東京遠征6
[アキ、いい加減何かしたらどうだ?]
シキが秋斗にそう声をかける。秋斗は皇国グランドホテルのスイートルームでソファーに座ったままフリーズしていたのだが、数分待っても再起動しないのでシキが声をかけたのだ。そしてそれでようやく、秋斗は頭をノロノロと動かした。
「いや、なんかちょっといっぱいいっぱいで……」
[日頃からアナザーワールドを探索し、つい先ほどは二年も昏睡状態の少女を治療してきた人間のセリフとは思えないな]
「いや、そうかも知んないけどさ……。一泊幾らだよ、この部屋」
[調べるか?]
「……止めとく」
やや疲れた声でそう呟き、秋斗はソファーに座ったまま部屋の中を改めて見渡した。高級感溢れる室内は、しかし意外にも煌びやかさは感じられない。広々としいて開放感のある、落ち着いた雰囲気だ。
秋斗は「ふう」と息を吐いてから、テーブルの上にあったパンフレットを手に取る。パラパラとめくればルームサービスの一覧なども書かれており、その値段は彼の主観で言えば“バカみたいに”高い。
[どうせ料金は佐伯氏持ちだ。何か頼んでみてはどうだ?]
「……昼飯でも食うか」
そう呟いて、秋斗は時計を見る。時刻は十一時過ぎだが、彼の場合アナザーワールドで活動していた分があるので、腹の減り具合はちょうど良い。彼は食事のメニューに目を通し、ランチメニューがないことを知ってうなだれた。
「仕方がない。アナザーワールドに行くか」
[飯を食いに、か?]
「それもある」
秋斗は大真面目にそう答えた。ストレージの中にはディスカウントショップで買ったできあいの食料品が入っている。ただそれをこのスイートルームで取り出して食べるのは何だか躊躇われたのだ。
ただし、秋斗も昼食のためだけにアナザーワールドへ行くわけではない。この機会に少しでも探索を行うつもりだった。何しろここは皇国グランドホテルのスイートルーム。次にいつ同じ部屋に泊まれるか分からない。
アナザーワールドへ行くことを決めると、秋斗は早速探索服に着替えた。靴を履き替え、手には六角棒を持つ。高級感溢れるスイートルームには激しく場違いな格好になってから、彼はダイブインを宣言した。
いつも通り、視界は一瞬で切り替わる。秋斗が立っていたのは、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋だった。窓があったのでそこから外を覗いてみると、どうやらここは一階らしい。
視線を上げて周囲の様子を確認すれば、漫画喫茶からダイブインした時と同じく、ここは緑に侵食されゆくコンクリートジャングルだった。窓から身を乗り出して上の方を眺めてみると、秋斗がいる建物はかなり大きい。まずはこの建物の探索かな、と彼は思った。
窓から身体を引っ込めると、秋斗は次に自分がいる部屋に面した通路を確認する。左右を確認し、モンスターが近くにいないことを確かめてから部屋の中に戻る。そしてコンクリートの床に座り、今朝買ったおにぎりを頬張った。
「ああ、落ち着く……」
ペットボトルのお茶を飲みながら、秋斗はしみじみとそう呟いた。勲と会ってからなんだか怒濤の展開だったが、そもそも今日は東京でアナザーワールドの探索をすることが目的だったのだ。その意味ではようやく本来の予定に立ち返ったとも言える。
ただまあ、秋斗が“落ち着いて”いる理由がそういうものではないことは明らかだ。貧乏性というか何というか。交渉事などで心理的に優位に立つために絢爛豪華な応接室を用意する者もいるというが、案外有効な方策なのかもしれない。秋斗のような人間にとっては、だが。
さて、これから探索も行うつもりなので、あまりたくさん食べるわけにはいかない。おにぎりを二つだけ頬張り、ペットボトルのお茶で喉を潤すと、秋斗は六角棒を手に立ち上がった。
「んじゃシキ。いつも通りよろしく」
[ああ、任せておけ]
シキとそう言葉を交わしてから、秋斗は廊下に出て探索を始めた。出現するモンスターはゴブリン。駅前の漫画喫茶でダイブインした時と同じだ。恐らくだが、この緑に侵食されつつあるコンクリートジャングル一帯は、ゴブリンの縄張りなのだろう。
「シキ、オークとかオーガもいると思うか?」
[いてもおかしくはないな。頭に置いておくに越したことはないと思うぞ]
ドロップを回収しながらシキがそう答えるのを聞いて、秋斗は「確かに」と思って一つ頷いた。オークやオーガはともかくとしても、ゴブリンには多様な個体がいることがすでに分かっている。そちらは当然、注意しておく必要があるだろう。
ただ、少なくとも一階で出現するゴブリンは弱かった。体躯は小さく、装備も貧相だ。中には腰蓑以外に何も身につけていないゴブリンもいた。全裸でなくて良かったと、秋斗は心底ホッとしたものである。
