなかったのだ。それで勲は秋斗にこう尋ねた。


「秋斗君。君は何か、アナザーワールド由来の食材について、心当たりはないかな?」


「ありますよ。ドロップ肉とか、お勧めです」


「ほう、それはどういうモノなのかな? モンスターがドロップする肉類のように聞こえたが」


 勲が興味を示したので、秋斗はこれまで手に入れたドロップ肉についていろいろと説明した。ついでにフェルムの実をはじめとする果物や、【クエストの石版】の納品リストをこなす中で手に入れたキノコやイモ類についても話す。勲は何度も大きく頷きながらその話を聞いた。


「良かったら、今度送りましょうか? いろいろと箱詰めにして」


「……頼んでも良いだろうか。私の方にはどうもなさそうでね」


「分かりました。あ、後で住所教えて下さい」


「うむ。ショートメールで送っておこう」


 勲は重々しく頷いてこう答えた。それから彼は少し悪戯っぽく微笑んでさらにこう言った。


「興味深いことを教えてもらったのだから、情報料を支払わなくてはだね。良ければ、コレを受け取ってくれ」


 そう言って勲はルービックキューブによく似た、赤い箱を取り出した。秋斗もそれは初めて見る。だが彼はそれが何なのかすぐに分かった。


「赤い宝箱ですか?」


「ああ。少し前に手に入れたのだが、いかんせん鍵がなくてなぁ。今日まで開けられずじまいだったわけだ」


 秋斗は勲から宝箱(赤)を受け取ると、それを目の前にかかげてじっくりと眺めた。宝箱(青)と同じく、六つある面の内の一つに鍵穴がある。きっとこれを開けるには、「青の鍵」ならぬ「赤の鍵」が必要なのだろう。


 現在、秋斗は赤の鍵を持っていない。だが彼は未開封の宝箱(白)を一つ持っている。たぶんだが、幸運のペンデュラムを使ってから宝箱(白)を開ければ、赤の鍵は手に入るだろう。青の鍵もそうやって手に入れたのだから。


 よしんば今回赤の鍵が手に入らなかったとしても、幸運のペンデュラムがあるのだから、今後入手できる率は高い。少なくとも勲よりは。それで秋斗は軽く頭を下げてこう言った。


「ありがとうございます。いただきます」


 秋斗は宝箱(赤)をストレージにしまった。ただ石版一つ分の情報ではもらいすぎだと思い、彼は情報交換をかねてさらにこれまでに得た石版の情報を全て勲に話した。勲はそれを興味深そうに聞き、それからこう話した。


「秋斗君は、結構広く動いているのだね」


「まあ、そうですね。広々としたエリアなので」


 秋斗はちょっと自虐的にそう答えた。実際、彼がメインで攻略しているエリアは、遺跡エリアを別にすれば人工物と思しきものがほとんどない。攻略する範囲は自然と広くなるのだ。とはいえそのおかげで地下墳墓のクエストを見つけたようなものだから、悪いことばかりではない。


「ふむ。私もやはりもう少し広く動いてみるべきか……」


「目的は、すでに達したのでは?」


「まあそうだが。だがあの子が嫁に行くまでは、いやひ孫を抱くまでは、私としてもボケるわけにはいかないのでね。そのためには経験値を稼ぐのが一番だろう?」


 勲はニヤリと笑ってそう答えた。何と彼はボケ防止のためにモンスターと戦おうと言うのだ。もちろん冗談だとは思うが、その一方で確かに効果があるであろうことも事実。どこまで本気なのか分からなくて、秋斗は頬を引きつらせるのだった。


ボケ防止のための適度な運動=ゴブリン狩り

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