東京遠征1
夏休みが始まった、その翌週。秋斗は東京にいた。観光のため、ではない。オープンキャンパスに来たのだ。多すぎる情報に引きずられて迷走しまくったが、「北海道から沖縄に行って、次は京都で……」みたいな予定は無理があるので、予算と相談しつつ多数の候補を回れるように計画した結果、行き先は東京となったのだ。順当な結果と言っていい。
予定としては、三日間で六つの大学を回る計画になっている。その中には赤門で有名な最高学府の名前もあり、そこを含め幾つかの超有名大学はほぼ観光目的だ。さらにオープンキャンパスの合間には幾つか観光名所を巡る計画で、後から計算してみたらそっちの方が時間が長くなっていた。これもまた、順当な結果だろう。
さてオープンキャンパスに参加して秋斗がまず感じたのは、「広い」ということだった。独断と偏見ではあるが、東京というと「狭くて人が多い」というイメージだったので、大学の敷地が思っていた以上に広々としていたことに彼はまず驚いた。
肝心の研究室の見学などは、興味深くはあったものの、強烈に印象に残るものはなかった。まあ、一つ一つの研究室に多くの時間はかけられない。しかも相手は高校生。基礎知識も足りていない相手に、研究内容を簡単に説明しなければならないのは大変なのだろう。シキの補足説明を聞きながら、秋斗はそんなふうに思った。
ただ一つ「なるほど」と思ったのは、ある研究室で四年生の学生が口にした言葉だ。研究内容の説明が終わり、少し時間が余ったので雑談をしていたのだが、彼はそのなかでこんなことを言っていた。
「こうやって研究室見て回って志望校決めるんだろうけど、実際、研究室に入るのなんて四年生になってからだからね。三年生までは基本的に講義ばっかりだし、院に進まないのなら研究室にいるのは一年だけ。そもそも三年も経てば興味が別のことに移ってもおかしくないし、それなら大学生活って部分も大切だと思うよ」
そう話した彼は、同じ研究室の同級生に「ふんわりしすぎだろ」と突っ込まれていた。そのやり取りに笑い声を上げる一方で、前述した通り「なるほど」とも感じていた。だいたい、大学に入ってすぐに研究室へ配属されるわけではないのだ。研究室だけを意識していたら、せっかくのキャンパスライフが「こんなはずじゃなかった」なんて事になりかねない。
そんなこともあり、どこでどんな研究をしているのかということより、むしろそこにいる先輩方との雑談の方が、秋斗としては得るものが多かったような気がしている。少なくとも大学が遠い場所ではなくなった。それがオープンキャンパスの最大の収穫だったのかも知れない。
そしてオープンキャンパスの予定を消化しおえた、その翌日。秋斗はまだ東京にいた。茂が奮発してくれたのか軍資金にはまだ余裕があり、せっかくなので東京をもう少し満喫することにしたのだ。彼はリュックサックを担ぎ、ホテルをチェックアウトして意気揚々と街へ繰り出した。
余談だが、秋斗が担いでいるリュックサックの中はほぼ空である。荷物はストレージのほうに突っ込んであるのだ。とはいえ手ぶらでは不審に思われるだろうと思い、形だけはリュックサックを担いできたのである。なのでやろうと思えば「明らかに入らないはずのモノが出てくる、四次元ポケ○トもどき」みたいなこともできる。やらないけど。
まあそれはそれとして。リュックサックが軽いおかげで秋斗の足取りも軽い。ただし彼が足を向けた先は普通の観光地はなかった。彼は目についたディスカウントショップで食料品を買い込み、駅前の漫画喫茶で受付をする。そう、彼はせっかく東京に来たのだから、この機会に“遠征”しておこうと思ったのだ。
「よし、っと」
