ダークネス・カーテン後1
首都圏を中心に関東を直撃したダークネス・カーテンは大きな被害を出した。モンスターが原因でこれほどの被害が出たのは、日本ではラフレシア以来だという。その影響は秋斗にも及んでいて、大学が数日間休みになった。
休み明け、秋斗は講義を受けるために大学へ行った。彼は比較的早く教室に入ったのだが、時間と共に見知った顔が次々にやって来る。見たところ、怪我をしている者はいない。秋斗はホッと胸をなで下ろしながら、手を上げたりして彼らと挨拶を交わした。
「よう、アキ。無事だったか」
「ミッチー。無事だったよ、お陰さんでな」
そう挨拶を交わしてから、ミッチーこと三原誠二は秋斗の隣に座った。講義が始まるまでの間、話題になったのはやはりダークネス・カーテンの事だった。
「ミッチーはダークネス・カーテンの時、どうしてたんだ?」
「アパートの周りでモンスター・ハントしてた。同じアパートの人たちと即席でチーム組んでさ。全部で三〇匹くらい倒したぞ。いや~、激戦だったね。まあ、魔石は頭割りしたから、十何万も稼げたわけじゃないけどな」
ダークネス・カーテンが発生するようになり、モンスターの出現数は世界中で激増した。ダークネス・カーテンが発生していない場所でもその増加傾向は明らかであり、それに伴って魔石の買取数も増えている。そのせいで買い取り価格は下がっているのだが、同時にAMBの需要も増しており、結果として下げ幅は小さい。今は魔石一個につき4000円前後が相場とされている。
「アキはどうしてたんだ? 引きこもっていたのか?」
「いや、家って周りに民家が少ないからさ。壁に穴空けられたりするのもヤだなと思って、オレもモンスター・ハント。頑張った甲斐もあって、家は無事だったよ」
「お~、そりゃ何より。……ってかさ、ちょっと聞いてくれよ。あの時、途中で警察が来たわけよ。で、『屋内で待機していてください』って言うわけだ。そう言うのは良いんだけど、その場で警備してくれるわけじゃないんだよ。行っちゃった後にまたモンスターが出てきてさ。あれじゃあ、屋内退避してたら逆に危ないだろ、って思うんだけど」
「オレんところなんて警察は来もしなかったぞ」
「うわ。最悪じゃん」
誠二が顔をしかめる。秋斗は肩をすくめて応じた。もっとも彼の場合、警察が来てくれなかったからと言って別に困ったわけではない。むしろ厄介なギャラリーはいない方が気は楽だ。それで彼はこう警察を庇った。
「ま、警察も人手が足りないんだろ」
「そりゃ分かるけどさ。だったら最初から民間に協力を要請しろって話だろ?」
「そのうちできそうだよな、そういう民間の会社。PMCじゃないにしろ、モンスター専門の駆除業者みたいな感じで。ミッチー、就職したらどうだ?」
「ええぇ、バイト代わりならともかく、本業にするのはちょっと……」
誠二が躊躇いを見せる。それを秋斗は小さく笑った。そのタイミングで教室に教授が入って来て、挨拶もそこそこにさっさと講義を始める。秋斗と誠二も雑談を切り上げて講義のほうに集中した。そして講義の途中、教授は唐突にこんなことを言いだした。
「……そう言えば面白い話を聞いたぞ。ダークネス・カーテンのことだが、通過した地域ではその間、軒並み気温が下がったらしい」
「それは単純に日差しが遮られたからじゃないんですか?」
「それがどうもそうではないみたいだぞ。ある地域ではずっと南風が吹いていたんだ。普通なら気温は上がるはず。それなのに下がった。ただの気象条件としての気温の変化ならそれでいいが、これが瘴気の特性と関連してのことなら、それは一体何を意味するのか……」
教授は思案するように顎先をなで、そのまま講義を再開した。秋斗はノートを取りながら、先ほどの教授の話について考えていた。あの時、秋斗は動いていたから気温が下がったという感じはしなかった。だがもし教授の言うようにそれが瘴気(魔素)の特性によるものだとしたら……。
(単純に考えるなら、魔素が大気中の熱量を吸収したって事になるけど……。シキ、魔素にそんな性質あったか?)
