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東京遠征5


「宗方さん。改めまして、今日は奏さんのこと、本当にありがとうございました。佐伯社長も、本当にお喜びでした」


 車を走らせ始めてすぐ、聡は改めて秋斗に礼を言った。聡の声は弾んでいて、彼が奏のことを本当に喜んでいることが秋斗にも伝わってくる。秋斗は少し照れくさくなって、こう答えた。


「いえ、そういう約束でしたから。それにタダじゃありませんよ」


「それでも、です。奏さんは社長にとってたった一人の肉親ですから」


「……たった一人、ですか? その、奏さんのご両親は?」


「……ああ、社長は話していなかったのですね。奏さんのご両親はすでに亡くなっています。奏さんはご両親と同じ車に乗っていたんです」


 奏と両親の三人は自家用車に乗っており、対向車線を走ってきたトラックと正面衝突したのだという。エアバッグは動作したものの、前に座っていた両親はほぼ即死。後ろに座っていた奏だけが生き残った。ただし、意識不明の状態で。


「……社長の奥様は、ずいぶん前にお亡くなりになったとお聞きしています。以来、社長は男手一つで息子さんを育ててこられたそうです。息子さんが結婚され、お孫さんが生まれ、社長の周りにはご家族が増えたのですが……」


 事故で勲はその全てを失った。奏は生き残ったものの意識不明で、いつ目覚めるとも知れず、むしろそのまま死んでしまうかも知れない。彼が覚えたであろう喪失感や絶望、悲嘆を秋斗は想像することさえできなかった。


「ですが社長は、葬儀が終わったその翌日には、いつもと変わらずに出社して来られました。さすがに『大丈夫ですか?』とお尋ねしたのですが……」


『息子夫婦の死を嘆くのは、孫が嫁に行くのを見届けてからにする』


 勲はそう答えたという。その時点ではまだ事故から数日しか経っておらず、奏が二年にわたって眠り続けるとは彼も思っていなかっただろう。しかしその点を差し引いたとしても、尋常ならざる精神力と言っていい。


 いや、それだけ勲にとって奏は大切な存在だったのだ。その奏が目を覚まさないまま、一ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、一年が過ぎた。表面上、勲は以前と変わらずに振る舞っていたが、ため息の回数が増えていることに聡は気付いていた。


「もっとも、だからといって何かできたわけではありませんが」


 苦笑の中に悔しさを滲ませながら、聡はそう語った。ただ実際、彼は何もできなかったわけではない。勲の仕事を調整し、彼が見舞いの時間を捻出できるようにしたのは、聡の力量によるところが大きい。


 そして、そういう働きがあったからなのだろう。アナザーワールドのことを知ったとき、勲は聡にそのことを教えて彼を巻き込んだ。彼の協力がなければ、仕事とアナザーワールドの探索を両立することはできないと思ったのだろう。それだけ彼が有能で、また信頼されていることの証拠と言っていい。


「……そう言えば、佐伯さんはいつ頃からアナザーワールドの探索を始めたんですか?」


「私に打ち明けてくださったのは、四月の中頃です」


 聡がそう答えるのを聞いて、秋斗は一つ頷いた。ということは、やはり勲も秋斗とほぼ同じ時期にあの夢を見たのだろう。


「渋木さんは、アナザーワールドのことをすぐに信じられたんですか?」


「さすがにすぐには信じられませんでしたよ。ですが社長が向こうへ行って帰ってくるところを見ましたし、向こうで手に入れたというクリームも使わせていただきました。なにより社長がおっしゃることです。信じないなんてあり得ません」


 ちなみに聡が使ったクリームはいわゆる回復アイテムで、あかぎれに塗り込んだところ、たちまち治ってしまった。どんな医薬品でもあり得ない即効性で、彼がアナザーワールドの実在を信じる大きな根拠になった。そしてその頃のことを思い出したのか、聡は懐かしそうに目を細めてさらにこう話す。


「思えばその頃から、社長は元気になられました」


 それは経験値を蓄積することでステータスが向上したら、というだけではないのだろう。奏の治療に光明が差し込み、いわば希望を得たので彼は前向きになれたのだ。


 そしてまさに今日、その希望はついに実現した。当初思っていたような仕方ではなかったが、それでも奏は確かに目を覚ましたのだ。聡はそのことを自分の事のように喜んでいた。


「ただ、すこし残念ではありますね」


「残念なんですか?」


「ええ。奏さんが目を覚まされたからには、社長はそちらに時間を割きたいと思われるはず。早ければ今年中にも会長職へ退かれると思います」


 聡はそう自分の推測を語り、それから「そうなれば、一緒に仕事をさせていただくことも少なくなるでしょうね」と少し寂しげに語った。


 少し先の話をすれば、彼の推測は当たったと言って良い。さすがに今年中は無理だったが、佐伯商事は年末に翌年度からのCEOの交代を発表したのだった。勲は会長職に就いたし、またそもそも大株主であるから、今後も会社には関わっていく。だが経営の第一線からは退いたと言って良い。


 秋斗の方はと言えば、社長と会長の差がよく分かっていない。会長のほうが何か偉そうな気がするが、聡の口ぶりからするとどうやらそうでもないように聞こえる。「隠居するってことなのかな」と彼は勝手に納得した。