漫画喫茶の個室に入り、自動修復能力付きの探索服に着替える。それから秋斗は幸運のペンデュラムを使用した。最初の“遠征”のときも、こうして幸運のペンデュラムを使用している。どこまで効果があったのかは分からないが、城砦エリアで得るものが多かったのは確かだ。
それなら今回も、というわけである。何が起こるのかは分からない。期待というにはあまりにも漠然としているが、何かが良い方向へ転がってくれることを、秋斗は確かに期待していた。そして幸運のペンデュラムをストレージに片付けてから、彼はこう宣言する。
「アナザーワールド、ダイブイン」
秋斗の視界が一瞬で切り替わる。今回のスタート地点は薄暗い室内のようだった。城砦エリアの時と似ているが、あの場所よりもなんだかジメジメしているように感じる。周囲を見渡すと、がらんとした室内はそれほど広くない。彼は部屋の壁に手を触れ、やや顔を険しくする。そしてこう呟いた。
「これって、コンクリートか……?」
部屋の上下左右は、打ちっぱなしのコンクリートであるように思われた。ひんやりとした壁の質感は、秋斗の知っているコンクリートの質感とよく似ている。少なくともブロックを積んであるようには見えない。
「まあ、とりあえず動くか」
壁から手を放すと、秋斗は小さくそう呟いた。彼は踵を返してスタート地点の部屋を出る。部屋の外の廊下にはたくさんの窓が並んでいて、そのおかげで十分に明るい。また建物の外の様子がよく見える。そしてその光景に彼は言葉を失った。
「これは……」
[なるほど、こういうパターンもあるのか]
頭の中で、シキがどこか感心したかのようにそう呟く。シキもこういう光景は想定していなかったらしい。遺跡エリアや城砦エリアの例からして、アナザーワールドは近代以前の文明レベルがベースになっていると、二人ともそう思い込んでいたのだ。だが目の前の光景はその思い込みを裏切るものだった。
「森に呑まれるコンクリートジャングル」。彼らが見た光景を一言で現わせばそうなるだろうか。乱立するビルは、しかし緑に埋もれようとしている。その景色は自然の雄大さと力強さを雄弁に物語っていて、それゆえに美しくすらあった。
「文明が滅んだあとの未来、ってやつか?」
東京からある日突然人間がいなくなって、そのまま百年くらい経てばこんな具合になるのかもしれない。少なくとも都市を維持管理する人間がいないのは一目瞭然だ。ただシキはこんなふうに答えた。
[そういう設定で用意されたマップなのかも知れん。何にしても情報が少ない。現時点であまり深読みしないほうがいいだろう]
シキの言葉に秋斗も頷く。とはいえここが、コンクリートジャングルを造れる程度の文明レベルをベースにしたエリアであることに間違いはない。そしてこれまでの例からすると、それぞれのエリアで手に入るアイテムは、そのエリアと何かしらの関連があるものが多い。ではこの市街エリアでは一体何が手に入るのか。秋斗は楽しみだった。
彼は早速、探索を始めた。まずはスタート地点となったこの建物からだ。いつも通りマッピングはシキに任せ、周囲を警戒しながら部屋などを調べていく。手には六角棒。どんなモンスターが出現するのか分からないので、まずは使い慣れた得物を選んだ。
探索を始めてすぐ、秋斗はモンスターとエンカウントした。緑色の肌に、醜悪な面構え。ゴブリンである。エンカウントしたのは一体だけで、身長は1mほど。装備は貧相で、正直に言って強そうには見えなかった。
とはいえ、秋斗は油断しない。彼は腰を落として六角棒を構えた。ゴブリンは手に持った棍棒を振り回し、ギャアギャア喚いて彼のことを威嚇する。だが彼がまったく怯まないと、苛立った様子を見せてから突っ込んできた。
そのゴブリンを、秋斗は六角棒で突く。得物のリーチの差は顕著だ。ゴブリンはカウンター気味に一撃を喰らい、そのまま後ろへひっくり返った。その隙を見逃さず、秋斗は六角棒を振り上げて上から思い切り叩きつける。その攻撃をまともに受けて、ゴブリンは動かなくなった。
