東京遠征7
建物の一階のマッピングを終えると、秋斗はそのまま二階へは向かわず、中庭に出た。中庭の真ん中には大きな木が一本生えていて、彼は適当にゴブリンを蹴散らしつつその木のところへ向かう。するとその根元に、半分大木にのまれるようにして石版が置かれていた。彼はさっそく、その石版に触れた。
「【経験値はアナザーワールド由来の食材からも得られる】、か。これはつまり『肉を食え』ってことだな」
[魚や果物、キノコでも大丈夫だろう]
「でもまだ野菜は見つけてないんだよなぁ」
[野生の野菜というのも、かなり珍妙な存在に思えるが]
「いっそのこと育ててみるか? アナザーワールドで野菜を」
[害獣だらけだぞ。まともに育つとは思えんな]
石版の内容から飛躍してそんなことを話す秋斗とシキ。もちろん半分以上冗談だ。ただ例えばアナザーワールドの土を使ってリアルワールドで野菜を育てたとして、その野菜を食べることで経験値は得られるのかどうか。実験としては有意義に思える。もっとも現状、検証する方法がないのでやるつもりはないが。それよりも秋斗には気になることが別にあった。
「それにしてもさ。学校で結構、アナザーワールド由来の肉でおかずの物々交換をしているけど、つまりクラスメイトも経験値を溜め込んでるってことか?」
[石版の情報をその通りに受け取るなら、そうなのだろうな]
「……大丈夫かな?」
秋斗は少し心配そうにそう尋ねた。彼が心配しているのはクラスメイトの健康面ではない。そもそも彼はクラスメイトよりはるかに多くのアナザーワールド由来の食材を食べている。その彼に問題がないのだから、少なくとも健康面で問題が起こることはないと考えて良い。
秋斗が心配しているのは、むしろ逆の事柄だ。石版からの情報によれば、経験値を蓄積することでステータスが向上する。極端なことを言えば、“超人化”するわけだ。
そういうプラス方向とはいえ行き過ぎた影響がクラスメイトに出るのではないか。そしてそこからアナザーワールドのことが露見するのではないか。彼が心配しているのはそういう事だ。だがシキの返答は楽観的だった。
[まあ問題ないだろう。食べているとはいえ所詮は一口か二口。量が少なすぎる]
まず前提として、リアルワールドではステータスの向上分が低く抑えられる。その上で、明らかに“レベルアップ”している秋斗でさえ、「運動が得意」なレベルに落ち着いているのだ。彼と比べて経験値の蓄積が明らかに少ないクラスメイトに、はっきりと分かるほどの影響が出ることはまずない、というのがシキの考えだった。
[まあ、多少は身体の調子が良くなったりとかはあるかも知れない。だがそもそもアナザーワールドのことを知らないのだ。気のせいで済ませるか、別の理由で自分を納得させるだろう]
テストや部活にステータス向上の影響が現われたとしても同じ事が言える。秋斗以上に劇的な差が出ない限りは、「たまたま調子が良かった」とか「勉強や練習を頑張った成果が出た」とか、よりそれらしい理由で自分を納得させるだろう。そもそも「ステータスの向上だけが原因」というパターンはほぼあり得ない。
「そっか。じゃあこれからも肉々しい弁当で大丈夫だな」
[まあ、弁当はどれだけ肉々しくても構わないが。それにしても、ふむ……]
「シキ、どうかしたのか?」
[……経験値とは恐らく個人に合わせて最適化された、パーソナライズされた魔素のことだ。つまり経験値の蓄積とは魔素の蓄積、いや「魔素によって身体を作り替えること」と言えるかも知れない……]
思案気なシキの声が秋斗の頭の中に響く。「身体を作り替える」とは、なかなか不穏な響きである。だが秋斗は軽く肩をすくめてこう答えた。
「そうだとしても、探索を止めるつもりはないぞ。だいたい、シキが頭ん中にいる時点で今更だ」
[それもそうだな]
「いや、そこで肯定されるとちょっと……」
[だが否定すれば、それはわたし自身の自己否定だ。わたしの存在意義に反する]
シキがそういうのを聞いて、秋斗はもう一度肩をすくめた。シキがずいぶん図太くなったように思うが、それはそれとして。
[経験値と魔素がイコールだとすると、アナザーワールド由来の食材には魔素が含まれていることになる。だが恐らく、これは食材に限った話ではない]
「と言うと?」
[つまりアナザーワールド由来の全てのモノが、多かれ少なかれ魔素を含んでいる、ということだ]
「ああ、さっきシキが言っていた『魔素がある世界』と『魔素がない世界』の差、ってやつだな」
[そうだ。アナザーワールドではあらゆるモノが魔素の影響を受けている。そしてそういう環境の中で、魔道工学は発展してきたと考えられる。逆を言えば、魔素のない世界のことは想定しないはずだ]
「つまり?」
[実験による検証は必要だが、魔道工学を応用できる素材は、アナザーワールド由来のモノに限られると考えておいた方が良いかもしれない]
