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東京遠征15


 ゴブリン・ロードに止めをさした後、秋斗はまず屋上に散らばるドロップを回収した。ついで階段を降りて一階へ向かう。一度ダイブアウトしなかったのは、ゴブリン・ロードのドロップが消えてしまうのを危惧したからだ。


 ただゴブリン・ロードのドロップとして得られたのは魔石だけ。身につけていたはずの装飾品は跡形もなかった。秋斗は残念そうにため息を吐いてから魔石を回収する。とはいえ魔石の大きさは大したものだ。リッチの魔石に勝るとも劣らない。やはりゴブリン・ロードは強敵だったのだ。


 ゴブリン・ロードの魔石を回収し終えると、秋斗はダイブアウトを宣言する。そして皇国グランドホテルのスイートルームに戻った。そしてゆっくりとシャワーを浴びて汗と埃を洗い流す。ラフな格好に着替えると、次はいよいよお楽しみのディナータイムである。


「本日のメインディッシュは……、『黒毛和牛のフィレステーキ ラズベリーソースを添えて』。なんかすごそう」


[月並みな感想だな]


 シキが呆れたようにそう呟く。秋斗は肩をすくめて他のメニューにも目を通す。ただどんな料理なのかはいまいち分からない。だが彼は「食べられない物は出てこないだろう」と深く考えず、内線を使ってルームサービスを頼んだ。


 そして待つこと数十分。食事が運ばれてきた。一分の隙もなく制服を身につけたボーイがテーブルの上に料理を並べていく。ちなみに、アルコールは飲めないのでドリンクは辛口のジンジャーエールだ。


 テキパキと、しかし優雅に仕事をするボーイの様子を、秋斗はカチコチに固まりながら見守った。同時に並べられていく料理の数々におもわずゴクリと生唾を呑み込む。見た目も香りも、どちらも今までに彼が出会ったことのないレベルだ。


「……それでは、どうぞごゆっくりお楽しみください」


 そう言ってボーイが一礼し、部屋を出て行く。扉が閉まるのを音で確認すると、秋斗はいそいそとナイフとフォークを手に取った。


 頼んだのはフレンチのコース料理で、もしかしたらいろいろと面倒なマナーがあるのかも知れない。だがフレンチのマナーなんて秋斗は知らなかったし、何よりここにいるのは彼一人。


(そもそもマナーなんてものは他人を不愉快にさせないための礼儀作法。逆を言えば、不愉快になる他人がいなければ無視してもいい、はず)


 秋斗は独自理論で拙いマナーを正当化する。ともあれ、マナーを気にしすぎて料理を楽しめないようでは本末転倒だろう。それでシキも何も言わなかった。


 いよいよ秋斗はステーキにナイフを入れる。まるでハンバーグのようにスッとナイフが入って、秋斗は思わず「おお」と声を上げた。


 そして切り分けたステーキを口に運ぶ。肉はとても柔らかい。だが溶けて無くなるようなヤワな肉ではない。しっかりとかみ応えがあり、「肉を食っている」という満足感がある。味については言うまでもない。


「うっま……!」


 思わず、秋斗は感嘆の声を出す。そして次の言葉が出てこない。あまりの美味しさに言葉を失うなんて、彼は初めての経験だった。彼は一心不乱に食事を食べた。「ディナーを楽しむ」というには少々早食いだったろう。だがその間、彼の意識は料理にだけ向いていた。だからある意味では、心の底から料理を楽しんだとも言えるだろう。


「あ~、お腹いっぱい……。ごちそうさま」


 全ての皿を空にして、秋斗は満足そうにそう呟いた。酔っているわけではないのだが、もう何もしたくない。心地よい倦怠感が彼を満たしている。それで彼はこの夜、本当に何もしないでダラダラとし続け、スイートルームを満喫した。


 勲から連絡があったのは、夜の八時過ぎだった。まず治療について礼を言われ、明日の予定について話をする。報酬の一億円を用意しておくので家まで来て欲しい、とのことだった。


「明日、渋木君を迎えにやる。ホテルの支払いも、カードを預けておくから、彼にしてもらってくれ」


「分かりました。お願いします」


 そう答えて秋斗はスマホを切った。そして次の日。朝、いつもより少し遅い時間に目を覚ますと、秋斗はシャワーを浴びて寝汗を流した。それから内線でルームサービスを頼む。モーニングだ。たのんだ料理は、ディナーよりは早く来た。


「これも美味しい……」


 頼んだのはよくある洋食のモーニングセット。サラダとスープ、オムレツとパンと数種類のジャム、そしてフルーツ。ただしその全てがハイレベルだ。昨夜のディナーと同じく、秋斗は全て綺麗に平らげた。ただ、最初から多目に用意されていたのだろう、ジャムだけが余った。


「むう……、もったいない」


 秋斗はそう呟くと、ストレージから食パンを取り出した。そして残ったジャムを塗ってサンドしていく。そうやって全てのジャムを塗りおえ、パンを袋に戻してからストレージに片付ける。彼は満足そうに頷いた。次にアナザーワールドへ行くのが楽しみだ。


