聖夜にて2
「え……?」
「停電、か……?」
「あ、ちょっと待って下さい。二人とも、動かないで」
突然部屋の中が真っ暗になり、反射的に腰をうかせかけた奏と勲を、秋斗はそう声をかけて留めた。二人は困惑気な表情をしている。暗視が使える秋斗は、それがよく見えた。そして二人をイスに座らせてから、秋斗はリュックサックに入れておいた道具袋から魔道ランタンを取り出す。彼が明かりを付けると、奏と勲はホッとした表情を浮かべた。
「秋斗君、ソレを貸してもらえるかな? 確かそこの棚に懐中電灯があったはず……」
勲は懐中電灯を取り出すと、秋斗にランタンを返してから、ブレーカの様子を見に行った。だがブレーカは落ちていなかったという。ということは、この停電は単純な電気の使いすぎではなく、変電所かもしくは配電線のトラブルということになる。
「まいったね。いつ復旧するのやら……」
勲が苦笑しながらチラリとエアコンへ視線を向けた。さっきまで部屋を暖めていたエアコンは、当然ながら止まってしまっている。このままでは時間と共に室内の気温が下がっていくだろう。
「あ、発電機なら一応ありますよ」
そう言って秋斗は道具袋から、と見せかけてストレージからポータブル魔道発電機を取り出した。それを見て勲が頬を緩める。これでエアコンが使えるわけだが、しかし勲はこう言った。
「いや、ファンヒーターにしよう。奏、懐中電灯で照らしてくれないか」
「うん、分かった」
そう言って二人はファンヒーターを取りに行く。エアコンを動かさなかったのは、この家だけ室外機が動いていると不審に思われるからか。まあ「電源をどうしたのか」と聞かれたら答えにくいのは確かだ。
二人を待つ間、秋斗はスマホを取り出した。幸い、アンテナは立っている。彼はインターネットに接続して、停電の情報を調べようとした。だがまともな情報はまだ何も出ていない。秋斗はため息を吐いてスマホカバーを閉じた。
「……あ、おじいちゃん、そこ気をつけて」
「ああ、ありがとう、奏」
そうこうしている内に、勲と奏が戻ってくる。勲はファンヒーターのプラグをポータブル魔道発電機のコンセントに差し込む。スイッチを入れて少し待つと、点火してファンヒーターから暖かい風が出てくる。三人は誰からともなく安堵の息を吐いた。
魔道ランタンをテーブルの上に置く。食事をする分には、それで十分に明るい。勲が「ちょっとしたレストランみたいだね」というと、奏と秋斗は楽しげに笑った。非日常の雰囲気はこの際よいアクセントになって、三人はパーティーを楽しんだ。
「電車も動いていないらしい。秋斗君、今日は泊まっていってくれ」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
「わっ、じゃあいっぱいお話できますね!」
奏が嬉しそうに手を叩く。彼女の表情に停電という異常事態を不安がる様子は少しもない。図太いのか脳天気なのか、それとも大物なのか。秋斗が浮かべた苦笑は暗がりに紛れて誰にも目撃されなかった。
ブッシュドノエルを食べ終えると、最低限の後片付けだけして、三人はソファーのあるスペースへ移った。センターテーブルの上にランタンを置き、三人は静かで穏やかな夜を過ごした。とはいえ、この停電のために困っている人が沢山いることは想像に難くない。
「そう言えば、お姉様は大丈夫でしょうか?」
「ああユリね。どこかのレストランで生演奏のバイトだって言ってたけど……」
「うむ、停電した区域内でなければ良いのだけどね」
そう話しながら、秋斗たちは百合子の心配をする。ただ残念ながら百合子もこの停電に巻き込まれてしまっていた。
- * -
時間は停電前に遡る。秋斗らに話していたとおり、百合子は集まったメンバーとレストランで生演奏を披露していた。もともとこれは食事のバックグラウンドミュージック。コンサートのように真剣に聞いているお客さんは少ない。ただ食事と一緒に音楽を楽しんでいるお客さんは多数いて、反応もそれなりに良いように思えた。
(悪くないわね)
バイオリンを弾きながら、百合子は心の中でそう呟いた。完全に聞き流されることも覚悟していたが、曲が終われば拍手もおこる。演奏者はオーディオのスピーカーではないのだ。反応はあるほうが嬉しいに決まっている。
さて、そうやって順調に演奏を続けていた矢先にトラブルが起こった。停電である。電気の照明が一斉に落ち、室内は一気に暗くなる。それぞれのテーブルにはキャンドルが置かれていたので真っ暗になることはなかったが、何をするにも不都合な暗さであることは間違いない。そしてこの突然のトラブルに、客達の間からもざわめきが起こった。
「え、なに、これ……?」
「停電か……?」
「どうしたんだ?」
「なんですぐに付けない?」
一度起こったざわめきは徐々に大きくなっていく。電気がすぐに復旧すればざわめきはすぐに収まっただろう。だが電気は復旧しない。スマホを取り出して調べる者もいたが、彼らもすぐに首を横に振った。
