自衛の拡大
「オリハルコン、もしくはヒヒイロカネ、か……。手持ちはないし、心当たりもないなぁ。すまないね」
「わたしの方も同じね。心当たりすらないわ」
「そうですか……。まあ、ダメもとなので、気にしないで下さい」
そう言って、秋斗はパソコンの画面に映る勲と百合子に軽く頭を下げた。三人はWeb会議用のアプリを使って報告会と言う名の雑談会をしていたのだが、その中で秋斗が二人に尋ねたのだ。「オリハルコンかヒヒイロカネを持っていませんか?」と。結果としては、予想通り手がかりすらない。
「それにしてもオリハルコンにヒヒイロカネか。どういう経緯で必要になったんだい?」
「必要ってほどでもないんですけど。装備をアップグレードするのにあったらいいなぁ、ってくらいな感じです」
勲の問い掛けに秋斗はそう答えた。ウソではないが、麒麟の角のことは話していない。決して忘れたわけではない。シキとも相談した上で、話さない方が良いだろうという事になったのだ。
あの時、麒麟は秋斗と敵対しなかった。しかし次は分からない。また別の麒麟も同じように敵対しないとは限らない。どういう条件が重なって麒麟の角を得るにいたったのか、分からないのだ。
[安易に『ノンアクティブのモンスターがいる』と考えるべきではないし、またそのことを広めるべきでもない。下手に躊躇すれば、命に関わる]
シキはそう言い、秋斗もそれに同意した。それで彼はあの麒麟のことを勲や百合子には話していなかった。アリスに相談してみようかとも思ったが、あの麒麟の行方など彼は知らないし、まして呼び出す手段もない。このさき関わることはないだろうと思い、そのため秋斗の意識は角の利用法のほうへ向いていた。
「ふむ、新装備か。オリハルコンほどの素材はないが、他のならば多少は手持ちがあるよ」
そう言って勲は幾つか素材の名前を挙げた。ただ秋斗がシキに確認すると「在庫がある」とのこと。それで彼は勲の申し出を丁重に断った。
「そうか。ならアナザーワールドのほうは良いとして、だ。最近はリアルワールドも騒がしくなっている。二人の周りはどうかな?」
そう問い掛ける勲の声音と表情は真剣だった。それは画面越しでも伝わってくる。奏のことを考えればそうならざるを得ないのだろう。それで秋斗も正直にこう答えた。
「この前、大学の敷地内にモンスターが出ましたね。オレは居合わせなかったんですけど、負傷者多数らしいです。あと、家の近くで出たので、それは自分で倒しました」
「音大にも出ましたよ。生徒はみんな逃げちゃったので、警備員さんが倒しましたけど。ただ建物に被害が出ました」
「そうか……」
勲はそう呟いてため息を吐いた。モンスターの出現数はいまだ世界中で増加傾向にある。そして落ち着く気配はない。勲が聞いた話では、政府の魔石買取数は一週間平均で8万個を超えたという。
ただ問題はこの8万という数そのものではない。日本国全体で一日に1万2000体くらいで、しかもその大半が小型のモンスターなら、社会へのダメージが深刻とは言えない。問題は警察や自衛隊が対処仕切れていないということであり、そのために人々が大きな不安を感じている、ということだ。そして不安は人を動かす原因になる。
『今の政府は危機管理能力がない!』
『政府は国民を見殺しにする気か!』
『我々には自衛する権利がある!』
モンスターの出現数と反比例するかのように、政権支持率は急落した。焦った政府はモンスター対策の方針を大きく変えた。「対モンスターに限定され、あくまで自衛のため」としつつも、国民が「武装」することを認めたのだ。
もちろん武装と言っても銃が解禁されたわけではない。だがこれは大きな変化だった。驚異的なスピードで銃刀法が改正され、多くの人々が「武器」を持ち歩くようになった。大振りな鉈やナイフ、それに警棒などがホームセンターでも販売されるようになり、鉄板を仕込んだ鞄がビジネスマンの必須アイテムになった。
もっとも、そういう「護身アイテム」が広く出回るには相応の時間がかかる。ただ政府の方針転換の効果はすぐに現われた。民間のモンスター討伐数が増え、その分だけ警察や自衛隊に余力が生まれたのだ。以降、警察や自衛隊はより大型のモンスターの対処に注力していくことになる。
これは「積極的にモンスター・ハントする者が増えた」というだけではなく、「警察や自衛隊に通報してもどうせ間に合わないと考える者が増えた」ということでもある。だから手放しに喜べる話ではないのだが、ともかく民間の力を借りることで日本のモンスター対策は新たな局面を迎えたと言って良い。
