新たなホームエリア5
竜牙剣を正面に構えて、秋斗はコボルト・リーダーと向かい合う。コボルト・リーダーはうなり声を上げて威嚇しているが、彼の方は静かなものだ。ただし視線は鋭く、集中力も研ぎ澄まされている。
「グゥゥゥゥ……!」
うなり声を上げながら、コボルト・リーダーがゆっくりと左手を動かす。そしてベルトにさしてあるナイフに触れた。次の瞬間、コボルト・リーダーは一挙動でそのナイフを投げる。だが秋斗はそのナイフを最小限の動きで弾いた。
同時に彼は踏み込んで間合いを詰める。コボルト・リーダーも分厚い鉈のような剣を振り上げて彼を迎え撃った。振り下ろされた分厚い剣が地面を打つ。秋斗は急制動をかけてそれを回避すると、コボルト・リーダーの伸びきった腕を斬りつけた。
「ギャァ!?」
コボルト・リーダーが悲鳴を上げる。だが秋斗も顔をしかめていた。ちゃんと武器強化していたのだが、思った以上に手応えが硬い。そのせいで浅くなった。どうやら身体強化もしているらしい。
コボルト・リーダーはウェアウルフと比べて、スピードでは劣る。だが防御力は高いようだ。身体強化の“質”だろうか。もしかしたら割り振りみたいなことができるのかもしれない。なんにしても秋斗にとってはそちらの方が厄介だった。
(なら……!)
秋斗はフットワークを生かしてコボルト・リーダーを翻弄した。そして伸閃を駆使して細かくダメージを与えていく。だがそれで倒そうとしているわけではない。それは全て本命のための布石だった。防御力が高いのなら、それをかいくぐる攻撃をすれば良い。つまり浸透攻撃だ。
一方のコボルト・リーダーは苛立っている様子だった。分厚い鉈のような剣を振り回すが、しかし秋斗にはかすりもしない。逆に細かい傷が増えていく。今はまだ動きを鈍らせるほどではないが、一方的な展開だ。まるでなぶられるような戦いに、コボルト・リーダーの口の端が苦々しく歪んでいく。
(そろそろか)
秋斗は心の中でそう呟いた。そしてコボルト・リーダーが大振りした一撃を、上体を反らせるようにして回避する。身体を戻し、懐へ飛びこもうとして、しかしそれより早くコボルト・リーダーの激情が滲む視線が彼を射貫く。同時に大きな咆吼が響いた。
「ガァァァァ!!」
「っ!?」
一瞬、秋斗の動きが止まった。まるで金縛りにあったかのように身体が動かないのだ。彼は咄嗟に腰を落とした。すると足に力が入って踏ん張りが利くようになる。だが彼が仕切り直す前に、コボルト・リーダーがまた一撃を繰り出す。
「っち!」
舌打ちして、秋斗は可能な限りの身体強化と武器強化を行う。回避は難しいと判断したのだ。そしてコボルト・リーダーの一撃を受け止める。彼は地面を削りながら、後ろへ大きく弾き飛ばされた。
コボルト・リーダーはすかさず彼を追撃する。デタラメに振るわれる一撃は、しかし重い。秋斗は受け流しつつ距離を取ろうとするのだが、コボルト・リーダーはそれを許さない。しつこく彼を追い回した。
(……っち、コイツ、やっぱ慣れてんな……!)
秋斗は心の中でそう悪態をついた。秋斗は森の中の戦いに不慣れで、思うように動き回ることができない。木々が邪魔なのだ。山の中を駆けずり回ったことはあるが、あの時はモンスターが弱かった。だがコボルト・リーダーは森の中での戦いに慣れていて、しかもボスクラスのモンスター。秋斗はなかなかコボルト・リーダーを振り切れない。
「っ!」
秋斗の背中が一本の木にぶつかる。彼は顔を険しくした。それを見逃さず、コボルト・リーダーは鉈のような剣を突き出す。秋斗は地面を転がってそれを避けた。コボルト・リーダーの剣は木の幹に刺さってはおらず、すぐに彼を追撃する。それを見て彼は直感した。先ほどの攻撃は、そこまで織り込んでの突きだったのだ。
「……ざっけん、なっ!」
秋斗は強引に攻めに転じた。このままでは主導権を握れないと思ったのだ。全力で身体強化と武器強化を行い、真正面からコボルト・リーダーと斬り合う。一度腹を据えてしまえば技量も魔力量も秋斗の方が上で、彼は徐々にコボルト・リーダーを圧倒し始めた。
「……、ガァァァァ!!」
「っ、らぁあ!!」
焦った様子で、コボルト・リーダーが再び咆吼を上げる。だが秋斗はそれを気合いで相殺した。いや相殺しただけではない。むしろ上回った。コボルト・リーダーの方が一瞬身体を強張らせた。
何が起こったのか、いや自分が何をしたのか、秋斗はよく分かっていない。だが考えるのは後回しだ。彼は敵が見せた隙を見逃さずにその懐へ飛び込んだ。そして竜牙剣を水平にして、弓を引くように構えた。コボルト・リーダーは胸当てをしている。それで彼は喉を狙って剣を突き出した。
放つのは浸透刺撃。だが刃はコボルト・リーダーの喉に突き刺さり、そのまま反対側へ抜けた。彼はすかさず武器強化をかけ、竜牙剣を横へ薙ぐ。十分すぎる致命傷で、コボルト・リーダーは膝から崩れ落ちた。
コボルト・リーダーの骸が黒い光の粒子になって消えていく。それを見ながら、しかし秋斗は竜牙剣を鞘に収めようとしない。視線は鋭いままで、警戒を続けている。その理由は彼の視界に表示された俯瞰図に赤いドットが残っているから。つまりまだ周囲にモンスターがいるのだ。
ただこのモンスター、少し様子がおかしい。秋斗は俯瞰図にコボルト・リーダー以外の赤いドットが映っていることに気付いていたが、しかしそのドットはつかず離れずの距離を維持するだけで、戦闘に乱入してくることはなかった。それで彼も、意識はしつつもコボルト・リーダーの方を優先したのだが、こうして戦闘が終わっても動きがない。
(なんだかな。ちょっと不気味だ)
内心でそう呟きながら、秋斗はモンスターがいるはずの方向へ身体を向けた。木々と茂みに隠れてモンスターの姿は見えない。ただ姿が見えないことより、動きがないことのほうが秋斗には不気味だ。
(どうする……?)