また、秋斗は隱行のポンチョを装備している。気配を薄くしてくれるこのポンチョは、城砦エリアのドールにはあまり効果がなかったが、しかしゴブリンにはしっかりと効果があった。視線が合わさるかよほど近づかない限り、ゴブリンが秋斗に気付くことはほとんどない。彼は次々と奇襲を成功させ、多数のゴブリンをなぎ倒していった。
城砦エリアと同じく、このコンクリートの廃墟も多数の部屋が連なっている構造で、それぞれの部屋には複数のゴブリンがいることが多い。それで秋斗は城砦エリアの時と同じく、そこへ雷魔法を込めた魔石を放り込んで先制攻撃をし、そこへ殴り込むという戦術を多用した。
「ドールより効きが良いな」
[ゴブリンは生身だからな]
ほとんど瀕死のゴブリンに止めをさしながら、二人はそんなふうに言葉を交わす。実際、雷魔法はゴブリンに良く効いた。雷魔法だけで倒せてしまう場合もある。生き残っていても瀕死になっている場合がほとんどで、止めをさすのは簡単だ。正直に言って、城砦エリアよりも探索は楽に感じた。
秋斗はドールのパーツの質感を思い出す。樹脂に近いように思えたそれは、確かに電気の通りは悪いかも知れない。一方でゴブリンはシキの言うとおり生身だ。雷魔法は良く効くのだろう。
別の理由もありえる。城砦エリアを探索した頃と比べ、秋斗のステータスは向上している。それに比例して雷魔法の威力も増しているはずで、そのせいでゴブリンの方が良く効いているように見えるのかもしれない。
いずれにしても、ゴブリン相手に雷魔法が良く効くのは朗報だった。雷魔法は効果範囲が広い。使いやすいのだ。そのおかげで探索はサクサクと進んだ。その一方で秋斗は違和感を覚えてもいた。探索の成果と言えるようなモノが、ほとんど何も見つからないのだ。
もちろんモンスターであるゴブリンを倒せば、何かしらをドロップする。魔石は必ず手に入るし、装備品がドロップすることもある。だがそれ以外にめぼしいモノが何もない。城砦エリアではそれなりの銀貨や金貨などがあったが、要するにそういうモノが何もないのだ。
「何か、モチベーションが下がるな……」
[ふむ……。元から無いのか、それとも……]
物欲が刺激されず、秋斗はどうにもやる気が殺がれ気味だった。一方でシキは別の可能性について考えていた。別の誰かがすでにどこかへ持ち去った、という可能性である。だが秋斗は懐疑的だった。
「誰かって、誰だよ。佐伯さんか?」
[その可能性は否定しないが……]
シキの返答はどうも歯切れが悪い。シキの中では別の候補がいるのだろう。だが確信が得られず言いよどんでいる。秋斗はそんな印象を受けた。だが勲の他にアナザーワールドを探索している知り合いはいない。秋斗は内心で首をかしげた。
仮説の信憑性が増したのは、あるゴブリンを倒した時のことだった。ゴブリンが腰に下げていた小袋がドロップしたのだが、そこからビー玉のような透明な小球が出てきたのだ。それを見てシキは秋斗にこう言った。
[先にアイテムを持ち去っているのは、恐らくゴブリンだ]
「ゴブリンが? モンスターだぞ」
[だがこうしてそれっぽいモノをドロップしている]
「それこそ、設定ってやつじゃないのか?」
[もちろんその可能性もある。だがもしもゴブリンが先にアイテムを回収しているなら、それをどこかにまとめて保管しているかも知れない]
「ゴブリンの宝物庫、ってわけか……」
秋斗はそう呟き、それから「いいな」と言ってニヤリと笑った。やる気が出てきたらしい。現金なものである。ただ同時に彼はあることにも気付いて、途端に苦笑を浮かべた。
「でもまあゴブリンのお宝だからなぁ。全部がこの程度だったら、ちょっとがっかりだな」
そう言って秋斗が目の前に掲げたのはビー玉(らしき小球)だ。本当にビー玉なのかは鑑定してみなければ分からないが、彼の目にはこれが価値のある物品には見えなかった。そんな秋斗にシキはこう言う。
[捨てないでくれよ。魔道工学では、ガラスも素材として使えるらしいからな]
「あいよ。ってまあ、本当にガラスなのかはまだ分かんないけどな」
[コチラで手に入れた、というのが重要だ。リアルワールドのガラスが素材として使えるのか、未知数だからな]
「え、なんで?」
[これはわたしの勝手な憶測だが。要するに「魔素がある世界」と「魔素がない世界」の差だ]
「魔素の影響、ってわけか?」
[そうだ。だからゴブリンの宝物庫も、一見ガラクタだらけでも、素材として見れば宝の山かも知れん]
「なるほどね。んじゃまあ、探索がんばりますか」
[うむ。頼んだぞ]
いつの間にかシキの方がやる気を出している様に思えて、秋斗はこっそり苦笑した。とはいえ仮説ではあっても理由があればモチベーションは上がる。秋斗はやる気を取り戻して探索を続けた。
ちなみに「ゴブリンの宝物庫」はどこにあるのか、そもそも本当にあるのかわからないので、マッピングはこれまで通りしらみつぶしに行う。「ディナーはルームサービスで豪勢にいくぞ」と秋斗は心に決めた。
秋斗「ようやく本格的な探索だぜ」
シキ「ここまで色々あったな」