 歯磨きを終え、テレビで朝の情報番組を見ていると、秋斗のスマホがなる。かけてきたのは渋木聡。秋斗はすぐに電話に出た。


「もしもし、宗方です」


「ああ、宗方さん。渋木です、おはようございます」


 聡の要件は、迎えの時刻についてだった。十時頃に迎えに来るので、ロビーで待っていて欲しいという。秋斗は「分かりました」と答え、約束の時間までまたスイートルームでダラダラとした。そしてもう二度と泊まることのないだろうスイートルームを満喫した。


「……お待たせしました、宗方さん。行きましょう」


 ホテルのロビーで聡と待ち合わせし、彼がチェックアウトの手続きを済ませてから、二人は揃ってホテルの外へ出た。ちなみに昨日言っていた通り、支払いは全て聡、いや勲持ちだった。


 ホテルの外は、八月の東京らしく蒸し暑い。二人はすぐに車に乗り込んだ。向かう先は佐伯邸。つまり勲の家である。


「やあ、良く来てくれた。さあ、上がってくれ」


 玄関で秋斗を出迎えた勲は少し疲れた様子だったが、しかし同時に充実した様子でもある。秋斗は「おじゃまします」と言って家に上がった。案内された応接室の、三人掛けのソファーの真ん中に彼は座った。


「宗方君、いや秋斗君。昨日は本当に助かった。改めて礼を言わせて欲しい。ありがとう」


 アイスコーヒーを用意してから、勲は秋斗の向かいのソファーに座り、そして深々と頭を下げた。年上の、それこそ祖父であってもおかしくない歳の男性に頭を下げられ、秋斗は慌てる。だが「頭を上げてください」とは言わなかった。


 勲の感謝の深さは、孫である奏への想いの深さである。簡単に頭を上げさせるのは、それを軽く扱っているような気がしたのだ。それで秋斗は少し戸惑いながらこう答えた。


「えっと、佐伯さんのお気持ちは確かに受け取りました。その、お孫さんが目を覚まされて良かったです」


「……そう言ってくれるか。ありがたい」


 そう言って勲は頭を上げた。彼の顔は晴れやかだった。それを見て秋斗も嬉しくなる。奏を治して良かった、と彼は思った。そして昨日の礼を言い終えると、勲は表情を改めて秋斗にこう言った。


「さて、秋斗君。君とはいろいろと話したいのだが、私にもあまり時間がない」


 秋斗は一つ頷く。勲は会社の最高経営責任者だし、また孫の奏は昨日意識を取り戻したばかりだ。仕事にプライベートに、やることがたくさんあるのは簡単に想像できる。それで今日のところはお金の受け渡しだけして終わり、なのだろうと秋斗は思った。だが勲はちょっと悪戯っぽく笑ってこう言った。


「だから、話は“向こう”でしないか?」


「……それは、いいですね。そうしましょう」


 勲の提案に秋斗はそう答えた。“向こう”というのは、つまりアナザーワールドだ。アナザーワールドなら何時間話し込んでも、リアルワールドでは一秒しか経過しない。疲労と空腹を無視すれば、幾らでも長話ができるのだ。


 二人以上の人間が一緒にアナザーワールドへダイブする方法は、すでに秋斗は知っている。靴だけ用意し、二人はタイミングを合わせて「ダイブイン」と宣言する。次の瞬間、秋斗と勲は廃墟と思しき一室にいた。


「このあたりはモンスターが少ないし、強くもない。入り口はそこの一つだけだから、気をつけておけば不意打ちされることもないだろう」


 勲がそう説明する。彼の自宅からダイブインしたことも含め、ここは彼のホームグラウンドと思って良いだろう。秋斗は一つ頷く。そんな彼に「座ってくれ」と言って、勲も適当な瓦礫に腰を下ろす。そしてどこか見覚えのある袋を取り出してお茶とお菓子を用意した。ちなみにお茶は冷たい麦茶だ。


「佐伯さんも収納袋を持っているんですね」


「ああ、重宝しているよ。それから、私のことは勲と呼んでくれ」


「えっと、じゃあ、勲さんで」


「うむ。さ、遠慮せずに食べてくれ」


 勲にそう言われ、秋斗は気恥ずかしさを隠すようにお菓子に手を伸ばした。レーズンサンドだ。勲が言うには「もらう機会が多いのだが、なかなか一人では食べきれなくてね」とのこと。


「気に入ったのなら持って行っても構わない」というので、秋斗はありがたく残りのお菓子を自分の収納袋に入れた。そして二人が一杯目の麦茶を飲み終えたところで、勲が表情を引き締めてこう言った。


「さて秋斗君。まずはコレを受け取って欲しい」


 そう言って彼が取り出したのは、大きな紙袋だった。秋斗がそれを受け取って中を見ると、そこには大量の札束が。正直、予想はしていたが、目の前に突きつけられるとインパクトが大きい。秋斗は思わず生唾を呑み込んだ。


「昨日約束した一億だ。確認してくれ」


「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


 秋斗はそう答えて、札束を数えることなく紙袋から視線を上げる。そしてふと思いついてこんなことを言った。


「ジュラルミンのスーツケースじゃないんですね」


「あいにく、そちらは用意できなくてね」


 勲はわざとらしく嘆息して肩をすくめる。秋斗も小さく笑った。こうして奏の治療は決着したのだった。


勲「ジンバブエドルが手に入らなかったので、円で用意しておいたよ」

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[一言] に、日本円でよかったw
[気になる点] サラッと脱税しててワロタ
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