レベルアップと道場の事情1
――――レベルアップ。
それはモンスターがこの世界に現われるようになってから囁かれるようになった現象だ。
曰く「足が速くなる」
曰く「持久力が付く」
曰く「スポーツが上手になる」
曰く「身体を思った通りに動かせるようになる」
レベルアップの効果については様々なことが言われているが、レベルアップは科学的に証明されているわけではない。だが〈門〉が現われ多くの人がスライム・ハントをするようになると、レベルアップの存在それ自体を否定する声は聞かれなくなった。
つまりレベルアップを科学的に証明できなくとも、そうとしか思えないような事例が数多く報告されるようになったのである。別の言い方をすれば、経験則的にレベルアップはほぼ間違いないと思われるようになったわけだ。
そういう報告は研究者からだけではなく、SNSを通じて世界中から発信された。そしてその影響力について言えば、実は後者の方が強かったりする。著名人やインフルエンサー、活躍したスポーツ選手などが実は次元迷宮でスライム・ハントをしていたことを発信すると、それに倣う者が続出するようになったのだ。
そしてレベルアップの効果を実感するようになる。それをSNSで発信するまでがセットだ。こうなるともうレベルアップとその効果について疑う者はいなくなる。科学的に証明されているか否かは大した問題ではない。効果があるか否かが問題なのだ。こうして収入のためではなくレベルアップを主な目的として、スライム・ハントを行う層が現われたのである。
比率として高くなったのは、やはりまずスポーツ界。ゲートが現われてから一年経つ頃になると、各種競技の国際大会で世界新記録が立て続けに出るようになった。中にはそれまで無名だった選手もおり、スライム・ハントはトレーニングとして定着するようになった。
あるいは芸能界。ある新人女優がいきなりオスカーを獲得し、彼女が定期的にスライム・ハントをしていたことが明らかになると、芸能界は色めき立った。レベルアップは芸能方面にも効果があると思われたのだ。モデルやミュージシャン、アイドルに俳優、皆こぞって次元迷宮へ向かった。
レベルアップを求めるのは、大きな成果を期待する者ばかりではない。例えば健康の増進など、小さな成果を期待してレベルアップに励む者もいる。ついでにお金も稼げて一石二鳥というわけだ。
ともかく大小さまざまな理由が絡み合い、「スライム・ハンター」の人口は爆発的に増えた。都市部の次元迷宮1階層では人が溢れかえり、スライム・ハントがまともにできないことも珍しくない。それを嫌い、わざわざ過疎地域に移住する者たちまで現われるほどだった。
こうしてスライム・ハントとレベルアップは一般的になったわけだが、こうなると別の問題も起こるようになった。それは「レベルアップの一般化」であり、もしくは「最低・平均水準の引き上げ」とも言えるかも知れない。
どういう事かと言うと、そもそも当初レベルアップは「他と差を付けるための手段」だったのだ。だが全員がスライム・ハントをするようになれば、当初のような差は付かなくなるだろう。それは全体としての平均水準が上がったことを意味している。
だがそれを個々人として見ればどうか。それは求められる最低水準が上がったことを意味している。赤点ラインが今まで40点だったのに、60点に上がったようなものだ。要するに今まではスライム・ハントをしなくても良かった者も、最低水準をクリアするために、もしくは今までの地位を守るために、スライム・ハントをしなければならなくなったのだ。
しかしながら1日は24時間で、1年は365日しかない。使える時間は今までと同じなのだ。それなのにスライム・ハントという、新たにやるべき事が増えてしまった。基本的に成果は討伐数に比例し、しかもスライム・ハントに特別な技能は必要ない。つまり討伐数は時間に比例する。
これは「真面目に取り組めば誰でも成果を出せる」といえるが、その一方で「つぎ込んだ時間以外では差が付かない」とも言える。限られたイスに座るためには、ライバルと比べてより多くの時間をレベルアップのために使わなければならない。ではその時間をどう捻出するのか。
ストイックにやるにも限界がある。とはいえやらないという選択肢はない。だが周囲も同じようにやっているなら、結局最後は才能がモノを言うのではないか。それなのに自分を押し殺してレベルアップして、一体何の意味があるのか。
そんな感じの葛藤が、人々を悩ませている。中には夢を諦めて、金銭目的のスライム・ハントにシフトする者もいた。その善し悪しを論ずるつもりはない。ただ、世界の様相が変わっても人の悩みはきっと変わらないのだろう。
さてここまででレベルアップが世間一般に受け入れられたことを書いた。では具体的にレベルアップはどのようにして起こるのか。あるいは、どのような仕組みになっているのか。それについても幾つかの仮説が語られている。
まずモンスターを倒すと経験値が得られる。この「経験値」というのも分かりやすさを優先した語句だが、要するに成長を促す何かしらの因子が蓄積していくわけだ。ただし経験値を蓄積したからと言って、それがすぐにレベルアップに繋がるわけではない。
ある仮説によると「蓄積された経験値は、その後のトレーニングによって適切な場所へ割り振られる」という。つまりベンチプレスをすれば腕力が上がるし、走り込みをすれば持久力が上がる、という具合だ。
