宗方茂
期末テストが始まるまでに、秋斗はもう一度あの城砦エリアの攻略を行い、残していた部分のマッピングを終えることができた。初めて入手するアイテムはなかったが、ドールのパーツなどを追加で入手することができ、主にシキが喜んでいた。石版も一つ見つけることができ、そこから得られた情報は次のようなものだった。
【魔素はエネルギーだが、その本質はむしろ概念に近い】
「なるほど、訳分からん」
石版から手を放すと、秋斗は開口一番にそう呟いた。シキも「情報が足りないな」と言って、考察以前だと匙を投げている。まあ訳分かんなくても、城砦エリアの攻略と探索に支障はない。二人は気にせずにマッピングを続けた。そして一通りの探索を終えてから、秋斗とシキはこう結論を出した。
「この城砦エリアはダンジョンじゃない」
彼らがそう考えたのは、宝箱などの再配置がなかったからだ。塔の上にあった宝箱は空のままだったし、工房も秋斗が荒らしたままの状態になっていた。何より、エリアのどこでもダイブアウトすることができる。インスタントダンジョンと思しき地下墳墓とは、明らかに条件が異なっていると言っていい。
ただその一方でモンスターは再出現した。天守一階のエントランスには、再びナイトが現われていたのだ。どうしようかと考え、秋斗は結局この強敵を避けた。キープの探索は終わっているし、特別戦う理由がなかったのだ。
秋斗はまた、キープの地下に隠されていた例の“水路”の探索も行った。ただ“水路”は一本道で、探索と言うほど調べたわけではなかったが。“水路”は途中から上り坂になっていて、通じていた先は案の定、城の外だった。この“水路”は万が一の時のための脱出路だったのだろう。
“水路”が通じていた洞窟の外へ出ると、辺り一面はうっそうとした森だった。日の差す場所に戻ってきて、秋斗は大きく身体を伸ばして息を吐く。そんな彼の頭の中で、シキの警告がこう響いた。
[モンスターだ]
「え、どこ?」
秋斗は慌てて六角棒を構えて周囲を見渡すが、しかしそれらしい姿はない。困惑する秋斗に、シキは「樹木の姿をしたモンスターだ」と告げた。
「トレント、か……!」
そう呟き、秋斗はもう一度周囲を見渡す。森であるから、木は何本も生えている。トレントは擬態してその中に紛れているのだろう。パッと見て幾つか種類があることは分かったが、しかしどれがトレントなのかは見分けがつかない。
シキもあれこれと説明してくれたが、言葉だけではいまいち伝わらない。動くに動けないまま、時間だけが過ぎる。シキは少し悩ましげにしてから、秋斗にこう尋ねた。
[アキ。アキの視界に干渉してもいいか?]
「いいぞ」
秋斗が即答すると、一拍おいてから彼の視界に変化が起こった。マーカーが表示されたのだ。そしてそのマーカーがつけられた木こそ、トレントに違いない。秋斗は六角棒を斧に持ち替えてトレントへ突撃した。
秋斗にとっては都合のいいことに、トレントは最初の一撃を受けるまで擬態を続けた。しかも動き始めても、懐に入り込んだ彼を上手く攻撃できない。その隙に二度三度と斧を振るい、秋斗はトレントを討伐することができた。
その後二時間ほど、秋斗はトレントの伐採に勤しんだ。ドロップは木材。シキが喜んでいたので、その内何かに使うのだろう。秋斗にとってもトレントは楽に経験値を稼げるカモだったが、それはシキの視覚干渉、いや拡張現実があればこそ。それができるようになった事こそが、最大の成果と言えるかも知れない。
さてそうやってモンスターを倒しまくった成果が出たのか、秋斗の期末テストの結果は上々だった。もちろん今回もテスト中、シキは完全に沈黙を守っている。それでテストの点数は完全に彼の実力だ。
そして期末テストが終わると、夏休みはもう目前だ。学校中が少し浮ついていて、夏休みにどこへ行くとか何をするとか、そんな話がそこかしこでされている。
今のところ、秋斗にこれといった夏休みの計画はない。せいぜい一度か二度くらいは、どこかへ“遠征”してみようかと考えているくらいだ。だがこの日、彼の夏休みの計画に大きな予定が入ることになる。そのきっかけは、一本の電話だった。
「……っ!」
スマホの画面に表示された相手方の名前を見て、秋斗は思わず手を止めた。電話をかけてきた相手は「宗方茂」。秋斗にとっては、戸籍上も生物学上も父親にあたる人物である。彼は一度深呼吸してから電話に出た。
「……はい。秋斗です」
「私だ。久しぶりだな」
「はい。お久しぶりです、その、茂さん」
「うむ。何か、変わったことはないか?」
「いえ、特には。……もう少しで夏休みに入るくらいです」
「そうか。ところで秋斗は今、高二だったな。大学進学は考えているのか?」
「はい。一応そのつもりです。志望校は、まだ決めていませんが……」
「県内か、県外くらいは考えていないのか?」
「県外にしようと、思っています」
「なら、夏休みの間に幾つかオープンキャンパスに行ってくるといい。その分の旅費はいつもの口座に振り込んでおく」
「分かりました。ありがとうございます」
「うむ。何かあったら連絡しなさい。ではな」
