ゴールデンウィーク二日目2
「飽きた」
ゴールデンウィーク二日目。この日一回目のダイブを八時間ほどで切り上げた秋斗は、リアルワールドに戻ってくるなりそう愚痴った。ボス部屋(推定)を見つけてからの六時間強を、彼は予定通りレベル上げにつぎ込んだのだが、どうやらそれに飽きたらしい。
まあそれも仕方がない。便宜上「レベル上げ」と言っているが、実際にレベルが設定されているわけではないのだ。「モンスターを倒すことで経験値が得られ、経験値を蓄積することでステータスが向上する」のがアナザーワールドの仕様だとしても、それを数値で逐一確認できるわけではないのだ。
だから体感的には、大きな変化は感じづらい。成果がないのに、延々と単調な作業を繰り返しているような気分になるのだ。飽きてしまうのも当然だろう。そして士気の低下は集中力の低下に直結する。それでシキもこう答えた。
[ふむ。ならボスに挑戦するか?]
「いいのか?」
[良いも悪いも。アキがそう決めたのなら、わたしはサポートするだけだ]
「よし!」
秋斗は目に見えてテンションを回復させた。とはいえ「すぐにボス部屋へ突撃」などということはしない。昨日作ったおかずと今朝作ったおにぎりで腹を満たしてから仮眠を取る。そして体力を回復させ、ちょうどいい具合にテンションを落ち着けてから、彼はこの日二度目のダイブインを行った。
地下墳墓に入ると、秋斗は最短ルートで地下二階のセーフティーエリアまで行く。接近戦を主体にして体力を消耗させる、などということはもちろんしない。そして水を一口飲んでから、地下四階の大部屋までまた最短ルートで駆け抜ける。そこで今度は少し長めの休憩時間を取ってから、彼は気合いを入れて地下五階を抜け地下六階へたどり着いた。
地下六階の、立派な作りの石の二枚扉の前に立ち、最後の準備をする。魔石と赤ポーションのストックを確認し、それから右手の古びた剣をストレージに片付ける。そして両手にまずは魔石を握った。
ボスがどんなモンスターなのかは分からない。だがアンデッド系のモンスターであることだけはほぼ確実だ。取り巻きがいる可能性もあり、様子を見るためにもまずは聖属性攻撃魔法主体で、という方針だった。
最後にホーリーエンチャントをかけ直す。プロテクションとの併用はできなかった。新たにかけた方が上書きされてしまうのだ。シキには戦況を見ながら必要と思える方をかけて欲しいと頼んである。
「よし、じゃあ行くか」
そう言って、秋斗は石の二枚扉に手を伸ばした。彼は触れるか触れないかのところで一旦動きを止め、握った魔石に思念を込め始める。そして集中力を切らさないようにしながら、ゆっくりと腕を伸ばして石の扉を押した。
秋斗が石の扉に触れると、扉は重々しい音を立てながら、しかしひとりでに開いた。扉の奥で、青白い炎が揺れている。その炎に照らされているのは、ローブをかぶり手には大鎌を持った、宙に浮かぶスケルトン。つまりリッチである。
この地下墳墓のボスはリッチだった。さらにリッチは全五体のブラックスケルトンを従えている。さすがに、あの黒々とした大剣のような装備は持っていないが、皆がそれぞれに質の良い装備を持っていた。
ただ当初、秋斗はブラックスケルトンのことは目に入っていなかった。魔石に思念を送り込みながら、ボスであるリッチの姿を確認するだけで割と手一杯だったのだ。そしてブラックスケルトンたちが戦闘に関わることもほとんどなかった。扉が完全に開いたのとほぼ同時に、秋斗が聖属性攻撃魔法を発動させたのである。
「汚物は消毒だぁぁぁあああ!」
その瞬間、パッと白くて強い光が輝き、リッチとブラックスケルトンたちを貫いた。彼らはたちまち白い炎に包まれる。この時ようやく、秋斗はリッチ以外にもモンスターがいたことに気がついた。
さて聖属性攻撃魔法の効果の程であるが、絶大だった。リッチはともかく、取り巻きのブラックスケルトンたちは一発で焼き尽くされてしまっている。使ったのがゾンビやスケルトンの魔石だったなら、これほどの効果はなかっただろう。だが秋斗が使ったのは通常よりも大きな魔石、つまりあのブラックスケルトンの魔石だった。
その大きさの魔石は一つしかない。だからこの威力の聖属性攻撃魔法も、この一回きりである。その一回を、秋斗はシキと相談した上で初手に持ってきた。そしてそれは正解だったと言えるだろう。取り巻きについては確信があったわけではないが、ともかくそれを初手で排除できたのだから。
「ギョォォッォオォオオオ!」
リッチが雄叫びを上げて白い炎を振り払う。秋斗はそこへ、二度目の聖属性攻撃魔法を叩き込む。なお使った魔石は地下墳墓で手に入れた魔石で、つまり普通の威力の聖属性攻撃魔法だ。
再び白い炎が燃え上がる。だがその勢いは、初手と比べて明らかに見劣りした。それを最も実感しているのはリッチだろう。リッチはまとわりつく白い炎を無視して大鎌を振り上げ、宙を滑るようにして秋斗へ斬りかかった。
「おっとぉ!」
迫り来る大鎌の切っ先を、大きく横に跳躍して避ける。そしてそのまま駆け出して、リッチから距離を取る。同時にポケットから魔石を取り出し、右手に握った。剣は出さない。あの刃こぼれの目立つ錆びた剣では、リッチの持つ大鎌と打ち合えば一合と保たないだろう。ならば使える攻撃の手札は聖属性攻撃魔法しかないのだ。
ただすんなりと魔石に思念を込めることはできない。距離を取ろうとする秋斗の方へ、リッチが左手の人差し指を向ける。そして彼目掛けて立て続けに魔法を放った。秋斗の後ろで派手な音が響く。彼は顔を引きつらせながら必死になって走った。
そしてひときわ大きな爆音が響く。魔法そのものは直撃しなかったものの、その余波が秋斗を吹き飛ばした。彼は何とか受け身を取り、すぐに動ける態勢は作ったものの、しかし動きを止めてしまった。そこへリッチが間合いを詰めて大鎌を振りかぶる。
「……っ」
[アキ、ホーリーエンチャントはまだ有効だ!]
