魔法陣の実験1
年が明けた。一月に入って十日も過ぎれば、世間では全国共通試験の話題が多くなる。秋斗が通う都立理工科大学も試験会場の一つで、準備や採点のために試験の前後は講義が休みになる。
その時間を使ってと言うわけではないが、秋斗はコーヒーを飲みながらシキがまとめてくれた資料に目を通していた。資料と言ってもネットの記事の切り貼りだが、シキは「比較的信用度の高いものを集めた」と言っている。
「う~ん、報道されていないだけで実は結構あったんだなぁ」
パソコンの前で腕組みをしながら、秋斗はそう呟いた。「結構あった」というのは、モンスターによるインフラへの被害だ。それも日本のものではなく海外の事例。日本で報道されていないわけではなく、ただ単に彼が知らなかっただけの例もあるのだがそれはそれとして。ずらりと並べられた事例の数は、ゆうに三〇を超えていた。
内容としては、軽微と言えるかはともかく、深刻と思われるモノは含まれていない。少なくとも死者が出たという情報はなかった。ただ集めた内容が「インフラへの被害」であるから、そこに載っているのは単なるモンスター被害以上の事柄だった。
例えばシンガポールでは海水の淡水化プラントにモンスターが出現し、設備に被害が出ている。幸いにして中核設備は無事だったが、それでもプラントはおよそ半日のあいだ稼働を停止する事態になった。
韓国では地下鉄の線路上にモンスターが出現。電車がそれを跳ね飛ばすという事態が起こった。人的な被害はなく、車体の損傷も軽微だったものの、モンスターと接触した後も停車することなく運行を続けたことが判明し問題となった。運転手は会社に報告していたが、会社が平常通りの運行を優先したのだ。「安全と人命の軽視だ」と韓国国内では批難の声が上がっている。
またエジプトでは電線が切断された。ただし切断したのはモンスターではなく人間だ。電柱の上にモンスターが出現したのだが、それを倒そうとした男性が電柱に昇り、誤って電線を切断してしまったのだ。動機は「魔石が欲しかったから」。男性は怪我をしたものの命に別状はない。ただモンスターよりも人間の方が大きな被害を出したのだから、かなりはた迷惑な事例と言える。
このほかにも上下水道への被害や、橋の一部が陥没したための通行止め、通信インフラの損壊や温泉施設での事故もあった。資料を一通り眺め終えると、秋斗はコーヒーを一口飲んで腕を組む。そしてこう感想を呟いた。
「なんか、対応が不味くて事が大きくなっている、って例が多い気がするな」
[原因としてはマニュアルの不備と人間の欲、だな]
シキの言葉に秋斗も頷く。マニュアルの不備は仕方のない部分がある。モンスターを想定したマニュアルなどまだどこも作っていないか、作っていたとしてもごく少数だろう。訓練もしていない事態に遭遇すれば、テンパってしまうのは無理もない。
だがそれ以上に厄介なのが人間の欲望だ。エジプトの例はその典型と言って良い。魔石が欲しいがために危険な、あるいは身勝手な行動をし、それが被害を拡大させるのだ。理性的というか、もっと大人の対応をすれば被害は最小限で済むのに、それができない。
「でもまあ、欲は痛し痒しだよなぁ」
[うむ。欲があるから、いや、魔石に価値があるから、積極的に倒そうとする者たちが現われるのだ。そしてそういう者たちがモンスター被害を抑えている面があるのは事実だ]
シキの言葉に秋斗も頷く。もしも魔石がお金にならなかったなら、「モンスター・ハンター」は生まれず、モンスターによる被害はもっと増えていただろう。だからある意味では人間の欲望が被害を抑えているとも言える。
そもそも欲望を否定することは無意味だ。人間から欲望を取り除くことはできない。ならばそれを前提に物事を考えるしかない。そういう意味では、魔石に価値があるというのは幸運なこととすら言えるだろう。
とはいえ、今後もモンスターによるインフラへの被害は出るだろう。勲とも話したが、そのことで頭を痛めている人は多いはず。何しろモンスターは出現してからでなければ対処できないのだから。
「インフラはともかくとしてもさ。例えば家の中にモンスターが出現するなんていうのも、あり得ないわけじゃ無いんだよなぁ」
仮に家の中にモンスターが出現した場合、被害をゼロに抑えることはできるだろうか。少し考えて、秋斗は「難しいだろうな」と結論した。在宅中でもそうなのだ。外出中にそういう事態が起こったら、家の中はきっとめちゃくちゃにされるだろう。