少なくとも短期的には、それを評価する声は多い。それで政権支持率はV字回復を遂げた。「政権与党はこれで味をしめたようだ」などという話が、テレビなどを通じて聞こえてくる。だが状況を不安視する声も根強い。「現状は危ういバランスの上に成り立っている」と多くの人が感じていた。
世界に目を向ければ、各国のモンスター対策はやはり銃とAMB(Anti-Monster Bullet)が中心になっている。アメリカでは銃規制の緩和が一気に進んだ。大人が銃を持つのはもはや当たり前で、「子供に銃を持たせるべきか否か」という議論では、僅差ながらも賛成派が多数となった。
銃規制が厳しい国々では、その多くで日本より先に国民が武装を始めている。大抵は国民が勝手に武装し、国がそれを追認するという形だ。日本のように政府が方針転換するのを待ったのは希有な例で、日本人の「お行儀の良さ」が現われたと言えるかも知れない。もっともそれも一長一短だが。
ともかく世界中でモンスターの出現数は増加の一途をたどっている。収束の見通しは立たず、原因も不明とあっては、抜本的な対策など打ちようもない。日本も含めてだが、どうしても対策は対処療法的なものにならざるを得なかった。
「……なかなか明るい話題がないね。気が滅入ってしまいそうだよ」
勲は肩をすくめながらそうぼやいた。当然だが、彼が心配しているのは奏のことだ。しかしながら一般の人々と比べれば、奏の状況は恵まれている。であれば一般の人々が抱える不安はいかほどのものか。世界中でデモや暴動が起こっているのも、突き詰めればそれが原因だろう。
「せめてモンスターの出現数が頭打ちになれば良いんだが……」
勲はそう呟いた。ただ今のところその気配はない。それどころか、秋斗としてはさらに増えるのだろうと思っている。もっとも、口には出さなかったが。
報告会を終えると、秋斗はアプリを終了する。そしてコーヒーを淹れてから、今度は大学のレポートを始めた。世界が大変な事になっていても、大学は平常運転である。いや、努めて平常通りにしようとしている、と言うべきか。それが良いことなのか悪いことなのか、秋斗には分からない。ただ「呑気だな」とは思う。
(いや、呑気なのはオレか……)
この状況下、特に危機感も抱かずに大学の課題をする。不安を抱えて右往左往している人たちから見れば、腹立たしいほどに呑気だろう。そう思い、秋斗は内心で苦笑した。
彼が呑気でいられるのは、当然ながら経験値を溜め込んでレベルアップしているからだ。リアルワールドが殺伐としたとして、小型や中型のモンスターなどは彼の敵ではない。大型となると分からないが、今のところ大型は政府が現代兵器を駆使して討伐してくれている。つまり彼の周囲に大きな脅威はない。
そもそも政府がまだ存在し、治安維持機構も働いており、ライフラインも生きているのだ。フィクション作品でよくある、終末世界の設定に比べればかなりヌルい。そして仮にそういう終末世界になったとしても、秋斗はたぶん余裕で生きて行ける。それだけの能力をすでに持っているからだ。
しかしながら、だからといって彼も「終末世界」になってしまっても良いと思っているわけではない。特にライフラインは重要だ。ライフラインがなくても生きて行けるとしても、あった方が快適なのは確実なのだから。
(それに……)
それに、秋斗は「この世界に何かを刻みつけたくて」、アナザーワールドと関わるようになったのだ。何もせずに終末世界を迎えてしまうことは、その基本方針に反する。だが何をどうすれば「世界に何かを刻みつけた」ことになるのか。その答えはいまだに彼の中ではっきりとしない。
(ユリはたぶんなんも考えてないんだろうけど、勲さんがあそこまで焦るのは何となく分かる)
つまり大げさな言い方をするなら、ここが社会体制を存続させられるか否かの瀬戸際だと彼は思っているのだ。秋斗自身はそこまで深刻に考えているわけではない。だが社会とか、そういう大きなモノにいたるまでが、今までのままではいられなくなっている。そんな気はしている。それこそ大げさな言い方をするのなら、時代は、世界は、変わろうとしているのだ。
「オレももうちっと何かするかなぁ」
[ふむ。具体的にはどうするのだ?]
「奥多摩に行こうかと思う」
[モンスター・ハントか?]
「ちげーよ。ほら勲さんが前に言ってた宇宙船、見に行ってみようぜ」
[挑戦するのではないのか?]
「ヤバそうなら逃げる」
[アキがそれで良いのなら、わたしはサポートするだけだ]
シキがそう答えると、秋斗は小さく頷いた。そして頭の中で予定を組み始める。彼がまず始めたのは、長丁場に備えて食料を用意することだった。
シキ[パーソナルなライフラインの構築を急ぐべきか……]
秋斗「ちょっと手を広げすぎじゃない?」




