ヒマラヤ上空にて
ヒマラヤ山脈のインド側の上空を、数機の戦闘機が飛んでいる。インド空軍の攻撃機だ。そのうちの一機が作戦司令室と交信している。
「こちらアルファリーダー、司令室、応答せよ」
『こちら司令室。アルファリーダー、どうぞ』
「目標をレーダーで捕捉した。いつでも攻撃に移れる。どうぞ」
『了解。アルファリーダー、攻撃を開始してください』
「了解。これより攻撃を開始する、オーバー。……聞いての通りだ、各機、ターゲット。……攻撃開始!」
アルファリーダーはミサイルを発射し、レーダーの画面を睨む。数秒後、レーダー上の反応が次々に消えていく。最後の反応が消えると、彼はふうと息を吐いた。
今回の攻撃目標はモンスター。そしてモンスターに対して現代兵器は効きが悪い。だが今回使用した空対空ミサイルはちゃんと効いたらしい。戦闘機にはAMBが装填されており、最悪ドッグファイトも覚悟していたのだが、どうやらそれはせずに済んだようだ。
「こちらアルファリーダー、目標の殲滅を確認。これより帰投する」
そう言って彼は操縦桿を傾け、戦闘機を一八〇度旋回させる。彼の部下達がそれに続いた。あとは基地に戻るだけ。そう思うと、多少は肩の力が抜ける。そんな彼に同じ戦闘機の後部座席に座る部下がこう声をかけた。
「それにしても隊長。最近は忙しくなりましたね」
「おいおい。それじゃあまるで以前は暇だったみたいじゃないか。訓練にスクランブルに、俺は前から忙しかったぞ。まあ、お前がどうだったかは知らないがな」
「隊長がご存じのように小官も忙しかったですよ。……自分が言いたいのはモンスター関連で、と言うことです」
後部座席に座る部下が前半を冗談混じりに、後半をやや真剣にそう述べる。操縦桿を握る隊長は小さく苦笑しながら「まあ、それはそうだな」と答えた。
今日、彼らが出撃したのは、ヒマラヤ山脈を根城にするモンスターを討伐するためだ。そのモンスターは翼を広げた全長が十メートルを超えようかという怪鳥で、これが全部で七匹の群れを作り、ヒマラヤ山脈沿いの広い範囲に被害を出していたのだ。
現在までに四つの村が壊滅的な被害を受けたことが分かっている。ただし軍が動いたのはこのためではなく、怪鳥が都市部にも被害を出し始めたからである。折しもその地方では選挙が近いこともあってインド政府は軍に「迅速な解決」を求め、こうして戦闘機が飛ばされた、というわけである。
要するに今回の出撃は多分に政治判断を含んだもので、そのために隊長としては内心に割り切れないものを感じている。怪鳥が退治されたこと、それ自体は良い。彼も自分たちの任務には誇りを持っているし、国民の生命を守っているという自負もある。
ただインドに跋扈するモンスターはこの怪鳥だけではない。別に討伐するべきモンスターは数多く、今回の作戦は政治家連中が無理矢理ねじ込んだ感が否めない。「シビリアンコントロールも善し悪しだな」と、隊長は絶対に口には出せない愚痴を心の中で呟いた。そして気分を変えるために、彼は部下にこう言った。
「まあ、モンスター絡みが増えるのも、悪いことばかりでは無い。スクランブルは明らかに減った」
「ああ、それはそうですね。その点に限って言えば、ありがたいです」
「俺もだよ。機体のところまで全力疾走すると、操縦桿を握る頃にはゼーハー言ってるからな」
そう言って彼は後ろの部下を笑わせた。だが現在の世界情勢は決して笑えたものではない。むしろ笑顔が凍り付く、そんな様相である。そしてその原因は言うまでもなくモンスターだった。
「スクランブルが減った」というのも、モンスターが大きく絡んでいる。これは、直接的には「隣国の戦闘機が国境近くへちょっかい出しに来る回数が減った」ことが原因だ。そしてそれは要するに「モンスターへの対処のために戦闘機を飛ばしているので、ハラスメントをしている余裕がなくなった」ということを意味している。
では係争地における緊張が緩和されたのかというと、そんなことはない。相変わらず両国は睨み合っている。しかも「モンスターに起因する混乱に乗じて相手国が軍事的行動に出るのを抑止するため」として、より強硬な姿勢を見せることが多くなっていた。
これはインドに限ったことではない。世界中で同じ事が起こっている。実際に紛争へと発展している事例もあり、そのためにまた混乱が広がっていた。大国と呼ばれる国々も自国のモンスター対策に手一杯で、他国の紛争へ首を突っ込んでいる余裕はない。非難声明を出すくらいがせいぜいで、それを見越して事を起こす係争当事国もあった。
ただその一方で、全面的な戦争は起こっていない。事を起こす係争当事国も自国へと目を向ければモンスター被害が広がっており、それに対処しようと思えば紛争に全力投球することはできない。そのために紛争そのものもどこか抑制的だった。
モンスターのために混乱が広がり、しかしモンスターのために抑制的にもなる。妙な具合にバランスが取れていると言うべきか。とはいえ多くの人にとって苦しい時代になってしまったことは間違いない。