[現在の権限レベルで閲覧できる範囲では、そういう記述はないな]
(そっか。じゃあ違うのかな)
考えてみれば、もし魔素が大気中の熱量を吸収するのなら、アナザーワールドは今頃アイスボールになっているはずだ。ということは、魔素にそういう性質はないのだろう。そう考える方が筋は通っている。
だいたい「ダークネス・カーテンが通過した地域では気温が下がった」というが、それも同一の条件下で測定したわけではあるまい。単純に比較はできないだろうし、データの信用性もせいぜい参考レベルのはず。あまり鵜呑みにはできない。
(でもまあ、今度アリスにちょっと聞いてみよう)
聞くだけならタダだし。秋斗は心のなかでそう呟く。それから彼は頭を切り替え、集中して講義を受けた。
さて、この日の講義が全て終わり家に帰ってくると、秋斗は身支度を調えてからアナザーワールドへダイブインした。今日は、長時間の探索は予定しておらず、最初から強化服を装備している。今回やるつもりなのは、魔法陣試作二号改良型の動作実験だった。
「おお、青い」
見晴らしのよい草原で改良した魔法陣を取り出すと、秋斗は開口一番にそう呟いた。改良前は石の色そのままでグレーぽかった魔法陣は、今は鮮やかな青一色に塗られている。秋斗が出した「塗装」というアイディアをシキが形にしたのだ。
塗装するだけなら、何も難しいことはない。だがその目的は魔法陣にモンスターの要素を加えること。そのためには要するにドロップアイテムをつかう必要があるのだが、絵の具やペンキがドロップした覚えはない。それで秋斗はシキにこう尋ねた。
「シキ、何を使ったんだ?」
[鉱物顔料、もっと分かりやすく言うと、顔料として使える宝石だな]
「あ、何か聞いたことあるかも。いやでもドロップだぞ?」
[ドロップしただろう。コボルトのタリスマンだ]
シキにそう言われ、秋斗は「あっ」という顔をした。コボルトのタリスマンには何かしらの宝石が使われている。種類や質はまさに玉石混淆で、はっきり言えば価値の高いモノは少ない。だが使い道は売るだけではなかったということだ。
「じゃあ、青ってことはラピスラズリか?」
[それもあったが、数が少なくてな。今回はアズライトを使った]
「アズライト……。知らない子ですね」
秋斗はそう言って肩をすくめた。まあアズライトを知らなくても特に問題はない。重要なのは魔法陣だ。使用した塗料は間違いなくドロップアイテム由来。つまり試作二号にはモンスターの要素が追加された、はず。その改良の成果はいかに。秋斗はワクワクしながら、白いロープを介して魔法陣に魔力を流した。
魔力に反応し、魔素が渦巻く。そのまま魔力を流し続けると、徐々に魔素が集束していく。そして集束が臨界点に達したとき、黒い光を放ちながらモンスターが現われた。コボルトである。それを見て秋斗は「よしっ」と声を上げた。
犬歯を剥き出しにして飛びかかってくるコボルトを、秋斗は竜牙剣で斬り捨てる。残ったのは魔石だけ。それを拾い上げてから、彼は魔法陣に近づいてその具合を確かめる。目立った傷はない。これなら繰り返し使えるだろう。
「表面を保護するって意味でも、塗装したのは良かったかも知れないな」
[朗報だな。では実験を続けよう]
「ブレないな、シキさん」
苦笑しながらそう呟き、秋斗は魔法陣から離れてさっきの位置に戻る。そしてまたロープを介して魔力を流す。彼はコボルトを召喚しては倒し、それを十回ほど繰り返した。ドロップしたのはやはり魔石だけ。その結果に秋斗は小さく頷いた。
「やっぱりこの条件だと魔石しかドロップしないんだな」
[まだ試行回数が少ないから何とも言えないが。あと百回はやってもらいたい]
「飽きるわい」
[仕方がない。では次の実験だ。コレを魔法陣の中心に置いてくれ]
そう言ってシキが指示を出す。秋斗は肩をすくめてから、シキに言われた通りにドロップを魔法陣の中心に置いた。使うのはコボルトのタリスマンの、宝石を除いた組紐の部分。アズライトを回収した余りだそうだ。
少し離れてから、ロープを介して魔力を送る。現われるのはやはりコボルト。それも強くなったようには感じられない。だが変化はあった。この実験もやはり十回ほど繰り返したのだが、そのうちの三回で魔石と一緒にドロップアイテムも出たのだ。
「ついにドロップが出たな!」
秋斗が喜色を浮かべる。ドロップしたのは、石のナイフ、革の腰袋、火打ち石の三つ。価値のあるモノではないが、今回はドロップしたことそのものに意味がある。気分を良くした彼はさらに実験を続けた。
次の実験では、コボルト以外のドロップアイテムを使う。ただ使うのは同種のアイテムが良いだろうということで、大量にあるスケルトンの骨を使った。結果としてはスケルトンが出現し、ドロップ率はやはり三割ほどだった。
続けて、今度は魔石を使用する。それも先ほど手に入れたスケルトンの魔石だ。区別がつくように別にしておいたのである。出現したのはスケルトンではなくコボルトで、しかもこれまでに召喚した個体と比べて装備が充実しているように思えた。
ドロップも出た。しかも十回中五回。回数が少ないので何とも言えないが、数字だけ見ればドロップ率が上がった事になる。内容も、これも一概には比べられないのだが、秋斗の主観としては質が上がっているように思える。何しろ一つだけだがタリスマンをドロップしたのだ。
「石は……、水晶か」
[石の価値より、ドロップしたことが重要だ]
シキの言葉に秋斗も頷く。一方で魔石だが、魔石の大きさに変化あるようには思えない。ただ少し後の話になるが、シキがそれぞれの魔石の重さを量って比べてみたところ、「魔法陣のみ」の場合の平均値と「魔法陣+魔石」の場合の平均値を比べ、後者の方が3%弱重かった。
「おおっ、ってことは、魔石がちょっと大きくなったってことか?」
[そう結論するのは尚早だな。平均値と言っても個数が少ないし、このくらいなら誤差の可能性もある]
シキはそう答えて結論を出すのを避けた。秋斗も頷くが、表情は明るい。ともかく前進している。その手応えが嬉しかった。
誠二「バイトはまだ辞めてないぜ!」