相談と可能性
アリスが見せてくれた次元結晶を使ったデモンストレーションは面白かった。亜空間をそれとハッキリ分かる形で見たのは、秋斗も初めてだ。とはいえ実用的とは言い難い。今のところは「大きな可能性」の域を出ておらず、アリスは今後も研究を継続すると言っていた。
「で、次の相談事なんだけど……、シキ、説明して」
[む……。実はモンスターを召喚するための魔法陣を研究している]
どうせシキの存在はバレている。そう思って秋斗が丸投げすると、シキがそう言って説明を始めた。シキが一通りの説明を終えると、アリスが質問をする。専門用語が飛び交い、秋斗には理解できない内容だ。彼は三杯目の薄い紅茶を淹れ、さらにストレージから既製品の菓子類を取り出してつまみ始めた。
アリスが「我にもよこせ」というので、大皿に出してやる。彼女はそれを食べながらシキとあれこれ話を続けた。どうでも良いが、第三者視点から見ると、暇そうにしている秋斗を相手にアリスが一人で喋っているという構図である。喋っている内容まで含めれば、彼女が一人芝居をしているようなもので、ちょっとカオスだ。周りに人の目がなくて良かったな、と秋斗は心の中で呑気に呟いた。
「……ふむ。なるほどのう。それで方向性としてはどうしたいのじゃ?」
[アキのオーダーはボスクラスのモンスター、1kg以上の魔石を持つモンスターの召喚だ。その方向で改良したい]
「ふぅむ……。まあ、幾つか案は浮かぶがの。じゃがこういうのは答えだけ与えても応用が利かぬもの。それに今の段階では案それ自体を理解できるかも怪しいしのぅ……」
「じゃあ、ここは手っ取り早く完成品を……」
「お主は黙っておれ」
「あ、はい」
アリスに睨まれ、秋斗は素直に黙った。横着者からレーズンサンドを奪い取り、アリスは思案を重ねる。それからこう言った。
「……確か、我のデーターベースを参照できるのであったな?」
[ああ。今はまだ制限が多いが]
「では参考になる資料を幾つか教えてやる。それを見ながら勉強せよ」
[ありがたい。どこから手を付けるべきか、若干途方にくれていたのだ]
アリスの、突き放したともとれる対応に、シキはむしろ声音に感謝を浮かべて応じた。それに一つ頷いてから、アリスは「参考となる資料」を口にしていく。秋斗も指折り数えて見たが、全部で十以上もある。その全てに目を通して理解するとなると、かなりの時間がかかるだろう。彼は思わずこう口を挟んだ。
「もうちっとこう、手っ取り早いなんかはないのか?」
「それが曲がりなりにも最高学府で学ぶ者の姿勢か。まったく」
そう言ってアリスが嘆息する。異世界で、しかも分類上はモンスターである彼女に、学問への姿勢を問われるとは。案外貴重な体験かも知れない、と秋斗は他人事のように考えた。
「まあ、それは良いから。なんか案」
「まったく、今どきの若者はすぐに楽をしようとする」
アリスはそう苦言を呈したが、それでも一つアドバイスをくれた。例の魔法陣試作二号の改良についてだ。
「モンスターを召喚するにはモンスターの要素が必要。だが毎回ドロップを使用していては効率が悪い。ならば試作一号のように、魔法陣そのものにモンスター要素を組み込んでしまえば良い」
「いや、だからどうやって? 試作二号はもう完成しちゃってるし、手を加えようがないと思うんだけど」
「そんな事はない。要するに、魔法陣と一体化していれば良いわけじゃ」
「一体化……。後からだぞ……? 塗装でもすれば良いのか……?」
「ほう、なかなか良いと思うぞ」
アリスはやや感心した様子でそう答えた。一方で秋斗の顔はまだ悩ましげだ。塗装するといっても、その際にはドロップアイテムを用いる必要がある。だがペンキや絵の具のドロップに心当たりはない。ただシキが「できるかも知れない」というので、秋斗はともかく任せることにした。
「じゃあ魔法陣のことはそれでいいとして。で、本題なんだけどさ」
「まだ本題に入っておらんかったのか。それで、何じゃ?」
アリスが呆れた顔をする。秋斗はそんな彼女にダークネス・カーテンをはじめとする、最近のリアルワールド事情を話した。話をきくにつれて、徐々にアリスの表情が真剣なものになっていく。そして秋斗の話を聞き終えると、彼女は大きくため息を吐いてから端的にこう言った。
「決壊じゃな」
「決壊?」
反射的に秋斗が聞き返すと、アリスは重々しく頷いた。秋斗は彼女がいう「決壊」の意味を考え、そして理解して青ざめた。彼自身「地獄の釜の蓋が開いた」などと形容したが、どうやらそれが当たっていたらしい。