(それなのに、最近は充実していると思ってしまうのは、不謹慎かもしれんなぁ)
隊長はそう思い、部下には見えないように苦笑を浮かべた。ただ「充実している」というのは彼の本心でもある。
ハラスメント飛行をする隣国の戦闘機を追い払うような任務は、重要ではあるが、どこかで作業的な感覚でもある。回数を重ねる毎にきりが無いことに気付いてしまうのだ。緊迫感はあるが、同時に暗黙の了解もある。お互いに一線を引いていることが分かってしまう。
だがモンスターの場合はそうではない。排除しなければ被害が出るのだ。いや、被害が出ているから排除しなければならないのだ。敵を排除し、国を、国民を守る。これこそが軍人の本懐。厳しい訓練はこのためにあったのだと、胸を張ることができるのだ。
その同じ想いを友軍兵士たちの多くが持っている。なにしろ今日はかつてないほど、軍人が尊敬され敬意を払われている。仕事を評価され、さらに感謝までされるのだ。それを喜ばない軍人はいないし、また士気も上がるというもの。
モンスター退治にかり出されているのは警察も同様だが、大型のモンスターの討伐はほぼ全て軍が受け持っている。そして見た目の分かりやすい成果というのは、政権にとっても格好の宣伝材料であるらしい。軍の活躍は連日メディアを賑わせている。
その過熱ぶりを、隊長はやや不謹慎に思わないでもない。だがそれでも、ここ最近の充実感を否定することはできない。「軍人は暇な方が良い」というが、活躍の場を与えられて喜ばない者はいない。まして対人ではなく対モンスター。吹き飛ばしても良心の呵責を覚えることはない。
(それに、飛んでいる限り戦闘機はほぼ無敵だからな。それもいい)
隊長は内心でそうほくそ笑んだ。モンスター退治の主役は戦闘機と言って良い。身体を張っている陸軍の連中には少々申し訳なく思いながらも、戦闘機の活躍の場が増えることはやはり嬉しい。ただ気になることもある。
「そう言えば隊長はご存じですか?」
「何をだ?」
「レベルアップの噂です」
「ああ、それか」
隊長は操縦桿を握りながら小さく頷いた。その噂は主に陸軍や警察のほうから流れてきているという。短期間のうちに身体能力が飛躍的に向上している者が多数いる、というのだ。
そしてその数は増え続けているという。
あまりに不自然かつ多人数のため、単なる偶然と考えるのは無理がある。またそういう事例が出始めたのは、モンスターが大量出現するようになってからだ。加えて身体能力を高めているのは、現場で多数のモンスターを退治したことのある者たちばかり。となれば関連を考えるのは当然だろう。
この現象について、現在のところその原因は「不明」とされている。ただ仮説の一つとしていわゆる「レベルアップ説」がまことしやかに語られていた。つまりモンスターを倒したことで「レベル」が上がり、その結果として身体能力が向上した、というわけだ。
「聞いたことはあるぞ。ゲームみたいな話だろ」
「どう思われますか?」
「言っただろ、ゲームみたいな話だ」
「ではレベルアップなどしていない、と?」
「いや。身体能力が飛躍的に向上している者が多数いる、というのは事実だ。それは認めねばならん。たとえ原因が不明だとしても、な。それにモンスターなんて存在それ自体が、まさしくゲームみたいな話だ」
「レベルアップは本当の話だと、そういうことですか?」
「少なくともそう見えるのは事実、ということだろう。そして我々は軍人だ。軍人が重視するのは結果だ。レベルアップという表現は、要するにまあ分かりやすいんだろう」
「なるほど、分かりやすさですか。確かに科学者の先生方以外には、原因や過程はあまり重要ではないかも知れませんね」
「原因や過程が分からないのも気持ち悪いがな」
「確かに。でも興味ありませんか、レベルアップ」
「ないわけじゃないが……。でもまあ、コイツを降りる理由にはならんよ」
隊長は苦笑しながらそう答えた。彼は戦闘機乗りで、戦闘機乗りであることに誇りをもっている。活躍の場が増えた現在はなおさらだ。この狭いコックピットには愛着がたっぷりとある。ただ彼はふとこんなことを思いついた。
「だがそうだな、レベルアップできればコイツに乗っていられる時間は延びるかも知れない」
「それは良いですね! Gも今よりキツくなくなるかも知れません」
「そうなれば喜ばしいな。耐G訓練は骨が軋むからな……。いや、その時はパイロットのレベルアップを前提にした機体が開発されるのか?」
「その時は我々も陸軍の連中に混じってモンスター・ハントですか」
「泥にまみれるのは性に合わん。俺はきれい好きなんだ。ミサイルでレベルアップしたいもんだ」
「ははは、小官もであります!」
二人分の笑い声が響く。現在、世界中でモンスターは日常になった。ほんの数年前までは考えられなかったことで、こんな未来を予測していた者は一人もいないだろう。だがそれでも。人類にはまだ笑うだけの余力がある。
隊長「モンスターにミサイルぶち込むだけの簡単なお仕事です」