仕様と方針
シキが生まれた次の日。学校から帰ってくると、アキは早速アナザーワールドへダイブインした。スタート地点は過去二回とまったく同じ。どうやらアパートのあの部屋からダイブインすると、必ずここからのスタートになるらしい。
(じゃあ、別の場所からダイブインしたら?)
そういう疑問が出てくるのは当然だろう。ただ今のところ、秋斗はアパートの部屋以外からアナザーワールドへダイブインするつもりはなかった。今日も彼は左右の手に金槌とフライパンを装備しているが、こんな格好で外をうろついていたら不審者扱いされてしまう。
理由はもう一つあって、スタート地点が変わった場合、その付近に出現するモンスターの強さが分からないからだ。手に負えない強敵と出会い、ダイブアウトする間もなく殺されてしまっては、目も当てられない。
よって当面はスライムが出現することが分かっているここを基点にして探索を行っていく予定だった。もっともこの付近に出現するのがスライムだけであるとは限らない。油断は禁物だった。
「じゃあシキ。打ち合わせ通りよろしく」
[ああ、任せておけ]
秋斗が声をかけると、シキの声が頼もしく頭の中で響く。こちらに来る前に話し合い、シキにはとりあえずマッピングと索敵をしてもらうことになっている。
索敵は不意打ちされないために必須だし、マッピングは自分でやるには面倒だ。それでこの二つを任せたわけだが、今のところシキはこれで手一杯だという。
シキは確かにサポート役だが、同時に生まれたばかりの能力でもある。つまり何でもかんでもできるわけではない。むしろこれから育てて、いや鍛えていく必要がある。
『いや、鍛えると言われても、どうやって……』
[まずは使うことだ。筋肉と同じだな]
使えば使うほど、サポート役としてシキは成長していくという。要するに「今後に期待」というわけだが、秋斗だって今はまだド素人だ。二人で一緒に成長していけば良いだろう。彼らはそう思っていた。
「よし。やろう」
口に出してそう呟き、秋斗は気合いを入れる。そして探索を始めた。その数十秒後、彼はモンスターとエンカウントする。現われたのは薄紅色の水饅頭、スライムだ。昨日倒した個体との区別は、まったくつかなかった。
「……っ」
敵を前にして、秋斗は腰を落として身構えた。スライムも彼に気付いたのか、ブルブルと身体を前後に揺らしながら近づいてくる。そしてある程度の距離まで近づくと、バッと大きく跳躍して彼に襲いかかった。
その動きを、秋斗は冷静に見ていた。彼は横に動いてスライムの体当たりを回避する。スライムの動きは単調だ。昨日のように油断していなければ、こうやって攻撃を回避するのは難しくない。
そして秋斗はそのままスライムの後ろに(いやスライムに前と後ろがあるのかは分からないが)回り込む。体当たりをかわされたスライムは、その場でモゾモゾと蠢くばかり。絶好のチャンスだ。
「おおおおおお!」
秋斗は雄叫びを上げながらフライパンを振るった。彼がフライパンを振るう度に、スライムの身体がごっそりと削られていく。しかも彼はちゃんとコアに狙いを定めてフライパンを振るっている。それで彼は昨日より少ない回数でスライムのコアをフライパンに掬い上げ、そのまま地面に叩きつけた。
ベシャリ、と薄紅色の水饅頭がはじける。だがコアは残ったままだ。秋斗はすぐさま金槌を振り上げ、コア目掛けて振り下ろした。カァン、と硬質な音が響いてコアが割れる。そして黒い光の粒子になって消えていった。
「ふう」
[お疲れ。完勝だったな]
「うん」
秋斗は機嫌良く頷く。昨日は体当たりをまともに喰らって弾き飛ばされてしまったが、今日は全くダメージを受けずに倒すことができた。今日の探索の初戦でもあったし、これは幸先が良いのではないだろうか。彼はそう思った。
それから秋斗は探索を再開した。気分が乗ってきたのか、足取りは軽い。そのせいか多少注意散漫になっていた部分はあったものの、そこはサポート役のシキがカバーする。シキは的確にモンスターの接近を知らせてくれ、おかげで秋斗は不意打ちをされずにすんだ。
「スライムばっかりだな」
探索を初めて一時間弱。二五匹目のスライムを倒して、アキはそう呟いた。ここまでの間、出てきたモンスターはスライムだけだ。彼も別に強い敵と戦いたいわけではない。だが少々飽きてきたのは事実だった。
[敵は弱い方が、マッピングははかどる。それよりそこの壁、何かあるぞ]
「ん? これは……!」
シキに教えられた場所に視線を向けると、秋斗は思わず声を上げた。崩れかかった壁の一部に、何と石板がはめ込まれていたのだ。彼が夢の中で見た石板とは、少し趣が異なる。だが刻まれている文字はよく似ているように思えた。当然、何と書かれているのかはまったく読めない。
「シキはどうだ?」
[お手上げだな。文字すら分からん]
シキが嘆息する気配が伝わってきて、秋斗は苦笑した。ただ苦笑してばかりもいられない。夢の石板の例からすれば、触れることで何かの情報を得られる可能性が高い。同時に鋭い頭痛に襲われる可能性も。秋斗は身構えながら手を伸ばして石板に触れた。
「……っ」
石板に触れても、秋斗が頭痛に襲われることはなかった。代わりにまるで立ちくらみを起こしたかのように、スーッと意識が遠のく。彼が顔をしかめて小さく頭を振ると、意識は明瞭さを取り戻した。
[【モンスターを倒すことで経験値が蓄積され、ステータスが向上する】か……]
それがこの石板から得られた情報だった。いよいよゲーム的になってきたな、と秋斗は思った。
「レベルアップするってことか? ステータスは数値化されるのかな?」
[リアルワールドでも、訓練すれば足は速くなるし、筋力も増す。つまりはそういうことではないのか?]