また家の中では無かったとしても、すぐ近くに出現すれば、外壁や窓ガラスは被害を受ける可能性が高い。これはとても身近な問題だ。「モンスターは出現してからでなければ対処出来ない」。それは秋斗であっても例外ではないのだから。
「いや、まあ、抜本的な解決策がないわけじゃないんだけど……」
[うむ。魔道炉だな]
シキの言葉に秋斗は苦笑しながら頷く。魔道炉とは「魔素をより使いやすいエネルギーに変換する装置」だ。この世界でなら、「魔素を燃料とする発電機」と言えるかもしれない。ともかく魔道炉によって魔素を消費すれば、その分だけモンスターの出現を抑制することができる。これはモンスター問題の抜本的な解決策と言って良いだろう。
実際アリスの話によれば、アナザーワールドでは魔道炉の利用が広がったことで、世界的にモンスターが出現しなくなったという。モンスターは減り、しかしエネルギーの供給量は増えるのだから、まさに夢のような解決策と言って良い。
だがしかし問題もある。秋斗は魔道炉の存在は知っているが、現物を持っているわけではないし、まして製造できるわけでもない。「魔道炉ならモンスター問題を解決できる!」と叫んでみても、世の中の人々は相手にしてくれないだろうし、狂人扱いされるのは関の山だろう。
「まあ、モノがあったとしても、フェイク扱いされそうだけど……」
秋斗はそう呟いた。一方でフェイク扱いされなかったとしても、それはそれで問題だ。彼に凄まじい注目が集まるだろう。それは彼の望むことではない。
[公表の仕方はその時になってから考えれば良いだろう。まずはモノがなければ話にならない。それに公表しないとしても、家の中で魔道炉を稼働させておけば、少なくともこの周辺でのモンスターの出現は抑制できるはずだ]
「そうだな。となるとモノが欲しくなるわけだけど……。シキさんや、どう?」
[無理だな。基本的な原理は分かるが、作るというレベルの話ではない。アカシックレコード(偽)も権限レベルが足りなくてデータを参照できない状況だ]
「えぇ……。手も足も出ない、ってことじゃん」
[いや、そうでもない]
がっくりと脱力した秋斗に、しかしシキは思いがけずそう言った。そしてシキはさらにこう言葉を続ける。
[現状で魔道炉を作ることは不可能だ。だが魔道炉には周辺の魔素を吸引する能力が必要だ]
「掃除機みたいな?」
[その例え方はどうかと思うが……。掃除機とは少し違うな。確かに空気と一緒に魔素を吸引する方式もある。だが魔道炉の効率を高めるためには、より多くの魔素を集める必要がある。そのための術式があるのだが、それならば再現できるぞ。まあ、古典的なものになってしまうが]
「古典的っていうのは?」
[二次元的な回路、つまりは魔法陣だな。実際に魔道炉に組み込める形ではない。まあ、原理の確認という意味合いが強いな]
「なるほどねぇ……」
[あと仮に魔道炉が手に入る可能性があるとしたら、それは例の宇宙船だろう。内部に突入して隅々まで調べることができれば、もしかしたらまだ動く現物があるかも知れない]
「あ~、突入についてはまだ保留で」
シキにそう答えると、秋斗はソファーに座りながら天井を見上げて考え込んだ。家の中に突然モンスターが現われるのは、彼としても困る。だから魔道炉が手に入るのなら、やっぱりそれは欲しい。
だが現状、すぐに魔道炉を手に入れることはできない。シキの言うとおり、例の宇宙船に突撃すれば見つけられるのかも知れないが、今の秋斗の実力では逃げ帰ってくるのがオチだろう。
(魔道炉は一旦棚上げかなぁ)
秋斗は心の中でそう呟いた。ただそれはそれとして、シキが言っていた「魔素を集めるための魔法陣」には少し興味がある。もちろんそれだけでは魔道炉の代わりにはならないだろう。だが別の使い方ならできるかも知れない。
「なあ、その魔素を集めるための魔法陣ってさ、実際に動かしたらモンスターが出てきたりしないかな?」
[……可能性としてはあり得るな]
少し間を置いてからシキはそう答えた。魔法陣は魔素を集めるだけ消費はしない。ということはその魔素からモンスターが生まれる可能性は十分にある。
「もし好きな場にモンスターを出現させられる魔法陣があったら、それはそれで使い道があるんじゃね?」
[ふむ。確かに]
「じゃあちょっと検証してみようぜ。目標はボスクラスモンスターの召喚な」
[狙いは大型の魔石か。まあ良かろう]
シキも秋斗の方針に同意する。こうして「魔素を集めるための魔法陣」、もしくは「モンスターを任意で出現させるための魔法陣」の開発が始まった。
秋斗「魔法陣……。なんかすごくファンタジー」
シキ「今更では?」