秋斗の頭の中にシキの声が響く。その声に背中を押されるようにして、彼は逆に間合いを詰め、リッチの懐に潜り込んだ。そして頭からぶつかって押し返す。上手い具合にカウンターが決まり、リッチは空中でたたらを踏むようによろけた。
ホーリーエンチャントがかかっていたこともあり、それなりにダメージが入ったようだ。だが秋斗はそのまま組み付いたりはせず、すぐに離れてリッチから距離を取った。そこへシキがエンチャントをかけ直す。
リッチが大鎌を握り直した。そして怨念の籠もった視線を秋斗に向ける。目深に被ったローブの向こうからはおどろおどろしいしゃれこうべが覗いていて、空の眼孔には禍々しい赤い光が二つ灯っている。その目を、秋斗は負けじとにらみ返した。
「ギョォォォオオオ!」
彼のその態度を生意気と受け取ったのか、リッチは苛立たしげな声を上げる。その声が響くと、秋斗は突然の頭痛に襲われた。半瞬で「これはリッチの攻撃だ」と理解し、さらにもう半瞬で「これはチャンス」と思考を進める。そして頭痛を堪えながら、彼は右手に握った魔石へ思念を込め始めた。
リッチの咆吼は数秒続いた。その間ずっと、鋭い頭痛は続いた。そして咆吼が終わってからも、その残響のせいなのか、鈍い頭痛が残る。秋斗は盛大に顔をしかめながら、しかし魔石への思念は途切れさせない。
それができたのは、リッチの咆吼の間中、両者が動きを止めていたからだ。頭痛は確かに痛かったが、しかし外傷を負わせるようなものではない。ホーリーエンチャントのおかげなのかは分からないが、何とか耐えられるレベルのものでもあった。
もちろん、普段通りに思念を込められたわけではない。だが途切れさせることはなかった。そのおかげで準備はもう少しで終わる。そして顔をしかめて動かずにいる秋斗を見て、リッチはカタカタと嗤うようにして歯を鳴らした。
リッチがスッと右手を大鎌から放して秋斗のほうへ向ける。そしてもったい付けるようにしながら魔法の詠唱を始めた。リッチとしては秋斗をなぶっているつもりだったのだろう。だが彼の側からすれば、それはただの隙である。
「……っらぁ!」
秋斗は左腕を大きく振るって、装備していた盾をリッチ目掛けて放った。ホーリーエンチャントがかかったそれは無視できるモノではなかったらしく、リッチは僅かに動揺を見せて魔法でその盾を打ち落とす。そしてその間に、秋斗は動いていた。
魔石を持つ右手を握りしめ、秋斗は一気に間合いを詰める。リッチは一瞬迷った様子を見せ、それから次の魔法を放とうとするが、その間に彼はリッチの伸ばした腕の内側に入り込む。そして左手でその腕を払いのけた。
放たれた魔法が、ボス部屋の壁に炸裂する。秋斗はさらに左手を伸ばし、大鎌の柄を掴んでリッチを引き寄せる。宙に浮いているからなのか、その身体は軽い。そして引き寄せたリッチの顔面に、魔石を握る右の拳を叩き込んだ。
その瞬間、聖属性攻撃魔法が同時に発動する。拳で殴ったダメージはともかく、聖属性攻撃魔法とホーリーエンチャントのかかった攻撃を同時に食らったのだ。アンデッド系のモンスターにとっては、二重の痛撃である。
「ギョォォッォオォオオオ!?」
リッチは大きな悲鳴を上げた。でたらめに暴れるリッチから、秋斗は大きく距離を取る。そして次の魔石を握った。だがそれは必要なかった。白い炎に包まれたリッチはそのまま力を失い、焼き尽くされて黒い光の粒子に還元されたのだった。
リッチさん「親父にも殴られたことないのに!」