つまりレベルアップとは、何かしらの技能を突然身につけることではないのだ。技能の習得を早くする、もしくは容易にする、という表現が実情に即していると言えるだろう。よってスポーツ選手にしろ芸能人にしろ、トレーニングやレッスンが不要になるというわけではない。あくまでも成長は線形で連続的なものなのだ。
それはハンター、つまり次元攻略の探索や攻略を生業とする者たちにも同じ事が言える。レベルアップしたからといって、それで自動的に戦えるようになるわけではない。身体能力が上がるからそれなりに動けるようにはなるだろう。だがレベルアップによって剣術などの術理を習得できるわけではないのだ。
ではどこで習得するのか。いわゆる道場で、ということになる。そういうわけで武道・武術を教える道場はこのころ盛況だった。
道場に通う人が増えるようになったのは、ゲートが現われる前、モンスターによる被害が顕在化してきたころからである。この頃は自衛目的の人が多く、その傾向はダークネス・カーテンが現われたことでピークに達した。
その後、ゲートが現われて次元迷宮外でのモンスターの出現が落ち着くと、自衛目的の人は徐々に減っていく。そしてゲート簡易封印魔法が公表され、大型魔石が高額で買取りされるようになると、今度は自衛ではなく攻略を目的として道場に通う者が増えるようになる。
また攻略者たちにとって道場は出会いの場でもあった。男女の、ではない。パーティーメンバーの、である。ボスクラスモンスターを倒して大型魔石を手に入れても、パーティーメンバーに裏切られたのでは元も子もない。信頼できる仲間を集めるという意味でも、道場というコミュニティは有用だった。
秋斗が25才のとき、勲に紹介してもらったのもそういう道場だった。
- * -
秋斗は唖然としていた。自分の浅はかな発言を悔いてもいた。
彼に生産は分からぬ。そっち方面は全てシキに丸投げしてきた。彼は世間一般に言えば攻略者である。次元迷宮を探索・攻略して生計を得てきた。だからこそ優れた武器が一朝一夕に手に入るわけではないことはよく知っている。
彼は剣を使う。誰かに習ったわけではない。強いて言うなら、これまでの戦歴が彼の剣術を形作っている。我流であることは彼も自覚していて、動画投稿サイトで剣術関連の動画を見ては参考にすることがあった。
彼が住んでいるのは日本である。当然、検索には日本語を使う。日本語で「剣術」と検索すれば、出てくるのはだいたい日本刀を用いる剣術だ。とあるメイドが達人の如き鋭さで刀を振るう動画がお気に入りである。ちなみに彼女はお店の宣伝もしているのだが、この動画に宣伝効果があるかははなはだ疑問だ。抑止効果のほうがあるのではないかと思われる。
ともかくこんな具合で、秋斗はよく剣術の動画を見ていた。そしてあるとき、ぽろっとこう呟いてしまったのだ。
「刀、いいよなぁ。ちょっと使ってみたい」
[あるぞ]
え、と問い返すまえに絶句した彼をどうして責められよう。まさかストレージが開き、刀の柄がにゅっと出てくるなどとは思わないではないか。
「…………」
数秒間フリーズしてから、秋斗はゆっくりと刀へ手を伸ばす。そして黒い鞘を掴んでストレージから引き出した。長さは麒麟丸と同じくらい。真っ直ぐではなく、三日月のような弧を描いている。鯉口を切って刃を確かめて見ると、刀身は青みがかった輝きを放っている。どう見てもファンタジーメタルです、ありがとうございました。
「……あ、そういえば懐紙を噛むんだったけか」
[呼気で錆びることはないから不要だぞ]
「……ちょっとくらい現実逃避させてくれよ」
[それこそ不要だな]
シキの容赦のない物言いに秋斗は苦笑した。それからもう一度刀に視線を向ける。いつ作ったのかなんて野暮なことは聞かない。ストレージの中を検めようとも思わない。怖いから。
なにはともあれ、こうして刀を手にするとちょっとうずうずしてくる。一度広いところで振るって見たい。そう思い、秋斗は準備を整えてからアナザーワールドへダイブインした。
動画で見た動きを、見よう見まねでなぞる。何度か繰り返すうちに、彼の動きは徐々に様になっていった。魔力の通りも良い。モンスターを何体か斬ったが、得物に不安を覚えることはなかった。しかしそれでも、秋斗の表情はあまり明るくない。
「なんかちょっと違うんだよなぁ」
素振りをしながら秋斗はそう呟いた。やはり剣と刀の違いなのだろうか。小さな違和感が拭えない。その違和感を自力で追求するのも楽しいのだろうが、彼にとってこの刀はメインウェポンではない。
それでここは効率を優先することにした。人に教えてもらうことにしたのだ。勲は剣道をやっていたという。彼なら適任だろうと思ったのだが、しかし彼の返答は少し意外なものだった。
「いや、私だって日本刀を振るった事なんてないよ」
勲の声がスマホ越しでも苦笑しているのがよく分かった。彼が道場に通い始めたのはモンスターが現われるずっと前のことで、振るうのは竹刀か木刀。アナザーワールドで使っていたのも刀ではなく剣だから、日本刀には触ったこともないと彼はいう。
「私は教えられないけど、良ければ道場を紹介するよ」
「勲さんが通っている道場ですか?」
「今はもうあまりいかないけどね。あそこの師範なら真剣を持っているはずだし、型くらいなら見せてくれると思うよ」
「なるほど……」
「代わりと言ってはなんだけど、道場主の話も聞いてあげてくれないかな。迷宮絡みでちょっと困っていることがあるらしくてね」
少し考えてから、秋斗は「まあ、良いですよ」と答えた。面倒な頼み事なら受ける気はない。だが片手間でできるなら、コンサルタントの真似事も黒幕の仕事の内かも知れない。そう思ったのだ。
秋斗「ストレージの中は一体どうなっているのやら……」