ゴブリンが黒い光の粒子になって消えていく。まき散らかされた血反吐も同様で、秋斗は内心で安堵の息を吐いた。命のやり取りをしているという自覚はある。だがその一方で、死体が残らないのはやはり精神的にありがたい。
肉を潰す感触はハッキリ言って不快だが、これまでもシカやクマのようなモンスターは討伐してきた。人型であることを除けば、ゴブリンも大差ない。そして人型というのであれば、彼はゾンビを山ほど倒している。今更ゴブリンの討伐を躊躇う理由はなかった。
ゴブリンの魔石を回収すると、秋斗は探索を続けた。このビルの一階ごとの床面積はそれほど広くないらしく、マッピングはすぐに終わった。ちなみに拾得物はゼロだ。そして彼は階段を上って上の階へ行く。そして同じように探索を続けた。
一階ごとにマッピングをしつつ、散発的に出現するゴブリンを蹴散らしながら、秋斗はまず屋上を目指した。周囲の様子をしっかりと確認したいと思ったのだ。先ほど窓から外の様子は見ているが、もっと広い範囲を確認しておきたかった。また一度一階まで降りてから、もう一度階段を上って屋上へ行くのが億劫だった、というのもある。
スタート地点から数えて三階上が屋上だった。屋上に出ると、一気に視界が開ける。やはりこのエリアは森に呑まれつつあるコンクリートジャングルだ。「人がいなくなった廃墟群にゴブリンが住み着いた」。案外、そんな設定なのかも知れない。秋斗はそう思った。
彼は屋上を縁に沿ってぐるりと歩く。腐葉土や苔などが重なって、足下はフカフカとしていた。この屋上にはまだ大木は生えていないが、その下地はすでにできているように思える。実際にコンクリートジャングル東京に来ていることもあり、彼はなんだかタイムワープでもしたかのような気分だった。
[アキ、下だ]
突然、シキの声が秋斗の頭の中に響く。同時に彼の視界にアイコンが現われた。そこへ視線を向け、次の瞬間、彼は息を呑む。そこにはゴブリンの集団に追われる、一人の男の姿があった。
「まさか……、人間?」
何と言っていいのか分からず、秋斗は思わずそんな言葉を呟いた。年齢は五〇代だろうか。頭には白いものが混じっている。
白のワイシャツとグレーのスラックス、そしてブラウンの革靴という出で立ちで、それだけならまるでビジネス街にいるサラリーマンのようだ。だが彼のようなサラリーマンはいないだろう。なにしろ彼は両手にサーベルを装備しているのだから。
彼は後ろを気にしつつ、秋斗がいるビルの前の道路を軽やかに駆けていく。そして追ってくるゴブリンの群れが縦に伸びると、くるりと反転して先頭集団に襲いかかる。三匹いたゴブリンはあっという間に切り裂かれて黒い光の粒子となった。
「おお、強い」
秋斗は感嘆してそう呟く。ただ驚きはあまりない。自分でも同じようなことはできるだろうと思うからだ。ただ男を追うゴブリンはまだ多数いる。その中には金属製の装備を身につけている個体や、他と比べて身体の大きな個体もいた。
「ゴブリンってのは、個体差が大きいのかな?」
[見た限りでは、な]
「メイジにアーチャー、ヒーロー、ジェネラル、キングってところか、あり得るとしたら」
スラスラとそんな単語が出てくるのは、慣れ親しんだサブカルチャーのおかげか。それはともかくとしても、男を追う群れの中には手強いゴブリンも混じっているのだろう。そうでなければ男は、わざわざ背中を見せるような立ち回りはしなかったはずだ。
援護が必要だろう。そう思い、秋斗は六角棒を立てかけて、ストレージから弓を取り出す。地下墳墓でブラックスケルトンがドロップした弓だ。矢筒をそばに置き、一段高くなっている欄干に片足をつけて、彼は弓を引いた。
???「動けるジジイ、参上!」