ヘキサ・シープの羊毛2
ヘキサ・シープの羊毛を刈るため、勲が秋斗の手を借りることにしたのは、彼一人ではヘキサ・シープを押さえ込みながら毛を刈ることができなかったからだ。それで彼は秋斗に声をかけたわけだが、百合子には声をかけなかった。「経験値を稼げる案件ではないから」と説明したのは嘘ではない。だが同時に「三人も必要ないだろう」と思っていたのだ。
だが結果だけ見ると、どうやら二人だけは手が足りなかったらしい。二人はまだ少しもヘキサ・シープの毛を刈れていなかった。捕まえることはできる。むしろ簡単だ。だが押さえ込んで動きを封じ、いざ毛を刈ろうとすると別のヘキサ・シープが突進してきて体当たりされてしまうのだ。
二人ともこれまでに経験値を溜め込んでいる。また二回目からは秋斗が自分と勲にプロテクションの魔法をかけた。だからダメージはほぼない。だが動きを止めているところを狙われるので回避は難しく、加えて体勢の問題で踏ん張りが利かない。秋斗も勲も弾き飛ばされ、捕まえていたヘキサ・シープは逃げてしまうのだ。それをすでに五回は繰り返している。
「勲さん……」
「……なんだね、秋斗君」
秋斗がやや疲れた声で呼びかけると、勲もやや疲れた声で答える。秋斗は草の上にあぐらをかいてから、さらにこう言葉を続けた。
「ふと思ったんですけど、血染めの羊毛を水にさらしておいたら血抜きできませんかね?」
「血染めの羊毛を洗おうというわけか。アイディアとしては面白いが、どこでやるかね?」
「う……」
秋斗は答えに窮した。血染めの羊毛を洗うためには大量の水が必要だ。だが見渡すことのできる範囲に川や湖はない。探せばあるのかもしれないが、しかし探すのは手間だし、かといって大量の水を持ち込むのも手間だ。
「それに血液というのは、一度付いてしまうとなかなかとれるモノではないよ」
勲のその言葉に、秋斗も「そうですね……」と力なく同意する。水洗いでは無理だろうし、洗剤を使っても落ちるかは分からない。そしてホームエリアではないここでアレコレと試行錯誤するのはそれこそ手間だ。結局、順当に毛を刈るのが一番良いように思える。もっとも今そこで躓いているわけだが。
「メェェェェ!」
草原にヘキサ・シープの鳴き声が響く。そいつはすでに秋斗たちから十分に離れた位置まで逃げていて、そこで歯をむき出しにして鳴いている。それを見て秋斗は直感した。コイツはオレたちを嗤っている、と。ヘキサ・シープの馬鹿にした顔がはっきりと見える。今まで地面にキスさせられた分も含めて、彼は屈辱で打ち震えた。
「おんどりゃぁ……! 絶対に丸裸にしてやるからなぁ!」
秋斗はキレた。しかしだからといって、ヘキサ・シープを血祭りに上げたりはしない。手に入れるべきはあくまでも血染めになっていない羊毛。彼はそれを見失っておらず、そういう意味では冷静だった。
彼は道具袋からのように見せつつ、ストレージからナイトを二体取り出した。それを見て勲が驚いた様に目を見開く。ナイトのことは奏から聞いているはずだが、二体も保有しているとは思っていなかったらしい。
(使うつもりはなかったんだけど……!)
背に腹はかえられない、というヤツだ。ともかく、ヘキサ・シープに馬鹿にされたまま引き下がるなんてことはできない。秋斗は内心のむかつきを抑えつつ、二体のナイトにそれぞれ大盾を装備させた。
つまりこの二体のナイトを使って、周囲のヘキサ・シープの横やりを防ぐのだ。そうやって安全を確保して毛を刈る。それが秋斗の作戦だった。彼は立ち上がって草を払うと、さっき嗤った(ように見えた)ヘキサ・シープに狙いを定める。彼は身体能力強化に物言わせて爆発的に加速し、たちまちそのヘキサ・シープの毛を掴んで捕まえた。
「メェェ! メェェ! メェェ!」
「このっ、大人しくしろっ」
秋斗は強引にヘキサ・シープを地面に引き倒す。すぐに勲がやって来て鋏を構えた。二体のナイトもヘキサ・シープを挟むようにしてポジションを取る。別のヘキサ・シープが仲間を助けようとして突っ込んでくるが、ナイトはその体当たりをしっかりと防いだ。
「メェェ!? メェェ!? メェェ!?」
「ふふふ、無駄だ、諦めろ……!」
もがくヘキサ・シープを、秋斗はがっしりと押さえつける。勲は「まるっきり悪役のセリフだなぁ」と思ったが、彼もその片棒を担ぐ側。結局何も言わず、鋏だけ動かして毛刈りに専念した。
「メェェェエエエ!」
「メェェェエエエ!」
「メェェェエエエ!」
周囲のヘキサ・シープたちが次々に体当たりを仕掛ける。しかし頼れる二体のナイトは大盾でその全てを防いだ。鈍い打撃音が響く中、勲はよどみなく鋏を動かしていく。彼も羊の毛刈りなんてしたことはないはずなのだが、そこは「毛刈りの技量+5」ということだろう。
「できた……!」
そしてついに、最初の一頭の毛刈りが完了した。伸びすぎた毛を全部刈られたヘキサ・シープは、身体の大きさが半分くらいになっている。すっかり小さくなったヘキサ・シープを解放すると、ヘキサ・シープは逃げるように去って行った。
「メェェェ!」
「負け羊の遠吠えだな」
「いや、語呂が悪いよ」