「……つまり、コッチとアッチが本格的に繋がってしまった、ってことか?」
「恐らく、の」
恐る恐る確認した秋斗に、アリスは苦み走った顔で頷く。それを見て秋斗は思わず天を仰いだ。考えていた中でも最悪の事態と言って良い。確かに状況は悪くなるだろうとは思っていた。だが実際に悪くなってみると、頭の中は不安でいっぱいだ。そんな彼にアリスはさらにこう告げた。
「ダークネス・カーテンであったか、それが一時的にせよ消えると言うことは、まだ決定的に繋がったわけではないのじゃろう。例えて言うなら、今は弁が開いたり閉じたりしている状態というわけじゃな」
「つまりこの先、完全に開きっぱなしになってしまったら、ダークネス・カーテンは消えないって事か?」
「そうなるの」
「くそっ」
思わず秋斗は悪態をついた。最悪のさらにその先がある、いやさらに悪化するから最悪なのか。考えがまとまらない。彼は乱暴に頭を掻きむしり、もう一度「くそっ」と悪態をついた。彼は顔を険しくしながら視線を彷徨わせる。やがてアリスを見据えてこう尋ねた。
「どうすればいい?」
「どうしたいのじゃ?」
逆にアリスからそう問い返され、秋斗はまた押し黙った。そしてふと大学の教授が言っていたことを思い出す。「適切な答えを得るためには、適切な問いが必要だ」。そういう観点で見れば、秋斗の問いかけは意味が不明瞭だったと言えるだろう。彼は一度深呼吸をした。それからもう一度アリスを真っ直ぐ見てこう尋ねる。
「穴を、塞げるか?」
「分からん。現状では分からんとしか答えようがない」
アリスが真剣な表情でそう答える。彼女がそう答えるのは当然だろう。なにしろ彼女は決壊のことを今さっき知ったのだから。だがその答えを聞いても秋斗はがっかりしなかった。むしろ彼は身を乗り出してさらにこう尋ねた。
「分からない? 分からないってことは、できるかも知れないってことか?」
そもそもの発端は次元抗掘削計画である。掘り抜かれた次元の穴から大量の魔素が流れ込んできたことで、この世界は滅んだ。
ここで一つ当然の疑問が生じる。つまり「穴を塞ぐことはできなかったのか?」という疑問だ。秋斗はこれまで「できなかったんだろう」と勝手に考えていた。仮にできたのだとすれば、それをせずに滅ぶに任せるなんて訳が分からないからだ。
だがアリスは秋斗の問い掛けに「できない」とではなく「分からない」と答えた。含みを持たせたのだ。それはつまり次元の穴を塞げる可能性があることを示唆している。前のめりになる秋斗に、アリスは慎重な口調でこう答えた。
「これはあくまで我の直感じゃが、次元結晶を使えば次元の穴も塞げるかも知れぬ」
アリスの話を聞いて、秋斗は「あっ」と声を出した。次元結晶とはもともと次元の壁から切り出したモノである。つまり次元の壁の素材とでも言うべきアイテムなのだ。次元に空いた穴であろうとも、適切な素材があれば塞げるのではないか。そう考えるのはむしろ当然のことだろう。
「じゃあ!」
「言っておくが、今の段階ではまだ可能性じゃぞ。しかもその可能性さえあやふやじゃ」
だからあまりはやるな、とアリスは秋斗に釘を刺した。秋斗は「分かってるって」と答えたが、頬が緩んでしまっているのであまり説得力はない。
「何か、手伝えることはあるか?」
「では、幾つかパーツをもらえるかの。急に必要になってしまったのじゃ」
「だからそれは壊したっていうんだ」
そう言いつつも、秋斗は機嫌良く要望に応じた。譲ってもらったパーツをどこかへしまうと、アリスは「馳走になった」と言って飛び立った。その背中を見送ってから、秋斗はお茶会の後片付けを始める。その途中、彼はふと真剣な口調でこう呟いた。
「……オレがアナザーワールドへ来られるようになったのは、間違いなく誰かがそれを意図したからだ。そしてその誰かって言うのは、こっちの世界の、今はスペースコロニーに住んでいる誰かなんだろう」
[そうだな]
「じゃあシキさ、決壊してダークネス・カーテンが現われたことと、オレとか勲さんとかがこっちに来られるようになったのは、無関係だと思うか?」
[確証は何もない。……だが無関係と考えるのは、虫が良すぎるようにも思うな]
「だよなぁ」
秋斗は顔を上げて嘆息する。手のひらで転がされてしまったのか、それとも知らぬ間に何かの陰謀の片棒を担がされてしまったのか。そんな思いが頭をよぎる。それでも、最初のメッセージに浮かんでいたあの罪悪感。あれを信じてみたいとも思うのだった。
シキ「相談相手がいるというのは素晴らしい」
秋斗「相談相手になれなくて済まんね」