「……それにしても渋木さんは佐伯さんにずいぶん、その、入れ込んでいるんですね」


「はは、そう見えますか? まあ、その通りです。社長は私の恩人ですから」


「恩人、ですか?」


「はい。……私がまだ就職活動をしていたときの話です。諸事情ありまして、恥ずかしながら私は最終面接に遅刻してしまったんです」


 頭を下げて何とか頼み込み、それでも内心ではもう無理だと諦めてたその時、試験会場から現われたのが勲だった。そして彼は事情を聞くと、一つ頷いてからこう言った。


『良いじゃないか。そこまでしてウチに入りたいと思ってくれる、そのガッツは“買い”だ。そうだろう?』


 勲の鶴の一声で、聡は最終面接試験を受けられることになった。ただ聡は内定がもらえるとは思っていなかった。それでも彼は面接を受けられたことで満足していたし、この経験をバネにして就活を感張ろうと思っていたのだ。


 しかし思いがけず、内定が出た。聡は迷わずに佐伯商事への就職を決めた。そして新入社員研修が一段落したところで、彼は自分の内定に勲の判断が大きく関わっていることを知った。勲はこう言ったのだという。


『失敗しない人間などいない。入社時からそのことを分かっている人材は、なかなか貴重だと思うが?』


「その時からですね。会社のためというよりは、社長のために働きたくなりました」


 だからこそ、聡は会社の業務とは関係のないアナザーワールドの探索にも協力してきたのだ。そしてそういう彼だからこそ勲も「信頼できる」と言ったに違いない。


「佐伯さんのことを、尊敬しているんですね」


「ええ、尊敬しています。佐伯社長とお会いできたことは、いえ社長と一緒に仕事ができたことは、私にとって大きな財産です」


 聡はしみじみとした口調でそう語った。そんな彼のことを、秋斗は少しうらやましく感じる。今の秋斗に、特別尊敬できる知り合いはいない。社会に出て働くようになれば、そういう相手と出会えるのだろうか。それなら普通に就職するのも悪くないかも知れない。秋斗はふとそう思った。


(でも……)


 そうやって尊敬できる相手と出会うために、アナザーワールドを切り捨てたり後回しにしたりすることは、今のところ秋斗には考えられない。さらにアナザーワールド関連の事柄について言えば、彼こそが先駆者だ。背中を追う誰かはいない。


 勲も今後は探索のペースを落とすだろう。もしかしたら完全に止めてしまうかも知れない。その場合、秋斗はやはり誰にも頼ることなく、一人でアナザーワールドへ挑むことになる。


(まあ、今まで通りって言えば、今まで通りだけど)


 なんだか狭い世界だな、と秋斗は内心で苦笑した。そしてそうやって狭い世界に閉じこもったままで、「この世界に何かを刻みつける」ことはできるのだろうか。彼はそんなふうにも思うのだ。


[あまり気負わない方が良い。大学へ行けば、それこそ世界が広がるだろう]


 シキにそう言われ、秋斗は大きく息を吐いた。そして自分が東京へ来たのは、そう言えばオープンキャンパスのためだったと思い出す。「なんだか妙なことになったもんだな」と思い、彼は苦笑した。


「どうかしましたか?」


「ああ、いえ。そもそもオレが東京に来たのはオープンキャンパスのためなんです。それがこういう事になって、改めて思い返したらおかしくなってしまって」


「なるほど、そうでしたか」


「そう言えば、渋木さんはどこの大学の出身なんですか?」


「私はS大です」


「へえ。大学生活はどうでしたか?」


「楽しかったですよ。結構遊びましたしね」


 そんな話をしているうちに、二人はホテルに到着する。そこはビジネスホテルとは一線も二線も画す、一目で高級と分かるホテルだった。


「皇国グランドホテル。日本でも十指に入る、格式のあるホテルです。さあ、行きましょうか」


 聡に案内され、秋斗はホテルの建物に入る。回転ドアもドアマンも、秋斗には初めての経験だ。ロビーの床はフカフカの絨毯で、秋斗は一瞬土足で入って良いのか不安になる。視線を上げれば煌びやかな空間が広がっていて、場違いな場所に来てしまったと彼は小さくなった。


 そんな秋斗のことは意に介さず、聡はさっさとフロントで受付を済ませた。そして秋斗を伴ってエレベーターに乗る。ガラス張りのエレベーターに乗るのも、秋斗はこれが初めてだ。エレベーターは勢いよく上昇し、そして結構上の階で止った。


 聡に案内されたのは、眺めの良い広々とした部屋だった。秋斗が泊まったビジネスホテルの一室の五倍から十倍はありそうな広さで、窓からは東京の街並みを一望できる。唖然とし、借りてきた猫状態の秋斗に、聡は少し得意げにこう話した。


「ロイヤルスイートは無理でしたが、スイートルームをご用意しました。ルームサービスなどは全て自由にご利用ください。料金は全て、佐伯がお支払いします。……当然ですが、アルコールはダメですよ」


「あ、はい」


「明日の予定につきましては、恐らく今日中に佐伯から連絡があると思いますので、その時にご確認ください。……何か質問はございますか?」


「あ、いえ、大丈夫です」


「それでは宗方様、本日はまことにありがとうございました」


 そう言って聡は慇懃に一礼する。そしてふっと表情を緩めてから、「ではまた」と言い残して部屋を後にした。一人残された秋斗は、数秒所在なさげに立ち尽くしてから、ぎこちなく歩いてソファーに腰掛ける。そしてこう呟いた。


「金持ちっておっかねぇ……」


聡「ちなみにS大は地方の国立大学です」

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― 新着の感想 ―
[一言] 地方国公立……SILENT HILL大学かな?
[気になる点] ずっと意識不明だったから両親が亡くなったことも知らないのか……
[良い点] 一億円もらいづらくなる会話すこ [一言] 金塊もう何個か見つけられるなら専業できそうだけど ほんとに世界が狭すぎるw
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