(良くないわねぇ)
百合子は心の中でそう思った。このままではざわめきが混乱へと繋がるだろう。演奏も止まってしまった。そして誰もそれを気にしていない。「お前たちの演奏などその程度のものだ」と言われたようで、百合子はなんだかそれが無性に悔しかった。
彼女は弓を構えてバイオリンを奏で始めた。軽やかな音がざわめきの中を遊ぶように転がる。停電のせいで楽譜も手元も見えないが問題ない。楽譜は頭に入っているし、目をつぶっていても手は動く。
百合子が突然演奏を始めたので、他の四人は驚いたようだった。百合子はバイオリンを奏でながらその彼らを演奏に誘う。やがて四人は意を決したようで、恐る恐るながらも演奏に加わった。
彼女たちが奏でる弦楽五重奏は、突然の停電に動揺する人たちのざわめきを少しずつ鎮めていった。やがてざわめきは収まり、弦楽五重奏の調べだけが響く。百合子がチラリと視線を上げると、お店のスタッフがロウソクを増やしているのが見えた。
百合子は演奏に集中する。彼女自身はともかく、他のメンバーはミスが目立つ。楽譜は暗譜しているはずだから、手元がよく見えないせいだろう。一人が目立ちすぎるとバランスが崩れてしまうのだが、仕方がない。百合子は自分が前面にたって彼らをリードした。
演奏を続けながら、百合子はある映画のワンシーンを思い出していた。沈みゆく船の甲板で、それでも音楽家たちは演奏を続けていた。誰も聞いていないとしても、彼らは演奏を止めなかった。
彼らの演奏の力で船の沈没が防がれたということはなかったし、他の誰かが救われたという描写もなかった。それでも百合子はこう思ったのだ。「音楽家とはかくあるべきだ」と。音楽で結果が変わることはないかもしれない。だが「音楽のある過程」と「音楽のない過程」なら、彼女は前者を選びたい。そうあれる音楽家になりたかった。
暗がりの中でも演奏は続く。ざわめきはもうない。客達の意識は、間違いなく停電する前よりも演奏へ向いている。良くものが見えないこの状況が、かえって音への集中力を高めているのだ。その中で百合子は一心不乱にバイオリンを奏でた。
演奏が終わると、盛大な拍手が起こった。そのタイミングで店のスタッフが客に状況を説明する。この上なく現実的なはずのその時間を、百合子はまるで夢の中にいるかのような感覚で過ごした。
- * -
停電の翌朝、秋斗が目を覚ますと、電気はすでに復旧していた。大した事故ではなかったのか、それとも総力を挙げて一晩で復旧させたのか。いずれにしても関係者の尽力のおかげだろう。彼は素直に感謝した。
「……おはようございます」
「ああ、秋斗君。おはよう」
一階のリビングに行くと、すでに勲が起きていてお茶を飲んでいた。テレビが付いていて、昨夜の停電のことを報じている。どうやらかなり広い範囲が停電したらしい。幾つかの要因が重なった結果らしいが、その引き金となったのはなんとモンスターだった。
「変電所にモンスター、ですか……。場所が悪いというか、間が悪いというか」
「いや、変電所でむしろ良かったんじゃないかな。まあ、場所が良かったというのはあるのだろうけど。でもこれが発電所で発電機が損傷していたら、一晩で復旧などできなかっただろうからね。まして原発などということになったら……」
勲は渋い顔をして首を小さく左右に振った。寝起きの頭ながらも勲が言わんとしていることを理解して、秋斗も表情を険しくする。原発の内部にモンスターが出現して暴れるなど、考えたくもない。
だが最も恐ろしいのは、現状それを防ぐ手立てがないということだ。モンスターは出現してからでなければ対処できない。それなのにクリティカルな場所ほど即応できなければ大きな被害がでる。
「頭が痛い、ですね」
「ああ。同じく頭を痛めている人たちが、この朝は沢山いるだろうね」
勲のその言葉にどう答えて良いかの分からず、秋斗は曖昧に笑った。確実に言えることは、この聖夜の停電はある人たちにはっきりと危機感を抱かせたに違いない、ということだ。今回は変電所だった。だが「これがもしも……」と考える人は多いだろう。
今後は何かしらの対策が講じられるに違いない。だが前述した通り、抜本的な解決策はない。打てる手としては警備員を増やすか、刺叉などの道具を用意しておくか、社員や職員に対モンスター用の教育を受けさせるか。いずれにしても対症療法の域を出ない。
(批判するのは簡単だけど、対案もないしなぁ)
秋斗は内心でそうぼやいた。きっと同じぼやきを沢山の人が抱えているのだろう。そう思うと彼はちょっと可笑しかった。
「おはようございますぅ……」
まだ眠そうな声でそう挨拶しながら、奏がリビングに入ってくる。勲と秋斗は「おはよう」と言って彼女を迎えた。そして腰を上げて朝食の支度を始める。残り物を並べただけの朝食は、しかし結構豪華だった。
勲「どうだい、ウチの孫は大物だろう?」