東京遠征3
「譲る気がないなら、最初から出したりしませんよ」
勲を宥めるかのように、秋斗はやや軽い調子でそう言った。そしてこう付け加える。
「ただ、条件があります」
「聞こう」
「まず、佐伯さんの回復魔法を俺にかけてみてもらえますか?」
秋斗がそう言うと、勲は怪訝な顔をする。とはいえかたくなに拒否するようなことでもない。それで彼は言われたとおり秋斗に回復魔法をかけた。秋斗は注意深くその効果を見極めながら、相棒にこう尋ねる。
(シキ、どう思う?)
[アキの方が、効き目が強いな。恐らくは、溜め込んだ経験値の差なのだろう]
シキがそう話すのを聞いて、秋斗は内心で頷いた。彼も回復魔法を使うが、その方法は魔石に思念を込めるというやり方だ。当初回復量は一定だと思われたこの方法は、しかしこれまでの経験上、少しずつ回復量が増えていることが分かっている。
そしてその理由は、特に地下墳墓で荒稼ぎした経験値の蓄積にあると思われているのだが、それはそれとして。今重要なのは、秋斗の方がより強力な回復魔法を使える、という点だ。彼は勲にこう提案した。
「実はオレも、まあちょっと変則的な方法なんですが、回復魔法が使えます。今、勲さんのを受けてみた感じ、オレの方が効果がありそうなんです。それで提案なんですが、一度お孫さんにオレの回復魔法をかけさせてもらえませんか?」
「…………」
「もちろん、それで効果がなければエリクサーをお譲りします」
「……それぞれの対価は?」
「回復魔法でお孫さんの意識が戻ったら一億。効果がなければ、十億でエリクサーをお譲りする。これでどうですか?」
「……一度、君の使う回復魔法を確認させて欲しい」
勲がそう言うので、秋斗は彼に回復魔法をかけた。勲は魔石を使う秋斗のやり方に驚いていたが、自分の回復魔法と比べこちらの方が効果が高い事を彼はハッキリと認める。勲は「ふむ」と呟き、少し何事か考え込んでから秋斗にこう尋ねた。
「宗方君は、可能ならエリクサーは使いたくないのかね?」
「まあ、そうですね。次にいつ手に入るのかわかりませんし。それに、コレはオレにとっても命綱ですから」
「ふむ。まあ、道理だな」
そう呟いてから、勲はまた少し考え込んだ。それから顔を上げ、秋斗に真剣な眼差しを向ける。そして重々しくこう言った。
「いいだろう。交渉成立だ」
「……自分で言っておいてアレですけど、本当に十億も払えるんですか?」
「こう見えて会社経営者でね。自社株を保有する株主でもあるから、いざとなればそれを売って資金を用意するつもりだ。……ああ、金額が大きいし何なら契約書でも書くかね?」
「……いえ、大丈夫です。それを持って裁判所に行くわけにもいかないでしょう?」
秋斗は苦笑しながらそう答える。何しろ「回復魔法」だの「エリクサー」だの書いてある契約書だ。イタズラだと思われるか、「そんなものはこの世に存在しないのだから、契約は成立していない」と言われるのが関の山だろう。それを覆すためには実際に回復魔法を実演する必要があるが、それによって生じる面倒はきっと十億では賄いきれないに違いない。
秋斗と勲は立ち上がって握手をかわす。それから二人はリアルワールドに戻ってからのことを話し合った。秋斗がダイブインした漫画喫茶は駅の近くなのだが、勲はなんとその駅の立体駐車場からダイブインしているのだという。
「その漫画喫茶なら、入ったことはないが場所は知っている。外に出て待っていてくれないか。迎えに行こう」
「分かりました」
「ああ、それから、コレが私の連絡先だ」
そう言って、勲は名刺の裏に携帯電話の番号を書いて秋斗に渡した。名刺の表側を見てみると、「佐伯商事株式会社」の屋号と「最高経営責任者」の肩書きが書かれている。屋号のほうは聞き覚えがなかったが、彼が会社経営者であるのは本当らしい。
「オレの携帯番号です」
秋斗もルーズリーフの切れっ端に連絡先を書いて勲に渡す。彼はそれを大事そうにワイシャツの胸ポケットにしまった。
「では宗方君。向こうでまた会おう」
そう言って茂はアナザーワールドからダイブアウトした。彼は淡い光の粒子になって消えていく。他人がダイブアウトするところを初めて見て、秋斗は「こんなふうなのか」と妙に感心した。
茂を見送ってから、秋斗はすぐにダイブアウトしたわけではなかった。どうせリアルワールドでは一秒しか経過しないので、このビルのマッピングだけ終わらせていくことにしたのだ。
その結果、彼はゴブリンの腰蓑を二つ手に入れた。焼き捨てようかと思ったが、シキが「……何かに、使う、かも、……しれない、……たぶん」というので、ストレージに突っ込んでおいた。そして少々微妙な気分になりながらダイブアウトしたのだった。