秋斗は困惑する。モンスターがすぐそこにいるのに警戒を解くことはできないし、まして背中を見せるなどもってのほか。だがいつまでもこうしている訳にもいかない。仕方がないと思い、秋斗はゆっくりと竜牙剣を振り上げた。そして魔力を練り上げる。
彼が飛翔刃を放とうとしたその時、茂みをかき分け木々の間からモンスターが姿を現わした。コボルトではない。灰色よりは黒に近い葦毛の馬で、額から立派な角を一本生やしている。コボルト・リーダーの群れに追われていた、あの麒麟だ。
「逃げたんじゃなかったのか……」
竜牙剣を振り上げたままの姿勢で、秋斗はそう呟いた。彼がコボルトたちの包囲網の一角を崩したとき、麒麟はそこから逃げたのだとばかり思っていた。ただそれもいま思い返してみれば少しおかしい。モンスターがモンスターを狩るのはこれまでにもあった。だがモンスターが人間を前にして逃げを優先させるのは、たぶんこれが初めてだ。
そしておかしな状況は今も続いている。姿を現わした麒麟はじっと秋斗を見つめるだけで、襲いかかってくる様子はない。秋斗はいつでも飛翔刃を放てる体勢なのだが、麒麟が敵意を見せないので、動くに動けなくなっている。
(一体……)
一体コイツは何がしたいんだ。困惑と緊張で、秋斗の顔が険しくなる。彼をじっと見つめる麒麟の赤い双眸に変化はない。いい加減に焦れて、彼が牽制がてらに仕掛けようとしたその時、麒麟が低く嘶いた。そして首を激しく左右に振る。
「な、なんだ……?」
麒麟の予想外の行動に、秋斗はまた出鼻を挫かれた。竜牙剣を振り上げた姿勢のまま、彼は麒麟の様子を唖然と眺める。再び動くに動けなくなった彼の目の前で、麒麟の立派な一角がポロリと折れて地面に転がった。
「は……?」
秋斗が間抜けな声を出す。そんな彼に構わず、麒麟は身を翻して駆け出した。俯瞰図に表示された赤いドットも遠ざかり、やがてシキの索敵範囲からもロストする。秋斗は呆然としながらそれを見送った。
「…………」
俯瞰図に映る赤いドットがなくなり、秋斗はやや釈然としない顔をしながらも、竜牙剣を鞘に収めた。そして数歩の距離に落ちている、麒麟が落としていった角を拾う。拾った角はほんのりと暖かく、ずっしりと重かった。
「…………」
[アキ。鑑定してみたらどうだ]
無言のまま角を見つめる秋斗に、シキがそう提案する。秋斗はハッとした様子で「そ、そうだな」と答え、鑑定のモノクルを取り出した。角の鑑定結果は次の通りである。
名称:麒麟の角
優れた錬金素材の一つ。
「う~ん、よく分からん……。シキ、アカシックレコード(偽)の方はどうだ?」
[……使い方としては、ドラゴンの骨と同じように一度錬金合鋼にするやり方と、ドラゴンの牙の場合のようにそのまま加工する方法があるようだな。ただどちらにしても合せる素材がない。いや、ないことはないのだが、格が釣り合わない]
「手持ちだと、何があるんだ?」
[ダマスカス鋼だな。ほら、鍾乳洞で手に入れた鉱石を製錬してインゴットにしたやつだ]
「ああ、アレか。……ちなみに、何だと釣り合うんだ?」
[書かれている限りでは、オリハルコンかヒヒイロカネだな]
「それはまた……」
秋斗はそう呟いて苦笑した。ダマスカス鋼ではオリハルコンやヒヒイロカネとは釣り合いそうにない。まあ秋斗の場合はゲームや漫画の知識だが。ただアカシックレコード(偽)の情報でも同様らしい。
それにしても、角はかなりのレア素材だったようだ。あの麒麟はどうしてそんなものをくれたのか。素直に考えるなら助けた礼だが、アリスでもないのにモンスターがそんなことをするだろうか。
[アキ。アカシックレコード(偽)で調べてみたのだが、麒麟はそもそも聖獣という区分らしい。つまりもともとはモンスターではない。アレはモンスターとして再現された存在だろうが、もともとの本質も再現されている……]
「……という仮説?」
[まあな]
つまりハッキリとしたことは分からない、ということだ。秋斗は肩をすくめつつ、麒麟の角をストレージに放り込んだ。ここは善意的に解釈しよう。彼はそう思った。
ちなみに、コボルト・リーダーの魔石はギリギリで1kg以上だった。
麒麟さん「は、生え替わりの時期だっただけなんだからね!」