そう言って、茂は電話を切った。秋斗はスマホを耳から離して大きく息を吐く。短い時間で、ほとんど用件しか話していないのに、なんだかどっと疲れた気がする。父と、茂と話す時はいつもこうだった。
宗方茂はやり手のビジネスマンだと秋斗は聞いている。具体的にどんな仕事をしているのか秋斗は知らないが、ともかく仕事のために海外を飛び回っていて日本にはほとんどいない。
そのような訳で、茂は確かに秋斗の父親だが、実は二人が一緒に暮らしたことは一度もない。秋斗はもともと母子家庭で育った。その頃は姓名も「宗方」ではなく「戸川」だった。
秋斗の状況が大きく変わったのは三年前、彼が中学二年生の時だった。彼の母が死んだのだ。自分の死期を悟った彼女は、生前に茂と連絡を取っていたらしく、葬儀や遺産相続などの手続きは全て彼がやってくれた。
『生活費は出す。一人で大丈夫か?』
諸々の手続きが終わった後、茂は秋斗にそう尋ねた。その時、秋斗はこの父親から突き放されたように感じた。しかしながら同時に、彼は安堵もしていた。よく知りもしないこの男と一緒に暮らすことに、不安があったのは確かなのだ。
秋斗が無言のまま頷くと、そのとき茂は小さく息を吐いた。秋斗はそのことを今でも覚えている。ただその吐息は安堵のためであったのか、それとも失望のためであったのか。それを確かめることはできていないままだ。
『何かあったら、すぐに連絡しなさい』
最後にそう言って、茂は車に乗り込んだ。それ以来、電話で話すことはあれど、直接顔を合わせたことはない。
ただ茂が秋斗にまったく無関心かと言えば、たぶんそんなことはない。無関心であれば、今日のように電話をかけてくることなどないだろう。また主に海外で活躍していたはずの茂は、しかし秋斗が高校に入るまでの間、常に国内にいた。それは間違いなく、息子のことを考えてのことのはずなのだ。
秋斗が思うに、自分たちはお互いへの接し方が分からないのだ。そして分からないまま時間は過ぎ、秋斗は図体ばかり大きくなった。茂と話すとき、秋斗はいつも緊張するだけでなく、自分が中学二年生の頃に戻ってしまったように感じる。それはつまり成長していないということなのだろう、と彼は思っていた。
まあそれはともかくとして。どこの大学のオープンキャンパスに行くのか、決めなければならない。それはどの大学に入りたいのか、どの学部に進みたいのか、何を学びたいのかを考えることでもある。
「さすがに、アナザーワールドの研究をしている大学なんてないよなぁ」
[ないだろうな]
シキとそう話して秋斗は肩をすくめた。彼が今一番興味のあることと言えば、それは言うまでもなくアナザーワールドに関することだ。だが世間一般に知られていない以上、アナザーワールドの研究を行っている大学などあるはずもない。
仕方がないのでひとまず工学部に狙いを絞り、秋斗はスマホを駆使して情報を集めていく。工学部と言っても、その裾野は広い。どんな分野があり、どんな研究が行われているのか。調べれば調べるほど情報は出てくる。まるで沼のようだった。
そんな調べ物に少し疲れたのか、あるいは茂との会話の気疲れが残っていたのか。将来のための情報を集めていた秋斗は、ふとスマホから視線を上げてこう呟いた。
「……オレって、普通に就職するのかな?」
ほんの数ヶ月前まで、自分はいずれ社会の歯車になって生きていくのだろう、と秋斗は思っていた。そしてそれでいいと思っていた。だができる事ならばこの世界に何かを刻みつけたくて、いま彼はアナザーワールドの探索をしている。
だが「世界に何かを刻みつける」のは簡単ではない。これまでアナザーワールドの探索をしてきたなかで、しかしその手がかりすらないのが現状だ。つまり目的を達するには、将来的にもっと本腰を入れて探索を行う必要があるのだろう。
仮に就職したとして、その時間を捻出できるのだろうか。アナザーワールドの探索自体は何時間行おうともリアルワールドは一秒。これだけ考えれば時間はいくらでも捻出できそうなものだが、実際にはそこへ休憩時間が加わる。つまり当たり前だが、幾らでも探索できるわけではない。
一般の人々のように就職すれば、仕事が生活の中心になるだろう。探索に当てられる時間は限られてくる。だがそれで「世界に何かを刻みつける」ことができるだろうか。少なくとも今のような探索をしていたのでは難しいだろう。
では探索をメインにした生活を送るのか。しかしその場合、生活費に不安がある。ストレージには金塊が5kg保管してあるが、アナザーワールドに定期的な収入のアテはない。お金がなければリアルワールドでは生きて行けないのだ。
[今はそんなに深刻に考えなくていいだろう。とりあえず大学は院まで進んで、その間は茂氏のすねをかじり倒せばいい]
「なんて他力本願」
[そもそも金なら、わたしがネットの株取引でいくらでも……]
「何ソレ今すぐお願いします」
[……やっぱりナシだ]
食い気味に反応する秋斗に、シキが冷たい声でそう告げる。秋斗は不満げに「えぇ~」と声を上げた。
とりあえず、大学は院まで視野に入れて選ぶことにした。情報量がさらに増えて、秋斗は底無し沼で溺れることになった。
秋斗「情報社会の弊害を味わってしまった……」