悪役が楽しくなってきたらしい秋斗に、勲が苦笑しながらそうツッコむ。秋斗は少し恥ずかしそうにはにかんだ。そして彼はまた次のヘキサ・シープを捕まえる。
一度パターンが確立してしまえば、あとはただの作業だ。秋斗と勲は手際よくヘキサ・シープの毛刈りをこなした。そして見える範囲のだいたい三分の一くらいの毛を刈り終えたところで、ナイトの一体が魔力切れになる。秋斗がそれを告げると、勲はこう言った。
「では毛を刈るのは一旦切り上げて、刈った分を納品してみようか」
勲の言葉に一つ頷き、秋斗は二体のナイトを片付けた。それから二人は連れ立って小高い丘の上にある石版のところへ向かう。到着すると、勲はさっそくヘキサ・シープ一体分の羊毛を石版の上に載せた。
ヘキサ・シープの羊毛が淡い光に包まれる。光は徐々に強くなり、すぐに羊毛の姿を隠した。それから光は徐々に弱くなり、そして消える。石版の上に羊毛はなく、代わりに報酬が載っていた。
「……セーター?」
「セーター、だね。これは」
手に入れた報酬を広げて、二人はそう呟いた。紛れもないセーターである。それもリアルワールドで売っているようなセーターだ。秋斗はちょっと不満そうだったが、セーターを見る勲の顔は真剣だった。
「勲さん?」
「ん、ああ。このセーター、とても手触りが良い。これほどの品はなかなかないよ」
そう言って勲は鑑定のモノクルを取り出した。秋斗も同じモノを取り出して報酬のセーターを鑑定する。結果はだいたい予想通りだった。
名称:セーター
ヘキサ・シープのウール100%
ヘキサ・シープの羊毛は最上級の品質だという。そのウールで作ったセーターが素晴らしい手触りなのは当然かもしれない。秋斗も手を出してセーターを触らせてもらう。あまりにも滑らかな手触りに、彼は思わず「うおっ」と声を出した。こんなにも手触りの良いセーターは初めてである。
勲はその後も納品を続けた。報酬はマフラーやコート、帽子に手袋など。パンツもあった。全てヘキサ・シープのウール100%だ。当然、手触りは滑らかである。納品の途中で勲は「ふむ」と呟き、それから秋斗にこう声をかけた。
「秋斗君。ちょっと納品を代わってみてくれないか」
「オレが、ですか? まあ、良いですけど……」
勲の意図がよく分からなくて首をかしげつつも、秋斗はそう答えて彼から羊毛を受け取った。そしてそれを納品する。報酬はまたしてもセーター。だがそのセーターを広げて見た秋斗は「おっ」という顔をする。デザインが若者向けだったのだ。
「勲さん、これはもしかして……」
秋斗がそう呟きながら勲に視線を向けると、彼は黙ったまま一つ頷いた。秋斗は次の羊毛を手に取って石版の上に置く。次の報酬はマフラーだった。デザインは万人が使えそうだが、強いて言うならやはり若者向けである。
「どうやらこの石版は、納品者に合せた報酬をくれるらしい」
勲がどこか面白がるようにそう言った。秋斗も頷いて同意する。勲がヘキサ・シープの羊毛を納品して手に入れた報酬は、全て彼の年齢に合せたデザインだった。そして秋斗が納品したときには彼に合せたデザインの物が出た。これはつまり、そういうことなのだろう。
「この石版は気が利く石版みたいですね」
「ああ、どうやらそのようだね」
そう言って秋斗と勲は笑い合う。「気の利く石版」というより「気の利いた設定」というべきなのかも知れないが、まあそれはそれとして。さらに今回の納品クエストには、もう一つこれまでとは違う点があった。納品済みになっている項目に、カウントダウンする数字が表示されているのだ。
「コレってリキャストタイム、いやクールタイムですよね?」
「どちらが正しいのかは分からないが、ともかくこのカウントダウンがゼロになったら、もう一度納品できるのだろうね。そして報酬が手に入る。まあ、またウール製品だろうが」
勲の推測を秋斗も頷いて肯定する。もう一度報酬が手に入る、というのは朗報だ。セーターやマフラーばかり増えても困るが、そういう石版があるというのは間違いなく大きな情報である。ただ同時に欠点もある。
「クールタイムがある以上、このクエストは終わらない。だからコンプリート報酬もない、って感じみたいですね」
「そのようだね」
秋斗の言葉に勲も頷く。二人で全ての項目を「納品済み」にしたのだが、これまでのようにコンプリート報酬が出てくることはない。秋斗はちょっとガッカリしたが、落胆はそれほど深くない。コンプリート報酬があったとして、それもたぶんウール製品だろうからだ。
「それにしても……」
「勲さん?」
「やはり百合子さんも連れてくれば良かったかも知れない。そうすれば奏用にいくつか譲ってもらえたのに……」
「サイズが合わないんじゃないですか?」
「セーターやコートはそうかも知れないが。マフラーなどなら使えるだろう」
「ああ、なるほど」
秋斗は納得して一つ頷いた。それにセーターやコートもデザイン次第では大丈夫かもしれない。「お姉様とお揃い!」と言って喜ぶ奏の姿が脳裏に浮かび、彼は小さく苦笑するのだった。
シキ[羊相手に小芝居してて恥ずかしくないか?」
秋斗「指摘されると恥ずかしい……」