ダイブアウトすると、秋斗は服を着替えてから、漫画喫茶を出た。受付の人は、来てすぐに帰って行った彼のことを不審に思ったかも知れないが、まあ仕方がない。外に出ると、秋斗はガードレールから身を乗り出して駅の方へ視線を向ける。ちょうどその時、彼のスマホが鳴った。
「はい、宗方です」
「ああ、宗方君。佐伯だ。今ちょうど、駅から漫画喫茶の方へ車で向かっている。黒い車なのだが……」
「ああ、あの高級車っぽいやつですね」
駅の方から低速で走ってくる、黒光りする車を見つけ、秋斗は手を振った。車種は分からないが、見るからに高そうだ。手を振る秋斗のことを見つけたのだろう、スマホの向こうから勲がこう言った。
「ああ、見つけた。ちょっと待っていてくれ。今、車を横付けさせる」
話をしている間に、黒塗りの車が秋斗の前に止った。後部座席の窓が開き、そこから勲が手を振る。秋斗は小さく一礼してから、その車へ乗り込んだ。そして彼がシートベルトを締めると、車は音もなく走り出す。その乗り心地に秋斗は驚いたが、何とか顔には出さずに済んだ。
「宗方君、このまま病院へ向かうが大丈夫かな?」
「はい。大丈夫です」
「では渋木君、病院へ向かってくれ。……ああ、宗方君、彼は私の秘書の渋木君だ」
「渋木聡です。どうぞよろしくお願いします」
ハンドルを握る男が、バックミラー越しに秋斗へ視線を寄越す。年齢は二十代半ばだろうか。眼鏡をかけていて、いかにも切れ者風だ。秋斗は小さく頭を下げて、彼に自己紹介した。
「宗方秋斗です。よろしくお願いします」
「渋木君にはアナザーワールドのことも話してある」
「……大丈夫なんですか?」
「ああ、彼は信頼できるからね」
勲が自信たっぷりにそう言うので、秋斗もそれ以上は何も言わなかった。目的の病院までは車で三〇分ほどかかるというので、その間、秋斗と勲は情報交換の続きをした。秋斗がまず興味を示したのは、勲が使っていたモノクルだった。
「あのモノクルは、鑑定用のアイテムなんですか?」
「ああ、そうだ。これ自体の鑑定はできないから、正式な名称は分からないがね」
「ちょっと貸してもらってもいいですか?」
勲が快諾してくれたので、秋斗はモノクルを借りてそれを右目にかけた。そして赤ポーションを取り出して鑑定してみる。結果は次の通りだ。
名称:赤ポーション
経口外傷回復薬。
【鑑定の石版】で鑑定したときと同じ結果である。ただし頭の中にその情報が浮かぶのではなく、視界の中にテキストの形で鑑定結果が表示された。それを見て秋斗は興味深そうにそう呟いた。
「へぇ、こんなふうに見えるんだ」
「宗方君は、鑑定用のアイテムは持っていないのかな?」
「はい、残念ながら」
「ではどうやってエリクサーが完全回復薬であると確かめたんだい?」
「【鑑定の石版】っていうのが向こうにありまして。それで調べました」
そう答えて、秋斗はモノクルを勲に返した。勲が興味を示したのは地下墳墓のクエストで、秋斗がそのボスドロップとしてエリクサーを手に入れた事を知ると、彼は真剣な顔をして考え込んだ。
「そんな形のクエストが……」
「佐伯さんのほうも、探せば何かあるんじゃないんですか? まったく同じクエストかは分かりませんけど」
「そうだな……。確か、山の頂上に石版があったのだったね。これは、探す範囲を広めるべきか……」
「社長、業務に差し支えます」
「たった一秒じゃないか、渋木君」
「疲れ切った状態で、重要書類を決裁していただくわけにはまいりません」
そう言って、運転手席の聡が釘を刺す。勲は肩をすくめたが、表情は明るい。それはきっと、孫を治療するアテが見つかったからこその明るさなのだろう。エリクサーのことがなければ、彼は仕事を放り出してでもアナザーワールドの探索により重点を置いていたはずだ。
(やっぱ、仕事があると今みたいな探索はできなくなるよなぁ)
秋斗は胸中でそう呟く。やはり大学生のうちにどれだけ探索できるかが鍵になるだろう。彼はそんなふうに思った。
さて病院に着くと、三人は勲の案内で彼の孫の病室へ向かった。そこは個室で、患者に繋がれた機械が出す電子音だけが無機質に響いている。空調は効いているが、廊下に比べるとすこし設定温度が高いように感じられた。
ベッドは窓際に置かれていて、そこには儚げな少女が一人、横たわっている。この時始めて、秋斗は勲の孫が女の子であることを知った。
頬は痩せこけ、点滴のチューブが繋がれた腕もひどく細い。病院のあの独特な臭いのせいもあって、少女の様子は秋斗が思っていた以上に深刻に見えた。
「……孫の、奏だ」
ポツリと呟いた勲の声が、病室に響いた。
女の子が初登場。ただしヒロインになるかは未定。