「コッチで筋トレしろってか?」
[モンスターを倒すことが一種のトレーニングになる、ということだろう。そして恐らくは普通に筋トレをするより、はるかに効率がいいはずだ]
「う~ん、なるほど……?」
分かったような分からないような。ただ「モンスターを倒してレベルアップ」というのは、秋斗にとってイメージしやすい。とりあえずそのつもりでいれば良いだろう、と彼は石板をペタペタと触りながらそう思った。
「もうただの石板だな」
こうしてもう一度石板に触ってみても、また別の情報が得られる気配はない。きっと一つの石板につき一つの情報だけを得られるのだろう。秋斗以外の誰かがこの石板に触れた場合、同じ内容であってももう一度情報を得られるかどうかは今のところ不明だ。
[それよりアキ、写真を撮れないか?]
「あ~、スマホはコッチに持ってきてない。というか、持ってきたくない」
何しろ壊れる可能性が大であるからして。秋斗がそう答えると、シキの少し残念そうな声が頭の中に響く。
[むう、では仕方がない。とりあえずマッピング情報にマーキングだけしておこう。……っと、アキ。お客さんだ]
シキにそう言われ、秋斗は反射的に後ろを振り返る。そこには一匹のスライムがいた。そのスライムを彼はまたフライパンを駆使して倒す。それからまた、彼は意気揚々と探索を再開した。
石板を見つけたことで、秋斗はテンションが上がっていた。その理由の一つはレベルアップが確約されたからだが、今のところハッキリと自覚できる変化はない。それでレベルアップよりも次の石板を探すことに彼の意識は向いていた。
アナザーワールドには石板があることが分かったのだ。そしてその石板に触れればまた何か情報を得られるだろう。その情報はアナザーワールドを探索する上で、いや攻略する上できっと役に立つはずだ。
ただし今回、秋斗のその情熱は空回りすることになる。石板を見つけてからさらに一時間強、彼は探索を続けたのだが、しかし二つ目の石板を見つけることはできなかったのだ。そして疲労と喉の渇きと空腹を覚えたところで、彼は探索を打ち切ってダイブアウトした。
「まあ、収穫はあったな」
[ああ。今後は当面、石板を探す方向で動けば良いだろう]
シキが提示した方向性に、秋斗も頷いて同意する。何しろアナザーワールドの探索は何もかもが手探り。そんな中で石板を見つければ何かしらの情報が得られるのだ。これは非常に大きいと言えるだろう。
[ところでアキ。一つ真剣な話がある]
「ん? なんだ、真剣な話って」
[昨日話し合ったように、味方ではない“誰か”が、アキと同じようにアナザーワールドを探索している可能性は高い。そしてその“誰か”は、やはりモンスターを倒してレベルアップしてステータスを上げていくだろう]
「だろうな」
[ステータスの差が開きすぎると、まともに話も聞いてもらえないような、そんな状況も考えられる]
「……つまり何もできずに殺されてしまうかもしれない、ってことか?」
[極論を言えば]
シキの肯定の言葉を聞き、秋斗は黙り込む。モンスターに殺されてしまう可能性は、彼も覚悟している。だが人間に殺される可能性もあり得るのだ。マジでリアルデスゲームだな、と彼はぼやいた。
[まあ可能性の話だ。可能性に怯えていても仕方がない。その“誰か”が本当に敵になるのか、その部分からして分からないのだから]
実際問題、アナザーワールドで別の人間を見つけたら、警戒しつつも声をかけて情報交換をしたいと思うのが普通だろう。少なくとも秋斗ならばそう思う。ならばいきなり敵対する可能性は低いはずだし、時間的な猶予があるならダイブアウトするのは難しくないはずだ。とはいえその一方で、そういう懸念があること自体は否定できない。
「レベルアップの方も、意識的に頑張らないとってことか」
[そうだな。それが良いと思う]
秋斗の方針に、シキも賛成する。やること自体は変わらない。「モンスターを倒しつつ探索範囲を広げ、石板を探す」。これが基本だ。だがこの日、二人はある種の危機感を覚えて今後の探索を行うことを決めたのだった。
シキ[現状、マッピングした情報を出力する手段がないのだが……]
秋斗「ナビしてくれればいいって」