日帰り遠征1
秋斗が【クエストの石版】の納品クエストに勤しんでいる間に、リアルワールドは六月に入っていた。中間テストはすでに終わり、その結果も出ている。秋斗は一年生の頃に比べると大幅に成績をアップさせて友人らを驚かせた。
「おい、アキ。まさかカンニングでもしたのか?」
「んなことするか」
冗談交じりに秘密を問う友人に、秋斗は少々憮然としてそう答えた。もちろん秋斗はカンニングなどしていない。好成績はシキの個人指導のおかげだ。ちなみにシキは、テスト中は完全に沈黙していて、答えを教えてくれることは一切なかった。
『古典ぐらい良いだろ? こんなの、社会に出ても役に立たないんだから。その分の勉強時間を他の教科に費やそうぜ』
[ダメだ。こういうズルは一度やるとクセになる]
テスト勉強中に秋斗がした提案は、シキにバッサリと却下された。だがそのおかげで、秋斗は自分の成績に後ろめたさを感じることはなく、むしろ胸を張ることができる。そのおかげで周囲の友人たちも、秋斗が隠す秘密にはまったく気付かなかった。
自分の成績が上がった理由について、秋斗にはもう一つ心当たりがある。ステータスだ。彼はアナザーワールドで経験値を稼いでステータスを高めている。その中に、学力に関係するパラメータもあるのではないか。ステータスを数値化することはできていないので断定はできないが、彼はそんなふうに考えていた。
[偏差値を上げるためにモンスターを撲殺するのか。斬新な学習法だな]
『おう。脳ミソ鍛えるんだよ』
秋斗はそう答えてケタケタ笑ったものだった。ともかくそういうカラクリもあり、秋斗の成績に不安はない。そして【クエストの石版】の納品リストを全て消化し、その報酬として三万円を得たことで、彼は前々から考えていた計画を実行に移すことにした。遠征である。
遠征と言っても、「アナザーワールドで寝泊まりして探索範囲を広げる」わけではない。そうではなく、秋斗の考える遠征とは「ダイブインする場所を変える」ことだった。つまりどちらかというと、リアルワールドでの遠征である。
秋斗の計画では、まず電車に一時間ほど揺られて都市部まで行き、駅前の漫画喫茶で個室を借りてそこからダイブインする予定だ。漫画喫茶の個室なら仮眠を取ることもできるだろう、と考えてのことである。
そして週末。秋斗は準備を整えて意気揚々と駅へ向かった。電車に乗り、この辺りで一番大きな駅で降りる。それから24時間営業の漫画喫茶へ向かい、受付けをして個室に入る。そこで迷彩服に着替え、いよいよダイブインしようとしたとき、シキが彼にこんなことを提案した。
[幸運のペンデュラムを使わないか]
「なんでまた?」
[これからダイブインする場所は、アキにとって初めての場所だ。つまりまだ観測されていない場所だ。幸運のペンデュラムを使っておけば、アキにとって都合の良い場所になるかもしれない]
「いや、オレにとっては初めての場所だけどさ。システムだか運営だか、ともかく設定した存在がいるんだろうから、マップなんてもう変えようはないんじゃないのか?」
[マップは変えられないとしても、他のパラメータは変えられるかも知れない。確かに全て仮定の話だが、だからこそ全てが未知数な今の段階でやっておいた方が効果は大きいと考える]
「ふぅむ……。まあ、シキがそこまで言うなら」
秋斗はそう言って幸運のペンデュラムを使用した。そしてそれからアナザーワールドにダイブインする。
一瞬視界が白く染まり、すぐに収まる。目を開けると、そこは石造りの一室だった。ただ地下墳墓のように暗くてジメジメとした場所ではない。窓があってそこから光が差し込み、また風が吹き込んでいた。
秋斗はまず油断なく周囲を窺った。手にはすでにメインウェポンの六角棒を持っている。ぐるりと室内を見渡すが、今のところモンスターの姿はない。彼は「ふう」と小さく息を吐いた。
今日は時間と食料が許す限り、アナザーワールドの探索を行う予定だ。その途中で仮眠を取る必要もあるだろう。その度にダイブアウトし、そしてダイブインし直すことになる。それでスタート地点であるここが比較的安全そうに見えるのは、幸先が良いと言える。
「室内か。いきなり外に放り出されるよりは、ずっといいな」
天井を見上げて、秋斗はそう呟いた。そうは言いつつも、しかしこれはあくまでも遠征。この先、日常的にここへダイブインするつもりは彼にはなかった。主に金銭的な理由で。それから「よし」と呟いて、彼は探索を始めた。
秋斗はまず、同じ室内にある窓へ足を向けた。そこから外を眺めると、うっそうとした木々が生い茂っているのが下に見える。次に窓から頭を出して、自分がいる建物の様子を窺う。するとどうやら、かなり巨大な建造物であるらしいことが分かった。城壁や、塔のようなものも見え、「森の中に建てられた城砦みたいなものなのかな」と彼は思った。
[それにしても、構造物の中に直接ダイブイン、か。当然ダイブアウトもできるはずだろうし、地下墳墓のようなダンジョンとは、また別の扱いになっているのだろうか]
「さあ、どうなんだろうな。ボスはいないほうがありがたいけど」
シキとそんな話をしながら、秋斗は窓際から離れて出入り口のほうへ向かう。そこからまた顔だけ出して左右を窺うと、どうやら廊下沿いに幾つかここと同じような部屋が連なっているらしかった。
「んじゃまあ、いつも通りマッピング頼むわ」
[うむ。任せておけ]
シキの返事に一つ頷いてから、秋斗は廊下に出てまずは右に曲がった。そして隣の部屋に入ってその中を探索する。結局その部屋には何もなかったのだが、彼が廊下に出ようとしたその瞬間、シキの声が彼の頭の中に響いた。
[アキ、上だ!]