「OK。素材集めも頑張れ、ってことだな?」
[うむ]
シキは重々しく、そして食い気味にそう答えた。やっぱりコイツ図太くなったな、と秋斗は感じる。まあ相棒としてはそれくらいの方がお互いに気兼ねしなくて良いし、何より心強い。
さて中庭には石版以外にめぼしいモノはなかった。大木には洞があって、その中も確認したのだが空だった。サイズ的に宝箱(白)でもあるのではないかと秋斗は期待していたのだが、空振りに終わって彼はちょっと残念そうだった。
ただよく見ると、大木には枝を切った跡が幾つも残っている。中庭に生えている別の木も同様で、その中には切り口が新しいものもあった。「ゴブリンが剪定をしているのか」と考え、「いやいやまさか」と首を振る。周囲に切り落とした枝は残っていない。ということは何かに使っているのだろう。秋斗はそう思った。
「……十三、十四、十五。十五階建てか、この建物は」
中庭からこの建物の縦に並んだ窓の数を数えて秋斗はそう呟いた。十五階建てといえばそれなりの規模に思える。だがリアルのコンクリートジャングルでは数十階建ての高層ビルも珍しくない。実際、勲と出会った地点からはそれくらいの高さの建造物も見えた。それと比べれば、この建物は小さい。
というよりこうして中庭から眺めて見た感じ、この建物はまずビルではない。むしろ旅館や百貨店に近い印象を受ける。もちろん秋斗の独断と偏見だが。ただ一階を見てきた限り、中の造りは旅館という感じではない。とりあえずここのことは「百貨店エリア」と呼ぼう、と彼は勝手に決めた。
中庭の探索を終えると、秋斗は建物の中に戻り、適当な部屋で休憩を取った。彼はストレージから菓子パンを一つ取り出してエネルギー補給をする。ペットボトルのお茶で口の中をすっきりさせてから、彼はさらに十五分ほど身体を休めた。
休憩を終えると、秋斗は階段を上って二階へあがった。二階へ上がると、出現するゴブリンに多少の変化が見られた。サイズが小さいのは変わらないが、装備が一階のゴブリンよりも充実している。少なくともまったく素手のゴブリンはいない。
とはいえその程度、秋斗にとっては大きな差ではない。また相手がゴブリンである以上、隱行のポンチョが力を発揮する。奇襲で先制攻撃を仕掛ければ、そのまま押し切ってしまうのは難しく無かった。
二階にもやはり多数の部屋が連なっていて、そこにはそれぞれゴブリンが詰めていた。秋斗はそこへ一階と同じく、雷魔法を込めた魔石を投げ込んでいく。雷魔法が良く効くのは一階と同じで、秋斗は消化試合を淡々とこなした。
相変わらず、ドロップ以外にめぼしいモノは何も手に入らない。そしてそのドロップもパッとしないのが現状だ。錆びたナイフ、刃こぼれした剣、曲がった鉄パイプ、ただの木の棒、そして腰蓑。ゴミとほぼ変わらないようなモノしかない。
「シキ、これもいるのか?」
[……うむ]
シキのやや苦み走った声が秋斗の頭の中に響く。秋斗は苦笑しながら折れた剣をストレージのなかに放り込んだ。さっきからゴミと紙一重のモノばかり回収しているが、ストレージの中が一体どうなっているのか、秋斗はちょっと心配だった。
[素材にはなる。素材にはな]
「加工できなきゃ、ゴミのままじゃないのか?」
秋斗がそう言うと、シキは「むぅ」と唸って言葉を詰まらせた。シキがいわゆる生産関連に強い関心を寄せていることは秋斗も知っている。だが今のところ成果と呼べるのは石器や杭、釣り針ぐらいのもの。弓矢は役に立ったが、シキの言う「質の良いサポート」のレベルにはまだ達していないのが現状だ。
まあそう簡単なことではないというのは、秋斗も分かっているつもりだ。何しろまったく何もないところから設備を整え、素材を集め、その上で試行錯誤を重ねなければならないのだから。だがいつまでも「いつかやる」と言っているだけとか、趣味のレベルで満足されては困るのだ。
すでにストレージにはかなりのリソースをつぎ込んでいる。シキのやりたいようにやらせてきたわけだが、秋斗としてもその分のリターンは欲しいし、期待もしている。言い方を変えれば、サポートに還元されてはじめて意味があるのだ。
魔道工学もそうだ。シキはずいぶんとそれに入れ込んでいるようだが、その知見を応用して探索に役立ててはじめて意味がある。「ゴミがゴミにしかならないなら、魔道工学に割くリソースを別のことにつぎ込んで欲しい」。そう考えるのは秋斗の側からすれば当然のことだろう。もっとも彼としても今すぐにそうしろと言うつもりはないのだが。
「ゴミを宝に変えてくれよ? 期待してるぜ、シキ」
[……うむ。当然だ、任せておけ]
秋斗の頭の中でシキが重々しくそう答える。秋斗はそれを聞いて一つ頷くと、二階部分の探索に戻った。そしてマッピングを終えると、小休止を挟んでから三階へ向かう。ゴブリンの宝物庫はまだ見つかっていない。
シキ「基礎研究の予算が削られる、その闇を見た気がする」
秋斗「おいおい……」