シキの声が響くのと同時、秋斗はその場から飛び退いていた。そしてついさっきまで彼がいた場所へ、何者かが飛び降りてくる。人型で、全身がくすんだ白色をしている。顔の部分には簡素な仮面を付けていて、それがまた人間味を失わせている。まあ、そもそも人間ではないのだが。
「なんだコイツ……。人形、か……?」
現われたのは、人形としか言いようのない存在だった。身長は一七〇センチ強だろうか。秋斗と同じくらいの背丈である。痩躯というか、「棒人間」のような線の細さで、中の人などいないことが一目で分かる。
こちらを襲ってきたことといい、十中八九モンスターであろう。秋斗は唾を飲み込んで六角棒を握り直した。手に武器は持っていない。だが上から叩きつけたらしい先ほどの攻撃では、石畳にヒビが入っている。その攻撃力は侮れない。
ドールの顔が秋斗の方を向く。その目が赤々と輝いているのを見て、秋斗は相手がモンスターであることを確信した。そんな彼の前で、ドールが手刀を構える。そして体重を感じさせない動きで秋斗に迫った。
「……っ」
秋斗は反射的に六角棒を突き出す。その先端がドールの肩を突き、相手のバランスを崩した。その後も秋斗は六角棒のリーチを上手く使ってドールを寄せ付けず、一方的な間合いを保って相手を圧倒した。
「そこっ」
最後に、秋斗が繰り出した六角棒がドールの仮面を捉えた。そして仮面を突き破って頭部に突き刺さり、その反動でドールが仰向けに仰け反って吹き飛ぶ。ドールは廊下の上を一回バウンドして動かなくなり、そのまま黒い光の粒子になって消えた。
後に残った魔石を回収しつつ、秋斗は腑に落ちない様子で首をかしげる。彼は今、地下墳墓で手に入れた、気配を薄くしてくれる、「隠行のポンチョ」を装備している。このポンチョの効果は大きく、納品クエストの際には大活躍だった。具体的に言うと、目さえ合わなければほとんど確実に先手を取ることができ、また不意打ちを受けることもほぼなかった。
だが今回、ドールは先制攻撃を仕掛けてきた。気配が薄くなっているはずの秋斗を認識したわけである。まさかポンチョが効果を失ったわけではないだろう。するとこの城砦自体が、何かポンチョの効果を打ち消すような機能を持っているのだろうか。秋斗はそう思ったが、シキは別の可能性をこう話した。
[生物ではないからな。気配以外のモノ、例えば体温や心音などで相手を認識しているのかもしれない]
「いや、モンスターは生物じゃないだろ。それに気配ってのは、体温とか心音とか、そういうのを全部ひっくるめのモノじゃないのか」
[モンスターの生態について語るにはまだデータが足りない。だが少なくとも、特定の姿形で存在している以上は、それに見合った性質を有しているはずだ]
例えば、犬の姿をしたモンスターなら嗅覚が優れていると考えられる。ならば人形の姿をしたモンスターは、人形としての性質を持っているはずだ。
これまで秋斗が相手にしてきたのは、ほぼ動物の姿をしたモンスターばかり。つまりそれらのモンスターはそれぞれ動物としての性質を有し、動物として周囲の気配を感じ取って行動していたはずだ。
隱行のポンチョが薄くしてくれる“気配”とは、つまりそういう“気配”なのではないか。一方でドールが認識している気配とは、もっと別のモノで、ゆえに隱行のポンチョでは隠しきれなかったのではないか。シキはそう推測を語った。
「う~ん……、まあ、言いたいことは分かるけど……」
[いずれにしても、ポンチョの効果はあまり期待しない方が良いだろう]
釈然としない様子の秋斗に、シキは結論をそう告げる。その結論自体は納得できるものだったので、秋斗は大きく頷いた。
「んじゃシキ、索敵よろしくな」
[ああ。任せておけ]
相棒の頼もしい声が頭の中で響く。秋斗は僅かに口角を上げてから、探索を再開するのだった。
ドールさん「ご挨拶にうかがいました!」